プロゲーミングチームはちゃんと葬式をやれ

『シャドウバース』のプロリーグにも参加していたチームである、GxGが突如爆発した。実質的な解散と言っていい。昔チームに旧友の乗浜健(=ちゃみ)がいた関係で、僕も一度番組に呼ばれてお世話になったことがあった。

この一報の見方はいくつかあると思う。『シャドウバース』の衰退と見たい人もいれば、プロリーグの衰退と見たい人もいるし、先の『ハースストーン』の競技シーンの縮小と合わせてDCG競技シーンの衰退と見ることもできるし、esportsに投資した大手企業が引き上げていくのを総合して、esports不況の一環として見ることもできる。あるいは、プロリーグに入ったNORTHEPTIONの勢いを感じとるということもできる。

こういうニュースは各々が各々の好きな目線で消化されるものなので、別にどの視線が正しいということもない。各々が好きに解釈して好き放題喋ればいいと思う。それがインターネットだ。そこで僕は今回、これを受けて「葬式をやれ」ということを書いてみたいと思う。

プロゲーミングチームはちゃんと葬式をやれ

GxGにすごく熱量の高いファンがいたことは、僕が当時乗浜健と喋っていてもすごく感じたことだ。当時『シャドウバース』なんか一切やってなかったし、そういった情報を追っていないにも関わらず、選手達のファンアートや所謂「推し活」をよく見かけた。これはGxGがそれだけファンの多いチームであったということだし、GxGという箱が強かったということだ。実際『シャドウバース』のプロリーグの中でも稀有な人気を誇っていたと聞く。そのうえで実力も十二分に高いチームだった。

GxGが何故解散したのか知る由はない。僕は単に大手企業がesportsへの投資に見切りをつけ始めているのだとなんとなく捉えているけれど、実際のところはどうかわからない。おじいちゃん役員がシャドウバースのカード調整で嫌な気持ちになったのかもしれないし、深刻な内部問題があったのかもしれない。

何もわからないのは熱量を持ったファンにとっても同じだ。ファンの目線からすれば自分達が真剣応援してきた存在が、理由もよくわからずに突如として雲散霧消した。4年近く応援してきたそれが、何の予告もなしに突然消え去るのは、結構恐ろしいことだ。

何故改めて僕がそんなことを考えたかというと、この発表後に、ファンの人の配信が僕の目にたまたま入ったからだ。それはもうものすごい悲しみようだった。本人には一切責任がないにも関わらず、自分が全力で応援していたのにこういう結果になってしまった己の無力さに絶望していたし、Twitterに貼られた一枚の画像で納得できるわけがないと憤怒もしていた。コメント欄にも、チームの運営に対する恨みの籠った言に溢れていて、呪詛のようになっていた。至極当然だと思う。好きになり、応援よろしくお願いしますと言われ、グッズを買い、イベントに行き、試合を見、このチームは推せるのだとそれだけ入れ込んでいたものが、たった一枚の画像ファイルで突然終わってしまったのだ。

僕は普通の人よりもプロゲーマーやプロゲーミングチームに近い立場だと思うし、ゲームで金が稼げるようになりはじめた頃からずっとその様子を見ているので、今のプロゲーミングチーム的なものの多くがどれだけ不安定なもので、どれだけの綱渡りを通して成立しているのかもわかる。だから急に消えても不思議ではないし、多くを期待してしまうのは危ういとわかっている。でもそんなことを表立って言う人間はもはやいないし、何よりファンには一切関係がないことだ。応援してくれとさんざん選手に言わせておきながら、その終わり方が画像一枚では、やっていられるわけがない。これには当然怒っていいと思う。

いきなり終わらせる方の都合もわからなくもない。色んな理由で続けられないと判断したものを無理に続けることはできない。チーム運営は慈善事業ではないからだ。実に商業的な判断をするなら、突如終了を発表したとてTwitter社会は三日でそのことを忘れ、次の話題で盛り上がっている。だから、一介のプロチームが解散したことで受ける社会的風評は無いに等しいと考えて、即終了すべきだという判断もできる。

ただ、ファンの人の配信を見て僕は思い直した。プロチームを終わらせることは仕方ないことだとしても、「葬式」は必要だと。真摯な説明と、今まで応援してくれたファンへの感謝を述べる機会、同時にファンの人が選手に感謝を述べる機会があってはじめて、納得はできずとも、終わりに向き合うことができ、次に向かうことができるのではないかと思った。人が死んだとき何故葬式が行われるのかと言えば、生き残った人達の心の整理をつけるための儀式として、それが必要なものだからだ。

長年付き添ってきたそれが「終わりました」という報告だけで、人間は納得できるようにできていないと思う。それは影響力の大小ではない。フォロワーが100万人の人が死んだら葬式をしなければならないが、フォロワー1万人のなら死体を不法投棄していいとか、そんなことはない。そんなことはないが、そういうことはまかり通っている。どんな人間であれ、チームであれ、終わるには儀式が必要だと思う。箱を作って人間関係をコンテンツとして提供しているなら、特にだ。これからも何かしらで活動するなら、仮に面倒くさくても、多くの人にとって意味がないとしても、葬式はしなければいけないのではないか。

すごくあこぎな言い方をすれば、こんな簡単に組織としてファンに対してポイントを稼げる瞬間があるのに、やらないのは損だと思う。ここだけでも抑えておけば良いチームだったねと良い印象をもってもらえるのだとしたら、力の入れどころでしかない。チームはどうしてもスポンサーと選手の方に目を向けがちだけれど、選手が持つファンに目を向けることを忘れてはいけないと思う。

本当にeスポーツ的なものを、ゲーム的なものをビジネスにするなら、ファンへの誠意は欠かすべきではない。サービス終了が決まっているゲームの公式大会を開き、なおもしばらくの間遊ばせ続けた愚かなゲームがあったとしたら、それは本当に英断だし、正しかった。そうしてプレイヤー達は気持ちに区切りをつけることができたからだ。

「こういうことがあるならもうどのチームも安心して応援できない」という言葉を見て、まったくその通りだと思った。これから先eスポーツチームや選手が応援される土壌を作りたいと考えているのなら、「この存在は真剣に応援してもいいのだ」という安心感を与えることは何より重要なことだと思う。それは勿論長く活動を続けていくことが一番良いけれど、場合によってはちゃんと葬式をやってやるというのも、一つの正しい道だと思っている。


余談

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