ひろゆきさんの「キラキラネームならば、頭が悪い。」が論理展開としておかしいという話

2ch創設者で現在はフランスから論破芸人として活躍されているひろゆきさんが持論として「キラキラネームならば頭が悪い可能性が高い」という話をされていました。

その推論自体の是非に関しては下品だと思うものの統計調査があるわけではないので正確なところはわかりません。

しかし、当該記事の中に触れている論理展開が間違っているぞというか、ちょっとおかしいぞという話です。

ちなみに、僕としてはこれが間違っているから訂正すべきだとかそういう話をしたいのではなくて論理クイズや算数としておもしろいし、合成の誤謬がどのように生まれるのかというような話として理解されることを望んでいます。

また、このような論法が繰り返し差別を作り出すために使われてきたということも指摘したいところです。人は条件付き確率を誤認しやすく、故に自説にとって都合のようように解釈するからです。

上記の記事にはひろゆきさんの立論は以下のようにまとめられていました。

「親の知能は子供に遺伝します。他人が自分の子供を呼ぶために、名前をつけるのですが、一般的に読めない名前をつける親は頭が良くない可能性が高いです。よって、読めない名前の子供は遺伝により頭が悪い可能性が高いです。と言う話をしてたら、また実例が増えました」

ここで、2つの事柄に関して、仮定として受け入れるとします。

前提:1つ、親の知能は子供に遺伝する確率が高い。
前提:2つ、頭の良くない親は、頭の良い親に比べてキラキラネームをつける可能性が高い。

この2つについてはなにか根拠があるのかどうか知りませんが、これを仮定として受け入れた上で

結論:キラキラネームの人は頭が悪い(確率が高い)。

という結論が果たして導けるのだろうか。ということについて考えてみたいと思います。つまり、「名前を見るだけで頭が良いか悪いかわかるよ」ってことですね。

ここでまず、頭がよい親のグループと頭の悪い親のグループを考えてみます。具体例としてたとえば、偏差値50以上はあたまがよく、それ以下は頭が悪いとして見ましょう。

そうすると、偏差値の定義から半分ずつに分類されます。(頭が悪い親の割合についてコメントする方がTwitterでは多かったので後でその値を推移させたものをお見せします。計算方法が理解できているとそのへんの疑問は生まれないかと思いますが。。)

また、親の知性が遺伝するというのも、遺伝が理由かということについては多々交絡因子があるにしても、文化的資本の継承により、親の知的レベルとこの知的レベルが一定の相関関係があることはありうるでしょうから、遺伝という言い回しの不適当さは譲歩した上で、これについても、6割の可能性で親が賢かったら、子供が賢いとしましょう。(これについてもあとから値を動かしながら検討します。)

そうすると、このように頭の良い親から頭の良い子も頭の悪い子も生まれ、その逆もまた然りです。つまりこのように計算できますね。

頭の良い親から頭の良い子供の割合 = 頭の良い親の割当 * 遺伝確率
頭の良い親から頭の良い子供の割合 = 頭の良い親の割当 * (1-遺伝確率)
頭の悪い親から頭の悪い子供の割合 = 頭の悪い親の割当 * 遺伝確率
頭の悪い親から頭の良い子供の割合 = 頭の悪い親の割当 * (1-遺伝確率)

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ここで、頭の良い親と頭の悪い親が子供にキラキラネームをつける確率について、5%と20%という実に4倍の差をつけて定義してみます。これも仮定の数字ですが、現実よりも相当色を付けているとは思います。

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この場合において、求めたいのは「キラキラネームのとき、頭が悪い確率」という条件付き確率です。

P(キラキラネームである| 頭が悪い) = P(キラキラネームである∩頭が悪い)/P(キラキラネームである)

と定義できますね。

キラキラネームかどうかと頭が良いかどうかがどの程度存在しているのか計算してみると次のようになります。

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P(頭が良い子供∩キラキラ) =
  P(頭が良い親から生まれた頭の良い子がキラキラである)
  +P(頭の悪い親から生まれた頭の良い子がキラキラである確率)
  
P(頭が悪い子供∩キラキラ )= 
 P(頭が良い親から生まれた頭の悪い子がキラキラである)
 +P(頭の悪い親から生まれた頭の悪い子がキラキラである確率)
 
P(キラキラネームである) = P(頭が良い子供∩キラキラ)+P(頭が悪い子供∩キラキラ)  

そうすると、「キラキラネームのとき、頭が悪い確率」は56%となります。
(=7.0/(5.5+7.0))

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この数字をどう思いますか。確かに、50%よりは高いです。

ですが、ほとんど誤差というような数字で「キラキラネームって頭悪い」と言えるようなものでしょうか。

「頭の悪い確率が高い」というのは、半々よりやや高いという意味で言っているのであれば、なぜ、この記事のマホトさん(この人についてはよく知らないけども)が「実例です」と言えるのかが不思議です。

なぜなら、キラキラネームで頭が悪い人もそうでない人もありふれていて、一人二人見つかったところでなんの傍証にもならないからです。ところが、難読だった1名が頭が悪い(かどうかはよくわからないんですが)だったとして実例とは言えないですよね。

そうだとすると、「キラキラネームならば頭が悪い」というのは9割、甘んじて8割ぐらいの精度はあると思っているような命題でないとおかしい。

ところが、まずまず妥当性の有りそうな値で計算してみたら、56%しかあたらない。

そうすると、もし「キラキラネームならば頭が悪い」と言いたいのであれば、僕が仮定した値では間違っていて、実際にはこんなに遺伝確率が高いとか、キラキラネームをつける確率が高いとかということを立証する責任が立論側にあることになります。

つまり、最初に書いていた前提である:

前提:1つ、親の知能は子供に遺伝する確率が高い。
前提:2つ、頭の良くない親は、頭の良い親に比べてキラキラネームをつける可能性が高い。

これだけだとだめで、

前提:1つ、親の知能は子供に遺伝する確率が極めて(9割とか?)高い。
前提:2つ、頭の良くない親は、頭の良い親に比べてキラキラネームをつける可能性が極めて高い(10倍とか?)。

ということを立証しないといけなくなります。前提だけから導けないのであれば、前提が足りない、証拠が足りない、論理展開が不十分であるという話になります。

こんなような話をツイートしたところ、頭の良い親と頭の悪い親の割合が同等なのがおかしい。という人が何名かあらわれるんですが、

同じ計算式で、頭の悪い親の確率を0から1まで推移したグラフを書いてみます。

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このように、頭の悪い親の割合を少なく見積もると(つまりとんでもないく頭の悪い親を対象にすると)、逆に正答率は4割まで下がっていきます。また、ほとんどの人が頭の悪い親だと考えても6割までしか上がりません。

なぜ、このようになるかというと頭の悪い親を少数派だと思うほど、頭の良い親の絶対数が多くなり必然的に頭の良い親から生まれた頭の良いキラキラネームの子供の絶対数も多くなるからです。

僕が恣意的な値を選んでいる(自説に都合の良いデータをとってきている)のではなく、親の割合は議論をシンプルにするために適切な値を持ってきただけだということがご理解いただけるでしょうか。

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また、「親の形質が遺伝する確率」を0-1に推移させたときの「キラキラネームのときに頭が悪い確率」をプロットしてみます。

ここからわかることは、「親の形質が遺伝する確率」をとても高く見積もっているのであれば、たとえば、親が賢い子供は8割賢いという前提に立つと

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ようやく7割ぐらいになりました。

ここで、頭の悪い親は50倍キラキラネームつける確率が高くて、親の形質が遺伝する確率が99%だという極端な仮定をしてみましょう。

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そうすると、確率は97%になり「キラキラならば頭が悪い」という推論に一定の妥当性があると言えます。

つまり、このぐらいの値であることを、立証できるのであれば、成り立つ論理展開だと言えるわけです。

僕が指摘したいのはまさにこのポイントです。

前提となる2つの傾向を正しいと仮定してなお、その傾向が極めて高い値でないと成立しない論理であるから、その立証責任が立論側にあるよと指摘するのが本記事の最大の目的です。

さて、なんで僕がこの話についていろいろ話をしているかと言うと、このような条件付き確率というものが直感的にわかりにくく誤解しやすいため、それを用いた誤謬をばらまく論法は差別構造を強化するのに繰り返し使われてきたという背景があるからです。

たとえば、「外国人は犯罪率が高い。なので、外国人を見たら犯罪者だと思え。」というようなものです。「同性愛者がHIVの割合が異性愛者に比べて高い。故に同性愛者を見たらHIVだと思え」も同じことですね。「〇〇教徒はテロを起こす確率が高い。故に〇〇教徒を見たらテロリストだと思え。」でも構いません。

この論理が破綻しているのは、100%の外国人が犯罪を犯しているのであれば、外国人を見て犯罪者だとして自衛策を練ることには一定妥当性があるかもしれません。

しかし、実際には自国の人が1%の犯罪率で、貧困や社会的資本の少なさなど様々な理由で外国人の方々が1.5%の犯罪率だったとします。実に1.5倍です(などと煽るわけです)。

このような根拠となる統計的有意が仮にあったとしても、外国人であれば犯罪者であるという論理を受け入れるには係数にギャップが有りすぎるというわけです。そもそもの犯罪率自体が低いわけですからね。

ところが、多くの人は信じたいものを信じるため、このようなギャップを乗り越えた理屈に納得してしまったりします。

今回は、さらに知性が遺伝することと頭が悪いとキラキラネームをつけるという2つの命題をかけ合わせて成立する論理なので余計におかしなことになります。

一見正しそうに聞こえ、自分にとって耳障りがよい話こそ一度立ち止まって冷静に考えてみるとよいのではないでしょうか。





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広木大地(日本CTO協会理事/レクター取締役)
エンジニアリングと組織の関係について、より多くのビジネスパーソンに知っていただきたいという思いで投稿しております!