アベノミクスに関する私的な覚え書き

経済からみた場合、第二次安倍政権の最大のポイントは、わが国ではじめてデフレ、すなわち物価の継続的な下落を日本経済の最大の課題と規定し、その克服は経済政策によって実現可能であるとした点にあります。日本経済は1997年に非金融法人のISバランスが貯蓄過剰に転じ、1998年から物価の継続的な下落が始まりました。以来、日本の低成長の原因としてデフレに注目した政治家は何人かいましたが、雨乞い的にその解消を願う人、人口減少だからしかたない、技術革新で製造コストが削減されれば不可避だと諦める人はいても、処方箋を示して経済政策によって解決できるのだ、と明確に打ち出した政治家はいませんでした。

野党時代の安倍氏の提案した、建設国債の日銀買い取り、インフレ目標の設定と政府と中央銀行のアコードによるデフレ脱却について、当時の白川方明日銀総裁は「IMFが助言する際に『やってはいけないリストの最上位』」「悪影響が大きい」「中央銀行の独立性を尊重すべき」とことごとく否定しました。
“白川総裁「日銀の独立性 尊重を」” 安倍氏主張に否定的 日本経済新聞2012年11月21日付
https://www.nikkei.com/article/DGXDZO48665880R21C12A1EA2000/
実は2012年12月20日、自民党が総選挙で大勝した際、私はあるところで"経済運営で実績を残すまで憲法や外交は安全運転で行く、というのであれば、コアなマイノリティ、たとえば外国人ならビザのない人とか、朝鮮学校関係者とか以外にはよい首相になるでしょう。”と書きました。私はもともと安倍氏については、第一次政権の実績やそれまでの言動から"特に冴えたところのないアナクロなウヨク"ぐらいにしか思っていなかったのですが、白川総裁との論争をみて、いつの間にこんなに勉強したのだろうか、これは本当にマクロ経済をわかっている人だな、と感じたからです(ちなみに私の本業は「コアなマイノリティ」の権利擁護に関する分野で、世間には「左派」と思われていると思います。)。

それでは、安倍政権はデフレを克服できたのでしょうか。
まずコアコアCPI前年同月比をみてみましょう。
1998年9月にコアコアCPIがマイナスに落ち込んで以来、第二次安倍政権登場前はごく短期間の例外を除き、基本的に物価は下がり続けました。特に酷かったのが民主党政権時代で、期間中のコアコアCPIは平均してマイナス0.94%に達しました。その負の遺産を引き継いだ第二次安倍政権はマイナス0.9%でスタートしましたが、2013年9月にはゼロに引き上げ、その後2017年2月-9月、2020年4月のごく短期間を除き、概ねプラスを維持しました。残念ながら2%の目標には達していませんが、基本的に物価は前年比で上昇を続け、辛うじて「デフレではない」状況にはなりました。

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食料、エネルギーを除く物価指数について、すなわち同じ内容ですが、1998年1月を100としたグラフを追加します。移動平均線は6か月です。トレンドの変化はより分かりやすいと思います。

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この成果は、成長率、需給ギャップからも確認できます。
実質成長率とは名目成長率から物価上昇の影響を取り除いたものですから、実質成長率>名目成長率という関係が成立している場合、物価は下落しています。日本は1998年に実質成長率が名目成長率を上回って以来、その状態が続きました。はじめてこれが解消されたのは2013年です。1998年から2012年における名目成長率-実質成長率の差は平均してマイナス0.1%、2013年から2019年は平均してプラス0.6%です。 

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次いで需給ギャップ。総需要が総供給を下回ると、物価は全体として下落し、それを放置するとリストラと物価の下落がスパイラルのように進行します。
日本は1997年第3四半期にマイナスに転じて以来、一時期を除き常に需給ギャップがマイナスでしたが、第二次安倍政権後の2013年第3四半期にこれを解消。その後デコボコを繰り返しながら平均で0、すなわち供給=需要を維持しました。    

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ところで、物価が上昇する局面で、現金を持っている人は、そのまま持っていると次期に買えるものが少なくなるので、高くなる前に買って消費するか、あるいは投資をしてお金を増やそうとします。これに対して物価が下落するのであれば、現金を持っていた方が特になるので、経済行動は逆に、すなわち消費も投資もしなくなります。
企業にとって、デフレ下でもっとも負担になるのは借金と雇用です。なぜなら借金の額は物価が下落しても減らないので、相対的に返済の負担は重くなり、従業員の給料はデフレだからといって簡単に下げられないからです。こうして投資が落ち込み、雇われる人が少なくなります。雇われる人が少なく、給料の総額が減れば、購入される財やサービスが少なくなり、消費も落ち込みます。それが価格の下落に拍車をかけ、ますます消費も投資も減退します。こうして物価の下落と経済の縮小がらせん階段を下っていくように進むありさまを「デフレスパイラル」といいます。
賃金のうちもっとも下げにくいのは正社員の給与です。だからデフレになると新卒の採用と不安定な就労層の雇用が一番打撃を受けることになります。物価が下落を続けた局面で、就職氷河期が続き、ロスト・ジェネレーションが生まれ、安い給料で長時間労働を強いる居酒屋チェーンが全盛だったのは、経済学的には当然といえると思います。


第二次安倍政権で物価の下落を阻止した効果は、雇用にはっきりと表れています。中央銀行のマンデートに雇用の最大化が明記され、毎月第一金曜日に雇用統計をネタに国を挙げて大騒ぎをするアメリカに比べて、日本は政治もマスコミも雇用に対する意識が著しく低く、一部の識者からは団塊世代が定年になったからどうのとか、人口動態がどうのとか、雇用は人知を超えた自然現象のように勝手に増えたり減ったりするものだと言わんばかりの論調すら聞こえてくるのですが、雇用は政策によって創り出すものであり、雇用の創出は政府と中央銀行の最重要の任務のひとつです。そして雇用においてまずみるべき指標は就業者数です。アメリカでは雇用統計において注目されるのはまず非農業部門雇用者数変化であり失業率はその次です。失業率は景気が悪すぎて就職を諦めた人が増えても減少するので、それだけみていても雇用情勢はわかりません。   

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日本の就業者数は1997年6月の6584万人をピークに減少傾向に転じ、2004年から2007年にかけて若干の増加をみせたものの、リーマンショックで激減しました。民主党政権は、リーマンショックによる大量失業という低い数字からスタートしたにもかかわらず、3年3ヶ月の間、ほとんど就業者を増やしませんでした。第二次安倍政権がスタートしてから、就業者数は増え続けました。さらに団塊世代の大量退職など生産年齢人口が減ったにもかかわらず、労働力人口は増え続け、労働力人口が増えたにもかかわらず失業率は低下を続けました。なお、失業率の分母である労働力人口とは現に就業しているか、就職活動をしていて職があればすぐに働ける人で、分子である失業者は労働力人口中の失業者、すなわち就職活動をしていない人は含まずにカウントします。民主党政権時代、失業率は低下を続けましたが、就業者数は増加せず、労働力人口は減少を続けました。当時の失業率の低下は働く意欲を失った人が増えたことが原因であり、雇用情勢の改善を示すものではないことは統計をみればすぐにわかります。
その結果、有効求人倍率はスタート時点の0.8から1.6に達しました。
第二次安倍政権は1997年以来、初めて就職氷河期、ロスジェネを生まなかった政権です。  

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下記のグラフは非正規雇用者数と正規雇用者数を示しています。この合計に「役員」を足した数字が就業者になります。なお労働力調査では1998年までは毎年2月に1回だけ、1999年から2001年までは2月と8月の2回調査をし、2002年以後は四半期毎の平均を出しています。グラフの作成に際して2001年までは2月の数字を1Q-2Q、8月の数字を3Q-4Qと表示し、2002年以後は1Qと2Q、3Qと4Qの平均を算出しています。
日本の正規雇用者は1997年2月の3812万人をピークにおおむね減り続けましたがこれが初めて増加に転じたのは第二次安倍政権がスタートしてから1年6ヶ月を経過した2014年3Q-4Qです。以後、正規雇用の労働者は増え続けました。2014年3Q-4Q以後、非正規雇用の労働者は新型コロナウイルスの感染拡大の影響が生じる前までなら233万人、直近なら144万人増えたのに対して、正規雇用の労働者の増加は253万人です。雇用情勢が改善に転じても当初は非正規が中心になります。ただし改善が継続すれば、やがて正規雇用が拡大し始めます。企業はよい条件をオファーしなければ人が集まらないからです。そのため、雇用は「継続して」改善することが重要です。

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デフレを阻止し、雇用を増やした結果、第二次安倍政権下で、GDPは名目で60兆、実質で40兆増えました。

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その結果、第二次安倍政権は、1998年以来増え続けた国民生活基礎調査で「生活が苦しい」と回答した人(「やや苦しい」と回答した人と「たいへん苦しい」と回答した人の合計)の割合を初めて減少に転じさせ、2003年以来悪化を続けた相対的貧困率、子どもの貧困率を初めて改善に転じた政権になりました。
物価が上昇すると生活が苦しくなる、下がると生活が楽になると感じる人が多いと思いますが、年率で5%も10%も上がるのであればともかく、事実は逆です。物価の下落が続くと生活は厳しくなるのです。   

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貧困率と一人当たりGDPには関係があります。経済成長は、常に格差を縮小させるものではありませんし、経済成長が格差を拡大することも多々あります。格差の縮小のためには経済政策のみならず、福祉政策も必要です。ただし、経済成長しない社会で経済格差を縮小するのは相当困難です(なお、念のため、このメモは第二次安倍政権のマクロ経済政策についてのみ論じるもので、その社会福祉政策の当否について議論するものではありません。また左派の学者で、"成長を諦めてみんなで平等を目指そう"と提唱する人をみかけますが、そうした意見の思想的な当否もこのメモのテーマではありません)。    

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ところで、1997年以後の日本で、第二次安倍政権以外で少しだけ景気を回復させた内閣として、小泉政権があります。小泉政権と第二次安倍政権、デフレを問題にしていた点は共通しますが、政策を比較してすぐに気がつく違いは、目標と首相のコミットです。
小泉首相は構造改革に熱心でデフレにあまり関心がなかったこともあり、デフレに関しては「良きに計らえ」スタイルでした。閣内に与謝野馨金融財政特命担当大臣のようなデフレを軽視する閣僚を抱えていたこともあってか、デフレの定義も曖昧で、日銀との連携もインフレ目標の設定もありませんでした。そのため2005年後半からコアCPIがゼロになった頃から金融緩和の「出口」の議論が始まり、2006年7月、福井日銀は、GDPデフレーター、需給ギャップが芳しくなかったにもかかわらず、コアCPIがいっしゅん0.5になった、大企業製造業の業況判断指数が、設備投資計画が3月の日銀短観から上振れした、とあれこれ理由をつけて、ゼロ金利解除をしてしまいました。内閣も9月の月例経済報告からは「デフレ」の文言を削除、第1次安倍政権下の2007年2月に今度は日銀が当時の誘導目標だった無担保コールオーバーナイトレイトを0.25から0.5に引き上げます。この一連の動き、早すぎる金融引き締めが、デフレ脱却のチャンスを逃した政策ミスだったことは、後にあきらかになります。
第二次安倍政権では、初年度は金融緩和と財政支出の拡大をきっちりやったため、コアコアCPIは9月にはゼロを超え、2014年2月には1%に迫るところまで上昇しました(その後、消費税の増税により2%を超え、その負の影響でやがてまた上がらなくなる)。小泉政権~第一次安倍政権当時のように、いかにデフレに取り組むといっても、定義も曖昧、目標もなしなら、わずかに状況が好転したところで、「もうこのあたりで金融正常化を」という声が出てくるのは考えられるところです。デフレ脱却については、第二次安倍政権は、2%の数値目標を掲げ、それを日銀任せにせずに内閣として取り組む旨首相が明確にした点で、小泉政権と差があり、客観的に達成が困難になったにも関わらず、安易に白旗を掲げなかったことも、評価できます。

2度の消費税増税が成果の相当部分を台無しにしたし-第二次安部政権で物価上昇の腰が折られた局面が2回あります。それは2015年4月~、2020年2月~です。いずれもその前に消費税が増税されています。消費税が増税されると一時的に物価は上がりますが、消費税増税は消費支出を減らすので、需要が減少し、やがて物価は下落に転じ、経済は縮小します。-、口を開けば"国民一人当たり借金いくら"とか、"財政ファイナンスがどうの"など、比較対象となる他の政治家のレベルが低すぎる、というのはありますが、第二次政権の安倍氏は経済に関しては私の記憶に残る首相のうちでもっとも優秀でした。他の分野ではかなり酷いこともしましたし、思想信条、特に歴史認識は相容れませんが、政治家にとってもっとも重要な課題のひとつである経済、特に雇用について、じゅうぶんとは言えないものの、相対的には1997年以来もっとも大きな成果を残したことは数字が示しています。
ラリー・サマーズは2016年のフィナンシャル・タイムズ紙のインタビューでアベノミクスについて問われ、「私なら『インコンプリート(未完成)』という大学教授の古典的な成績評価を与える」と答えました。私は、アベノミクスは意欲的かつ合理的な取り組みであったが、財政再建の旗を降ろせなかったがゆえに「未完の改革」に終わったと総括します。掲げられたのは標準的なマクロ経済政策なので「改革」というのは少々大げさかも知れませんが。


先日のジャクソンホールで発表されたFRBのあらたな金融政策から連想されるとおり、日本経済はその抱える問題の進行具合、深刻さで世界のトップを走っています。私が次の首相の経済政策に望むことは、マクロ経済に関して高い意識を持ち、雇用を最重要課題のひとつと位置づけること、コロナ禍にあってあらたなロスト・ジェネレーション、ロックダウン・ジェネレーションを生まないことに最大限の力を傾けること、さらに貧困を撲滅し、地球温暖化に立ち向かうことです。どなたかいい人が名乗りを上げるとよいのですが。

(参考文献)
・ Robert J Gordon "Macroeconomics" 12th Edition,Pearson(2013) 
https://www.amazon.co.jp/dp/B00IZ0B3NK/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1 (特にchapter4 "Strong and Weak Policy Effects in the IS-LM Model".  なお第二次安倍政権の財政支出は不十分だったので、このメモには関係しませんが、"財政再建"が気になる人はあわせてchapter6"The Government Budget, the Government Debt, and the Limitations of Fiscal Policy"も。)
・ ローレンス・サマーズ , ベン・バーナンキ, ポール・クルーグマン, アルヴィン・ハンセン (著), 山形 浩生 (翻訳) 「景気の回復が感じられないのはなぜかー長期停滞論争」( 2019)
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784790717317
・ 岩田規久男 「なぜデフレを放置してはいけないか 」(2019)
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784569843094 (日銀の財務についてわからないという人にも有用です)

(追記)
なお、さっそくリーマンショックの影響が払拭されなかった民主党政権に比べて第二次安倍政権は、というコメントをいただいたようなので、ご参考までに2007年を1とした日米のマネタリー・ベースの比較を掲げておきます。出典はアメリカはセントルイス連銀HP、日本は日銀です。
リーマンショック、さらに日本固有の厄災として東日本大震災があったにもかかわらず、マネタリー・ベースがほとんど増えていないのですから-さら東日本大震災については復興費用を増税と5年債、2年債、国庫短期証券(1年債)を中心にファイナンスするという致命的なミスが重なりました。これは不況の最中にISカーブとLMカーブを同時に左に引っ張っていることになります-私は恐るべきことだと思います。リーマンショックや東日本大震災は天災でも、その後の政策対応は人災です。


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(追記2)
民主党政権時代の後半から経済は良くなっていた、誰がやってもよくなった、とおっしゃる方もいるようなので、食料、エネルギーを除く物価指数について、すなわちコアコアCPIと同じ内容ですが、1998年1月を100としたグラフにして追加してみました。本文の2つ目です。

はっきりわかるのは1998年以来、不良債権処理問題、郵政民営化、リーマンショック、政権交代、東日本大震災と日本経済には様々なイベントがあり、首相は橋本龍太郎氏から野田佳彦氏までめまぐるしく変わりましたが、物価が下落を続けることに関しては一貫しているということと、第二次安倍政権の登場でトレンドが一変していることです。
景気や人々の暮らしは物価のモメンタムだけで決まるわけではないけれど、これだけの激変があって、景気や人々の暮らしに何も変化がないはずがないのはあきらかではないでしょうか。

物価が下がり続ける経済で人々の暮らしを良くすることはほとんど不可能である反面、そのトレンドを変えるだけでできることは相当あります。母子加算の復活、高校無償化など再分配に熱心だった民主党政権下で貧困率は改善せず、生活が苦しいという人が増え続けたのに、再分配に不熱心と批判される第二次安倍政権で、これらの指標はいずれも改善に転じているのです。

世界中で低成長が常態化しています。ポール・クルーグマンが指摘するとおり"Great Moderation macroeconomics — central banks rule the business cycle, fiscal policy only as an emergency measure — isn't coming back. (グレート・モデレーション・マクロエコノミクス、中央銀行は景気循環をコントロールし、財政政策は緊急措置、そんな時代は戻ってこない。)"、そんな時代にあってマクロ経済政策は以前にもまして重要さを増しています。
アベノミクスの評価は人それぞれであっても、経済を官僚任せにせず、政治が筋道を立ててしっかりコミットすることについては、次の首相、次の次の首相にもお願いしたい。現在の自民党の後任選びにはそうした様子が見えないのですが。

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