意思疎通できない殺人鬼と透明化される被害者
下記記事中にどうしても看過できない一文があったので、本記事はその一文に対して異を唱えることを目的としている。本記事はあくまで個人の体験を基にした反論なのと、記事の主訴に対する反論ではないことを留意して読んでいただければ。
1.前置き
まず初めにこの記事は特定の精神疾患、依存症への偏見を強めるためのものではなくそういった意図は含んでいない。細心の注意を心がけるしもしそういった表現があれば極力誤解の無い書き方に訂正する。
2.意思疎通できない殺人鬼は架空の存在?
斎藤環氏は本文中で
この通り魔の人物造形だけは、これまでさまざまなフィクションの中で繰り返されてきた、かなり凡庸な狂気のイメージだ。強いて言えば「統合失調症」が一番近いだろう。断っておくが、これは「診断」ではない。診断のいかんにかかわらず、私はこのような言動をする患者に会ったことはないし、ここに臨床的なリアリティは一切ないからだ。私の専門性は、ここではアンチスティグマに向かう態度として発動されている。私はむしろ一人の漫画ファンとして、これは漫画的に誇張された精神障害者のステレオタイプだ、と判断したのである。
と述べ、
統合失調症ではなく薬物依存症の可能性もあるではないか、との指摘もあったが、それは論点のすり替えですらない。依存症の専門医である松本俊彦氏も指摘するように、覚せい剤依存症患者でもこのレベルの症状はきわめてまれだ。薬物依存であっても問題の本質はなんら変わらない。
とも述べている。スティグマ、何らかの病気や依存症を抱える人が背負わなくてもいいはずの罪を背負わされていると。
三十年ほど前のオタク文化がスティグマを背負わされた背景を考えると、こういった無理解については深く考える必要がある。
ただ、どうしても納得が行かない部分がある。後段、シャブ山シャブ子17歳について紹介した直後の部分だ。
漫画や映画を制作し消費する人々が漠然と信じている「意思疎通不可能な殺人鬼」なるものは、ほぼ実在しないと言って良い。
弱者に寄り添った記事であると絶賛される引用元記事で、これだけはどうしても見過ごせなかった。何故なら意味不明で理不尽なことを喚きながら暴力をふるい、後で死んでもおかしくなかったと言われるほどの怪我を他者に追わせた類型的な創作上の狂人にほど近い人間を知っていたから。
詳細は身バレ等を懸念して伏せるが、口論等は無く一方的な暴力だった。身内同士のことで被害者自身も被害届を出さなかったので刑事事件には至らず、そして斎藤医師が反証として探しているような通り魔的連続殺人犯にはなっていない。
加害者は病院にかかったことはなく決まった病名は無い。確かなのは凶行の後は大人しくしており、強制的な隔離が必要と判断されるような状態ではないということ。
自分の暴力性を隠せる程度には頭が働く。けれどもその暴力を振るった瞬間は、抵抗する被害者を顧みることなく、一歩間違えれば死に至らしめるような暴力を振るっていた。これが私が見た意思疎通不可能な殺人鬼(未遂)だ。(未遂)で終わったのは運が良かっただけなので、「でも未遂だろう?」と軽んじないでほしい。
(斎藤医師は”ほぼ”とやや言い逃れできるような書き方ではあるが、少なくともこの記事を読んだ人の反応を見る限り”ほぼ”の部分は無視され100%架空の存在なんだーとなっている人が多い)
※7/27追記:加害者が創作上の狂人を真似ただけの模倣犯である可能性は、加害事象前の状態から考えにくいことを追記しておく。その状態がどういうものかを明記すると前置きに反することもあり詳細については書けないが、決して創作上の表現や実際の事件のニュースから着想を得て暴れた人物ではないということだけ理解していただければと思う。
3.ルックバックにおける犯人描写は非現実的か
犯人が支離滅裂なことを呟きながら犯行に及ぶ場面において、私は実際の記憶や被害者からの証言と照らし合わせてもリアリティの無い創作上だけのキャラ、とは思いきれなかった。特定の病名が付いていない状況、暴力をふるった時の支離滅裂具合、その後言い訳的に超常現象を持ち出す点、それは私が実際に見た『意思疎通できない殺人鬼』の姿とよく似ていた。
創作上の記号として陳腐であろうが、ああいう種類の加害者は創作上でしか存在しないという趣旨の記述は、間違ってもしないで欲しかった。だってその否定は実在する被害者を透明化してしまうのだから。
透明化とはやや強い表現に見えるかもしれないが、ああいう種類の加害者の存在否定は、即ち世にいる加害者とは全て意思疎通ができる存在であり、暴力を受けたことは被害者にも責任があるというセカンドレイプに繋がりかねないので敢えて透明化という強めの言葉を使わせていただく。
※7/27追記:繋がりかねない、と書いてはいるが実際には既に起きている。被害者は事実を知らない第三者から「貴方にも原因がある」「貴方が相手を怒らせたのでは?」という旨の言葉を何度も投げかけられているのを、私は間近で見ている。だからこそ精神科医という立場の斎藤環医師が「そんなものはほぼいない」と書いてしまうことで「被害者にも原因がある」という言説に説得力を与えてしまうことを危惧している。
ただし、こういう種類の加害者の存在自体は肯定するものの、それを根拠にスティグマ的に当て嵌められてしまう人全てが加害者予備軍のようにみなすことは一切肯定しないし、この記事をソースにそういう人たちを攻撃することも認めない。あくまで実体験として『意思疎通できない殺人鬼』に当て嵌まるような加害者は存在しており、被害者も存在するので無いことにはしないでほしいという話。
そしてスティグマとして機能し、特定の疾患を抱え悩んでいる人たちへの攻撃となっている部分については深く考えなければならないとも思っている。
4.斎藤環医師に求めること
漫画や映画を制作し消費する人々が漠然と信じている「意思疎通不可能な殺人鬼」なるものは、ほぼ実在しないと言って良い。
この点の訂正。また訂正の際必ずそういう被害者に対して悪意のあるような書き方はしない(例えば、僕は診たことありませんがこういうクレームが付いたので、のような嫌々とも取れるような書き方)私個人が求めるのはその2つ。できればこの段そのものの削除よりも、実態としてこういう加害者の存在は否定せず、尚且それでも治療中の人たちや特定の疾患との結びつきを否定する方向が考えうる妥当な線かなと。要望レベルなので受け取ってもらえるかは分からないが、斎藤医師が良識的な人間で自説の補強のために別の弱者を切り捨てるようなことをしない人だと信じております。
5.蛇足
ここまで書いといて多分噛み合わないだろうなあということをふと思ったので噛み合わない理由を個人的に推察すると、「類型的な創作上の狂人を制作側は特定疾患を想定して描いている」をベースに書かれた記事に対してこちらはあくまで「類型的な創作上の狂人が何故狂人なのかは明示されていなければ特定しない」をベースに書いているからだと思う。
これは精神科医としてアンチスティグマ的立場を取る斎藤医師と、作中に記載のない主観的な事象を第三者に読ませる目的で書いた文章にできるだけ入れないのが読者としてのポリシーな自分との立場の違いなので許して。(もし斎藤医師が類型的な狂人が実在するなら絶対特定疾患であらねばならないという考えなら決定的に相容れないとは思うがそうではないと思うので多分通じると信じてる)
或いは「類型的な創作上の狂人は犯行前後も狂人であらねばならない」という前提があるならそれも一致しない。私が想定しているのは「類型的な創作上の狂人は犯行時のみ狂人であってもかまわない」を前提にしているから。