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新型コロナ・サバイバルメモ - 自宅療養中、急変後の入院〜退院まで

1)人は必ず死ぬ。
2)人生は一度きり。
3)人がいつ死ぬかは、分からない。


コロナ闘病中、この三つの事実がずっと頭をリフレインしていました。
九州在住、40代、ワクチン未接種、男性です。この数週間、新型コロナと闘病し、入院していました。人生で初めて、死に直面しました。原因は今話題の「自宅療養中の急変」です。あまり気持ちの良い話ではないかもしれませんが、一人でも多くの方に一次情報をお伝えするため、主観的なレポートになっています。


保健所、医療機関はまさに「戦場」で本当に大変だと思います。国民の命の保持、お疲れ様です。そのためやむを得ない対応もあったかと思いますが、ここは敢えて私サイドが感じたありのままを記述させて頂きました。取り止めのない悪文ですが、ご容赦ください。


発症はオリンピックが始まった頃でした、40度の熱が数日続きました。たまたま運良く(悪く?)家族が実家に帰省したタイミングでの単独自宅療養となったのですが、今考えるとその判断は無謀な賭けでした。


ワクチン未摂取だったので薄々コロナと感じつつも検査をせず、帰省中の家族には「たいしたことない」ということにしていました。しかし、持続する高熱、頭の全方向から長い針を刺され続けるような激痛、脱水症状と呼吸困難は、まさに地獄の苦しみでした。


肉体の痛みを少しでも和らげるために、人生最悪の悪夢を自ら生成して、それをずっと見ているような状態が続きました。今考えると、精神異常の一歩手前のような状況でした。命を守る行動、つまり救急車を呼ぶとか、助けを呼ぶ事も思いつかない「狂気の時間」でした。


とにかく、苦しくて、寝たかった。
一睡が欲しかった。
息絶え絶えに、何かを祈っていました。


やっとその悪夢から目覚めて熱が38度前後に落ち着いてきた頃、次は肺炎が広がってきているのを認識しました。肺が重く、痛く、腫れ上がっているイメージです。酷い咳症状とともに、鮮やかな赤い血が混じった痰が頻繁に出ました。とにかく息ができない、咳が連続して出る、「息も吸ってないのに咳」みたいな感じで、空気中で溺れているような感覚でした。


この時、私はCOVID-19の真の恐ろしさに気づいたのです。初期の高熱と倦怠感はインフルエンザを酷くしたくらいなので、まぁ、大丈夫。それが自己過信であり、誤算でした。


肺炎は呼吸ができないのです。

頭が朦朧とするのは、そうか!酸素不足かもしれない。どっと冷や汗が噴き出すとともに、直感しました。ヤバイ、本当に死ぬ。こんな症状に悪化・進行していくなんて、聞いてない、想像できていなかった。


これが、COVID-19の最大の罠だったんだ。


無駄な我慢が、初動を遅らせました。実のところ、保健所が患者の陽性疑いを認識してから、入院まで長い長い審査プロセスがあります。聞き取り〜検査病院探索〜PCR検査実施〜陽性確定〜自宅療養判断〜(必要なら)救急車搬送〜入院という、気の遠くなるようなプロセスです。


肺炎症状はどんどん悪化する、薬もなく、食事もまともに食べないので体力もみるみる低下。さらに保健所とのやり取りは、遅々として進まない。この時はまだ、保健所連絡についても、家族に頼らずに一人で戦っていました。


初めからつまずきました。想定外だったのは、PCR検査そのものの受け入れ拒否でした。県のホームページに掲載された医療機関に連絡しても、今は対応できないと断られました。これでは保健所の審査プロセスそのものが、進みません。


確かに町の小さな医療機関に発症中の患者が行くと、ウィルスを院内にばら撒き、感染拡大のリスクが高い。困るのは分かる。しかし、自分の命を守る行動も取らねばならない。まるで、「戦地」での一瞬の判断が生死を決めてしまう、そんな命懸けの思いで病院を探しました。


そしてようやく検査可能な病院にアポを入れましたが、連続する咳を抱えながら自ら移動しなければならないのは、試練でした。タクシーで感染させてはいけないと思い自分で運転しましたが、朦朧とした状態での運転は、今考えると大きなリスクでした。


夏の太陽が照りつける暑い日でした。クーラーが肺に良くないみたいで、咳が止まりません。移動するだけで症状が悪化するのなら、家でおとなしくしておけば良かったと、後悔するほどでした。しかしそこでは、検査だけで終わりました。薬もただの解熱剤でした。


その翌日陽性が確定したのですが、すぐに入院できません。入院するにはドクターの診断?が必要みたいで、それは検査を行った病院では対応不可能という事でした。いやいや、また病院探索に、命懸けの移動かよ!と、絶望的な気分になりました。


ここから先は、もう何をしたかもウロ覚えです。家族と相談しながら判断を手伝ってもらい、保健所がアレンジした診断病院に辿り着きました。パルスオキシメーターは90(危険領域)を割り、CT検査直後、技師さんからは酷い状態ですと、ボソッと言われました。


その後、保健所や病院とのすったもんだがあり、救急搬送〜入院に漕ぎ着けました。全ての意思決定は保健所みたいなので、ここに命を握られているんだと実感しました。自分の命の行方が他人任せになっているぞ、、、ヤバイな、これは。


救急車が家に来た時は、息も絶え絶えでした。搬送先は高速道路も使ったかなり遠方の病院でしたが、感染症専門病院だったようで、各種設備が完全に整っていました。


入院後、まず書かされたのが書類の山へのサインでした。緊急時には気管切開する可能性、体を縛り付ける可能性、他もろもろ、思い出せないくらいたくさんの書類へのサイン。正直、恐怖でした。その後すぐに酸素吸入、点滴のためのカテーテル確保、ポータブル心電図での常時データ取得など、万全の態勢でのケアがなされました。

人生初、管が無いと生きられない、スパゲティ人間にされたショックは甚大でした。自分の力で、生き続ける事ができない。棺桶に片足を突っ込んでる状態とは、正にこのこと。


診断結果としては、重度の一つ手前の中等症IIの扱いだったようです。入院初期はアビガン・レムデシビル・ステロイドなどの投薬を繰り返す中、朦朧とした頭と体で、浅い息で命を繋いでいました。血液検査のため、毎日のように血を抜かれました。


肺のCT、レントゲンは真っ白(肺炎を意味する)で、血痰はなかなか治らず、しわがれたお爺さんのような声がずっと続きました。入院中でも、仕事の電話は常時かかってきていました。しかし、変わり果てたこの声を聞くと、誰もが養生に専念してくださいとお許し頂きました。


新型コロナの後遺症についての話を聞いた時は、恐怖で眠れませんでした。肺に起こった線維化が間質性肺炎の形でほぼ生涯に渡って残り、日常生活に大きな支障を生じる可能性があるらしいのです。このしわがれた声で、一生を過ごす可能性もゼロではないのです。


逆に家族を実家に返してよかったなと、心から思いました。自分の不注意で子供達を感染させる、そして一生後遺症を残すなど、耐えられるものではありません。そして自分から出たウィルスが、どこかの誰かを苦しめているとしたらそれは本当に申し訳ないことだと罪悪感にも駆られました。


その後、炎症や感染症の指標となるCRP値(退院指標)が回復したのですが、「ぶり返し」にやられました。免疫系の暴走を抑えるステロイド投薬を止めた後に、CRP値が再上昇して、体内のウィルスが根強く残っていることが判明しました。


その頃、入院患者急増を受けたベッドコントロールで個室から相部屋になったのですが、それが悪影響与えた可能性もあります。とにかく、ウィルスに侵された体は不安定で、外部環境変化に対して脆弱なようでした。


時間はあったので、ネットでCOVID-19のことも学びました。COVIDによる肺炎は、サイトカインストームという免疫暴走によって引き起こされるもので、「自分で自分を攻撃」しているという事でした。


地球上にCO2を排出しすぎた人類が、気候変動による異常気象に苦しんでいる状態に似ているなと感じました。自己免疫の過剰反応で、自分自身の細胞を攻撃して破壊している。マクロ(地球規模)とミクロ(細胞内)で発生している異常のイメージが、重なりました。


私たちが、身体の免疫や体温を一定に保つことをホメオスタシスと呼ぶらしいですが、その機能は無意識によって整えられています。ならば、自分の心がしっかりしていないとダメだなとも、直感しました。


そこで食事をしっかり噛んで味わって食べたり、ベッドの上でヨガをして体を延ばしたり、体をいたわり始めました。さらに今までの人生を俯瞰し、これからを考えました。そのおかげもあってか、頭を整理し、心と体を取り戻すことができました。


1)人は必ず死ぬ。
2)人生は一度きり。
3)人がいつ死ぬかは、分からない。


その時の支えとなったのが、冒頭の三つの言葉でした。これは尊敬する田坂広志先生の教えですが、「人間は戦争、投獄、そして大病といった大きな不幸から死生観を育む。」というもので、そのためのフックとなる三つのヒントです。


私は今回幸いにも、その「死生観を育む機会」に恵まれたようです。そのことについては、またの機会にでもご紹介できればと思います。死の淵を彷徨い、私の「道」を再認識しました。


そして、今週、退院できました!!!


家族再会の場面では、無邪気に喜ぶ子どもの横で妻は泣いていました。死を覚悟したのは、私だけではなかったようです。人生最大級のストレスをかけてしまったなと、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。


そして感染対策を怠った自分を、猛省しました。危うく、自分の命も、家族の幸せも全て失うところでした。皮肉なことに、帰宅した郵便受けに「ワクチン接種券」が入っていました。私の地域では、40代に届くのに時間がかかっていたようです。まだワクチン接種を決めかねている方には、強くおすすめします。(ご自身と大切な方への感染、後遺症の恐怖は本当に恐ろしいです。)


コロナ陽性者の数値はニュースで確認できますが、その数値の裏で起こっている死の苦しみや恐怖、壮絶な医療現場のリアルを想像できる方は少ないと思います。


それは想像以上であり、現在進行形で繰り広げられている地獄絵図です。無症状も多いので気付きにくいですが、誰もが死と隣り合わせの戦場に立っている事、忘れてはいけません。ブレイクスルー感染という言葉も出てきているので、ワクチンを打った方も全く油断できないのです。


自分と家族の身は、自分で守るしかありません。サバイバルの筋が悪いと、本当に死にます。医療崩壊が迫っていると聞きます。数年前にアメリカやイタリアで起こっていた、バタバタと人が亡くなるシナリオもあり得ます。


全く、戦いの終わりは見えません。しかし、我々は生きていかなければなりません。奇しくも、今月は終戦を回想する月。かつて焼け野原の地に立った人々は、失意と絶望の中、何を思ったでしょうか。その後の日本の高度経済成長を予測できた人はいたでしょうか?


五輪が終わり、パンデミックの先は見えず、豪雨災害は続き、明るい話が何一つ無い今。日本は、世界は、第二次世界大戦以来、最大の危機を向かえているところだと思います。だからこそ、責任の押し付け合いではなく、未来のため、子供達のため、力を合わせてサバイブしていかねばなりません。


幸いコロナは自然災害と違い、人流や人々の意識のコントロールで抑え込めます。個人レベルでの自己節制が防疫・防災に繋がるのです。皆で一丸となり、感染防御、つまりウィルスと言う内なる敵(それは内なる欲望との戦いでもある)を押さえ込めば、望みはあります。焦らずに、じっくりと、粘り強く、戦っていきましょう。


いつ死ぬかも分からない、一度しかないたった一度の人生です。天より授かったこの命に感謝して、生を大事しましょう!「生きているだけで丸儲け」の精神で。

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