見出し画像

ドラクエ3HD-2Dで直してほしいところ

前回前々回とドラクエ3HD-2Dについてのnoteを書かせていただきました。コミケ関係で2日更新が空いてしまいましたが、本日最終日として残りの部分を書かせていただきます。

今回のテーマは「直してほしいところ」です。有り体に言えば悪いところです。ただし私の観点では、という注釈がつきます。
前回、前々回の記事の通り本作は何を期待したか、どうプレイしたかによって天と地ほどにその評価が分かれます
よって「私の期待したものではなかった」というニュアンスでの記述となりますことを念頭にお読みください。

ネタバレ注意

この記事は性質上、より直接的なネタバレに触れますのでご留意ください。



原作勢として

さて本題です。直してほしいところ、言い換えれば悪かったところ
ドラクエ厄介おじさん視点からの感想になりますので賛否あるものかと思いますが、こういう見方もあるのかと思っていただければ幸いです。

新しいプレイフィールがなかった

概ねは先に触れたとおりですが、やはりフルリメイクかと思ったらそうじゃなかったというのが最大の論点です。プレイフィールというのは、ゲームプレイで感じる一連の体験や感覚みたいなのを指す和製英語ですね。
そもそも論、本作はSFC版以降をマップの描画方法を変えただけ的な作品であり、探索がまったくおもしろくない。HD-2D化なら立体的なドット絵表現を活かしていくらでも工夫ができるハズなのに、それを活かした仕組みがないのです。

前回の記事で詳述しましたが、我々(熱心なドラクエ3ファン)が「リメイク」に求めたのは、当時の体験の再現でありあの冒険を再び味わえるというワクワク感です。
そしてそれは、始まりの地であるアリアハンを探索しているときには発揮されていました。ルイーダの酒場横のテラスに巧妙に隠された宝箱や、原作にはなかった「けいこぎ」などに未知の世界を感じてワクワクしていたはずなのです。

原作ではアリアハン城下町で拾えたアイテムは5個だけ。
HD-2D版ではなんと20個以上にも大幅増量したのだが……

しかし……その後はグラフィックこそ強化された一方で、SFC版と変わらないマップが続きます。アリアハンのように隠された宝箱もありません。HD-2D版と言いつつ、斜め見下ろし視点でマップ構造も変わらないってことは実質SFC版と変わっていないのでは? なんならフロアに入った瞬間にマップで全域が表示されるから探索の必要ないなコレ?ということに気づいてしまいます。
皆様も「いざないの洞窟」の3択(3択とは言っていない)の部分で「あっ」と思ったりされたのではないでしょうか? もっとも、このフロアに入った瞬間に全体構造がマップに開示されてしまうという別の根本的な問題はあるんですけれども。

Aの扉、Bの扉、Cの扉
一流芸能人なら間違えることはありませんよね、っていうやつ……?

リメイクにあたってダンジョンの地形構造を律儀になぞる必要はあったのか。そもそもHD-2Dでの奥行きのあるドット絵表現を活かした仕掛けなどあっただろうか。
先行するHD-2D作品と比べてイマイチHD-2D感を活かしきれていない、別のHD-2D概念では?と感じる感想も散見されました。

私がこの観点を「わるかったところ」の最初に挙げたのは、ドラクエのナンバリング作品には本作とほぼ同じ仕組みを使った作品がすでにあり、それにも関わらずコレか、というある種の失望感があるからです。
HD-2Dという表現で騙されてしまっている部分が大きいのですが、本作で導入されている技術はシリーズ最大の売上本数を誇ったドラクエ9で導入された仕組みとほぼ同じです。

静止画なら、ドラクエ9は「3D作品」に見えるかもしれませんが……

ドラクエ9がリリースされた当時、ハードウェア(DS)の処理能力に制約があったために一般の村人などはドットの1枚絵をアニメーションさせつつ動かすことで、固定視点の3D画面上に存在するものとして表現されていました。よくよく考えればこれは今回のHD-2D版の仕組みと一緒です
たとえば下図のシーンでは、画面中央で槍を背負ってるのが主人公。後ろに続く槍を背負った3人が仲間であり、3D描画されているキャラはこの4人だけです。それ以外の人物はHD-2Dと同じ方法で表現されています
また背景や地形だけは全般を3Dを基本として描いているのですが、それも今作と同じだったりしますね。

しかし今見ると解像度メッチャ低いなぁ
この低解像度のせいで、静止画なら2Dと3Dが混ざっててもバレない感じ

またそのために、ドラクエ9では一部のイベント以外では斜め上からの視点固定の3Dマップのゲームでした。つまりHD-2Dと称する前から、実は同じようなものを我々はプレイ済みだったということです。
それでもドラクエ9では足を踏み入れていないマップが最初から開示されていることはありませんでしたし、宝の地図はそれゆえに無限生成でも探索を楽しめる仕組みとして一斉を風靡しました。

ドラクエ9がマップ構造などで特別に優れていたかどうかはなんとも言えない部分ですが、過去に類似のものがあったならそれ以上のものを期待してしまうのは仕方がないと言えるのではないでしょうか。
なにか不文律のように有識者ぶった方が主張することもありますが、開発会社が違うという事情は本来なら我々プレイヤーには関係ないはずです。メトロイド ドレッドが好例ですね。


ドラクエ3の最大の特徴が失われた

詳細は記しませんが、ドラクエ11はドラクエ3と関連する作品であることが強く示唆されています。ドラクエ11の作中では、ドラクエ3と関係するとほぼ明言するような作中描写が各種登場したことが当時も話題になりました。
そして本作、HD-2D版ドラクエ3では、ドラクエ3側からもドラクエ11とのリンクを示す要素が随所で描写されるようになりました。もっとも強くそれを象徴するのが、旅立ちの際の演出です。

しかしながら。
その演出をゴリ押すためか、HD-2Dではドラクエ3最大の特徴が失われました。その特徴とは、勇者がプレイヤーの分身であるということです。

(電源投入からずっとBGMは無音)
ここで初めてゲーム画面に色がつき、世界が明らかになる。BGMもこの瞬間から演奏される

ゲーム機の電源を入れて初めてプレイを開始するとき、プレイヤーの前に与えられる事前情報はこれだけです。ほかにプレイヤーのバックグラウンドは「母親に勇者として恥じないように立派に育てられた」という情報くらいしかありません。
自分が勇者という存在としてこの世界に降り立つところから世界は始まるのです。

昨今の創作トレンドには、フルダイブ型VRMMOを舞台にした作品が多々あります。果たしてこのドラクエ3の冒頭のシーンをフルダイブVR作品の導入シーンに置き換えても違和感がないというのは、時折好事家に指摘される話であったりします。
あるいは、目が覚めたら勇者に転生していたなんて作品でも構いませんね。ゲームが開始すれば3人称視点で世界は描かれますが、冒頭のこのシーンでは擬似的に「1人称視点」を実現しています。

一方で、勇者は自分では喋らず、また自分勝手に行動することもありません。それゆえに、ひときわプレイヤーは画面の中の勇者が自分自身であると自覚できます。
ドラクエ3において勇者とは紛れもなくプレイヤー本人なのです
それは自分の名前をつけられることもそうですが、SFC版以降では「まことの名」を尋ねられることからも明らかです。

余談ですが、ゼルダの伝説シリーズは物語性が実装されたSFC版以降、主人公リンクが目覚めるシーンからその世界が開始されるという伝統があります。リンクもまた喋らない主人公であり、近年は(プレイヤーが)その世界にリンクするという意味合いでもあると解釈されているようです。
さらに余談ですが、「ゼルダの伝説 夢をみる島」は英題が"The Legend of Zelda: Link's Awakening"であり、メタ的な意味を持つタイトルとなっています。

しかしHD-2D版では、自分が起きる前の母親の動きを見せられ、そして自分自身が起こされるシーンを外から目の当たりにします

この時点でプレイヤーには世界が見えている

あまつさえ、操作可能になる前には自分の操作外で勇者が勝手に着替えて装備を身につけるシーンまで見せられます。
つまりこれはあなたではありませんと初っ端で突きつけられるのです。

……えぇ、わかります。
これが現代だ。老害は黙ってろよ。良い演出だろ、と。

たしかにここ単体でみればそういう風にも思えるのですが、原作の意図を汲んでいないのか知らんけどそれでいいのかな的な演出の追加が随所に見られてしまうのが本作の特徴です。先述のIGNのレビュー記事にもやまたのおろち戦の演出について具体的な言及があったので引用しておきます。引用箇所以外にもラーミアの話(後述)など、わざわざ演出を変えた意図があるのか、演出を変えることで代わりに得られた体験があるのか(それとも単に制作陣がスルーしたのか)という点で疑問な部分が多々あります。

たとえばジパングのやまたのおろちとの戦いだ。原作では、やまたのおろちとの戦いの後に卑弥呼の屋敷にワープをすると、ジパングが夜になっており、激闘の時間経過を暗示する見事な演出だった。しかし本作ではこの繊細な表現が消失している。

IGN Japan 「HD-2D版『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』 - レビュー」
https://jp.ign.com/dragon-quest-iii-hd-2d-remake/77567/review/hd-2diii
2024年12月18日閲覧
※太字強調は引用者による

武器屋を使った記憶がない

私は難易度を「いばらの道だぜ」でプレイしましたし、予約特典も受け取らずにゲームを開始しました。要は一番難しいルートってことです。それなのに武器防具屋をほとんど使った記憶がありませんこれ要る?

原作では限られたゴールドを工面して武器防具を買うために「もう少し我慢するか」「戦士を優先して勇者の装備は妥協するか」「防具を買うか武器を買うか」などの悩む楽しみや新しい村へ到達する喜びを楽しむことが出来ました。
しかし本作では「キラキラ」とか「ひみつの場所」でやたらと強いアイテムがわんさかと拾えます(前々回参照)。そして消耗品も多数手に入るので、道具屋もほとんどスルーです。ていうかいのりのゆびわ拾えすぎ

また本来ならアレフガルドに行かないと手に入らないふぶきのつるぎが地上のそこらにポン起きされてるのは、買い物するのはむしろディスアドという開発からのメッセージに見えてしまうのです。

ふぶきのつるぎはFC版に限るなら、じごくのきしが1/256=0.39%の低確率でドロップするので地上でも手に入ります。SFC版ではアレフガルド到達まで入手できません。

これはゴールドを稼ぐ必要がないから戦闘をする必要性を感じなくなるという別の問題もまた引き起こしているわけですが……
実はクリア後にコレが悪質なトラップに化けるという二段構え。ネタバレになるからか指摘しているレビューは少ないのですが、やはりコレは道中の買い物は逆アドだという意味に解釈してよろしいのですかね?


雑魚戦も逆アド

前々回の戦闘システム編では、雑魚戦が数の暴力でボス戦より危険だという旨のことを書きました。これを助長しているのが敵が妨害行動を多用するという点です。
とあるボス/雑魚でそれぞれ登場するモンスターはその極地といえ、3回行動で「あまいいき(全体睡眠)」と「おたけび(全体に1ターン休み)」そして「くろいきり(敵味方全体に補助効果解除呪文を3ターン封印)」を行ってくる悪質なモンスターが登場します。どうしろと
残念なお知らせとして、おたけびには耐性が得られず無効化できるかはお祈りです。くろいきりはそもそも必中です

コイツが出現する場面は限られますが、限られる中での出現パターンは3体同時という場面もあり、合計9回の行動からこれらをなるべく引かないことを祈りつつ、また通常攻撃とブレスを凌ぐ必要があります。ブレスは呪文ではないので相手だけが一方的に有利になります。
つまり難敵なのですが、そのの部分がだいぶ運ゲー依存ということになってきます。根本的な対策は、相手に先行してラリホーを撃って行動させないことくらいしかありません。


ラリホーしか勝てん

ラリホーは本作においてあまりに強力で、また補助呪文が永続でなくなったこともラリホー最強伝説を盛り立てています。たとえばこちらのIGNレビューでは、ゲーム全体に対してフラットに、かつラリホー重視の戦闘バランスについても評価しつつ、その極端な強さを指摘しています。

このレビューでは触れられていませんが、ラリホーは48倍ダメージをコンスタントに叩き出せるヒュプノスハントの起点にもなります。買い物は逆アドの件と同様、やはりラリホーを使う以外は不正解という開発からのメッセージなのでしょうか……

ヒュプノスハントという特技は過去作にも登場しています。
しかしドラクエ9では相手にダメージを与えることで確率で目が覚める仕様だったため、迂闊にキラーピアスを装備して攻撃回数を増やせないし、そもそも当たっても倍率は2倍だけといういぶし銀な技でした。
ドラクエ11でのヒュプノスハントは本作と同じく6倍ダメージでしたが、ヒット時に必ず相手の目が覚めるうえ、攻撃力の低い短剣でしか使えないし、そもそもボスには眠りや混乱が通りにくい(完全耐性持ちも多い)ことでバランスを保っていました。
一方で毒、マヒ状態の場合に6倍ダメージを与えるタナトスハントも存在しましたが、毒はボスにも通りやすい代わりに相手の行動を阻害しないため、実質それが制約として作用していました。マヒはそもそも通りづらいですし、タナトスハントも同様に毒やマヒを確実に解除してしまうため、せっかく通ったマヒを解除すべきかどうかという取捨のジレンマが戦術判断という面白さの組み立てにつながっていました。

こうした事情を考えると、なぜタナトスハントではなくヒュプノスハントを実装したのかという点でも、やはり意図的なラリホーの誘導を起こしているように感じます。

先述のIGNの記事では「個人的にこれはバトルシステムをハックするようでおもしろかったし、戦略が多様になったともいえる」という一文がありました。しかし個人的には、戦略は眠らせる一択に絞られてしまっているため多様にはなってねぇんじゃねぇかな、と捉えています。
(先述の記事もその後に「結果として、たくさんある補助呪文がラリホーの影響で機能不全に陥っている」と続くので、もしかしたら皮肉なのかもしれませんが)

まもの狩り睡眠+ヒュプノスハントのように「これを使いなさい、これ以外はムダですよ」という形で誘導して試行錯誤というムダを省いてあげる良心的?かつ意図的な調整なのかもしれませんが……
それが「どんな形でも目標を達成すればいいです。試行錯誤してください、楽しいですから」というスタンスである「知恵のかりもの」がヒットしている2024年に合わせたモダン化調整と言っていいのかは、議論の余地があると思います。


職業の特色が薄まった?

これは捉え方によるかなと思うのですが、特技が追加され、また転職によって特技が引き継がれるようになったことで、かえって転職というシステムの持つ特色を奪ってしまったのではないかと個人的には思っています。
呪文は原作通り引き継げてもよいのですが、特技まで無条件に引き継げる必要はあったのだろうか。引き継げるのは良いとして、それを想定したバランス調整をやったのか……どうしても気になる点です。

そのバランス調整の極端な例として、すばやさで先行して会心必中を使わない限りはロクに狩れないはぐれメタルなどがありますね。


どうせ みんな いなくなる

全員が会心必中を使えることはレベル上げをするうえでは大前提とも言える状態なので、勇者がお荷物という問題がより深刻化します。魔物呼びやビーストモードなどの特技が優秀すぎる一方で、それを習得できない勇者が明らかに不利なのです。
呪文だけが転職で引き継がれる(というか特技がなかった)原作においては、ベホマズンやギガデインなどの唯一性の高い呪文を修める勇者にもある程度の役割があったのですが……

もしかしたら勇者が自分の分身だと思うと情けなくなるので他人と思わせるために前述の演出が取り入れられたのかもしれません。勇者が自分ではないと感じさせることは開発の優しさだった……?

これと類似した話として、特技を覚えるために通過するものが職業であるという感じで、職業ごとの強みがあるから最終職業にする意義があるという調整ではなくなっています。実質的に装備できるものが変わるだけなので、はやぶさのけんを装備できる盗賊か商人だけが正解になりますね。
ドラクエ9もこれに似た構成ではありましたが、それぞれの職業のレベルが維持されるために、通過する職業が特技を覚えるだけの不毛な存在ではないと思えたのではないでしょうか(似て非なるシステムだという意味)。


オルテガのイベントの不満部分

先に申し上げておきますが、ここは個人的な意趣が強くいわゆる「公式が解釈違いだ!」という感じのイチャモンに近い内容です。

オルテガの足跡を追うという追加イベントは良かったです。特に原作では謎でしかなかったオルテガの別名の件やサイモンとの絆など、旧作でのストーリーを補完する内容には力が入っており感じ入るところがありました。

アレフガルドに来たあたりからは少々風向きが変わり始めます。具体的には、先代勇者と言っても過言ではないオルテガの後悔のようなものが全面に押し出されてくるのです。そりゃあ記憶をなくして満身創痍、ただひたすらに使命感に突き動かされて……という状況で、しかもアレフガルドのあの空気に支配されれば、精神を病まないほうがおかしいとは思います。

そして偉大な父を追い、ついにたどり着いた先で巡り合うも互いの正体すらわからず、眼の前で力尽きる父をただ見送ることになる……というドラクエ3の衝撃的かつ象徴的なシーンには改変が入り、本作は条件を満たせば名乗ることができ、彼と最後の会話を交わすことができます。
ただ、その……めっちゃ喋るよね? もしかしたらベホマかければ回復したんじゃないかな。ザオリクでもいいけど……

ドラクエという作品はもともと中村光一氏に話を聞いたすぎやまこういち先生がニーベルングの指環だと直感する程度には舞台演劇を意識した作品であり、台詞回しなどもそれに準じています。ので、力尽きる間際にしゃべる余裕があるのは、それはなんというかお約束ですし、指摘するのも無粋の極みだとは思うのです。
ただ、名乗る場合も名乗らない場合も、残してきた家族に申し訳ないという悔恨を原作よりずっと強調して聞かせられます。死の間際なのにたくさん喋るという違和感を押してまでこれだけ喋らせるのは、演劇のセリフとしては逆に説明し過ぎで無粋じゃねぇかな……と思った次第です。
悪をくじき、十年以上の旅を続け、独力で大魔王の城の深部まで乗り込んだ偉大なる父にして勇者。そんな彼が家族を放りだして旅に出てしまった『放蕩者』という印象をことさらに強調されたまま退場させられるのは、ちょっと解釈違いというのもありますが……

ともあれ演出を強化する、作者の意図を伝えたいという意味では強化なのだとは思うのですが、なんでも盛りゃあいいという姿勢があるならやめてほしいな、というのはこの場面に限らず全体的に主張したい部分ではあります。
力尽き、多くを語ることが出来ない状況でも、オルテガの抱いていた強い悔恨の情は原作でも痛いほどに伝わったので。

オルテガに名乗れる選択肢が出るフラグになっているのはオルテガの兜をひかりの兜に打ち直すことだそうです。
ドラクエ1の設定へのリンクを補完する意味でも、兜を通じて人々との絆を感じさせる意味でも、非常によい演出だと思う……のですが、ラリホー・マヌーサ・ルカニ系への耐性が消えるのはちょっと……絆を消しちゃった感じがしてアレかなと……装備の効果なども演出の一環だと考えるなら、ちょっと違和感があります。デイン系強化の効果はつくとは言え。


毎回イントロが演奏される件

本作はすぎやまこういち先生の遺した楽曲とともに旅をする作品ともなりました。フィールドに出れば言わずとしれた名曲「冒険の旅」が流れるわけです。毎回イントロ付きで

毎回イントロ付きなのは、どうもこれはスマホ版から継承された仕様ではあるようです。スマホ版を継承しているなら仕方ないか……と言っていいのかなコレ。11ではあんなに効果的にイントロつきとイントロなしを印象深く演出として利用していたのに。

2014年にトヨタのCMで「冒険の旅」が使われたときも、「みんながCMを共有・共感できること」を理由としてドラクエの世界観をクルマで忠実に再現することを目指していたそうで……やはりドラクエ3のフィールド曲はイントロ無しで勇ましく流れ始めるのが本来の作風だと私は思うのです。

今作は東京都交響楽団により収録されたBGMが世界を彩ります。これはすぎやま先生が生前に自らタクトを取って収録されたものであるといいます。ただちょっと気になるのは、これが全曲とも新録であるというソースを見つけられませんでした。
要するにHD-2D版を作るにあたり、どれだけ音についてすぎやま先生からの監修が入ってるのかな、というのを私は気にしています。流す場面や扱い方という意味で、ですね。

またイントロ付きが採用されたスマホ版が配信開始されたのは、奇しくも上記のCMと同じ2014年でした。こちらも私に内情はわからないので、見当違いな指摘かもしれません。しかし、どうもすぎやま先生の意図をちゃんと汲んでるのだろうか、と思う部分があります。
オーケストラによる演奏というのは、本来指揮者によるライブ感によって演奏の表情が変わるものなのです。同じくすぎやま先生が指揮されたNHK交響楽団版(交響組曲版)では、イントロ付きでも感傷的なイメージより勇壮なイメージを保った演奏であったのは、その筋のファンに有名な話です。

個人的な趣向ではあるのですが、音楽の扱いに関しては個人的な背景によりちょっと語気を強めざるを得ない点があります。
音楽そのものの良し悪しではなく、音楽の取り扱いの雑さがないか、という意味です。


ラーミアが静止できてしまうし、そもそも遅い

当時の制作陣の「この曲を聞かせるべきだ」という思いが、FC版開発時にラーミアを他作品の飛空艇のように高速にしなかった理由だと聞いたことがあります。

すぎやまこういち先生は、飛び続ける不死鳥に対してその雄大さを表現するために、あの名曲「おおぞらをとぶ」を作曲しました。
方向キーを入れずとも動き続けることで飛んでいるという表現を強調し、FC音源でありながら下村陽子氏などゲーム関係者にも強い衝撃を与えたとされる名曲中の名曲を背景に、ひたすらに遥けき地平線の彼方へと飛び続ける不死鳥……

しかし今作は、遅すぎて逆に雄大さを削いでいるかな、と。せめて微加速の操作があっても……
また、飛翔時と着地時にカメラアングルを無理やり維持するような謎の角度での上昇と下降を引き起こす上に、その瞬間だけは異常な高速飛行なのに違和感があったり、常に着地カーソルが出てしまっていたり、そもそも着陸方式が独特だったり、でもそれ以上にやはりこの遅さなのにキー入力をサボれないというのがプレイアビリティ的にも非常によくないな、と。

画の美しさと音楽は申し分ない
なおカーソルはガイドオフにしても消せない模様

「サボれない」と言っても別に怠慢をしたいというのではなく、前述のFC版のようにひたすらに地平線の向こうへ向かって飛び続けるラーミアの雄大な姿と美しい世界の様子をオーケストラで演奏されるあの名曲とともに手を止めてずっと眺めていたいという欲求は、HD-2D版を購入する動機として十分だと考える人もいるくらいの体験だったのでは……と思うのです。
本作以外でラーミアに連なる系譜では静止しないのが普通であったわけですし、それを期待しても罰は当たらないと思うのです。

まぁ色々書きましたが、プレイしてて単純にストレスが溜まるってのはあります。移動を速くして、キー入力やトリガーで大幅に減速するっていうのくらいはあってよかったと思うのですけれどね。


単純に現代のゲームとして

前項までは原作プレイ勢としての賛否両論ありそうなことを書きました。ここからは、現代のゲームとしてコレはどうなんだという面を書いていきます。こちらは単純に改善要望だという意味です。
スクエニのアンケートにも「ストレスを感じた部分を書いてください」とありましたし……

収集要素が取りこぼしを許容しない

本作にもSFC版から引き続き、収集要素であるちいさなメダルが存在します。枚数もSFCと同じく110枚です。が、最高枚数の景品が110枚集めたときのそうてんのトーガという点が最大の違いです。

ビキニのグラフィックのがっかり感も不満ではあるのだけれど

SFC版では100枚が最高の景品(ゴールドパス)でした。つまり、SFC版では10枚の取りこぼしが許容されていた一方、HD-2D版では一枚も取りこぼすことが許されません
……せめて最高級の景品が記念品的なモノならよかったのですが、そうてんのトーガはあのひかりのドレスを上回る防御力と耐性を誇り男性も装備できるという最強装備です。

ちいさなメダルをマップ上で探すには、レミラーマを覚えてからマップを歩き回れば良いのです、が……レミラーマや「とうぞくのはな」は、別マップには一切反応しません。どういうことかというと、すべてのひみつの場所に一度訪れたかどうか、チェックを見落としていないかを足の遅いラーミアでひたすらに虱潰しする作業が始まります。
またラーミアを得たとしても海上のひみつの場所は船でないと訪れることができません。

他の探索要素である保護モンスター探しも似たような問題を抱えています。全モンスターを集めたときに実用品をもらえるほか、そもそも魔物呼びの威力が上がるからです。
保護モンスターを検知する「やせいのかん」が隣接マップ(「フィールドからひみつの場所」や「フィールドからダンジョン内」も含む)くらいまでは感知してくれるので幾分マシなのですが、一方で魔物使いが居ないと逃げるという要素のために二度手間を強いられたり、快適性のためにはパーティに魔物使いを入れざるを得ないという設計になっています。

まぁ保護モンスター自体はかわいらしさがあって好きなんですけどね

……と書いていて気がついたのですが、「とうぞくのはな」も「やせいのかん」と同様に隣接マップくらい検知してくれれば理不尽度がもうちょっと下がったのでは?
いや、だからといってけして保護モンスター集めが理不尽ではなかったとは言いませんが……

保護モンスターに関しては、ラーの鏡をゲットしてからでないと保護できないモンスターもかなりの数がいる一方で、ひみつの場所などで先に見つけておいて「思い出」に保存しておいても、その場所がシステム的にどこだかわからなくなるという不便な仕様もありました(「その他の場所」とまとめられてしまう)。
よりによって広い海の上で起きるので、なかなか悲しかったですね……


カンダタの声が一定でない

先に申しておきますが、これは声優さんの演技を指摘する内容ではありません

いわゆる「あらくれ」タイプにあたるカンダタですが、本作ではボイスが設定されました。正直思ったより高い声で甲高カンダカいし、どちらかというと三下サンシタ感が強調されているのかなと。

初登場時にはちょっとつよそう感を醸し出すあたり、声優さんの名演が光る

そのキャラ付け自体は賛否あると思うのですが、アレフガルドで彼と会ったときに、ボイスありで喋るイベント後に話しかけるとNPCとしてボイス無しで喋る、というのが連続する場面があります。
このとき、カンダタがボイス外でNPCとしてポポポ音を発するのですが、この音はあらくれ系を反映してかかなりの低音で鳴らされています。

要は同じ場面で同じキャラがまったく違う音域で喋られる状態になり、戸惑いを感じてしまうのです。

ポポポ音というのは、ドラクエでボイス無しで誰かが喋るときに、メッセージウインドウの文字とともにテレレレレとかポポポポポとか流れるあの音のことです。
お若い方には「あの妙な音ってボイスの代わりだったの?!」と驚かれるかもしれませんが、ファミコン時代にきちんとしたボイスなんてありませんからね。我々にはアレがキャラクターボイスなんです
だというなら、せめてキャストや演技に合わせてピロピロ音の音域くらい合わせてほしかった。ちょっと仕事が雑だと私は思いました。これは演じてくださる声優さんにも誠実ではないと思うのです。

だいぶ強い言葉の非難として「雑」という言葉を持ち出していますが、次項の戦闘バランスなどについても一言で表すと雑であり、本作における嬉しくないキーワードであると思っています。


テンポが致命的に悪い

こういう部分の音響が雑に感じる一方で、SE(というよりジングル。ファンファーレなどの短い楽曲)はとても大切にされています。流れている間は一切スキップやページ送りができません

様々な改変も、時間のない現代人に合わせた大胆な改変なのかなと思うと、なるほどと思う部分はあります。
しかし資金調達のためにバトルロードを周回しようとすると毎回ファンファーレとともに踊る人たちを見せつけられてスキップ不可であったり、レベルアップの際にはあの有名な音が流れ終わってから一拍くらい置かないと画面が進みません
初めてのレベルアップの際におかしいなと思いつつボタン連打してしまった人は私だけではないはずです。

ランクが上がるほどお祝いが派手になるので、拘束時間も増える。
有名人はつらいよ、ということ……?

また、非売品や手に入れにくいアイテムを手に入れたときにもジングルが鳴るのですが、今作ではその手のアイテムがやたらと落ちていて入手回数が多くなっています。先ほどのいのりのゆびわ拾えすぎの件ですね。
やたら拾えるのに、毎回ジングルで数秒ずつ静止を余儀なくされます。もちろん飛ばせません。これジングル鳴らす意味あった?

実はこのジングル飛ばせない仕様は、SFC版あたりから引き継がれている仕様だったりします。が、当時は内蔵音源による演奏だったのに対し、本作では楽曲がフルオーケストラで展開されます。オーケストラ音源はホール録音で残響が長いのです。
その長い残響までも含めて楽曲であると言われればその通りなのですが、一般的な環境でプレイしていると無音にも聞こえかねない時間まで清聴を余儀なくされるわけですね。

またSFC版では上記のようなウェイト(待ち)がある一方で、レベルアップ音でテンポが悪くなるということを予期して、レベルアップ時のパラメータ表示を極めて簡素にしていました。ボタン連打なら待ち時間を気にすることもなくページ送りをできる程度に。
しかしHD-2D版ではレベルアップ時のパラメータ表示をテレレレレレって感じで左上から右下まで1文字ずつタイプライター式に表示するため、無駄に待ち時間が伸びています

【スーパーファミコン版】
これだけの内容が1フレームで表示終了。
ファンファーレ待ちもかなり短い。
【HD-2D版】
ファンファーレが鳴り終わったあとに、さらに
左上から右下まで数字がテレレレレと展開する演出が入り飛ばせない


SFC版的にパッと表示されるだけだと粗末なのでトランジションをつけた、という主張なのはわかります。しかしなんでも盛りゃあいいという姿勢があるならやめてほしいな、というのはこの場面に限らず全体的に主張したい部分ではあります(本日2回目)。

ちなみに、ジングル時に飛ばせない仕様はSFC版ドラクエ3に限った話ではなく、直近のドラクエ11などでも同様の場面がありました。それは仲間が加入する際の「仲間(出会い)」の曲が流れる場面です。
その代わり、(11sの3Dモードであれば)3Dキャラが棒立ちするだけという違和感や間延び感がないよう、途中でキャラがアクションしたり微笑んでくれたりの変化を入れることで印象的なシーンへと昇華しています。
11ではあんなに印象的に演出されていたことなのに(本日2回目)

11sの場合にはアクションとともに、ちょっとしたボイスも入る

なお、現代の環境に合わせるというならSwitchを携帯モードにして無音でプレイすることもあるハズです。というか本作の元になったスマホ版あたりはほぼ間違いなくそうやってプレイされていたはずです。
そうした音無しプレイの場合は、SEが鳴っているんだろうなと察しながら数秒間の虚無を受け入れるしかありません。
「それを聴かないなんてとんでもない!」という話なのかもですが……

なお、ここではジングルに絡む部分だけ言及しましたが、他にも本作には「なんでそこスキップできないの?」みたいな部分や、細かく積み重ねになる待ち時間やテンポの悪さがポツポツとあります。最大のものは戦闘スピードの「超はやい」がぜんぜん超はやくないことだと思いますが。
これを超はやいと称するくらいなら、思い切ってFC版のようなエフェクトなしというオプションを導入してもよかったのでは……?


ルーラとリレミト

ルーラが非常に快適になりました
これについての賛否はいろいろとリリース前から議論されていたのでいまさら掘り返さないのですが、唱えるたびに4人が一箇所にわーっと集合する演出って本当に必要でしたかね? FC版なんかそのままふわっと飛んでいきましたし、テンポを削ぐ演出だと思うんですが……

ところでルーラが非常に快適になったと書きましたが、ドラクエ11sではルーラはすでにこの仕様になっていたのをご存知でしょうか。ドラクエ3ではそれを踏襲して採用したわけですね。
しかし一方で、ドラクエ11にもきちんとリレミトは登場していました。

11においてルーラは街や洞窟の外にしか出られない一方で、リレミトは現在いる洞窟などの入口まで即座に戻る(外には出ない)という形での使い分けを想定されていました。これは大した違いに見えないかもしれませんが、3D作品であり外に出るとロードが挟まるという関係上でも、使い分けにある程度の意味がありました。リレミトの演出も短かったですしね。

リレミトってそんな呪文だっけ……

ところが今作では、ルーラが外にも内にも飛べるようになったので意味があまりなくなりました。それどころかリレミトは外にしか出られないので必ずロードを挟むようになりました
もっというと、謎のゲートがゆっくり開く飛ばせない演出もあるので、使うメリットがまったくなくなってしまいました。これ要る?
リレミトを残すのを優先するなら、ルーラの仕様変更と同様にリレミトもそのフロアの階段まで戻るくらいの呪文にしてよかった気がします。FF4のテレポとデジョンみたいな感じで。

……実際にプレイするまでは、ルーラの仕様について11sを思い出して兎や角言うつもりはなかったんですが……リレミトがこうだと、ちょっといろいろ思うところがあります。
ルーラの飛び先がデフォルトで街の中なのは、広大なフィールドを読み込むとロードが重いので狭い街の中を読み込むようにして誤魔化すためだと邪推できるので、まぁ仕方ないかと思う部分はあるのですが……もっと区切ってロードするように実装すれば待ち時間短くなった気がするけどどうかなぁ


その他

クリア後要素の追加ダンジョンについてはどうしてこんな意地悪するのという気持ちが非常に大きいです。
戦闘バランスが大味なので「誰にでもわかりやすい高難易度を形にする」とあの箱になるんだろうなという推測はできるんですが、ボス戦で負けても直前からやり直せるという仕様は実は戦闘が運ゲーなのをバレないようにするためなのではないかと、思わず邪推したくなってしまいます。
まぁそもそも、そこにたどり着くために正攻法では特定の職業を強いられるというのも……私はすべて逃げて山彦バシルーラで。

なおこの記事を注意深く読んだ方は、「ゴールドが必要ないとか書かれていたはずなのに金策が必要」という矛盾した記述を目にしたかと思います。それもすべて追加ダンジョンでの嫌がらせのためです。
特にとあるアイテムについて、なんの警告もないし使っちゃうと……うーん、いちおう伏せておきますか。

また、そもそも全体的に移動速度が遅い割にはマップがムダに広いため、街や城などで目的地にたどり着くのが大変だとか、そういうのもありますかね。ここは感じ方に個人差があると思いますが。
ルーラが街中だと毎回同じ入口にしか飛んでくれないし、一度街の外へ出てグルっと回って入り直すのはロード時間的にも、フィールドでの足の遅さ的にもあまり効果的ではありませんし、せめてルーラの場合は街の真ん中に降り立ってくれればなぁと思うことはありました。


終わりに

今年のうちにモヤモヤ感を文章に、というコンセプトで書きましたが、思ったよりモヤモヤがあったので今年ギリギリになってしまいました。まぁ間に合ったからヨシ!ということで。

HD-2Dと称してドット絵を採用するのは、ドット絵の力を使って想像の余地を残すことにこそ意味があると私は思っています。元来、ドット絵表現というのはデフォルメであり、隙間を埋める描写とは相性が悪いのです。
さじ加減ひとつで演出が過剰になったりテンポの悪さを引き起こしたりしてしまうからこそ、雑に盛るなと何回か書いたところもあります。

「本作の販売にあたったパブリッシャー及び開発が本作をどのような位置づけの作品であり誰に向けた作品なのか理解しないまま進行したために様々な軋轢を生んだのがこの結果なのだ」

前回書いた、この文章が私にとってのこの作品の結論だと思います。ネタバレを禁止していたのに公式がゾーマ様の配信とかお出しするあたりもそれを象徴している気がします。
またHD-2Dを「DSのゲームと同じことを今やれば儲けられるな」みたいな安易な打ち出の小槌と捉えて本作を作っていないか。
そうした目を思わず向けざるを得ないのは、ドラクエチームおよびFFチームのこれまでの実績やらかしに対する不信感があるのは言うまでもありません。ピクセルリマスター版とかな

堀井雄二氏がドラクエ1・2および、すぎやまこういち先生と鳥山明先生の遺作であるドラクエ12へ繋がる道として提示したドラクエ3。

その本作が、きちんとそうした意識のもとで作られたのかどうか
気になるところです。


いいなと思ったら応援しよう!