mimicが話題になった時期に法学部で知財法履修したらその半分以上がAI知財関連だったオタクがやすゆきさんの訴訟関係を見て思ったことの余談

この記事は上記記事の余談追記分です。
余談が増えすぎて本記事より余談のほうが長くなって恥ずかしいので追加分は流石に別記事にしました。
多分今後もちょいちょい更新すると思います。


1.余談2の補足

どうして法律を個別に用意するのがいけないのかというのを考えるには、まず法律には不遡及の原則というものがあることを知る必要があります。
不遡及の原則というのは、「法律制定前に行われた行為をその法律で裁くことはできない」というものです。

少し考えれば当然で、もし今日「米を摂取する場合追加で税金を支払わなければならい」という法律ができた時、「なお、過去分についても納税することとし、その場合は追加徴税も行う」とされたらどうでしょうか。
納得がいかないと思います。
知っていれば食べる米の量を減らすことだってしたでしょうし、なにより不意打ちで不利益を被ります。

そして、これは公民や現代社会でも出てくることですが、法律には立法から公示、施行までにそれなりの期間がかかります。

この2つの要素がある状態で、事件ごとに個別に定義した法律を作っていくことを考えると、「その事件で被害を受けた本人は絶対にその法による保護を受けられない」という、良くない状況が出来上がってしまいます。

一方で、包括的な法律を柔軟に運用するということは、権利の濫用が生じやすいという欠点もあります。
その濫用を抑えるのが、特別法だったり判例だったりするというわけです。

2.「現行法で対処可能」の補足

少し難しい話になりますが、法律の包括的で柔軟な運用という視点を用いることで、実は思っているより更に高い確率で現行法での対処ができるようになります。

なぜならば、「著作権を侵害された事件」を「知的財産法」だけで争う必要性は実は無いからです。
より正確に表現すると、「著作権を侵害された事件」は大抵の場合「ただ著作権を侵害された」以外の要素も内包するためです。

お金の貸し借りで考えてみましょう。
AさんはBさんにお願いされたので「仕事に使うために100万円を貸して、来年には私がその100万円が必要だから来年には全額返してもらう」契約を結びました。
しかし1年経ってもBさんは一向にお金の返済を行いません。
そこでAさんはBさんに対して100万円を返済することを求める裁判を起こしました。

この時、まず最初に思いつくのは、当然「お金を返す」という債務(=義務)を果たさなかったことを理由にお金を返せと主張する「債務不履行による貸金返還請求損害賠償請求として訴える方法です。

それとは別に、AさんはBさんに対して、「100万円を返済しないことで、私の商売の機会を奪った」という争点で「債務不履行による損害賠償請求」として訴えることもできるんじゃないかな? と考え始めることもできます。

1個の事件でも、少し条件が変わったり、情報が増えるだけで攻め方はどんどん増えていきます。

著作権問題においても、「著作権を侵害して同じような画像と投稿する」ことは、悪意ある風説の流布をしていれば「偽計業務妨害」に問うこともできますし、イメージを低下させるような言動をしていれば「名誉毀損」で戦うこともできるようになります。

実際は訴訟を起こした時点で思いつく限りの部分を全てひっくるめて、複数の争点を争うことが多いですが、(争点ごとに裁判するのは大変なので)そうだとしても手数は多いに越したことはありません。

記事でも触れたやすゆきさんのガイドラインも、有効無効についてはともかく、著作権侵害と訴える相手に対して「債務不履行である」という事実関係を作る手段のひとつです。

少し卑怯なようにも見えますがそんなことはなく、そもそも現実で発生する紛争というものがいろいろな要素が絡み合っていて複雑だから、視点を変えると別の見方ができるよ、というだけなのです。

3.個人的に裁判結果どうこうについて

私自身は正直なところ「二次創作は手描きでもAIでも同じく権利侵害」という判決でなんら問題ないと思っています。
なぜなら、そもそも「二次創作が権利侵害となった」という判例自体は既にあるわけで、ここでAIは違うという主張をする必要はないからです。
手描きだと思ったら訴えない、AIだと思ったら訴える、という権利行使を本人がしようがそれは自由ですから、問題はないと思っています。

強いて言えば、「手描きだったら文句言わないくせにAIだったら文句言うのか?」あるいはその逆といった感じで後ろ指を指されることはなくなりませんが、それと法律上の処理が問題ないことに関係はありません。

なので、「二次創作は手描きでもAIでも同じく権利侵害」という形で勝訴しても良いと思っています。

4.やすゆきさんのQAが更新された件について

争点については担当弁護士の方から公開を差し控えるように指示があるとのことです。
まだヒアリングなどからまとまりきってない部分もあるでしょうし、それなら待ちましょうという感じでしょうか。
ただどうなるかの見通しのなさについて解決するわけではない点に注意が必要です。

5.享受や非享受が客観的に区別できないとしたらそれは法律の欠陥なんじゃね? って話

これは本当に私もそう思います。
法人のように理念や方針があるならともかく、動機という基本的に内心で決まることを判断基準にしているのは個人相手にとって本当に役に立たない部分だと学んでいるときにも思いました。

ただ、もし公開や生成をしたのが「流出」だった「ミス」だったとする場合、その行為自体に過失があると認められますから、その点で損害賠償請求などは原告側の有利からそう変わらないと思います。

6.なんか勘違いされてそうな私自身のこと

私は法律の専門家ではなく、あくまで法律を学んだ一学生であったに過ぎません。
偏差値50ぐらいの大学の法学部でGPAも2.80台で司法試験を受けるために勉強したわけでもない、平凡な法学初学者です。
なので、抜けや間違えがある場合もありますし、本職の方から見たら拙い部分も多くあると思います。
一方、みんなやらないだけで法学部で知財法をやった人だったら大抵の人は(説明の上手い下手は別として)このぐらい論じることはできるだろうな、と思ってもいいかなと思います。

7.「裁判しないとライン越えしてるかどうか分からない」という課題

コメントで指摘いただいて、そう言えば大事だなと思って追記。

語弊を恐れない言い方をすると、実は「民法の多くは守らなくてもいい法律」です。
法律には強行法規(絶対に守らなければならない法律)と任意法規(絶対に守らなければならないというわけではない法律)の2種類があります。
民法の多くはこの任意法規に分類されます。

守らなくていい法律ってどういうことなのか、というとこの任意法規というのは「守らなくてもいいけど、いざ裁判になったらこのルールに則って処理するからね」というものであるということです。

例を見てみましょう。
AさんがBさんに自動車を貸しました。(賃貸借契約)
Bさんは調子に乗ってその自動車で単独事故を起こし、自動車を無事に返すことができなくなりました。
このとき、AさんはBさんに対して、「車をなんとかして返せ」と要求するわけで、もし裁判をしたらおおよそ「車を修理して返還する」「同じ車を購入して返還する」というような命令が下されることになります。(原状回復義務)
しかし、別に裁判をしなくたっていいんです。
裁判なんかしなくてもBさんはAさんに裁判で出るであろう判決と同じように補償をしてもいいですし、なんならもともとAさんが持っていた車より高価な新車をもって補償してもいいですし、Aさんが許せるというのならプリン1個で許しても構いません。
これは、損害額より高い(ないし低い)補償をするという、民法の原状回復義務から外れた行為です。

当事者間でどうしても解決できないから裁判所に訴えて裁判官に強制力を以て権利保護をするというのが民事訴訟の存在意義ですから、実際に「ラインを超えているか」というのは訴訟をしない限り関係ないため、「裁判しないとライン越えしてるかどうか分からない」というのは民事訴訟になっていない段階においては、あまり関係なかったりします。
もちろん、守っていたほうがいざ起訴されたときに安心ですから、無下にするものでもありませんが。

個別具体的にどの法律が強行法規でどの法律が任意法規なのか、ということは書いていたらこの記事の1~6が豆粒ぐらいの量になるのが間違いないのでそれぞれ気になった法律について調べてください。

8.余談5の補足

余談5で、Web上で同意せずに利用できるサービスにおいて規約やガイドラインが無効になる場合があるという話をしましたが、その中で「じゃあいらすとやの規約ってどうなんの?」みたいな話を見かけました。
個人的には、いざ債務不履行を争ったら不利そうだな、ぐらいには思っています。

判例ではないですが、他の画像素材などを公開している法人の実例を見ると、殆どの場合、Google画像検索やサイト上で閲覧できるのはSAMPLEとかそのサイトのロゴとかの透かしがこれでもかと上書き保存されていてとても素材として使用することができないようにされており、規約に同意して会員登録することではじめてダウンロードできるように作られています。
法人がわざわざ手間を掛けてそこまでしているということは、本来契約上はそのぐらいの対策は求められているということが読み取れます。

勿論、ここで規約やガイドラインに同意したとみなされなかったとしても、債務不履行に問えないだけで、それはそれとして著作権の侵害行為として争うことはできるので、好き勝手していいというわけではない点には注意が必要です。

9.AIが普及することで著作権侵害行為の取り締まりが追いつかなくなるのでは?

ちょいちょい見る言説ですが、個人的には半分正解で半分不正解だと思っています。
なぜなら、そもそも著作権侵害行為の取り締まりという事自体が、AI抜きにしても、徹底的に取り締まるのは非現実的だからです。
例えば、利用規約で二次創作が禁止されていることがXで話題になった『ぼっち・ざ・ろっく!』ですが、pixivでAI表示無しで絞っても66,412作品あります。(2024/08/31現在)
いくら企業でもこの数全てについて開示請求をして、訴状を出して、和解か裁判か……という手続きを踏むのは非現実的であるというのは想像に難くないと思います。
「AIが含まれたらそれ以上に件数が増えてもっと抵抗できなくなる」とお考えの方もいらっしゃると思いますが、お絵かき教室も絵の教本も潜在的に権利侵害を行える人間を増やしていることや、今後AI以上に権利侵害を助長するツールや技術が生まれる可能性を考えると、ではどの程度件数を増やしてしまったら規制の必要があるのか、という議論をする必要が出てきます。しかし、該当手段よる権利侵害の件数が思ったほど伸びなかった場合、全く規制ができず目的を果たせない点にも留意が必要です。

ではどのように二次創作による著作権の侵害行為を取り締まるかというと、法的手続きとしてはみせしめ的な形で数件争う形がとられていると思っています。
同人二次創作においては「金を稼いだら訴えられる」というよりも、「金を稼いでいるということは多くの人の手にわたっているであろうから知名度があり、訴訟された事実が広まりやすいから訴えられる」という考え方のほうが適切かと思います。
そして、「こいつらの著作権侵害したらやばい」と認知できれば抑止力になって減るよね、という形です。

一方、法的手続きが大変なわけですから、法的手続きを取らずに対処することはできないのかというと、実はそうでもありません。
みなさんも良く見たことがあると思いますが、動画投稿サイトなどにある「権利者の申し立てによる削除」というのはそのひとつです。
権利者が運営会社に通告し、運営会社がそれに従って削除処理を行うことで、権利者が侵害した人に対して開示請求や和解交渉をせずとも、実質的に差止請求で和解したのと同じ形にすることができています。
民法の領域ならでは、といったところでしょうか。

こういうことを書くのはあまり良くないですが、件数があまりにも多すぎると取り締まりできなくなるということは著作権に限らずどの法律でも言えることだと考えています。
最悪な話をすると、日本で取り締まり、懲役を課せる犯罪者の数は実質的に刑務所の収容人数までですから、日本人全員がいっせーので懲役刑のみが設定された犯罪を行えば完璧には取り締まることができなくなります。
実際にカリフォルニア州などでは刑務所の負担軽減等を目的として重犯罪になるハードルを上げる判断を行った例などもあります。(当然無法地帯になりましたが)
ですから、法律は守ってくれるものではなく守るもの、というベースで考えて行動し、もし何かあったらみせしめでもって抑止する、という形で対処できる範囲に抑えるのが現実的であると考えています。

一方で、訴訟の大変さという点は全面的に同意します。
特にインターネットが発展し、仮初にも匿名性がある状態で相手を起訴するというのは、ご近所さんや会社の同僚を訴えるのとはあまりにも手間が違いすぎます。
著作権侵害の訴訟に限らず、訴訟のコストや手間の軽減が制度レベルで進んでいくといいなと思います。

10.「キャラクター」には著作権が認められない?

Xでお話した人が結構最近の二次創作絡みの面白い判例を教えてくれました。
厳密には著作権者vs二次創作ではなく、二次創作vs第三者での紛争で、二次創作の著作権を認めるかどうかという裁判ですが、それにあたって興味深い判断が出てきます。

詳細が気になる方は読んでもらえばいいのですが、今回私が注目したい裁判所の判断を要約すると、

・漫画におけるキャラクター(容姿や服装などの表現)は抽象的概念であって創作的表現ではないため著作物にあたらない
・アニメに対する著作権侵害を主張するならそのアニメのどのシーンかを特定できなければならない

の2点です。

確かに物語におけるキャラクターデザインはある種の舞台装置であり、物語という表現はその展開そのものが本体ですから、キャラクター自体は創作的表現ではないという理論自体はなるほどと思わされます。

一方でキャラクターデザインのみの制作依頼を受けキャラクターデザインを制作し納品したとき、大抵の場合は複製権や翻案権などに関わる著作権について規定のある契約を結びますから、商習慣としては著作権が生じていて、それを前提に契約が取り決められていると考えられます。

同じキャラクターのデザインというものであるのに、初出が物語であると著作権を主張できず、初出が単品であると著作権が主張できるというのは不思議な感じがします。

そして、著作権の裁判で頻出する「ありふれた表現は創作物としての要件を満たさない」という基準を合わせると、王道な設定で物語を作るとそのほとんどが保護されないのではないかという課題が浮かんできます。

例えば、(商標権等を考慮しなければ)『動物を使役できる』『使役した動物を戦わせる世界である』『最強を目指す』といった表現は今やかなり定番な設定と言えますから、誰でも思いつくと裁判所が判断すれば、『ピカチュウを使役して戦わせることで最強を目指す』というポケットモンスターの大筋のストーリー、あるいは『ピカチュウ』を用いた全くポケットモンスターの本筋と関係のないストーリーは著作権の侵害でないものである(勿論ピカチュウは商標登録されていますから、商標権の侵害にはなります)と考えられてしまいます。(個人的にはこれは物語を創作する著作者にとって酷なのではないかとは思いますが)

しかし、当然作中のキャラクターも単品のキャラクターもそのデザインには相当の創作性を見出すことはできますし(設定に基づいた装飾など)、過去に著作権の侵害を認められた「ときめきメモリアル同人ビデオ事件」においては以下のような判断が行われています。(個人的には上記裁判において被告はこの裁判の道筋をなぞろうとしたと感じられます)

要点を抜き出すと、

・容貌、髪型、制服等において、その特徴は共通しているので、図柄を複製ないし翻案したと認められる。
・原作で性的行為を行うような場面は存在しないが、性行為を行う姿に改変しており、同一性保持権を侵害している。

この2つの裁判の目的が違いますが、「キャラクターデザインを踏襲していて、その上で原作に存在しない場面を表現しているため著作権の侵害である」とほぼ真逆な判断が提示されています。
私個人は先にときめきメモリアル同人ビデオ事件を学んでいたために非常に違和感を覚えましたが、後発の裁判のほうが大抵は時勢にあっていますから、2020年高裁で行われた、「物語のキャラクターに著作権は認められない」がより現代的な判断なのかなと思われます。

今後は、一次創作者が権利を主張するために、物語を直接創作するのではなく、『キャラクター』そのものを一旦一次創作として公表し、それを自身の手でもって二次創作物としての物語を展開する形で創作を展開していくような対策が取られるのでしょうか。
非常に面白い案件だったため、論じさせていただきました。

【補足】

すごく紛らわしいのですが、「キャラクターを表現した創作物」に著作権が認められることと「そのキャラクター」に著作権が認められないことは違います。

第三者がそのキャラクターを認知するにはそのキャラクターの絵なり小説なり、その創作物が必要であるということが紛らわしくさせる原因です。

キャラクターを定義するのに必要な容姿や服装といった組み合わせ自体はただのアイディアに留まってしまうため、基本的にそれ自体には著作権が認められません。(もしそのレベルで権利を主張するなら商標権の領分)
ですが、そのキャラクターを第三者が認知しているということは、絵なり小説なり、何かしらの形式で表現し、発表しているから、その発表された作品の著作権を侵害していると主張できるのです。(もちろん、実際に勝てるかは別問題ですが)

図とセットで説明します。

Aさんは魔法少女のキャラクターcを考え、それをイラストc'として表現し、公開しました。
Bさんはイラストc'を閲覧して、これはいいと思い、二次創作でイラストdとして表現し、公開しました。
キャラクターcはあくまでイラストc'を構成するアイディアに過ぎませんから、イラストdに著作権侵害を訴えることはできません。
しかし、イラストc'は創作物ですから、イラストdに著作権侵害を訴えることができます。

Bさんはイラストc'がなければキャラクターcを知る術はないですが、イラストc’はキャラクターcを表現しているため、あたかもキャラクターcの著作権を侵害したように見える(実際は違う)、というのが個人的な解釈です。

11.表現が下手くそだと著作権侵害にならない話

そういえば面白いから書こうと思ってたのに書き忘れていました。
著作権の侵害には類似性(似ていること)と依拠性(真似する意図があったこと)の2つの要素が大事になるというお話はこれまでにも書きました。
ここで問題になるのは類似性(似ていること)です。
表現が下手くそだといくら真似しようとしても似ないので、権利侵害をする意図があったとしても権利侵害ができません。
わかりやすい例をあげると、2人揃って絵描き歌でスプーの絵を描くという有名なシーンがありますが、どちらも絵描き歌に乗っていることから依拠性は明らかな一方、ゆうぞうお兄さんの描いたスプーはスプーと認識できるので類似性に問うことはできるかもしれませんが、しょうこお姉さんのスプーはスプーと認識できないので類似性を問うことは難しいということです。
なんとも残酷なお話な気もしますが、面白いお話だと思っているので書きました。

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