原作レイプされ作者が死に至ったことについて

 SNSのタイムラインや、テレビニュースで目に飛び込んできた哀しいニュース。どうも『セクシー田中さん』という漫画作品の原作者さんが、テレビドラマ化にあたってテレビ局と上手く連携が取れておらず、結局は自死を選んでしまった、というもの。

 現時点で私は、漫画もテレビドラマも観てはいないので、ニュースやSNSで知った情報だけで話を進めるのだが、これは扇情的なタイトルで話題に乗っかるわけでも、アクセス数稼ぎしたいわけでもなく、このニュースに関して思ったこと、そして創作者に向けて建設的な話ができるのではないか、このような事例で同じような哀しいことが、今後起きないよう考えてみることができるんじゃないか、と思った次第である。

 まとめニュースを追ってみると、原作者さんは物凄く繊細な感性の方であったようである。人の何倍も繊細だから傑作を産み落とせたのだろう。思うのは

創作者は創作には特化しているが、実生活では一般人よりも引け目を感じているものだ

 これは漫画なり小説などを一度でも書いたことがある人なら『あるある』と思う節があるのではないだろうか。クラスの中でも会話で爆笑をかっさらうことも、盛り上げることも苦手で、コミュニケーションは下手な方、しかしそのコンプレックスがあるからこそ、己の脳内での空想、妄想は、その現実世界での引け目をかき消したい衝動が働き、一般社会に適応して充実している人と比べて何倍も優れている。

 だから自分の作品世界の中では幸せ。窓口の担当さんと連携が取れていれば、作者は創作に専念し、ひたすら作品を産み落とし、それを広めて収入に変えてくれる世界との窓口、出版社さんは作者の代わりに現実社会の窓口を代行してくれる。誠に幸せな関係だ。

 これも正確なソースを追ってはおらず、タイムラインからだけの情報だけで感じたことなのだが、山下達郎がジャニー氏に対して義理や恩は大切にしたい、的な発言をして炎上し、結果「そんなリスナーに自分の音楽は聴いてもらわなくても良い」と返答し、これも軽く炎上したニュース。

創作者にすれば良い作品を生み出す事だけが重要で世間の声や暴論だが世論など二の次である

 ここまで俗世間とかけ離れた感性だからこそ、突出した名作を数多く産み落としてきたのだろう貫禄だ。サラリーマンの立場からすれば「もっと穏便な言い方すれば他人と揉めなくて済むのに」とさえ思ってしまう。しかし創作者は、俗世間の煩わしい事など基本どうでもよいのだ。良い作品を産むために生きる。これが人生の意味なのだ。

「誰が言うとるねん」と言う方がいたらとして念のために自分に起こった事も書き記しておくが、大昔、私は紙の単著で「我が妻との闘争」表紙絵、蛭子先生で全国の書店に単行本が並んだ過去を持つ。もう時効なので自慢してもいいか、当時はあまり言わないほうが的なムードが編集とあったので今まで黙っていたが、あの作品の第一巻、あと数千部で◯万部(自慢っぽいのでやっぱ削除)(笑)いったからね。今の出版不況からは考えられないバブルの時代でした。今、プロでこの発行部数を聞いたら驚かれると思う。今は初版で一万部も刷らないのではないか。

 なので小説以外でも当時話題になった。テレビ取材フジテレビの「とくダネ」天下の朝日新聞の一面、浜村淳大先生によるラジオでのショートドラマ化、盟友、漫画家の金平守人の手によるコミカライズ。

 ここで私に起こった原作改変は2回だ。金平の手によるコミカライズは、幼馴染ということもあり、特に打ち合わせをせずとも、ほぼ私の脳内ビジュアルを的確に描写した優れたものだった。ネームも毎回チェックしたが、金平独自のアドリブも作品愛に満ちて、読んでいて楽しいものだった。一度だけ、訪問販売の英語教材の回で、押しかけてくる人が終始変人の目でネームが上がっており、これは私の意向と違っていたので、急遽、普通の目の色の人に書き換えてもらった。余りにもイメージと違いすぎたからである。連載中に改変を求めたのはこの一回だけで、これは稀有な例だろう。

 ラジオドラマはタイトルこそ「我が妻との闘争」と銘打ってはいたが、全編、ほぼ浜村淳大先生のアドリブで(笑)当時のカセットテープが引っ越しで紛失してしまったのが残念なのだが、最後には原作にも無いセリフ「色々あるけど、やっぱ結婚て、ええで」と付け加えられていた。そのわかりやすい台詞を足せば、面白くなるだろう、という判断があったからだろう。

 私はサラリーマンをやりながらの執筆活動だったので、半分は創作人の立場、半分はリアル社会での立ち回りで聞いた。これが繊細な作者さんだったら、原作レイプはどう感じただろう。思うのは

関わる人 皆『よかれ』と思って作品に取り組む

 ということだ。これは私に起こった事だけに限らず、恐らく『セクシー田中さん』に関わった方全員にも当てはまる事だろう。まさか原作者に嫉妬して「悪いものを作って評価を貶めてやれ」なんてことはまずないだろう。皆、自分のスキルを活かして、このソースならこうすれば良くなるのではないか、小説ではプロかもしれないが、テレビならこっちに経験も知識もある、こうすれば分かりやすくなるぞ、という、そこは皆純粋に創作者の原点に立ち返って頭がフル回転しているはずだ。

 そこに原作者を無視した、とか脚本家の見栄、プライド、エゴ、原作クラッシャーみたいな外野のバッシングする声は、私にとって物凄く頓珍漢に響くのである。

 タイムラインを見ていて、一度も創作していないような人が「作品って作者の子供みたいなものなんですよ! 改変して心が痛まないんですか?」みたいな投稿をしているのを見ると

誰が言うとるねん!

 と突っ込みながら目で追ってしまうのだ。この「勝てる位置に立って反対意見を叩く」っていうの、もうちょっと皆考えないといけないのではないか?

 そういう多くの声が可視化されたことによる要因も、今回の事件には大きく関与しているように思える。仮にSNSが無かったとしたら、原作者さんは自死を選ばなかったのではないか、とさえ思う。

作品とは完成した時点で作者でさえ全権をコントロール出来ないものとなるのは宿命

 これは創作者の立場からしてホントそう思う。私の作品ですら「大笑いしました」「酷い奥さんですね」「よく耐えてますね」「結婚したくなりました」「惚気ですか?」など読後感は人様々で、決して作者が望むような形で感想は固定されない。

 原作者さんは作品に思い入れが強く、原作を改変するのならドラマ化はしなくても良い、くらいの想いだったそうじゃないか。

それはよっぽどのことだよなぁ

 と思うのである。原作者は原作を忠実に再現することを望んでいた。ニュースを見ると重要な会話やシーンを勝手に削除されてもいたようだ。これを見て感じることは

作品が他人の手に渡って再構築される時、それをそのまま再現というのはまず無理なのではないか、相手がクリエイターなら尚更

 と思わずにはいられない。それを回避するには、原作者が監督、脚本をやらねば、原作者の脳内ビジュアルを的確に再現することなど現実問題として不可能だろう。

 こういう事を書けば「脚本家を擁護してるんですか?」みたいな正義を振りかざした意見が来るかもしれない。しかしそういう大量の意見が大きな渦となって原作者にプレッシャーを与えたのでは無かったか? 脚本家バッシングに気を病んで。攻撃が目的じゃなかった、というのは心の叫びだったと思う。

まず建設的な話をしようじゃないか

 未来のクリエイターに書き残しておきたい。あなたは自分の小説、漫画が脚光を浴びた繊細なクリエイターだ。しかし原作を改変されて思い悩んでしまった。そこで思い悩むだけではいけない。考え方を切り替えねば創作者の貴方は鬱になってしまう。自分の愛する作品が、違うものにされて世に出た、堪らなく辛い。そうじゃない。

原作者の責任は原作作品だけにあるのだ。

 テレビ作品にまで作者が気を揉んで責任を負うことはない。横溝正史は映画化に際し「好きにやってください」的な立場を取った。小説をそのまま映像化するなど無理だ、と思っていたのかどうかは分からないが。ホラー映画「リング」は主人公の性別すら変えられていたんじゃ無かったっけ? このように皆、総力戦で良いものにしようとして多くのクリエイターが関わるのだから、原作作品が変容するのは致し方ないことだろう。

 ここで問題なのは、テレビ化されて収入が増えるかもしれない、新たな読者が増えるかもしれない、というメリットよりも作品の改変の方が耐えられない場合だ。

 テレビ側も「アンタもテレビに乗って多くの目に触れるんだからメリットあるでしょ?」という想いがあったことだろう。ここで大切なのが契約書だ。

原作者は改変するくらいならドラマ化しないでいい

 と言う立場だったこと。これが今回の問題なのだ。そろそろ日本、どの業界でも

相手が嫌と言ったら、ちゃんと聞く耳を持たなけりゃ駄目っしょ

 という非常なシンプルな問題を真剣に考えなければならない時期に来ていると思う。

 だってテレビよ? 印税この後ウハウハかもよ? お互いウィンウィンでしょ、許諾取らず視聴者にわかりやすいインパクト与えたいから変えるね、皆幸せになるじゃん

そうではない時代なのだ

 権力や立場があろうとなかろうと、契約の時点で改変は嫌、と言ったらどんな理由があろうとも遵守すべきだった。それを軽く考えてはいけない、ということだ。

順守しますと言いながらスタートしてスケジュールがスポンサーさんがみたいに原作者軽視になったとする

 未来のクリエイターである貴方は、そこで最愛の子を蹂躙された、テレビ側のスタッフと揉めてしまった(そういう俗世間の交わりは苦手なのに)と世を儚んで死の影が頭のどこかにちらついてくるかもしれない。しかしそれはアカン。死を選んではいけない。頭を切り替えて行かねばやってられない。まずは

原作は原作、ドラマ化され仮に内容が酷くても責任は作者にはないよ

 このように思って心を軽くしてもらいたい。楽しみに観ていたテレビドラマ『霊媒探偵』も原作者とテレビ側で揉めたようで、契約上経緯は言えない感じで、ものすごく原作者が不利な感じに映ってしまっている。原作者は思っていることをきっと言いたいだろうな。

新たな読者が増え収入が増えるかもしれない

 結局お金か、という話ではなく、そんなことをされた落とし前は、作者としてそこら辺でも落とし所にしないとやり切れないだろう。悲嘆にくれず、テレビから入って原作を読んだら原作の方が良かった、という声があるかもしれない、といったプラスに考えることが大切だ。プラス思考は大事。

不満を逆手に取ってユーモアで対抗し穏便な炎上商法に繋げる

 貴方の原作がひどい改変をされたとする。それを深刻にシリアスに抱え込まず、その気持ちを逆手にとって皮肉混じりのユーモアで対抗するのはどうだろう。SNSで原作者の声を正直に吐露するのだ。例えば主人公の相棒のキャラが男性から女性に変えられていたとする。作者としては怒髪天。許せない原作レイプだ。その正直な気持ちを〜テレビドラマ一回目視聴なう。相棒が勝手に女性になってる! 許諾もなく(笑)契約では改変しないでって言ったのに、テレビ業界ってこんなもんなの? それとも映像のプロの判断ではそっちの方がストーリー盛り上がるってことなの? みんなの意見求む〜そんな感じでやんわり改変された悔しさをオブラートに包み、気持ちをスッキリさせ、そのことに対して世間が注目する。議論が活発となり白熱する。結果目立って視聴率も作品の知名度も上がる、炎上したがスポンサー大喜び、というもの。

 繊細な創作者が嫌なことに対し、陽気な心持ちで対処し振る舞う、というのはしんどいことだろう。だからこそ、ここにヒントとして書き残しておきたい。

 死を選ぶ、というのはもの凄く哀しいことだと思うからだ。

〜完〜

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