【批評の座標 第6回】東浩紀の批評的アクティヴィズムについて(森脇透青)
東浩紀の批評的アクティヴィズムについて
森脇透青
1. 終わってくれないポスト・モダン
東浩紀(1971-)は批評家にして活動家である。このテーゼは揶揄でもアイロニーでもない。私たちは本稿を通じて、東の「批評活動」の系譜を記し、このテーゼを証明することになるだろう。
東浩紀は一般に「ポスト・モダン」の擁護者として理解されている。それも相対主義者の左翼嫌い、運動嫌いとして理解されている。しかし、東の活動について記述するうえでまず次の点を確認する必要があるだろう。東は一般的な意味では「ポスト・モダン」を擁護してなどいない。
そもそも「ポスト・モダン」は何を指しているのか曖昧な語であり、その曖昧さによってしばしば恣意的なレッテルとして運用される(そのようなレッテルはしばしば、「ソーカル事件」という雑な隠喩を伴う)。だから当然だが、多少の誠実さと知性を持ちあわせる人間は、定義もなしに「ポスト・モダン」などという語を濫用しはしない。東はすでにその活動の初期においてその事情に自覚的であった。
彼は2000年の論考「ポストモダン再考」で、「ポスト・モダニズム」と「ポスト・モダン」の区別を提案し、その語を明確に定義している[1]。東によれば、前者(「ポスト・モダニズム」)は、〈六八年五月〉と同期した哲学・運動・文化、日本では(日本でのみ)「現代思想」と呼ばれる一連の思潮を指している。それはフランスの思想家たちの固有名(フーコー、ドゥルーズ、デリダ、ラカンその他)によって想起される思想の傾向であり、それに連動した文化、種々の新たな政治運動や批判的理論(エコロジー、フェミニズム、マイノリティ運動、カルチュラル・スタディーズ……)を指している。
それに対し、後者(「ポスト・モダン」)は、社会的・政治経済的な状況を指している。つまり〈六八年五月〉以後、消費社会の大規模な拡大、グローバリゼーションの加速、反体制運動の失速と連動して生じた一連の社会的な状況を指している。この状況を象徴するのは、リオタールが『ポスト・モダンの条件』(1979年)にいう「大きな物語」の失効である。世界全体を説明しうる大文字の理論(たとえばマルクス主義)が失墜したとき、さまざまな知と実践は交流するための共通の基盤を失い、バラバラに分裂したそれぞれの経験的世界を生きることになる。このとき、個々の専門知と「趣味」の差異はかぎりなく小さくなる。
ここで認識しておかなくてはならないのは、東浩紀が批評家として活動し始めた九〇年代後半、「ポスト・モダニズム」はすでにその批判性を失った、とされていた点である。たとえば柄谷行人は、一方で自身と同時代の「ポスト・モダニズム」思想家たちにシンパシーを抱きつつも、他方でその潮流が消費文化と融合してしまった点について、批判的であった(『批評とポスト・モダン』1985年)。つまり東の分類を手引きとして言えば、柄谷は思想としての「ポスト・モダニズム」を一部肯定的に受け入れたとしても、社会状況としての「ポスト・モダン」を受け入れることはなかった。このことは、柄谷が大江や中上以後の文学(村上春樹や吉本ばなな)を拒絶したこととも並行的である。だからこそ柄谷は八〇年代の終わりに「近代文学の終焉」を宣告したのであって、それは「ポスト・モダン」化の加速によって、文学が表象=代行の能力を失ったことを意味する。
「ポスト・モダニズム」と「ポスト・モダン」が連動していた時期はたしかにある。だが、「ポスト・モダニズム」が終わっても「ポスト・モダン」は終わってくれない。冷戦以後、「ポスト・モダン」的社会状況はますます加速している。つまり消費社会の拡大を通じて、「多様性」に満ち溢れた趣味的消費が覇権を握っている。誰も「ポスト・モダン」をことさらに言いつのらなくなったのは、「大きな物語」の失脚がもはや言うまでもなく当然になったからである。それはたんにベタな現実にすぎない。
「ポスト・モダニズム」はたしかにあらゆる大文字の権威を解体あるいは「脱構築」した。しかし「ポスト・モダン」化がより進行し当たり前となった状況においては、「ポスト・モダニズム」は個別の趣味的言説でしかなくなり、そのラディカルさと普遍性を失う。しかもこのタコツボ化は、当時の「ポスト・モダニズム」そのものと無関係ではない。東によれば、九〇年代、「ポスト・モダニズム」は、各業界の棲み分けと共犯によってかろうじて生き延びていたのである[2]。
東の批評の背後には、つねにこうした状況認識が潜んでいる。それは権力論でさえある。東浩紀はいつも、自身の概念を提出する前に、状況整理と課題の発見を先に行なっている。私が強調したいのは、この実践の全体において東の活動は「批評」たりうる、さらには「活動」たりうる、という点である。介入のための有効な戦略を練らない者は、アクティヴィストたりえない。東の用いる種々の概念——「誤配」や「データベース消費」や「観光客」や「訂正可能性」——は、この状況認識と分かち難く結びつき、状況介入としてもっとも有効なものとして(そう見えるように)提出される。この時期の場合、東は死語であった「ポスト・モダン」を再発明することで、その認識を提出した。
古名(paléonymie)の再発明は、現状認識を主張し、現在の理論的布置を整理し、批評の課題を再確認するための一種の戦略[3]である。だから、東浩紀の概念をたんに一般的で抽象的な含意においてのみ理解する場合、それは東浩紀の半分しか読めていない。そのとき手元に残るのは、何にでも適応可能な、空白のマジック・ワードだけである。たとえば『動物化するポスト・モダン』(2001年)が基づくのは、すでに東によって改造された「ポスト・モダン」であって、それに基づいて東を「ポスト・モダン擁護派」として批判するなら、そのような批判は一種の遠近法的な盲点にふい撃ちされている。言い換えれば、東の戦略の内部で抗っているにすぎないのだ。
[1]東浩紀「ポストモダン再考——棲み分ける批評II」(『郵便的不安たちβ』所収、河出文庫、2011年)。
[2]東は「ポストモダン再考」で「現代思想」を「美学系」(蓮實重彦:東大表象文化論)、「批評系」(柄谷行人、浅田彰:『批評空間』)、「政治系」(高橋哲哉、鵜飼哲、石田英敬、小森陽一)の三領域に分割する。附言しておけば、これはきわめて「東大ローカル」な問題である。逆に言えば、東大周りについて語ることが知的状況を語ることとイコールになるような一種の集権性が存在した——おそらく今も存在する——のだろう。だが、権力や制度を論ずる「現代思想」の研究者がこうした権力性に敏感であるようには、少なくとも私には思えない。灯台下暗し!
[3]私はジャック・デリダのテクストを解読した著書で、デリダの「戦略」について述べている。森脇透青ほか『ジャック・デリダ 「差延」を読む』、読書人、2023年
本連載は現在書籍化を企画しており、今年11月に刊行予定です。
ぜひ続きは書籍でお楽しみください。
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著者プロフィール
森脇透青(もりわき・とうせい)一九九五年大阪生、京都大学文学研究科博士課程所属。批評家。専門はジャック・デリダを中心とした哲学および美学(学術振興会特別研究員DC2)。批評のための運動体「近代体操」主催。著書(共著)に『ジャック・デリダ「差延」を読む』(読書人、2023年)。『週刊読書人』にて月一論壇時評「論潮」を連載中。Twitter : @satodex
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