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地頭信仰という反知性主義と、そこに集うアレ

地頭の良さって何なの?

地頭の良さという概念は、出身校ブランドがない人であっても、頭のいい人がいるということを表しています。他方、とても良い学校歴があるのに、使えない奴というのは世の中におりまして、そういう人を指すのに「あの人、東大出ているのに地頭悪いね」という陰口がなされます。京大生はブランドイメージで「地頭が悪いね」と言われずに、「社会不適合だね」と言われるような気がします。

これ、私は単純に出身校ブランドがなくてもIQが高い人がいるよね、というだけのことだと思うのですがいかがでしょうか? 当たり前の事だと思いません? 後、仕事の出来不出来にはIQや学校歴が関係ないところもあると思います。これも当たり前のことではありませんか? 私は、昔本屋でバイトをしていたとき、物覚えも悪いし動きも鈍い無能だと思われていたはずです。「京都大学出ているのになんて物覚えの悪いやつだ」と思われていたことでしょう。私は、テキパキと手足を動かすことが非常に苦手なのです。レジ打ちやブックカバー掛けは圧倒的に苦手でした。また、紙をファイルにまとめるといった作業も下手くそでした。今はレジ打ちをすることはありませんし、得意なことをしていると他人に褒められます。

学校歴に表されない知性を表現する地頭

私は、IQテストを受けたことがありませんし、周りにも同世代で受けた人はあまりいません。うちの父親は高校生のときに受けたそうで、IQテストでは130あったそうです。メンサに入れますね。記憶力やアイデア創造力に優れており、本来IT業界などに行くべきだったと思うのですが、報連相などが強烈に苦手だったようで、ホワイトカラーに向いていませんでした。本人は現場仕事のほうが好きみたいでした。父はそこそこ学校歴があったので、「頭のいい人がなぜこんなところで働いているの?」という扱いを受けたようです。この場合でも地頭はおそらく使いません。

地頭がよい、というのは学校歴と異なる評価軸です。東大卒や京大卒を前にして「地頭がよい」とあまり言わないのではないでしょうか。むしろ、単に「頭が良い」と言うはずです。また、大学教授などに「あの人は本当に地頭がいい」とは言わないはずです。世間的に知性を認められている領域に対しては「地」をつける必要がないからです。

それに比べると、知性があると通常見られていない領域で活躍している人に対しては「地頭」ということばが使われます。「あの人は、高校までしか出ていないのに、地頭がいい」という話ですね。野生の知性は、基本的に成功しやすいので(これは因果が逆かもしれませんが)「頭の良さ」よりも「地頭の良さ」が重宝されている節があると思うのです。

野生の知性を養殖できると思っている愚行

この反知性主義、インテリを排除しつつ、野生の賢人を賞賛する志向が「地頭を鍛える」とか「頭が良くなる方法」といった情弱な人が飛びつきそうなコンテンツの増加に繋がっています。普通に教養や知識を身に着けていけばいいだけの話だと思いますが、そこをすっ飛ばし、地頭を良くしたいと思うみたいなんですね。一時、それがブームになってやたらとフェルミ推定を推す本などが出版されていたことがありますね。普通に考えれば、バカがフェルミ推定の練習をしても、フェルミ推定に熟達したバカになるだけではないかという気もしますが、そうしたショートカットが持て囃されていた時期がありました。

本を読んだりものを考えたりして少しずつ賢くなっていこうよ、と私は思いますし、自分にも言い聞かせていますが、そういう迂遠な常識論は流行りません。そんなことよりもフェルミ推定がうまくなれば、GAFAMに入ることができるといったような非常に短絡的な売り文句が売れます。これはまさに情弱をカモにするビジネス書の商いだと思うのです。

反知性主義はショートカットではない

正統的な知的権威に対して、在野の優秀な人を対峙させるのは一概に間違いと思えません。むしろ、健全な反知性主義だと思います。しかし、反知性主義は必ずと言っていいほど、本物のアレを引きつけます。反知性主義と商業主義は悪魔合体して、情弱や堪え性のない人たちに「こっちの水は甘いよ」と安直な方法を提示します。たとえば、在野の知識人であるジェイン・ジェイコブズはフェルミ推定の達人であったわけではないと思うんですが、彼女のやったようなことは大変な労力を必要とするのでそこは真似せず、反知性のポーズとショートカットを組み合わせてブームに乗っていくんですね。アレな人たちは、ショートカットを目にして熱中し(身につけられるとは言っていない)、また次のブームへと渡っていきます。

そんな簡単に賢くなれるなら、世の中こんなに……じゃないよ、と思うのですが、地道で一歩ずつというようなアプローチはみんな嫌いますからね。最近は、生成AIの文脈で人間の知性は不要になるという論調がありますが、そちらに乗っかって、生成AIからのアウトプットが結局ユーザーの頭次第だという話になったらどうするんだろう、と思いました。しかし、大丈夫、そういうブームに乗っかる人は生成AIがなかったとしても地道な能力向上などしないので、悪影響ないんですね!! 未来は暗くないね。


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