私の母語について
本エッセイは、アドヴェントカレンダー「言語学な人々」の記事として公開しているものである。
私はフィールド言語学者である。消滅の危機に瀕した少数言語を対象に、現地調査を行いながらその言語の全体像を記述・分析・記録保存していくことを専門にしている。特に専門にしているのは琉球諸語、その中でも宮古語の、さらにその中でも伊良部島の言葉であり、2008年に博士論文として総合的記述文法を完成させ、2018年にその和訳・改訂版を出版した。
伊良部島方言は私の母語ではなく、父方の親族の言語である。私は伊良部島方言の話者である父、沖縄語(本島中南部の)の話者である母の間に生まれた。これらの言語はお互いの意思疎通ができないほど言語差があるため、家庭では地域共通語(後述するウチナーヤマトグチ)が使われていた。地域共通語が使われていた理由はそれだけでない。私の父母の時代には標準語励行の名の下に、伝統的な地域言語を家庭からも、教育現場からも一掃する取り組みが行われていた(詳しい経緯は私のnote別記事を見てほしい)。家庭で琉球諸語を使うことは「恥ずかしいこと」で、子供世代(つまり私世代)に対してはせめて「ちゃんとした標準語を」身につけて欲しかった、と実際に父母が語っているのをのちに聞いた。
そんなわけで、私は伊良部島方言も沖縄語も獲得せず、ウチナーヤマトグチを母語として獲得した。与那原という本島南部の田舎町(本エッセイ冒頭の扉写真のような微熱感漂う古びた町)で18歳まで過ごしたので、南部のウチナーヤマトグチを話す。
今回のエッセイの主眼は、伊良部島方言ではなく、まさに私の母語であるウチナーヤマトグチについてである。テレビなどで一般に「沖縄方言」「沖縄弁」という時、それは間違いなくウチナーヤマトグチを指していると言って良い。
ウチナーヤマトグチとは
下で示すものは、一番上段が共通語訳(Level 0)、そこから徐々に、ディープさを増していくウチナーヤマトグチの例である。Level 1-2が典型的なウチナーヤマトグチで、Level 3はもはや伝統的地域言語(沖縄語中南部広域)と連続性を持った変種になる。私自身は相手によって、あるいは気分によってLevel 1-2の間を行き来する。このように、ウチナーヤマトグチは共通語的な極から伝統的沖縄語の極に至る連続体をなしている点が大きな特徴となっている。
ウチナーヤマトグチは沖縄本島で話されている(ウチナーとは沖縄本島およびその周辺属島を指す)。日本に併合されたのちの沖縄語話者たちが、日本語を学習者として習得(1880年に明治政府の「会話伝習所」が開設、高江洲1994: 246)あるいは自然に獲得する過程で生じた接触言語である。これを含めたウチナーヤマトグチの言語社会状況については、ウチナーヤマトグチ研究のパイオニアの一人である高江洲氏の以下の論考を参照されたい。
非常に大雑把にいって、ウチナーヤマトグチの基層には沖縄語がある。例えば上で挙げたLevel 3の沖縄語と見分けがつかないヌディ ネーン「飲んでしまった」は、動詞継起形「飲んで」+不在補助動詞「ない」の構造で、これは直訳すれば「飲んで(その結果)ない」、すなわち「飲んだ」という意味の完遂アスペクト構文であるが、これがLevel 2, 1でそのまま共通語の翻訳形になって使われる。私の中では、ノンデナイは共通語の「飲んだ(完遂)」の意味であり、共通語で「飲んでない」と言いたい場合はノンデン(て形+西日本でよく見られる否定接辞ン)になる。
ウチナーヤマトグチを学習者の言語、すなわち中間言語とみる人もいれば、ピジン・クレオール研究におけるクレオールに近いものと見る人もいる。接触言語としてのウチナーヤマトグチの学術的な分類についての詳細はロング(2010)が詳しい。以降、単にウチナーヤマトグチと呼ぶ。
2024年現在、沖縄本島で生まれ育った人たちはこれをメインの、あるいは唯一の母語とする人が大半を占めると思われる。伝統的な沖縄語を母語とする世代の方が圧倒的に少数である。この社会言語状況については後でまた取り上げることにして、しばらくこの言語の言語学的な特徴を解説してみたい。
ウチナーヤマトグチにはいくつもの興味深い特徴があり、その一部は基層にある沖縄語の影響を残していると考えられ、また他の一部は、ある意味で独自の発達を遂げたものもある。以下に、例を2つあげてみたい。なお、言語学的な記述研究は非常に少ないものの、読書案内にあげる高江洲頼子氏の研究、かりまたしげひさ氏の研究など、手堅くて読みやすいものがいくつも手に入る。
証拠性
まず、日本語学系の言語学者の間で比較的よく知られた事実から。ウチナーヤマトグチは動詞過去形に2種類あり、例えば「太郎が帰った」という出来事について、以下のように、カエリヨッタとカエッタの2つの過去形を作ることができる。
答え1は、「太郎が帰った」場面に自分もいて、その場面を直接経験した、つまり、太郎が帰るのを見ていたことを意味する。もしそうでないなら、答え2を使うことになる。以下のようにいうと、非文になる。
言語学的にいうと、話者自身の五感によって直接経験したこと(その場にいて出来事の発生を確認したこと、知覚したこと)を明示するシヨッタ形式(Direct evidential)と、それを明示しないシタ形式がある(Direct vs. IndirectはWillet 1988の分類に従う)。言語学で証拠性と呼ばれる文法範疇が活用体系に組み込まれているのである(高江洲2004、かりまた・島袋2007、八亀・工藤2008)。西日本方言のヨルトルのシヨッタ「していた」ではなく、「した」という完成相(perfective)的な過去である点にも注意してほしい。
シヨッタ形式の本質は視覚を含む五感による直接経験であって(よく巷で誤解される)「目撃」ではない。この点、八亀・工藤(2008)第3章「目撃者の文法」という章タイトル(とその中身の解説)は誤解を招く。以下を見てみよう。
大体の出来事は、その成立を直接経験する際に否が応でも視覚を伴うことを考えれば、シヨッタが目撃と関連していると言ってしまいそうになるが、上の例からそうではないことがわかる。「雷鳴がした」という出来事は、当然聴覚頼りになるから、直接経験のシヨッタ形式を使えば、「雷鳴がしたことを聞いた」と解釈されるのである。この文脈におけるシヨッタには視覚が関わっていないので、文として十分に成立する。
触覚も、視覚や聴覚ほどではないが、「直接経験」できる出来事は幅広い方だろう。ここでいう触覚は、温度や痛みなども幅広く含む。
味覚・嗅覚になると、直接経験できるような経験世界が狭くなり、「〜という臭いがした」(嗅覚で直接経験)、「〜という味がした」(味覚で直接経験)のような表現に限られるようになってくる。
このように、シヨッタ形式は話者の直接経験を明示する文法形式で、これはウチナーヤマトグチの話者なら大体誰でも、老年層でも若年層でも日常的に使っている。そして、このシヨッタ形式と(通常の過去形である)シタ形式の対立は、伝統的な地域言語(沖縄語)にある対立を基層としたものである。例えば「飲んだ」は沖縄語(中南部広域)で第一過去形 nudan(飲んだ:シタ形式) vs. 第二過去形 numutan(飲んだ:シヨッタ形式)として対立する。
あまり注目されることがないが、類型的に見てシヨッタ形式の面白いところは反実仮想「危うく〜だった(が、そうならなかった)」にも使えるという点である。
筆者が知る限り、実際に生じた世界線(realisともいう)を語る直接経験形式が、実際に生じなかった世界線(irrealis)で、しかも反実仮想過去に使える言語は報告が少ない(なお、韓国語やWestern Apacheなど、反実仮想の条件節述語に直接経験形式が使われる例は散見される;Kwok 2013、Anderson 1986など;cf. ウチナーヤマトグチは主節述語)。反実仮想の用法もまた、伝統的な沖縄語の第二過去形に見られるものである。
ここまで、証拠性に関する解説を読んでみて、調査したくなった人もいるかもしれない。私を対象に調査してみたい人がいたら、喜んで話者になるので、連絡して欲しい。
ニックネームの音韻論
次に紹介するのは、音韻あるいは単語作りに関する話。日本語研究の世界で、それどころか琉球語研究の世界でも、これまでほとんど取り上げられてこなかったものだと思う。
ウチナーヤマトグチの話者であれば、以下のような名前の人について、ある程度決まった「型」のニックネームを作ることができる。
作り出すニックネームには慣習的なものも多いが、あまり聞いたことがない新規な名前であっても、大体無理なく作ることができる。例えば私は「孝三郎」という知り合いはいたことがないが、もしいたとしたら、そいつのニックネームは「こーぶー」か「さーぶー」にするだろう。あるいは、「こーX」(Xは愛称接辞、たとえば「ちゃん」とか「ぴょん」)にするかな。
私が中学の時、ALTできていたアンソニーという先生が、英語のニックネームであるトニーと呼んでくれ、と自己紹介していたのを覚えているが、我々は構わず「トー]ニー」と呼んでいたものである。
このように、ニックネーム形成は慣習的に決まる(つまり語彙的な知識の一部になっている)部分が多いとはいえ、即席で作ることもできるし、作り出すものに創造性の余地(個人差)がある。私が作った上記のニックネームは、母語話者には概ね容認されるはずで、私がアスタリスクをつけたものは誰も容認しないと思われる。要は、このニックネーム形成には何らかの一般化可能な規則を想定可能だと言える。
このテーマは、去年九大で私が主催したフィールド言語学集中講義でもワークショップ形式で取り上げ、大いに盛り上がったものである(以下のnote別記事で取り上げている)。
そこに参加していた当時3年ゼミの学生が、今年、ついに卒論で取り上げてくれることになったのである。今頃必死に描いてるのかなあ。
ニックネーム形成規則については、私自身に具体的なアイデアがいくつかあり、それをにおわせる形で、上記の例の中にいくつかヒントも入れているが、あえて明示的に一般化していない。それは今執筆している卒論生の分析に委ねたいし、いくつかはすでに彼に伝授してある。その卒論生オリジナルの分析も含め、卒論の完成(あと1ヶ月弱)を待とうと思う。とにかく大事な点は、ウチナーヤマトグチを特徴づけるこのニックネーム形成という現象に音韻的・形態音韻的な規則性が隠れており、それは理論的にも興味深い点がいくつかある、という点である。
誰も研究しようとしないウチナーヤマトグチ
読書案内にあげた、散発的な研究を除き、ウチナーヤマトグチの音韻・文法のほとんどはまだ真面目に研究されたことがない。上で紹介したうち、証拠性は例外的によく記述されてきたが、それは(同じく証拠性が動詞活用に体系化されている)伝統的な沖縄語の研究が豊富だったからである。2番目に取り上げたニックネームの音韻論には、先行研究らしい先行研究がない。
他にもいくらでも、気になるテーマは挙げられる。例えば、逆説の接続助詞を使った順接表現、たとえば「なんで遅れたの?」に対して「して、混んでたのに」(だって、混んでたから)のような表現の使用範囲と語用論的機能は、私が目下取り組んでいるテーマ。他にも、曖昧接辞「なんか」を使った複数化「あんたなんか」(あんたたち)と複数接辞による複数化(「あんたたち」)の意味の違いや、すでに冒頭で触れた不在動詞「ない」による完了アスペクト表現「飲んでない」(=飲んだ)など、琉球語研究をやっていれば、基層言語の影響の点からも研究しがいのあるテーマがゴロゴロ転がっている。
しかし、研究する人がいないのである。調査が難しいから?確かにこの言語は個人差、世代差が大きく、体系が共通語の極に近いものから伝統的沖縄語に近いものまで連続体をなしている。しかし、例えば個々の話者の内省は比較的明確なものが多く、上で挙げた証拠性、ニックネーム音韻論はそれにあたる。調査の難しさで言えば、話者が激減している伝統的な沖縄語の方が断然難しい。
なぜ、ウチナーヤマトグチの研究が少ないのか。理由は明確である。伝統的な琉球諸語の消滅危機があまりにも重大で、その記録保存が最優先で、ウチナーヤマトグチの研究は常に後回しにされてきたのである。
私たちは「私たちの言語」を失ったのか?
琉球諸語を含め、日本各地の地域言語が消滅の危機にある、というとき、それは大抵、伝統的な地域言語(伝統方言)の音声、文法、語彙の体系が継承されないことを指している。だからこそ、現在の危機方言研究では、伝統的な地域言語を、そしてもっぱらそれを記録保存することに注力している。その次の段階として、今わずかに残る伝統的な地域言語を話す世代から、その言語を継承しようという取り組みに力点が置かれつつある。
このような琉球諸語の記録保存と復興の文脈では、ウチナーヤマトグチの話者たちは「いない」ことにされていると言ってもいい。あるいは、「言語を失った」人たちとして、伝統的な地域言語を取り戻すために動き出すべき人たちとして、ある種のパターナリスティックな眼差しを向けられる。伝統的な地域言語を捨てなければならなかった世代(つまり、我々の親の世代)の、当然の権利としての言語選択・言語復興に関してはリベラルな眼差しを向けながらも、その下の世代に対してはパターナルな眼差しを向けるのは、私には一貫性のなさが感じられて、そういう眼差しからは距離を取りたくなる。
ウチナーヤマトグチを話す世代に対し、あなたたちは自分たちの言語を失いつつある、自分たちの言語を取り戻そう、と言っても、誰もピンとこないだろう。先に述べた2つの文法・音韻特徴のような独特な体系を含め無数の特徴を持ち、その総体としてウチナーヤマトグチを毎日話しているのだから。ウチナーヤマトグチは、沖縄本島の現在の地域言語そのもので、強烈な「ウチナーアイデンティティ」の拠り所でもある。「自分たちの」言語はここにある、と、皆が思うだろう。まず、これを認めなければならない。
伝統的な地域言語の消滅危機を心配する態度は正当であるし、筆者はまさにその危機を痛感しながら、20年ずっと、伝統的な地域言語である宮古語の記録保存に尽力してきた。しかし同時に、私には自分自身がウチナーヤマトグチの話者であるという誇りと、この言語への愛着がある。この言語の話者であることを無視され、「沖縄語が継承されていない」世代として振る舞うことはできない。
そういうわけで私は、これまでの伝統的地域言語としての琉球諸語の記述研究に加えて、自分の母語であるウチナーヤマトグチの研究を始めたところである。内省をつかって記述をするのは新鮮で、また難しい。フィールドで伊良部島方言話者に囲まれて、彼らの母語を外から記述する方がまだ楽だと感じるほどである。いつか、ウチナーヤマトグチを題材にして学会発表や論文投稿ができればなあ、、と思っているが、いつのことになるのやら。
読書案内
本エッセイで取り上げた参照文献を含め、ウチナーヤマトグチに関する主要な文献を挙げておく。他にもたくさんあるが、興味を持った人がまず読んでおくと良いものに絞ってある。
かりまたしげひさ (2006)「 沖縄若者 ことば事情 ―琉球・ クレオール日本語試論」『日本語学』25:50-59
かりまたしげひさ(2010)「琉球クレオロイドの性格」石原昌英 ・ 喜納育江 ・ 山城新編『沖 縄・ ハワイ コンタクト ・ ゾー ンとしての島嶼』彩流
かりまたしげひさ(2011)「琉球列島における言語接触研究のためのおぼえがき」罪躙ミの 方言』36, 沖縄文化研究所
ロング、ダニエル(2010)「言語接触論から見たウチナーヤマトウグチの分類」『人文学報』 (428)pl-30, 首都大学東京都市教養学部人文・ 社会系
ロング、 ダニエル・ 甲賀真広(2017)「接触言詰の分類に関する量的研究一起点変種の割 合を通して 」『人文学報』(513-7), 首都大学東京都市教養学部人文・ 社会系
永田高志(1996)『地域語の生態シリーズ琉球で生まれた共通語』おうふう
大野眞男(1995)「中間言語としてのウチナーヤマトグチ」『言語』24-12
高江洲頼子(1994)「ウチナーヤマトウグチ―その音声、文法、語彙について一」『沖縄言 語センター研究報告3 那覇の方言 那覇市方言記録保存調査書I』p245-289
高江洲頼子(2004)「ウチナーヤマトゥグチー動詞のアスペクト ・ テンス ・ ムー ドー 」『日 本語のアスペクト ・ テンス ・ ムー ド休系標準語研究を超えて 』ひつじ書房
八亀裕美・工藤真由美(2011)『複数の日本語:方言からはじめる言語学』
Anderson, L. B. 1986. Evidentials, Paths of Change, and Mental Maps:
Typologically Regular Asymmetries. In W. Chafe and J. Nichols, eds., 273-
312. Norwood, New Jersey: Ablex.
Kwon, Iksoo (2013) Evidentiality in Korean conditional constructions. Linguistics, vol. 51, no. 6, pp. 1249-1270. https://doi.org/10.1515/ling-2013-0049
Willett, T. 1988. A cross-linguistic survey of the grammaticalization of evidentiality. Studies in Language 12(1)