離婚します。
7/30(木) 14時ごろ
スマホに着信がきた。旦那からだった。
仕事中だった私は、軽く電話してきますと伝えて席を立った。
もしもし、と電話に出た。
旦那はひどく落ち込んだような声だった。
旦那からの着信は基本的にいいことがない。
今までだって、お金が足りないとか、何かやらかしてきた時はいつも電話だった。
「あのさ……」
旦那は決心したように話し出す。
嫌な予感しかしない。早く電話を切って普段通りに仕事がしたかった。
「職場で知り合ったお客さんがさ、金貸しやってて」
「俺、軽い気持ちでそこから10万借りたんだ」
まず職場で知り合って金貸してるとか言ってるやつ簡単に信用するなよ。
突っ込みたい衝動を抑えて、私は「うん」とだけ答えた。
「でもそこ、闇金だったみたいで」
「金利が1週間3割で…」
「利息だけ返してたんだけど、全然回らなくて…」
……………???
金利が週3割???
基本的に闇金とか消費者金融とか、私には縁がない。
知ってるのは闇金ウシジマくんとかで軽く聞いたことのある"トイチ"という言葉だけである。
"トイチ"…って、10日で1割の金利だよね。
それで相当ふんだくってるという話だったけど、週3割???
そもそも話がぶっ飛びすぎて突っ込む余裕すらなかった。
頭の中で闇金という言葉がグルグル回っていて、この時点で何も考えることができなかった。
でも、10万借りて利息だけ払ってたら、いっても20万?30万?
そもそもそんな無茶な金利、支払いの義務ないんじゃないか?
「……いくら?」
私は聞いた。
出せる額ならいいと願っていた。
でも、私の思いとは裏腹に、闇金の怖さと衝撃の事実を告げられる。
「……いくら?」
私が聞くと、旦那は言いにくそうにこう言った。
「70万」
70万………。
なんとも言えないリアルな数字。
旦那は10万借りたはずなのに7倍にも請求額が膨れ上がっていた。
うちには貯金がない。
2年半前に旦那が消費者金融から100万円借金し、債務整理を勝手にしていた。
そのせいで、旦那の給料は1年半差し押さえが続いた。
生活はすごくキツかった。1年半地獄だった。鬱にもなった。
その差し押さえが終わったのが、約1年前。
この1年間でやっとの思いで貯められた貯金は35万しかなかった。
そもそも旦那からは月5万円しかもらっていない。
そんな状況でよくこれだけ貯められたもんだと感心して欲しいぐらいだ。
1年間で徐々に良くなってきたものが、一瞬で壊れた。
「……無理だよ。」
私は言った。
だって、どう考えても無理だった。貯金は35万しかない。
しかし、現実はなかなか上手くいかない。
私は旦那から衝撃の事実を告げられる。
「いつまで…?」私は聞いた。
「"月曜日"」
そう旦那は答えた。
月曜日……今日は30日の木曜日。
あと3日間で70万?どうやって…?
「無理だよ…」
私は答えた。
それ以外の答えが見当たらなかった。
何も考えたくない。
何も考えられない。
なのに、どんどん涙が溢れてきた。
「ごめん」と旦那は言った。
「無理だよ……今まで何度も何度も似たようなことやってきて……。」
「私は何もできない。もうこれ以上助けられない。子供ができて、差し押さえも終わって、それでまた!!」
「使ったらいけないお金、借りたらいけないお金すらもわからないの!?もう逮捕でもなんでもされたらいいよ。私はもう知らない。」
「次からちゃんとするから」と旦那は言った。
「それもう何度も聞いたよ…。今までちゃんとしてきたことってある?もう信用できないんだよ、その言葉。」
そう言ったら、旦那は黙った。
私はただただ、泣くことしかできなかった。
「頼む…」と旦那は言った。
頼まれてもどうしようもない。
でも、どうにかするしかなかった。
「少し考える」そう言って電話を切った。
その日は木曜日、仕事中だった。
顔はもうボロボロ。仕事する気も起きなかった。
1時間ぐらい電話していただろうか。私はぐちゃぐちゃになった顔のまま、仕事場に戻った。
席に戻ってすぐに上司に「少し休ませてください」と言った。
泣き顔とかすれたような声に上司はギョっとして、すぐに医務室に連れていってくれた。
少し、状況を整理した。
旦那は闇金に10万円お金を借りた。それがいつの出来事なのかはわからない。
既に70万円返した。闇金に返済の義務はないが、返してしまったお金は基本的に戻ってこない。
今、私が出せるお金は35万。残りの35万はどうにかしなければいけない。
私がどこかに、誰かに、お金を借りなければいけない。
すぐに信頼している友達に電話をした。
誰か助けてほしい。この状況を打破して欲しい。そんな気持ちでいっぱいだった。
友人から折り返し電話がきて、私は泣きながら状況を話した。
「うん。それは別れた方がいいよ。」
「闇金からお金を借りるなんて、正気じゃないよ。病気だよ。」
正論だった。
私も感じていたことをそのまま伝えてくれた。
電話を終えて、少し整理ができた。
まず、お金はなんとかしよう。
これは旦那のためじゃなく、息子のため。このままズルズル闇金と付き合いがあったら、私達にも危害が加わるかもしれない。息子が可哀想だ。
そして、お金を返してもらうために借用書を作る。でも、ただの借用書だと踏み倒されておしまいだ。
前に消費者金融にされたように、旦那の給料を差し押さえして返済してもらうようにしてもらわなければ。
そして、借金やヤクザから私と息子を守るために、離婚しよう。
私はすぐに動き出した。
まずは借用書。あんまり馴染みがないものだったから、法的にお金を取れる手段がよくわからない。
Twitterのみんなに力を借りることにした。あっという間に情報が集まってくれた。
みんな何でそんなに詳しいかわからないけど、本当にありがたかった。
1人、とても詳しい人がDMしてくれて、とても信頼できる方だったので事情を説明した。
その人はとっても詳しくて、金銭消費貸借契約書(付け焼き刃の知識なので名前がうろ覚えだった)や、離婚協議書の作り方を教えてくれた。
次にお金。
残りの35万どうしようか…。
友人はどうしても用意できないなら貸すよと言ってくれたけど、うちの家庭の問題だし、
返すのにもとても時間がかかる。もしかしたら返せないかもしれない。
そうなると、頼りにできるのはやっぱり親しかいなかった。
私は母親に連絡した。旦那がこんな状況で連絡してきたこと。離婚を条件にお金を貸すことを伝えた。
「これで終わりになるんなら、いいよ。」
と、母親はあっさりOKしてくれた。
私と母親で半分ずつ負担することにした。
大体方針は固まった。
まさか普通の日常が旦那からの一本の電話で一変するとは思わなかった。
離婚……
これまでお金にだらしない旦那を支えてきて、沢山の人に祝福されて結婚したのに、別れちゃうんだ…
でももうこれ以上は無理だ……
今までずっと親にも友人にも早く別れなよと言われてきた。
私は旦那が好きだった。ずっと幸せな家庭を作れると思ってた。嬉しいこと、楽しいこと、いつか共有できると思っていた。
でも、やっぱり旦那は変わらなかった。
結婚しても、子供が生まれても、何も変わってくれなかった。
モヤモヤした気分で、その日は眠った。
7/31(金)
朝。
いつもとちょっと違う朝。
子供を起こす前に、旦那にLINEをした。
昨日、決めたことを旦那に話さなければいけない。
「お金は用意できるけど条件がある」
私はそれだけメッセージを残し、子供を見送って、出勤をした。
朝一番に上司に挨拶を済ませ、昨日の件で少しお話が…と言ったら、人のいないところに移動してくれた。
昨日起こったことを全て話した。
上司は所々に驚きつつ、悲しそうな顔で話を聞いてくれた。
とにかく時間がなく、心の余裕のないことも理解してくれて、この日は公正証書(に提出するための書類)の作成のため、半休にしてもらった。
席に戻ってすぐ、旦那から返信がきていた。
「条件ってなに?」
「①公正証書を作成してお金の返済を義務化すること、②離婚すること」
こう返した。少し指が震えた。朝から胃も痛かった。
私が返してすぐ、旦那からの返信がきた。
「分かった」
そう一言だけ返ってきた。
あぁ、そういうもんなんだな…。
自分が今抱えてる問題を解決できれば、離婚なんてどうってことないのか。
それとも、お金を用意してもらうこと以外に贅沢なんか言えないと、条件を飲むしかないと思っていたのか。
旦那の心境が分からなかった。
私は平静を装ったフリをした。
「じゃあ今日、同意書にサインをしてもらうから。仕事が終わったらうちに来て。
お金は振り込み限度額があるから、2回に分けて送金します。」
旦那はわかった、と言い、そのあとに口座の情報を淡々と伝えてきた。
そこから先、仕事はあまり手につかなった。
予定通り、半休で帰った。
帰りに銀行に寄って、まず自分が貯金していた35万を旦那に振り込んだ。
帰った後は、金銭消費貸借契約書と離婚協議書の作成をした。
付け焼刃みたいな知識だったけど、なんとか作成できた。
きっと色々とお金もかかるだろうから、9月からの返済にしたり、それなりに旦那にも気を遣った。
借金70万と養育費だと毎月払うのは大変だと思ったので、70万は2年返済で年利5%にした。
夜、今から行くと旦那から連絡があった。
父親は飲みに行っていたし、母親に事情を説明し、息子と別部屋に行ってもらった。
母親は「こんな状況で家に来るなんて図太い神経してるよな」と言っていた。
それから約20分後、旦那の車の音。
多分2か月ぶりぐらいに旦那に会った。
私は旦那から目をそらして、書類を用意する。
「まず、これが70万の借用書。こっちが離婚協議書…」
そこからはひたすら説明した。
毎月いくら返済して、返済しなかったらどうなるかも説明した。
旦那は何も反論してこない。ただ、うん、うん、とだけ頷いていた。
「じゃあ、内容に同意してくれるならここに印を押して。印鑑ないから拇印でいいよ」
「わかった」
旦那は素直に従った。名前と拇印を押して、割り印と捨て印まで全部押した。
「これを公証役場に2人で持っていかなきゃいけないから、明日シフトの休みを教えて」
わかった、と旦那は言って帰っていった。
終わった後は、虚無だった。
こんなにあっさり婚姻関係が終わるのか。実感が湧かなかった。
母親と息子のいる部屋に行って、寝る、とだけ伝えた。
「泣いてないんだね」と母親は言った。
「これで終わってスッキリするでしょ」
私は強がってそう言った。
本当は、とても悲しかった。
ずっとずっと、普通の家庭でいいから、幸せに暮らしたいと。
そのためなら、いばらの道を歩んでもいいと、旦那のために沢山手を尽くしてきた。
旦那が何かやらかしても、親に早く別れなと言われても、ずっと守ってきた。
それが私が離婚したいと言ったら、旦那は何も反論しなかった。
本当は、少しぐらい情熱的な言葉で、私と息子が好きで大切だから、一緒にいたいなんて言ってくることを期待したりした。
全くそんな言葉はなかった。
私の今まで守ってきたものは一体何だったんだろうか。
8/1(土)
借用書の通り、残りの35万を母親から借り受けて、旦那に振り込んだ。
土曜日だったから振り込みは月曜日になる、とだけ旦那に連絡した。
8/3(月)
また仕事が始まる。
お金入ってたよ、ありがとうと旦那から連絡が来た。
少し席を外して戻ってきたら、私のスマホに見慣れない携帯番号から着信があった。
基本的に知らない番号は検索する癖がある。
誰だろう…Googleに番号をぽちぽち入力して検索結果を見る。
闇金の電話番号だった。
闇金対策みたいなサイトにバッチリ同じ番号が出てきた。
おそらく偽名だけど、ニシカワという名前まで出てきた。
なんで闇金が私の番号を知っているのか。旦那は闇金に全額返したんじゃなかったのか。
すぐに旦那に連絡をした。
「旦那のお金借りた人って、ニシカワさん?」
すぐに着信があった。
仕事中ということもあり、LINEにしてくれと伝えた。
「そうだよ」と旦那はLINEで答えた。
まだ借金が残っているといういちゃもんを付けられて、揉めていたらしい。
私の番号はどこから漏れたのか、まさか保証人にしていないだろうかも聞いた。
もちろんそれはやっていない、と旦那は言った。
とにかく電話には出ないでくれ。今司法書士に相談してる。と言われた。
どうやら借金完済したにも関わらず、まだ金利が残っているなどで催促をするのは闇金の常套手段らしい。
その日の午後には司法書士と契約して、もう闇金との縁は完全に切れたよ、と連絡がきた。
電話に出なかったこと、検索して闇金の番号だと判明したことは不幸中の幸いだった。
ヤクザってこえぇ……
旦那はそんな相手からお金を受け取っていたのかと思うと、身震いした。
かなりトラウマになった。
8/5(水)
今日も仕事。
仕事と言っても、全然仕事をしていない。
していないというか、できない。何も手がつかない状態だった。
胃が痛い。
精神的にどんどん弱っていくのを感じる。
もし旦那がお金を返してくれなかったらどうしよう。
もし仕事を辞めたり、私と連絡がつかなくなっても差し押さえできるのだろうか。
もし、旦那が死んだら…?
悪いことしか考えられなかった。
8/6(木)
体調は最悪だった。
胃が痛い。ずっと下痢続きだった。
仕事していると悪いことしか考えられなくなって、まったく仕事に手がつかなった。
お金の心配、息子の心配、離婚の心配……
耐えきれなくなって、上司にまだ作らなきゃいけない書類がある、なんて適当なことを言って、
その日は半休にしてもらい、次の日はお休みをもらった。
8/7(金)
猫と一緒に遊んで、アニメを見て、普段は行けない息子のお迎えに行った。
それから、役場に行って、戸籍謄本と離婚届をもらってきた。
公正役場の予約をお盆の前にと思って電話をした。
18日が旦那が休みだったので、18日の午前中に予約を取った。
私と子供が生きていくためのお金を稼がないといけないと頭を捻らせた。
なるべく今来ていた外注のお仕事は受けようと色んなところに返事をした。
胃の痛みだけは消えなかった。
8/8(土)
この日は仮想通貨の友達とバーベキューをした。
少し今の事情を話した。
酔っ払いはあんまりしっかり話を聞いてくれなかったけど。
でも一日遊んで、少し気分が晴れた気がした。
8/10(月)
お盆だけど仕事。祝日だけど仕事。
それだけで気分は憂鬱になる。
上司に挨拶をして、席に座る。
異変はすぐに現れた。
何も考えてないのに、とにかく涙が出てきた。
なんで?なんで?
何度もトイレに行って、涙を拭いたんだけど、また席に戻ると涙が出てくる。
身体的にも精神的にもかなり限界だった。
デスクに向かおうとすると、涙でモニターが全く見えなかった。
お昼に上司に相談して、早退させてもらうことになった。
8/11~13
11日も仕事して、12日だけ休んで、13日も仕事をした。
やっぱり仕事していると涙が出てきた。
お盆で人数も少なかったので、なんとか頑張った。
8/14(金)
この日は特に人員が少なかった。
休むことも早退することもできない日だった。
今日を乗り越えたら休みだ、そう思って午前中はたくさん仕事をした。
…お昼までは。
お昼ごはん。
カップ麺にお湯を入れて待っている時、1件のLINEが届いた。
旦那からだった。
「今電話できるか?」
カップ麺が伸びちゃうから、食べ終わったらできるよ。と返した。
また電話か…。
旦那からの電話はいい経験がない。
何の用事だろうと、カップ麺を食べている間に考えていた。
生活費が足りないのかな?
離婚協議書に不服でもあったかな?
もしかしたら、やっぱり離婚したくないっていう電話?いやでも…決めたことだし…
なんて、色んなことを予測した。
その予測は、悪い意味で裏切られた。
電話に出た旦那は、少し憑き物が取れたような明るめの、ちょっとヘラヘラしたような声だった。
旦那はそんな軽めの声で、とんでもないことを言い出した。
「あのさ、ちょっと返すお金の計算が間違ってたんだ…」
…
……
………?????
言ってる意味がよくわからなかった。
本当はもっと借りていたらしい。
「……いくら?」
そう私は聞いた。
この際だからたくさんお金を借りてやろうとか、そういう魂胆なのではないか。
足りないって数万ぐらいかな。そんな大きな計算間違いはしないでしょう。
そんな予想を旦那は見事に裏切ってくる。
「30万」
--死体蹴りだ。
もう泣く気力もなかった。
どうしてこんな計算間違いしたかなど質問したけど、あまり耳に入ってこなかった。
「消費者金融にも相談したんだけど、やっぱり無理で…」
そりゃそうだ。債務整理をして1年前にやっと返済できたので、まず信用は回復してないだろう。
私は少し考えて、深く深呼吸して、これだけ伝えた。
「まずどこかに借りようとしない。自分の力で稼ぎなさいよ。今の時代、やろうと思えば自分で稼げる。」
この言葉が旦那にどれだけ響いたかわからない。
でも、私は現状を打破しようと思って、自分から副業を始めたことを旦那も知っていたから。
どこかに借りて、すぐに責任から逃げようとする旦那に、自分が忠告できる最後の言葉だった。
そこから先は、少し交渉をした。
この日は旦那の給料日。
どれだけの収入があって、どれだけの出費があって、どのぐらい残るのかをざっくり計算した。
食費に3万、ガソリン代に1万、家賃光熱費5万、元嫁への養育費3万……
「この前ヤクザを追い払ってもらった司法書士、あれ実は分割で払う約束してて…」
と旦那に言われた。
ヤクザに一言電話するだけで5万ぐらい取るとかいい職業してんな司法書士。
助けてもらったのであまり文句は言えないけど…。
そんなこんなで、うちへの養育費は今月はいいから、10万は自分でなんとかしろと言った。
旦那は自分が負担することに不満そうな声をしていた。そこまでして私を苦しめたいのか。
そもそも元嫁の養育費は払うのにうちにはお金入れなくていいって工面してやってるこっちの気持ち考えろ。
本当は今月、貸したお金の返済を1ヶ月遅らせる代わりに、車の任意保険の支払いをしてもらうつもりで旦那に伝えていた。
旦那は一度、任意保険の契約更新を忘れて、2年以上任意保険に入っていなかったので、去年から私の会社の団体保険に入れている。
ちょうど更新の時期だったので、9月の給料から2台分の保険代が引かれるのだ。多分、貰える給料は1桁だろう。
離婚を決める前から保険の引き落としのことはずっと伝えていて、何度も払えと伝えたが払ってくれなかった。
それどころか借金の計算を間違っていた。何とかしてほしい。なんて、よくもまぁそんなこと言えたもんだ。
でも、ここで残りのお金も出さないと、先日貸した70万の意味がなくなってしまう。
「残りの20万は少し相談してみる…」
私はそう言った。
「そこまで急いでいないから、頼む」
旦那はそう言った。
公正証書も役場に行く火曜日には作り直さなくちゃいけないなぁ…とか、そんなことブツブツ言ってから電話を切った。
時間はお昼休み。席に戻って少し考える。
そもそも、なんで30万もの計算間違いをしたのか。
ヤクザに返したのは本当に70万だったのだろうか。
まだ他に隠してることがあるのだろうか。
そもそも20万、どこで工面するべきか………。
まず話を一旦整理したかった。
誰かに借りるにしても、こんな話すぐには信用してくれないだろう。
「結局ヤクザにはいくら返したの?」
そう旦那にLINEで伝えた。
そのあと色々聞いたが、ヤクザには10万借りて、100万ぐらいは会社の金で返済していたということになる。
利息1週間3割ならまぁ普通にありえるけど、逆にそうなることを予測してない旦那の頭やっぱりおかしい。
でももう、私にもお金は残っていない。
やっぱり親に相談するしか……。
お昼休みが終わる間際、泣きたい気持ちを抑えて母親にLINEをした。
世間はお盆休み。
母親からの返信は結構早かった。
「ふざけてる」
そう一言だけ、返信がきた。
「どうしてもっていうなら貸してもいいけど、私(母親)が(私の)旦那に一言いわないと気が済まない」
そう母親は言っていた。
今まで散々言ってもわからなかったのに何か言う必要があるのだろうか。
ずっと悩んで苦しんで、それでも旦那を庇ってた娘をどう思っていたのだろう。
あまり親にも苦労をかけたくなかった。
仕方ない…最後の手札を切るしかない。
私は席を立った。
歯を食いしばりながら、泣くのを我慢して社内の保険部署へ向かう。
「私の財形、今いくら残っていますか?」
うちは貯金ができない。
旦那があるだけ持って行ってしまう。
会社には財形貯蓄があった。
給料から指定した額が天引きされて、勝手に貯金にしてくれるシステムだ。
会社に入って以来、ずっと財形貯蓄を旦那に内緒でしてきた。
旦那が差し押さえになった時に生活ができなくなって一度引き出してしまったが、
それから1年。少しは貯まっているはず。
「15万ありますね」
受付の人は言った。
15万。
少し足りないけど、2週間後ぐらいには入ってくる…。
私の給料と足したら、20万用意できるかな…。
引出依頼の用紙をもらって、席に戻った。
戻る途中に上司に会った。
マスク越しでも、私がすごい顔をしてるのが分かったらしい。
「大丈夫?」と上司は聞いてくれた。
私は震えた声で「旦那が……まだお金が足りないって…今財形見てきました」と言って、強がって笑った。
上司は「そうか……」と言った後に「つらい時だけど、精神を強く持つんだよ」とだけ言ってくれた。
席に戻って、母親に連絡した。
「会社の財形に15万残ってたよ」
「払ってあげるんだ…」と母親は言った。
だって、ここで払わなかったらその前に貸したお金も無駄になっちゃうから。
会社のお金全部返さないと、旦那は稼いで、私達にお金を返すこともできなくなるから。
ぷつんと何か切れたような気がした。
仕事も手につかず、ただただ泣いた。
なんでここまで立て直して、すべて台無しにされなくちゃいけないのか。
なんで家族のために頑張っていたものが一瞬で無駄になるのか。
なんで幸せな家庭を作ることができないのか。
涙が抑えきれなくなってトイレに移動した。
泣いても泣いても何も変わらなかった。
現実が辛かった。苦しかった。悲しかった。
そんな現実からもういなくなりたかった。
誰もこんな悲しみはわからない。
自分だけしか
自分だけしかわからない。
いっそのこと死んでしまおうか。
ふと、トイレのバッグかけが目についた。
私の身長より少し高い場所。
首には社員証。
社員証をここにかけたら、首が吊れる?
もう何も考えられなくなった。
泣きながらぼーっとバッグ掛けを見ていた。
どのぐらいの時間見ていたかわからない。
バタン!
と他のトイレのドアが閉じる音でハッとした。
私はいつの間にか立って、バッグ掛けを手で触っているところだった。
会社で死んだら迷惑かかるな…。
無駄に正気に戻った。涙を拭いて、席に戻った。
お盆で私の仕事を引き継げる人はみんな休みだった。
そのまま定時まで仕事をして帰った。
帰る途中は身体がずっと重くて、頭が痛くてお腹がずっと痛かった。
途中コンビニに車を停めて、車で寝転がって痛みを抑えながら帰った。
帰った後も泣き顔がひどくて、私は息子に見られないように、そのまま寝室に行った。
寝室で猫を触って癒されていたら、母親と息子がこっちの気も知れずに部屋にきた。
「ばななすむーじー美味しいから、これでママも元気になるよ」
そう言って息子が持ってきてくれた。
息子は母の異変には敏感らしい。
受け取ってゴクゴク飲んだ。
「なに、泣いちゃったの?」
母親はあんまり触れてほしくないところをズケズケと言ってくる。
「まぁ、うん……」
あんまり触れてほしくないところなので適当に返事をして顔をそらす。
「もうこれさえ終わったら楽になるんだから、いいじゃない」
母親はそう言った後に
「おじいちゃんが優衣に残してくれたお金あるから、それ使いなよ」
そう言ってきた。
じーちゃん。
3年前に亡くなった私のじーちゃん。
遺産と言うべきか。私の名義の口座の中に、少しだけどお金を残してくれていた。
私のために残してくれたお金。
でもそんなお金をこんなことに使いたくなかった。
「財形が入ってきたら、それで払うよ」
それを使ったら、本当に余裕はなくなるが。
こんなことにじーちゃんが残してくれたお金は使えなかった。
世間はちょうどお盆だった。
家にはじーちゃんのために、たくさんのお供え物や御霊前が置いてあった。
その日はじーちゃんにお線香をあげて、ごめんなさい、ごめんなさい…と頭を下げて眠りについた。
土日はあまり生きた心地がしなかった。
頭が痛い。おなかも痛い。
ずっと寝ていたかったけど、息子と遊んだり、副業を進めたり、お墓参りでじーちゃんを見送ったり。
いつもの休日だった。
1人で抱えてるのが辛くて、何人かに現状を話したりもした。
じーちゃんのお金使ったらいいじゃん、とか心無いことを言われて怒ったりもしたが、
人によってお金の価値なんて変わるし、怒ったことも一瞬でどうでもよくなった。
8/17(月)
また一週間が始まる。
明日はついに公正役場に行って、借金と養育費に支払いの義務を付与させる日だ。
お腹が痛くてあまり眠れなかった。
もう痛みは胃じゃなくて、おへその上あたりにずっしり重い痛みになっていた。
子供を送って、会社の駐車場に車を停める。
スマホがなった。1通のLINE通知がきていた。
旦那からだった。
「この前相談した件どうかな?急かすようでごめん。」
あぁ…そういえばお金の工面に必死すぎて何も旦那に報告してなかった。
「そんなに急がないでいいんだよね?」と返した。
「火曜日ぐらいには入れんといけん」
……………は?????
私はキレた。
そんなに急いでないって言ったじゃん!!!
金曜日に電話がきて、火曜日には入れないといけない??
こっちはお金がなくなっていくことの恐怖、じーちゃんのお金を使うべきなのか揺らいで、
散々悩んで身体もボロボロなのに、どれだけ金の無心をすれば気が済むの!?
とりあえずめちゃくちゃキレた。
「急がなくていいって言ったじゃん」
「火曜日って明日じゃん」
「最後まで私を追い詰めて何がしたいの?」
旦那は「火曜日って電話で話した時に伝えたつもりやった」と言っていた。
聞いてねーーーーーーー!!!!!!!!!!!!
もっと重要なとこしっかり言えーーーーーーー!!!!!!
確かに私は公正証書の作成のために火曜日までに書類直さないと…って自分で言った気がするけど、
お金自体も火曜日までとか聞いてねーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!
ブチ切れてまだお金用意してないので無理ですってLINEした。
仕事もする気が起きない。寝てないし。お腹痛いし。旦那にお金振り込まなきゃいけないし。その日は会社を早退した。
仕事から帰って、やっぱりじーちゃんのお金を使わなきゃいけないことを母親に話した。
母親は「そう…。」と言って、引き出しからお金を出してきた。
「これはね、じーちゃんのお金じゃなくて。」
「この前、あっちのおばあちゃんから"葬式代にして"って渡されたお金なのよ」
「うちもお金があるわけじゃないし。ほんと、困った時にタイミングって合うのよね。」
あっちのおばあちゃんというのは、母方の私のばーちゃんのことだ。
葬式代とか言うけど、まだまだめちゃくちゃ元気である。
「これで最後だからね」
そう言って、お金の入った封筒を渡してくれた。
私は「ありがとう」と伝えて、そのまま銀行に行って、旦那に振り込みをした。
明日で終わる。
明日で終わる……。
その夜、クーラーをつけた部屋だったのになんだか身体が熱かった。
試しに熱を測ってみたら、38度あった。
明日が…明日が本番なのに…!!!!!
下がれと念じながら、バファリンを飲んで寝た。
8/18(火)
朝。
体温は37度になっていた。
お腹の痛みはかなり酷かった。
37度なら止められることはないだろう。
最悪、車の中からリモートでなんとかしてもらおう。
息子を保育園に見送って、まずは金銭貸借対照表を書き換えることから開始した。
昨日更に20万、合計90万の借金だ。
2年間の返済はかなり負担がかかるだろう。
それに確か、差し押さえも給料の何%かみたいな規定もあったはず。
と思い、2年返済から3年返済に変更した。
年利は変わらず5%に設定した。
旦那の家に向かう。
まずは契約書の変更箇所に同意をもらって、サインと拇印を押してもらった。
離婚届にも名前を書いてもらった。
ついでに…と旦那は時計を出してきた。
旦那のつけていた時計が壊れたので新しいものを渡していたんだった。
どうやらベルト調節ができなかったらしい。
こんなことも出来ないでこの先1人でやっていけるのだろうか…と心配になりながら、10分ぐらいで調節をした。
公正役場までは旦那の車に乗せてもらった。
実はここへ来るのもお腹が痛くてかなりキツかった。
公正役場には30分ぐらいで着いた。
中に案内されて、席に着く。
担当する人が来て、早速公正証書の内容の確認を始めた。
公正証書がどのようなものか私は全く知らなかったが、どうやら私の書類と質問してきたことを更に細かく、
法的な文章で書き直して公正証書というものを作るらしい。
子供がいるんですね、とか、養育費はいくらで、とか、借金はいくらで、とか…
家庭を覗かれているみたいで、正直あまり気分のいいものではなかった。
お腹もずっと痛くて、室内は涼しいのに変な汗をかいた。
少し遅くなるが3週間後の9月8日にまた2人で来てください。
費用は約3万円ぐらいになるので、それと収入印紙を買ってきてくださいと言われた。
それから、この書類の内容が変わってしまうので、離婚届はそのあとに提出してくださいと言われた。
あ、まだあるんだ…。
手続きを色々通すと離婚ってすぐにはできないようだ。
なんかホッとしたような、まだあるのか…と憂鬱になるような、複雑な気持ちだった。
公正役場の後にもまだやることがある。
旦那の住んでいるアパートが私の名義で契約されているので、名義変更をしなければいけなかった。
不動産に連絡して、そのままの足で向かうこととなった。
途中、旦那の車がガタン!と跳ねた。
そのあと、タイヤがガタガタしはじめた。
旦那の車はパンクしてた。
なんて運の悪い奴なんだろうこいつは。
スペヤタイヤがあると思ったが、以前使ってしまって搭載していないらしい。
なんて運の悪い奴なんだろうこいつは。
保険のロードサービスを呼ぼうとした。
任意保険がちょうど切り替わる時期だったので、古い保険証しか車に入れていなかった。
なんて運の悪い奴なんだろうこいつは。
ガタガタのタイヤのまま旦那の家まで戻って、私の車で不動産に行くことにした。
このまま一緒にいたらタイヤの交換代まで払いそうな感じだし。終わった後に自分でガソリンスタンドでも行けと言った。
不動産で契約書を書いてもらった。
誰も保証人になれる人がいなかったので、そこは私の名前でもいいと伝えた。
公正役場と不動産に行くという今日の目的は果たした。
どんどん進めていくたびにスッキリするのかと思っていたが、胸のモヤモヤはずっと晴れなかった。
ちょうどお昼時だったので、そのまま旦那とランチをした。
旦那は子供は元気か、とか今日は仕事は休みなのか、とか話しかけてきたが、私はあまり返答ができず、
ご飯も美味しいパスタ屋さんだったのに、お腹が痛すぎて全く食べられなかった。
ずっと痛くて、身体をねじったりして少し楽な体勢を取ったり、
それが何かストレッチしてるように見えたのか、ただ単に私が太ったのか「たくましくなったな」と見当違いなことを旦那は言っていた。
旦那はペロッとパスタを食べ切っていた。
お会計のために立ち上がった時に、私が動きにくそうにしていたのか、そこで初めて「大丈夫か」と言われた。
嫁の異変に全く気付かない旦那の方が大丈夫だろうか、と思った。
旦那を家に送って、自分も家に帰った。
長い半日だった。
でも少し進んだ。
熱はまた38度を超えていて、ずっと床でのたうち回るぐらいお腹の痛みはピークだった。
ストレスのせいでここまで身体が異常をきたすのは初めての経験だった。
さすがに熱が続いたので、会社にも連絡して次の日は医者に行くと伝えた。
夜は少し寝ては激痛で起き、少し寝ては激痛で起き、の繰り返しだった。
8/19(水)
朝。
お腹の痛みは消えるどころか酷くなっている。
朝一で診療所に向かった。
熱が出たと事前に伝えておいて、問診票などは車内で書いた。
どちらかというと、酷いのは熱じゃなくて腹痛だったので、問診票でとにかくお腹が痛い。
ストレスでずっとお腹に異常が出ていて、熱もそれのせいだと思うと訴えた。
診療所の先生はエコーと、血液検査と尿検査をしてくれて、大腸の炎症と膀胱炎を併発していると教えてくれた。
発熱はしたけどコロナではないとの判断だった。PCR検査という言葉も全くでなかった。
お薬が4種類ぐらい出た。看護師さんは家に帰ってすぐに飲むようにと言ってくれた。
その日は一日、ずっと床を這いずり回って、ゴロゴロ身もだえして、腹痛と発熱と戦った。
ずっと溜まってたストレスが一気に爆発したんだろうなと思った。
不安も、悲しみも、苦しみも、全部身体に出た。
8/20(木)
薬が効いたのか、立って歩ける程度には回復した。
お母さんの作ってくれたお粥が染み渡るほどおいしかった。
8/21(金)
お腹の違和感はあるけど、痛みの波は弱くなった。
血液検査は特に異常もなく、あと3日間薬を飲んだら終わりですと言われた。
現代のお薬の力はすごいな、と思った。
会社に月曜日から復帰できそうですと伝えたが、会社のコロナの規定で発熱した人は1週間休むようにと言われた。
規定でもあるが、おそらくここ数日の私の消耗具合を考えた上で、ゆっくり休んで欲しいという配慮だったようだ。
ゆっくり休んで、たまに落ち込んで、泣いて、猫に癒されて……
毎日繰り返していたら、身体が良くなるにつれて、少しずつ精神的にも落ち着きができた。
8/26(水)
会社に復帰した。
みんなにお休みして申し訳ないと謝って、上司に離婚の進捗を軽く報告した。
会社規定での休養なので休業手当も出ると教えてくれた。
いつも通りの日常にゆっくり戻っていく。
9/8(火)
いよいよ公正証書が出来上がる日だ。
ストレスなのか少しお腹に違和感はあったが、身体の調子はまぁ良かった。
前回と同じように、旦那の家に行ってから2人で向かう。
車内では特に会話もなく、私はひたすら助手席でゲームしていた。
公正役場に着くと、早速公証人が2つ書類を出してくれた。
すごくしっかりとした文章だった。これが法的拘束力を持つ書類なのか…と少し怖くなった。
全文しっかり読み上げてくれた後に、私達のサインと印鑑を押した。
借用書の方には予め買っておいた収入印紙を貼ってもらって、無事に公正証書は完成した。
最期にお会計をした。
書類は2つで約3万円だった。
証書には作成料は旦那の負担と入力はしたが、旦那は絶対払えないだろうと思って、そこは私が用意しておいた。
帰りの車内も会話はない。
途中、お昼ご飯は食べる?と聞いたけど、旦那はあまり食欲がないから、と言っていた。
旦那はおそらくだけど、前回の時は借金をこちらが肩代わりしてくれたお陰で気が楽だったけど、
離婚することで養育費やこちらへの借金が全部覆いかぶさってきた現実に絶望しているんだろう。
でも、もう手を差し伸べることはできない。
旦那は人として、父親として、一番いけないところに手を出した。
この人と幸せな家族になりたいと思っていた気持ちはもうすっかり折れてしまった。
もうすぐ旦那とは他人になる。
9/17(木)
15日が旦那の給料日だった。
その日にしっかり「今月から養育費と借金」とLINEしたのに、まだ振り込みはない。
先行きが不安である。
10/1(木)
2泊3日の一人旅行に行った。
ずっと憧れていた星野リゾートに3月から予約していた。本当は7月に予定していたのだけど、コロナが微妙だったので予定を伸ばして10月になった。
その間に旦那のいざこざがあったので、3ヶ月以内のキャンセルもできず、自分の見つめ直すいい機会だと思って旅行へ行った。
一応こんなことも言われたので弁明しておきます。
3月の予約の時点で先にお金は払っていたので、キャンセル料100%取られるなら…と、少し贅沢してしまいました。ごめんなさい。ごめんなさい……そんな権利なかった。ごめんなさい。
美味しいご飯や、お土産や、温泉にすごく癒された。
帰ってきたら、母親が疲れた顔をしていて、たくさん買ってきたお土産も「なんでこんなに買ってきたの?」とだけ言われた。
あぁ、子供を残して1人で楽しんできたら、こんな反応なのか。
一気に現実に引き戻された。
10/8(木)
高熱が出て一週間休んだあとは普通の精神状況だったが、ここにきて一気に悪化した。
お金の振り込まれない不安、お金のない不安、自分と息子のこれから…。
何を言っても誰もわかってくれないような感覚。
もう全てをシャットアウトしないとだめだった。
SNS系のアプリを一度全部消した。
どうにかなる前に心療内科に一度行くべきだと思った。
助けて。
10/9(金)
疲れた
身体が重い
仕事もままならない
私が今までがんばってきたのはきっと無駄だった
そもそも、何をこんなにがんばってたんだっけ
家族にも、職場にも、平静を装って暮らすことにつかれた
心療内科に行った。
ボロボロだったみたいで、精神安定剤をもらった。
安定剤の副作用でウトウトしながら、みんなの暖かいコメントを見た。
途中アンチもいて、やっぱり嫌われてるのかなぁと思った。
嘘っぽいとも言われたけど、こんなヤバい作り話できる訳ないだろ、ということで公正証書の正本置いておきます。
この先は旦那とのやり取りの画像です。
この上の会話ほぼそのままです。興味ない人は払わないでください。
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