孤独も傷つきも、抱きかかえたまま今日を共に生きて居ること
ただ、そこに隣り合って「居る」こと。
それまで私は、「居る」ということがきわめて受動的というか、消極的な行為だと思っていた。ただの状態を表す言葉であって、その行為自体にはさほど意味はないものと考えていたのだ。
ここにただずっと居るだけで、自分は相手に対して何ひとつ手を差し伸べられていない。相手がただここに居てくれるだけでは、どこか孤独なままで不安は拭えない。
そうした「ままならさ」に無力感や虚しさを覚え、それがより自分を苦しめることがある。きっと、同じように感じている人は少なくないはず。
2020年3月24日に開催された「LITALICO研究所 OPEN LAB 第9回」では講師陣が、いま孤独に苦しむ人たちが生きていくために必要とするヒントを提示した。テーマは「それぞれの孤独を携えて、私とあなたが隣に『居る』こと」。
私たちが抱える痛み、孤独、そしてケアについて考え続けた3人のゲストが、それぞれの視点で「居る」ことを語った。
本記事は、2019年度に実施した、LITALICO研究所OPEN LABの講義のレポートとなります。会場・オンラインでの受講生限定で開講・配信した講義シリーズの見どころを、一般公開いたします。
(レポート執筆: 吉川ばんび)
グリーフには正解も不正解もない。違いを違いのまま「わかちあう」こと
個人的に胸を打たれたのは、尾角光美さんが紹介した「グリーフケア」の話だ。
「グリーフ」とは、大切な人やものを失うことによって生まれてくる自然な反応や感情、プロセスのこと。自分とまったく同じ指紋を持つ者がいないように、グリーフはひとりひとり、感じ方も表現の仕方も異なる。
例えば身近な人が亡くなったとき、悲しみや絶望感を覚えるほかに後悔すること、自分を責めること、安堵することさえ自然な反応として生まれてくる。身体の調子をくずしたり、学校や会社に行けなくなったり、逆に過活動になったり、また社会から孤立してしまったように感じたりすることもある。
グリーフには「普通」がない。大切な人を失ったことで生まれた反応や感情には正解も不正解もなければ、「こうあった方が好ましい」とされる指標も存在しない。全く同じ経験や感じ方をする人はいないため、完全に他者のグリーフを「わかる」ということはない。けれど、違いを違いのまま「わかちあう」ということはできる。
尾角
大切なのは、喪失経験において、どの感情をどんなふうに経験してもおかしくないし、それは自然なことだっていうことです。そしてそれは一人ひとり違っているということです。
そう、私たちはそれぞれ「別個」の存在なのだ。だからたとえ愛し合う者同士でも、分かり合えないことがあるのは当然のこと。そんな簡単なことに、私はこれまで気付けなかった。
こんなに苦しいのにどうして分かってくれないの。それとも私がおかしいの。
このレポートを書いている私自身も、かつては分かり合えなさから誰かと関わることを恐れたり、人間関係を断ち切ってしまうことすらあった。
乗り越えなくてもいい、ゆらいでいてもいい
同じような喪失体験を持つ者同士でも、①反応や感情、②そのグリーフを乗り越えるか、共に生きていくかといった付き合い方、③グリーフケアにかかる期間やプロセスなど、すべてが異なる。もしも、あのときの私がこのことを知っていたら。誰かを責めたり、自分を苦しめたりしなくても済んだかもしれない。
尾角
今日、皆さんに覚えておいていただきたいのは、ゆらぐことが大切。ゆらいでいいっていうことです。
尾角さんの講義は、「喪失と回復の二重過程プロセス」への言及で締めくくられた。
大切な人やものを失ったとき、私たちには「喪失志向」と「回復志向」と呼ばれる状態が訪れる。喪失志向とは、その人やものを思い出したり考えたり、悲嘆したりするような状態を表す。そして回復志向は、前を向いて仕事に励んだり新しい役割や生活に適応したり、将来に向かって生きる状態のことだ。
これまでの理論では、段階的に喪失志向から回復志向へと段階を踏んでたどり着くこと、いわゆる「乗り越えること」が望ましいとされていた。しかし、時代とともに実証的研究も進み、それも変化してきた。喪失志向と回復志向をなんども行ったり来たりすること、いわゆる「ゆらぎ」が大事なのだという。失ったつらさで苦しくてたまらないときもあれば、何か新しいことに打ち込めるときもある。再び塞ぎ込む日が訪れても、自分を責める必要はない。「ゆらいでいていい」のだ。
私は機能不全家庭で生きていたころの記憶を、28歳になった今でも捨てられずにいる。物心がついたときには暴力を受けていたし、母親からも常に否定されつづけて育った私は大切なものをいくつも失った。家族に会えば当時に引き戻され、胸の中を激しくかき乱されてしまうから、恐ろしくて実家には近寄れずにいる。思い出さないようにしていても、毎晩毎晩母親に罵倒され、兄に殴られ、父親から見捨てられる夢にうなされる。
子どものころのことをいつまで引きずっているんだろう。昔の夢にうなされて体を壊したり「死にたい」と思ったりするなんて、馬鹿みたいだ。この記憶から逃れられないかぎり、私はずっと苦しみを抱えて生きていくのかもしれない。そんな風に思うことは、数え切れないほどある。
けれども、生きているのがほんとうに嬉しくって仕方がない日もある。意気投合した仲間に出会えたとき。大切に思っている誰かに感謝されたとき。窓辺で陽に当たる猫の寝顔を眺めているとき。桜が咲いたのをまた見られたとき。生きていることを実感して、幸せな気持ちでいっぱいになり、涙が溢れることがある。
ゆらいでいていい。何かを許されたようで思わず、目頭がカッと熱くなった。
居場所づくり、そしてそのあとに
続いて行われた家入一真さんの講義では、起業家である彼が「居場所」を作り続ける意味が語られた。
家入
僕は中2でいじめに遭ったところから学校に行けなくなってしまって。10代はほとんど家の中、部屋の中で過ごしていました。いまだにその、当時感じていた居場所のなさみたいなものが、行動の原体験になっています。
かつて学校にも家庭にも、雇用先にも居場所がなかったという家入さんは、やむなくした起業で居場所を手に入れた。彼にとっての居場所とは「おかえり」と言ってもらえる場所。遠くに行っても、何年かぶりに訪れても迎え入れてくれる場所のことだ。
安心できる場所があって初めて、人は何かに挑戦したり、一歩踏み出せたりする。それは家入さんが自身の体験から学んだことであり、「後ろ盾を持たない誰かにとっての居場所を提供したい」といった思いから数々のサービスを世に送り出し、起業を目指す若者たちを支援してきた。
しかし、とある重大な喪失体験があったことでこれまでの考えを省みるようになった。起業を勧めるのであれば、失敗したときのケアについても考えなければならない。そう考えた家入さんは現在、起業家のメンタルヘルスケアに関するプロジェクトを始めている。
家入
僕自身が起業によって救われた人間ですから、生き方・働き方のひとつとして起業という選択肢があること自体は素晴らしいことだと思っていますし、それを推し進めてきたのも事実です。だけど、果たしてそれは本当に正しかったのかなって。
正しい、正しくないじゃないのかもしれないけど、自分自身で起業を促進してきたのであれば、少なくとも起業によって失敗した人たちのケアをするところまでやらないと、無責任なのかもしれないって思うようになったんです。
孤独や孤立と、どのように向き合うか。居場所をいくつか持っておく、というのは私自身、今もっとも気を付けていることのひとつだ。安全に生活できる家など「肉体の居場所」だけでなく、拠り所になるコミュニティや連絡を取り合える友人など「精神の居場所」も重要で、どちらかが欠けてしまうと途端に心身のバランスが取れなくなってしまう。
いくつか居場所を作っておけば、何らかの事情でそこに居るのがつらくなったとき、他の場所へ身を逃すことができる。「自分にはここしかない」とたったひとつの場所に縛られてしまえば、たくさんのものを犠牲にしなければならないこともあるかもしれない。
傷つけ合わず、傷つきを共有するセーフティーな関係
最後に登壇した臨床心理士の東畑開人さんは、「共同性と親密性」について「シェアとナイショ」と言葉を置き換えて話を展開した。
東畑
僕らが孤独とか繋がりっていうことを言うときに、そこには二種類の繋がりがあるのではないだろうか。そして、一般的にコミュニティなどの文脈で語られるときの繋がりと、カウンセリングのように密室の場で2人だけで話しているときの繋がりっていうのは、また別の種類のものなのではないだろうかっていうことを最近考えているわけですね。
人と人との繋がりには二種類ある。それが「シェア(共同性)」と「ナイショ(親密性)」の関係だ。
「シェア」は誰かひとりに話しかけるようなものではなく、みんなで、グループや集団での繋がりを表す。例えばグループで体験を分かち合ったり、コミュニティに顔を出してそこで一緒に居たりすることはシェアの関係だ。
シェアの関係は、傷つきを共有する。そして互いをこれ以上傷つけない、セーフティーな性質を持つ。傷つけ合うことがない安全な関係性だからこそ、つながりが発展していくのだ。
一方で「ナイショ」は、2人きりの関係のことを指す。お互いが相手の「ナイショ」に深入りするから、いわば「傷つき合う危険な関係」だという。むきだしの状態で接し合えば、その気がなくても、愛し合っていたとしても、どうしても傷つけ合ってしまう。外からは見えない関係ゆえ、DVやハラスメントが起こることもある。
ナイショの関係で生じるのは、全面的な依存だ。シェアの関係では部分的に複数人と繋がるのに対し、ナイショの関係では全面的なつながりを相手に求めてしまう。
もしも孤立して周りに誰もいなくなったとき、つながりを作るならばシェアの関係を優先させた方が良い。依存先を分散させることで、安全で健全な関係性のもとで自立することができるのだという。
これは、前述した家入さんの「居場所」の話にも通ずる。
孤立したときに必要なのは、かけがえのない一人ではなく「部分的に繋がる人々」なのかもしれない。自分がそこに居ることを脅かさない関係。それはセーフティーネットであり、歩き出すために必要な「基盤」の役割を果たしてくれるのだろう。
補完しあう「孤独」と「つながり」
イベント後半、LITALICOの鈴木悠平さんがモデレーターとなってのパネルトークでは、家入さんが携えてきた「起業家の孤独」を明かしたことから、「孤独」をテーマに議論がかわされた。
家入
僕が死んでも回るものであってほしいんですよ。いかに僕に依存しない仕組みを作るかが役目だと思ってやってるんだけど。でもやっぱり紐づくじゃないですか。それが嫌なんです。
やってきたことや作ってきたものが、自分が死んだらすべてなくなってしまう。
起業家として数々のサービスを世に送り出してきた彼が、こうした孤独を抱えていることは少し意外だった。
例えばフリーランスのライターとして働いている私は、どこにも所属せず、チームで何かを作り上げた経験もほとんどない。吹いたら飛んでいきそうな身の軽さに孤独を感じることは多々あるし、個人で仕事を請け負う人々が同じような孤独を抱えているであろうことも想像しやすい。
志を同じくする者たちが発起人(ここでは起業家)のもとに集まり、大きな船に乗り合わせた仲間となり、同じ方角を目指す。ここに「連帯感」こそあれど、「孤独」のような、「仲間」というワードとは一見正反対に見える要素が含まれているとは考えたことがなかった。
新しい居場所を作ることは、新たな孤独を生むのかもしれない。
「流動的な世界で『個』として生き残るには、執着せず、関係を切断していかねばならない」
「孤独」と「つながり」は、互いに補完しあっている。「孤独」と聞けばマイナスのイメージを持ってしまうが、実はそうではない。
孤独を抱えている者同士が隣り合っているからこそ、安らげる居場所が生まれるのではないか。
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今回の講義のテーマは、「それぞれの孤独を携えて、私とあなたが隣に居ること」。
2時間半にわたって様々な角度から「居る」ことが考えられた。
自分の孤独は誰にもわからないかもしれないし、これから先も長く続いてゆく。死ぬまでの間、なんども同じ苦しみを反芻するかもしれないと考えると怖くってたまらなくなる。
それでも今は、大切な人たちと共に過ごし共に生きたいと思う。その人の孤独も私の孤独も、決してゼロになることはないけれど、ただ共に「居る」ことで生まれるもの、紡がれる何かが確かにあるのだろう。
そしてそれが新たな希望になりうることも、生きる糧になることも、今日、今を生きる私は知っている。
レポート執筆: 吉川ばんび
1991年、兵庫県神戸市生まれ。ライター、コラムニストとして活動。大学卒業後、商社、司法書士事務所を経てライターとして独立。貧困や機能不全家族の問題について自らの生い立ち、貧困体験をもとに執筆や問題提起を行う。関心領域は主に格差問題、児童福祉、ブラック企業などの社会問題。ウェブ媒体や雑誌への寄稿のほか、メディアへの出演も多数。現在「文春オンライン」、「東洋経済オンライン」、「日刊SPA! 」などで連載を持つ。
Twitter:@bambi_yoshikawa
写真撮影: たかはしじゅんいち
1989年より19年間のNY生活より戻り、現在東京を拠点に活動。ポートレイトを中心に、ファッションから職人まで、雑誌、広告、音楽、Webまで分野を問わない。今までトヨタ、YAMAHA, J&J, NHK, reebok, Sony, NISSAINなどの広告撮影。現在Revalue Nippon中田英寿氏の日本の旅に同行撮影中。著名人 - Robert De Niro, Jennifer Lopez, Baby Face, Maxwell, AI, ワダエミ, Verbal, 中村勘三、中村獅童、東方神起、伊勢谷友介など。2009年 newsweek誌が選ぶ世界で尊敬される日本人100人に選ばれる。
https://junichitakahashi.com/
編集: 鈴木悠平
執筆協力: 雨田泰
同講義のダイジェスト動画はこちら (一般公開)
(尾角光美さん編)
(家入一真さん編)
(東畑開人さん編)
(パネルトーク編)