2005年~2007年にスクウェア・エニックスで観た光景
数ヶ月前に「ジョブ型組織」と「メンバシップ型組織」の違いについて考える機会があり、Twitterに呟いていた。その流れでスクウェア・エニックス時代のことをいつかnoteの記事にまとめようかなどと呟いたらスクウェア・エニックスの時田貴司さんからも「楽しみにしてます」とリプを頂けたので時間ができた今、マガジン「ゲームデザイナーの仕事」の番外編として書くことにした。まず、最初に断っておきたいことがある。私はスクウェア・エニックスに2005年7月から2008年3月までの間、「プランナー」という肩書きで在籍していた。契約形態は、2005年7月から2007年3月までアルバイトで、2007年4月から2008年3月まで契約社員であった。所属プロジェクトは、2005年7月から9月までは研修生という扱い、2005年10月から2007年12月までは「ファイナルファンタジーXI」、2008年1月から3月まで「小さな王様と約束の国 ファイナルファンタジー・クリスタルクロニクル」(本当に長いタイトル)である。本記事はその立場において見たまま感じたままを書くものであり、今現在のスクウェア・エニックスの経営や内部事情とは全く無関係である。弊社株式会社degGも、2014年3月まで開発に参加した「ファイナルファンタジーAgito」を最後にスクウェア・エニックスとは仕事をしていない。また、同時期にスクウェア・エニックスに在籍した方から「全然違う」と指摘されても、私から言えることは「私は嘘を書いてない。」ということだけであり、その場合は、どうぞご自分で新たな記事を書いて欲しい。その方が当時のスクウェア・エニックスが持ち合わせた多様性というものが浮き彫りになるであろう。どうかこの記事の内容を現在のスクウェア・エニックスの価値観と同一視して評論を始めることはしないで欲しい。
メンバシップ型組織とジョブ型組織の違い
詳しい話はネット上に溢れているのでより深く知りたい人は上記の言葉をそのままググって調べて欲しいが、ゲーム会社の場合は特にゲームデザイナー(多くの日本のゲーム会社は「プランナー」と呼ぶ)の扱いについて以下のような特徴に分かれる。
メンバシップ型のゲーム会社
・パブリッシャーや上場企業に多い
・新卒採用を重視
・正社員と非正規雇用の扱いが明確に違う
・正社員の「プランナー」は総合職に近い扱い
・「プランナー」の新卒採用ではゲーム開発経験を重視しない
・「プランナー」の仕事内容と求められるスキルが採用時点では不明瞭
・「プランナー」がプログラマーやアーティストに作業を依頼する形で開発
・決定権を一人の人間に持たせず、話し合いで仕様を決めて行く
ジョブ型のゲーム会社
・非上場の開発会社に多い(と言っても全体として少ない)
・中途採用が多く人の出入りが激しい
・誰が正社員で誰がバイトや業務委託か分からない
・「プランナー」はほぼ英語の"Game Designer"と同義で専門職扱い
・「プランナー」の採用では開発経験やプログラミングスキルなどを評価
・「プランナー」がツールやプログラミング環境を用いて率先して開発
・「プランナー」の責任範囲が明確化され、範囲内では個人に決定権がある
メンバシップ型企業、ジョブ型企業ともに必ずしも全ての条件が当て嵌まるわけでももないし、全体傾向としてメンバシップ型でありつつも部分的にジョブ型企業の特徴も併せ持つような会社も多いだろう。恐らく日本のゲーム業界は平均的には「『プランナー』に関してはメンバシップ型で、プログラマーやアーティストに関してはジョブ型」という会社が多い。そんな中、私がいた2005年〜2007年ごろのスクウェア・エニックスは貴重なジョブ型の組織だったと言える。当時のその環境で形成された価値観が、現在私が会社を経営し、社員を育てるうえでの一つのディシプリンとして根底に存在する。私が当時のスクウェア・エニックスにおいてどのようにしてゲームデザイナーとしての第一歩を踏み出したか。まずは、入社の経緯から振り返ってみたい。
「プランナー研修生」という制度
私は2005年の3月に就職先が決まらないまま大学を卒業し、底辺派遣労働者として倉庫の中で格安PCにMS Officeをインストールして箱に詰め直すだけの仕事などをしながら、通年採用しているゲーム会社を探していた。そんな中見つけたのがスクウェア・エニックスの「プランナー研修生」という制度だった。アルバイトの身分で3ヶ月の研修を受けるとスクウェア・エニックスに正式採用されるかもしれないという制度だった。当時の私はスクウェア・エニックスを就職先として全く意識していなかった。主な理由は新卒採用をしていなかったことであり、必然的に大学在学中の就職活動では眼中に入らなかった。また、プランナー研修生募集の広告を見た当時も、プレイ中の「ファイナルファンタジーXI」で不愉快な経験をしたこともあり、それほど入りたいと思っていなかったのだが、「未経験者歓迎」「時給900円」という条件を見て「恐らくゲーム業界の最底辺だろう。ここなら自分でもやれるはずだ。ここで無理だったらゲームの仕事は諦めよう。」と思って試しに応募することにした。だが、その思いは書類選考通過後の筆記試験で変わることになる。在学中に新卒採用で応募したゲーム会社の筆記試験はどれも「SPI」と呼ばれる、一般常識や社会人としての判断力を測るものばかりだったが、スクウェア・エニックスの筆記試験はどれもゲーム開発に関する実践的な問題ばかりだった。私は絵コンテを描いたり、紙の上にレベルデザイン(※)をしたり、初めて見るプログラミング言語のソースコードの穴埋めをした。
※「レベルデザイン」という専門用語について「難易度調整」や「パラメーター設定」という意味での誤用が業界においても蔓延しているが、この言葉の本来の意味(英語圏での用法)は「ゲームプレイの舞台を作ること」であり、誤用される文脈とは全く無関係である。私はこの試験において、紙の上に流れる川と橋の絵を描いて、川の上をボートで進みながら橋の上の敵と銃撃戦を行うゲームプレイについて説明した。
ゲーム業界の就職活動において最も創造的な時間だったと思う。この時私は理解した。この会社には「プランナー」ではなく「ゲームデザイナー」がいる。時給900円のバイトの採用においてここまでの試験を行うこの会社は真剣にゲームデザイナーを育成する気がある。私が入るべき会社はここだと。その後、筆記試験を通過して緊張のグループ面接を経て、2週間以上待たされた後合格の通知をいただいた。その時ガラケーの着メロをファイナルファンタジー5の起動時の音楽にしてたのを覚えている。人生で最も嬉しかった瞬間の一つだろう。通知を待ってる間にストレスで体調不良になった。その時にはそれほど入りたいと思っていた。
2005年7月から始まった研修は、1ヶ月ごとに所属するプロジェクトを変えて実際の業務またはそれに近い内容の作業をするというものだった。1ヶ月めは「因縁」の(笑)「ファイナルファンタジーXI」、2ヶ月目は当時サービス開始したばかりの「フロントミッションオンライン」、そして3ヶ月目は我々研修生にもプロジェクト詳細を伏せてたが何作ってんのかバレバレだった「ファイナルファンタジーXIII」のチームだった。「ファイナルファンタジーXI」では、入社した翌日には自社開発のスクリプト言語「ATEL」を用いて敵キャラクターのAIを作っていた。私が作ったものが実際にゲームに追加されるわけではなく、あくまでローカルサーバー内における実習という形であったが、自分が長い間プレイしていたゲームのキャラクターを自分の書いたコードで動かすのはとてもエキサイティングな体験で、毎日夢中になってやっていた。一方、人手が足りない「フロントミッションオンライン」のチームでは即戦力として、実際にゲームに追加される特殊な対NPC戦闘の内容を作った。ここではタイトなスケジュールの中、社内のQAチームと連携し、テストプレイを重ねながらゲームプレイのクオリティを追求して行った。私が考えた「下半身の巨大なジェットホバーで高速移動するSEAD任務用ヴァンツァー」という新たなメカをゲームの中に出せたことも良い思い出である。「ファイナルファンタジーXIII」では、Mayaを使ったレベルデザイン(※)の研修を行った。自分で考えたオリジナルのゲームの設定をもとに、ある一つのシーンのモックアップをMayaで作ってスクリーンショットを撮り、ドキュメントにまとめてプレゼンするというものだった。「ファイナルファンタジーXIII」については一切触れられなかったが、実際にそのチームに配属されたプランナーが任される仕事と同じ内容ということだった。
※大事なことなのでもう一度書くが、レベルデザインとは本来このようにMayaを使ったりする作業のことである。決してスプレッドシートに数値を打ち込む作業のことを意味しない。「レベルデザインにMayaを使う」と聞いてそれが当たり前のことと思えない人、違和感を覚える人は言葉の意味を全く理解していないことになるので、Ubitsoftが人材募集用に作ったレベルデザイナーの仕事内容紹介の動画をよく見て欲しい。
そしてこの時の研修の指導担当者であった、菱沼寛章さんのご著書が最近発売されたので、当時のご指導への感謝の気持ちをこめてご紹介する。
この研修はMayaが使えるようになることが目的ではなく、コストの大きい広大なマップをバックグラウンドアーティストが作り始める前にプランナー主導でイメージを共有して改善案を出し合うという工程を学んだ。この研修においては、どこまで自由に内容を考えて良いのか分からず、自分でも作りたいのかどうだか分からないようなものを苦しみながら作って、非常につまらなさそうにプレゼンしてしまったので、スクウェア・エニックスに正式に採用されることは難しいかもしれないと悲観的になったのだが、結果としてはこの研修の終了後に最初の一ヶ月を過ごした「ファイナルファンタジーXI」での採用が決まったのである。
「FF11」の開発体制と「ATEL」
当時の「ファイナルファンタジーXI」のチームは全体として100人前後の開発スタッフがいた。(これはGMなどの運営スタッフを含まない数字である。)その中で「プランナー」と呼ばれるスタッフは10数人、それが「イベントチーム」と「バトルチーム」の半々に分かれていた。前者の「イベントチーム」はクエストのストーリーや世界設定に関すること、後者の「バトルチーム」は戦闘やアイテムに関すること、その他「イベントチーム」がやらないこと全てを引き受けていた。私が配属されたのは「バトルチーム」の方である。約2ヶ月半に一回の大規模アップデートが開発のマイルストーンとなり、「バトルチーム」の主な仕事はストーリーで追加されるボス戦や、その他上級プレイヤーが挑戦する戦闘コンテンツに登場する敵を作り、QAチームと一緒にテストプレイを繰り返し作り込むことであった。そして敵のAIはプログラマーではなく「プランナー」が自ら前述の「ATEL」を用いてコーディングした。
2009年の4月に、ATELの開発者である小久保啓三さんが公の場においてその設計思想を詳しく話してくださった。その時のレポート記事がまだ見られるので興味のある人は是非読んでみて欲しい。
ゲームで使うためのスクリプト言語開発とは〜 IGDA日本SIG-GTレポート
「ATEL」は自分のPCでコンパイルして仮想サーバーを立ち上げてすぐにテストプレイ可能であったため、これがイタレーション速度を高め、短い開発期間で濃密なゲームプレイを量産することを可能にしていた。また、このやり方だと「プランナー」同士で議論するよりすぐにコードを書いて動かしてQAチームのテストプレイヤーの反応を見る方が判断が早かったため、必然的にゲームプレイに関する責任は実装担当者に委ねられることとなった。
余計な口出しの少なさ
「ファイナルファンタジーXI」には「バトルチーム」と「イベントチーム」それぞれにディレクターが存在し、「バトルチーム」では現在プロデューサーを務める松井聡彦さんがディレクターだったが、松井さんが私の作った敵キャラクターやミニゲームの内容の是非を直接ジャッジすることはなく、それもスクリプトリーダー(という名で呼ばれる人がいたわけではないがここでは便宜上そう呼ぶ)に任されていた。2ヶ月半に1回の大型アップデートについて、戦闘やミニゲームなどATELで実装するものは全てスクリプトリーダーが作業をリストアップして私を含めた各チームメンバーに割り振っていた。具体的な内容についてもリーダーが一方的に仕様を決めることはなく、私が考えることができた。コーディングの作業に入る前に認識合わせはあったが、そこでもリーダーは「おそらく技術的に失敗するのでやめたほうがいいこと」「ゲームデザインの観点からやって欲しくないこと」を指摘するだけで、細かい口出しをしなかった。これはリーダー自身も大型のボスのAIを作ったり、大きなバトルコンテンツの仕様を考案する役目があったため、人の作るものに口出ししてる暇があったら自分の仕事にもっと手をかけたかったと言える。つまるところ人の仕事には興味ない。(けどリーダーとしての責任は果たしていた。相談には応じていたし、QAチームによるテストプレイには必ず立ち会っていた。)人数の多いチームであっても、誰かがやろうとしていることについて複数人でああだこうだ意見する場面というのはまず見られなかった。(私が社員や出向と言う形でお世話になった他の大手ゲーム会社ではそういうことが行われていた。)ゲームデザイナーに限らず、プロフェッショナルの成長は「自分の責任で行った仕事に対してターゲットユーザー/オーディエンスから評価を下される」ことでしかなし得ない。余計な口出しの少なさに加えて、運営中のMMORPG故に2ヶ月半に1回の評価の機会。最初に入ったチームがここで幸運だったと思う。
「新人の仕事」がない
私もチームに入ったばっかりの時は、「モーションデザイナーから受け取ったデータを専用のツールを用いて、PS2とWindowsそれぞれのフォーマットに変換する」といったゲーム内容に直接影響を与えない作業が振られたものだが、例えば「飲み会の予約をする」だとか「会社の新人として任される組織運営上の雑用」というものを一切やらなかった。なぜなら私は「会社の新人」ではなかったからだ。FF11の開発チームに所属するスタッフであって、スクウェア・エニックスという会社のその他の部分については知ったこっちゃなかった。会社としても僕のことは知ったこっちゃなかった。もちろん、一緒にサバイバルゲームやフットサルに行くような社内のコミュニティへの参加はあったのだが、例えば「全社員の前で新入社員として紹介される」なんて機会は一切なかった。私はあくまでゲーム開発のプロフェッショナルとしてチームに迎え入れられたのであり、会社という名の村社会とは無縁であった。しかし、興味のない行事や面倒な用事に付き合わされることがない一方で、ただスキルと結果のみで存在を示さなければいけないのはハードであり、誰にとっても良い環境であるかわからない。少なくとも私にとっては早くからプロ意識が芽生える方向に作用したし、今でもこの時の体験が私の価値観の根底にあり、弊社の新人にも新人らしい仕事は一切やらせないようにしている。オフィスも持たない小さな会社故に会社員らしい体験をさせてあげられないことについても特にマイナスとは思っていない。
その一方で・・・見えないキャリアパス
余計なコミュニケーションを廃し、各人が自分のアイディアを自分の手で実現する。このように当時のスクウェア・エニックス、その中でも特に「ファイナルファンタジーXI」のチームは各メンバーについて「どんな人物か」よりも「何ができるか」を重視するジョブ型組織としての特徴を持っていたと言える。未経験でこの世界に飛び込んだ私にとっては、プロフェッショナルなゲームデザイナーとしての基礎能力を実践的に身に着けるのにこれ以上はない環境と言えた。しかし、そんなスクウェア・エニックスを私が2年半ほどで辞めてしまった(というより辞めさせられた。)のには確かな理由がある。ジョブ型組織の人員計画とは、プロサッカークラブのように「今チームに必要なスキルを持つ人材をそれに見合った報酬で必要な期間雇う。それ以上でもそれ以下でもない。」というものである。つまりどういうことか。い言い換えると、「契約時よりもスキルアップしたりできる仕事の範囲が増えたから給料を上げてくれと言われても知ったこっちゃない。ぶっちゃけあなたの成長はうちの人員計画に含まれない。」という話である。プロサッカークラブにおいて飛躍的な成長を遂げた選手がすぐにチームを去るのと同じ話である。他の会社に行かない限り給料は上がらない。また、上下関係が希薄であるのも良いことばかりではない。自分の出世を握っている人間が誰なのか分からない、そしておそらくどこにももいない。私が仕事で直接関わったチームリーダーに求められるのは、メンバーをコントロールして結果を出すことだけであり、社内で出世できるように面倒を見ることではない。ここでは全てが自己責任である。仕事の内容には満足していたが、あまりにも少なすぎる給料、そしてそれがいつ上がるのか全然分からない未来のない日々は段々と私の精神を蝕み始めた。それが直接の理由となったわけではないが、最終的には「研修」という名目でWii用ダウンロードゲーム「小さな王様と約束の国 ファイナルファンタジー・クリスタルクロニクル」のチームに移され、3ヶ月だけ在籍した後に全社的な人員削減のタイミングにおいて、「専門性がなくてどこで使ったら良いか分からない。」という理由で、契約を切られることとなった。
ゲームデザイナーにジョブ型組織をすすめられない理由
ジョブ型組織においては、上下関係に組み込まれず、村社会の変な行事に付き合わされることもなく、ただ自分のスキルを最大限発揮することのみに集中し、責任ある仕事を1人で任されて成功の実感を味わうことができる。これは、CGアーティストのようにスキルと成果が明確に可視化される職種で専門性を極めてキャリアアップしたい人にとっては、理想の環境と言えるだろう。スクウェア・エニックスにたくさんのスキルあるアーティストが集まるのも肯ける。しかし、ゲームデザイナーにとってはどうだろう?大抵の場合、ゲームデザイナーにとっての最終目標は、クリエイティブディレクターやプロデューサーとして自分の企画でゲームを作ることである。1人のスタッフとして「モンスターのAIを極めたい」「ミニゲームのデザインを極めたい」という人はそうそう見ない。そもそもプレイヤーの感想という成果の測定基準が抽象的な分野において、「極める」がどういう状態を指すのか判断が難しい。ゲーム開発の現場に長くいるうちにゲームの一部分を作り仕事にやりがいを見出す人も多いし、誰もがディレクターやプロデューサーを目指しているわけではないことも分かっているが、少なくともこの業界に足を踏み入れる20代前半の時には誰もが「自分の企画」というものを夢見るはずである。そして社内で企画を通すということは、会社の経営や組織運営の中枢とは無縁でいられない。成功の保証のない企画に億単位の予算をつけて、会社のあらゆる部署の社員に仕事を与えるのである。企画者としてのクリエイティブデイレクターやプロデューサーの仕事は全て他人のための仕事となる。それは、ただ自分の仕事だけしていれば良かったFF11での私の姿とは相反する。言ってしまえば、会社という名の村社会に深入りした人間しかプロデューサーにはなれない。組織に深入りすること、それはジョブ型雇用のコンセプトとは完全に相反する。キャリア初期にゲームデザイナーとしての専門性を伸ばせたことを喜んだ私だが、プロデューサーとして(あるいはそのプロデューサーの腹心の部下であるリードゲームデザイナーとして)自身の企画でゲームを作るという私の計画は、もしかしたら新卒採用でメンバシップ型の会社に入れなかった時点で失敗していたのかもしれない。家で1人で海外のゲームデザイン論文を読んでいるよりは、飲み会の幹事をやっていた方が近道だったのかもしれない。
今自分の会社で試している「ゲーム作家の営み」
以上、私が書いたことはあくまで私の視点で私の経験を振り返っただけのことなので、「スクエニみたいな会社にジョブ型で採用されたけど自分の企画通せたぞ」という人がいるなら、この記事にコメントする形でも良い、是非ご自身の経験を書いて欲しいと思う。例外的にそういうこともあるだろうが、分かって欲しいのは、この業界でジョブ型雇用が主流となっても、人材の流動性は管理職までには及ばず、むしろ企画や予算を動かす中枢の人材は固定化し、既得権化するリスクもあるということだ。中途採用でプロデューサーの募集があってもプロデューサー経験者しかなれない。そしてその経験は誰にもできない。ジョブ型雇用はキャリア機会は提供してもキャリアパスは作れない。もし、産業全体としてジョブ型雇用を推進するならば、ヨーロッパのサッカー選手やハリウッド俳優のようにエージェントが一緒にキャリアプランを考えて各社と契約交渉する仕組みを業界全体に導入する必要がある。そのような問題意識の中、私自身が自分の会社で試していることがあるので最後にその話をしようと思う。
今私は、2人だけの会社をやってオリジナルの企画をパブリッシャーにプレゼンする準備をしている。私はプロデューサー/プロジェクトマネージャーという立場で、もう1人の社員がゲームデザインとストーリーとアート全般を手掛ける非常に作家性の強い作品である。その社員は2017年の秋からインターンという形で加入したのだが、それ以前はプロフェッショナルなゲーム開発の経験は一切なかったし、採用においては専門的なスキルの有無はほとんど見なかった。
彼女がこのような手描きのキャラクターアニメーションが作れるなんてことを知ったのは昨年正社員として入社した後の話である。入社した時はこんな仕事をやってもらうことは一切想定していなかった。高校生の時からの作曲活動や、大手プロダクション所属声優としての職歴など、創作・表現活動に対する本人の情熱の強さに可能性を見て採用を決めた。その一方で、会社運営上の雑用は一切やらせないことにした。ただゲーム開発の実作業のみで貢献することを求めている。その中で様々な仕事にチャレンジして貰ってるが、成果のでない仕事はすぐにやめさせている。つまり、入り口はメンバシップ型採用でも入社後のキャリアプランはジョブ型ということである。また、弊社の場合その「ジョブ」とは「リードゲームデザイナー/クリエイティブディレクター」を指す。つまり、最終的なゴールは自分の企画で自分のゲームを作ることである。彼女にはそれを早めに経験してもらいたくて、「10分ゲームプロジェクト」と題した小規模なゲームの企画案を、まだ業務委託契約で正式に入社する前から考えてもらっていた。結果、2018年末に一つの魅力ある世界観のゲームの原案が出てきた。それを1年以上かけて何度もストーリーを練り直し、将来的にどこかパブリッシャーからの援助を受けることを前提に規模も大きくして開発を始めた。今、彼女の作家性が強く表れたこの作品を私がプロデュースし、制作進行するにあたり、彼女が「何ができるか」よりも「何を一番大事に思っているか」を知り、それを信じ切ることが決め手となっている。つまりマネージメントはメンバシップ型である。このような関係性に依存したプロジェクトマネージメントというのは10人以下の組織でしかできないかもしれないし、もっと会社を大きくしようと思った時に、ジョブ型のマネージメントで平均的な価値を積み重ね、リスクを回避する事を選ぶことになるのかもしれない。ただ、10数年前のスクエニでの体験をふまえ、今やっていることからも改めて分かるのは、「個人の作家性や創造性には人月幾らの勘定を無意味とする無限大の可能性がある。そして、ジョブ型・メンバシップ型を問わず組織である時点でそれを台無しにするリスクがある。」という話だ。私がいた時のスクエニは最初にその作家性を肯定されても「それ以上のことはさせてくれない」所だったし、他のメンバシップ型の大手企業については言うまでもない。日本でゲーム開発会社をやるとなると、ジョブ型採用によって平均的なスキルの社員をある程度の規模で揃えて、他社の企画の開発業務を受注する経営が最も手堅い。そのようにして大きな可能性を弊社もそのような仕事を試したことがあったのだが、私自身と社員の無限の可能性に蓋をすることに気づいて、方針を大きく転換した。今は、私が経営者としてプロデューサーとして資金調達してやりたいことをやってもらっている。私自身がやりたいことも、組織としての会社でもないし、フリーランスのエージェントでもない。私が運良く出会えた作家の価値を最大化して成功の幸福を共有したいだけだ。(もちろん私自身も今後ゲーム作家としてチャレンジしたいことはたくさんある。)今はただ正社員として雇用して毎月の給料を払う契約がお互いにとってメリットが大きいというだけであり、今作っているゲームが仮に大ヒットでもして、作家の価値が大きく知れ渡ることになれば、他社との契約交渉も公認するフリーエージェント契約になるのかもしれない。とにかくジョブ型でもなければメンバシップ型でもなければ組織ですらない、作家としての「営み」の形を今試しているところである。どうなるかは見て欲しい。