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『ひきこもり人権宣言』

宣言文


 ひきこもることは、命と尊厳を守る権利の行使である。ひきこもる権利は、すべての人が 行使できる基本的人権であり、これを不当に侵害することは許されない。

 思うに、ひきこもることは、悪ではない。ひきこもり状態に至らせた背景こそが悪である。 ひきこもり状態は、家族、教育、労働環境、対人関係といった複合的要因によって生ずる現象であり、その意味で社会的排除、社会的孤立という側面を持つ。ひきこもる個人のみを治 療や矯正の対象とするべきではなく、まず家庭や社会の改善を考えるべきであり、ひきこもる個人は、その改善を要求する権利を有する。

 したがって、差別と抑圧の歴史をひきこもり当事者の力で終わらせるために、ここに、ひきこもりの権利を定め、ひきこもりの人権を宣言する。

 この人権を宣言するにあたっては、引き出し屋の被害に触れなければならない。引き出し屋とは、事前に情報提供や信頼関係の構築をすることなく、説得や拘束を使って当事者を寮 や病院に移送し、本人が望んでいなかった生活環境の変更を強いる自立支援業者のことである。引き出し屋は TV 番組に出演することで広く社会に認知されたが、この引き出し屋によって当事者が自立を強要された結果、餓死や自死を招いた事例が報道されている。

 そもそも人権は、人々が命を懸けて戦い勝ち取ってきた歴史的所産である。しかしながら、ひきこもり当事者は、自立支援業者や業者と契約する家族によって、自由、生命、幸福追求の権利が一方的に奪われている。

 そこで、ひきこもり人権宣言は、自立支援業者によって命を奪われた被害者、PTSD を患って苦しみ続ける当事者の無念を想起し、画一的に就労をひきこもりのゴールとする自立 支援やパターナリスティックな政策ではなく、紆余曲折しながらも自分らしい生き方に向かって歩むリカバリーを求める。

自立とは、依存先を増やすことである。
希望とは、絶望を分かち合うことである。
ひきこもることは、生き抜く権利の行使である。


第 1 条 ひきこもる権利(自由権)
 人は、ひきこもる権利を有し、これを行使できる。ひきこもる行為は、命と尊厳を守るために必要な自衛行為であり、十分に尊重されなければならない。

第 2 条 平等権
 ひきこもり状態にある人は、人として平等に扱われる。人種、性別、信条、障害、年齢、経験によって、ひきこもる人は、差別されない。ひきこもり状態にある人とひきこもりを経 験した人は、ともに等しくリカバリーに必要な利益を享受する。

第 3 条 幸福追求権
 ひきこもり状態にある人は、幸福を追求する権利を有する。ひきこもり当事者は、自分らしく生きるために、自己決定権を行使でき、他者から目標を強制されない。

第 4 条 ひきこもる人の生存権
 命と尊厳を守るために、ひきこもり生活の質が保障されなければならない。ひきこもり当 事者・家族は、生活の質を確保するために、必要な手段を求めることができる。

第 5 条 支援・治療を選ぶ権利
 ひきこもり当事者は、支援・治療を選ぶことができる。支援者は、適切な支援・治療のために、必要な情報を事前に提供し、当事者自身が選択できるようにしなければならない。ひきこもり当事者は、当然に支援・治療の対象者になるのではない。

第 6 条 暴力を拒否する権利
 ひきこもり当事者は、不当な支援・治療・説得を拒むことができる。当事者の本心に反する働きかけは暴力的であり、ひきこもり当事者は、これを拒否できる。引き出し屋の説得による連れ去りは、決して許されない人権侵害である。

第7条 頼る権利
 ひきこもり状態にある人は、人や社会に頼る権利を有する。自己責任論によって孤立し、ひきこもり状態を自分の力で抜け出せなくなった人は、人や社会に頼ることを否定されない。

※条文は、基本的人権の中で、特にひきこもりにおいて侵害されがちな権利を明記した。ひきこもる人の権利は、上記に限定されるものではない。

参考
熊谷晋一郎『自立は、依存先を増やすこと 希望は、絶望を分かち合うこと』(TOKYO 人権 第56号(平成24年11月27日発行)

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解説が付いた『ひきこもり人権宣言』は下記リンクよりご覧ください。(全47ページ)

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ひきこもり人権宣言解説


1.一段落目 ひきこもることは、命と尊厳を守る権利の行使

 ひきこもり人権宣言は、ひきこもり当事者の人として当然に有すべき人権が踏みにじられている現状に鑑み、ひきこもり当事者・経験者によって作成されたものである。ひきこもり人権宣言が目指したのは、ひきこもる人にも人権があることを明らかにすることであり、ひきこもる人の人権を守るために必要な措置を社会に求めることである。

 法学には照射効という考えがある。照射効とは、「直接何か力を加えるということではなくて、赤外線が体を温めるように、それがあることによってじわじわと、(中略)人々の意識が変わったりとか、法の解釈、運用の仕方が変わったりする、そのような形で何か社会に力を発揮していく」(木村草太,2019,p.44)ことである。世界人権宣言にはこの照射効の意義があり、社会が人権の問題に気が付けるようになった結果、「女性の権利、子供の権利、障がい者の権利などに発展し、それぞれの人権状況に即した人権条約ができてきた」(滝澤美佐子,2019,p.114)。したがって、ひきこもり人権宣言もひきこもる人が命と尊厳を守られ、幸福追求を可能とする権利を求める。


 あらたな権利の生成には、「①社会の人々の要求行動があること、②要求された利益を保護すべきだとする価値判断が社会的に広く共有もしくは承認されていること、③既存の実定法体系と大きな矛盾なく組み込まれ法技術的に洗練されていること 」(住吉雅美,2020,p.159)が必要とされる。ひきこもり人権宣言は、上記要件①の要求行動であり、ひきこもり当事者の切実な思いから始まった社会運動である。ひきこもる人の人権を保護すべきと社会が広く共有・承認したならば(②)、ひきこもる人の人権に法による実質的な保
護を与えるべきと考える(③)。


2.二段落目 ひきこもり状態に至らせた背景こそが悪


(a)社会モデルから考える
 ひきこもりの人権侵害がこれまで許容されてきたのは、ひきこもる人は甘えや怠けなど社会的に許されない個人的要因に起因すると考えられてきたからである。個人の要因と考えたからこそ、個人を矯正する支援方法が許容され、引き出し屋のような人権侵害を伴う暴力が続いている。

 しかし、非正規雇用、パワハラ、セクハラ、過酷な労働条件で引き起こされたメンタルヘルス、LGBTQ への差別、いじめなど、社会の不合理が理由でひきこもる場合、個人にのみ帰責させるのはおかしい。そのようなことが許されれば、社会が変わらなければならないことが見過ごされ、個人だけが不合理な社会に順応するよう求められる。ひきこもる人は、自らの意志でひきこもるのではなく、「社会によってひきこもらされている」と言えるのだから、ひきこもることで苦しんでいる人たちを助けるためには、変わるべきは社会という社会モデルが必要である。


(b)家族が抱える世代間連鎖を考える
 ひきこもり当事者は、家族の影響を受けて動けなくなっている場合がある。本人の個人的要因と思えることでも、家族が抱えてきた問題をひきこもり当事者が背負っている。虐待、貧困、しつけ、ネグレクト、トラウマ、PTSD など、ひきこもり当事者では解決できないこともあることから、ひきこもり当事者だけでなく、家族を含めて支援を考えていかなければならない。KHJ 全国ひきこもり家族会連合会の伊藤正俊共同代表は、「子どもが育つ環境は家族連鎖の中で起こっていることであり、家族支援はそこの問題にどのようにアプローチし、なぜひきこもりということが問題なのか、誰がどのように困っているのかの整理を一緒にしていく中で信頼関係を築くということ」(伊藤正俊,2020,p.678)と述べ、ひきこもることを個人の問題とせず家族連鎖の影響を考えていかなければならないとしている。


 ただし、社会が親と子の一方が悪いとジャッジを下すのは避けるべきである。なぜなら、ひきこもる現象を個人や家族だけに還元することは不可能であり、社会の変化とその変化に対応を求められた個人と家族の事情が複雑に関係しているからである。このように、ひきこもる現象は、ひきこもる個人、家族、社会それぞれを考慮に入れる必要がある。しかし、ひきこもり当事者の動けなさ、命と尊厳を守るためにひきこもっていることを考えれば、まずは社会や家族から変化すべきである。


(c) ひきこもる個人は、家庭や社会の改善を要求する権利を有する
 ひきこもりのゴールは就労であり、経済的自立であるという理解が一般的になされている。しかし、ひきこもり当事者に必要な支援は就労以前の支援であり、就労によって語られるひきこもり対策は、ニート対策になっている。就労の前には、家族関係の調整、ライフプランニング、トラウマや PTSD の対処、居場所を通しての人間関係の回復などがあるはずである。このように就労以前に必要な支援とは何かを考えていく場合、百人百様の当事者ニーズに沿う必要があることから、当事者は社会に改善を求める主体でなくてはならない。

 また、家族関係で困難な事情があるならば、ひきこもり当事者は家庭の改善を求める主体でなくてはならない。なぜなら、親と子の力関係は、親のほうが強く、支配―被支配の関係が続き、当事者の主体性は脅かされ、対等な交渉・話し合いは困難だからである。ひきこもることは悪であるという価値観を社会とともに親子が共有している場合、子であるひきこもり当事者から声を上げて家族に変化を求めることは難しく、社会に変化を求めるとなれ
ばさらに困難である。

 親の無自覚な支配性に関しては、「親が変われば、子供は変わる」というよく使われるフレーズにも表れている。これは、親も変わるから子供も変われという干渉めいた変化の圧力を子のひきこもり当事者に伝えてしまう。本当の変化を望むなら、親は支配・コントロールを自覚して手放し、子による主体性を尊重すべきである。不当な干渉によって本人のペースが乱されれば、当事者は安心してひきこもることができず、ひきこもり状態から抜け出すための力を蓄えることができない。そればかりか、親の影響から脱して主体的に自立の道を歩むことが困難になることもある。

 8050 問題を考えるときに見逃してはならないのは「親が変わるのを待てば、子供は老いる」ということである。親が子供の変化を待つのが難しいように、ひきこもり当事者も親が変わるのを待つのは苦痛である。多くのひきこもり当事者は、親は変わらないと語り、親子関係が変わらないためにひきこもり状態から抜け出せなくなっている者もいる。変わらない親を抱え、ひきこもり当事者がひきこもり続けなければいけない状況を回避するために
は、ひきこもり当事者に「自分のことは自分で決める」という当事者主権を認め、当事者自身で動けるように何ができるかを社会全体で考えていかなければならない。


(d)ひきこもらせ続ける背景にある自己責任論
 ひきこもる状態を考えるときには、世にはびこる自己責任論に目を向けなければならない。ひきこもり当事者は、自己責任を取る形でひきこもっているとも言えるからである。誰にも頼ることなく自分の力で困難に対処しようとした結果がひきこもることなら、ひきこもることから脱出するためには、人や社会に頼ることが許されなければならない。しかし、人や社会に頼ることを阻むのが自己責任論である。


3.三段落目 差別と抑圧の歴史をひきこもり当事者の力で終わらせる


(a)抑圧について
 抑圧とは、「特定の集団に属していることを理由に、個人(または集団)に対して不当な行為や政策が行われた場合に起こる。これには、人々が公正な生活を送り、社会生活のあらゆる面に参加し、基本的な自由と人権を経験し、自己と集団を肯定する感覚を養う方法も含まれ(中略)平和的または暴力的な手段によって、信念体系、価値観、法律、生き方をほかの集団に押し付けること」である(坂本いづみ,2021,p.21)。

 上記定義に沿って考えると、ひきこもる人は、ひきこもることを理由に、犯罪予備軍などの偏見や差別につながるイメージ操作を TV 番組などで広く行われただけでなく、年齢制限で社会復帰の道が閉ざされていたニート対策である就労支援をあてがわられ、ひきこもらざるを得なかった個人は基本的な自由と人権を経験することも、肯定する感覚を養う方法もなく放置された。ひきこもることも良いという価値観や、ひきこもり当事者を守る法律
はなく、暴力的支援団体によって連れ去られる人権侵害は後を絶たない。ひきこもることの価値や生き方は社会によって否定されたままである。よって、ひきこもる人々は抑圧されてきたと言うべきである。このような抑圧下で、ひきこもり当事者は社会の批判を内面化し「悪いのは自分」という自責・自罰に縛られ、ひきこもりから抜け出せずに来た。


(b)ひきこもり当事者の力
 Anti-oppressive(social work)practice(反抑圧的ソーシャルワーク)は、「社会の中での力の不均衡を認識し、その権力構造、そしてその結果として起きている抑圧を是正するために、変革の促進に取り組むこと」(前掲書 p.12)が目標とされ、「生活に困っていたり、生きにくさを経験している人たちの状況を、まず当事者の立場から理解し、問題を抑圧という視点で構造的に分析することで、複数のレベルから解決に向けてアプローチする」(前掲書 p.13)。抑圧下では、ひきこもり当事者と協働する中で解決策を見つけていくことが求められる。


4.四段落目 引き出し屋
 引き出し屋については、例えば以下のような記事がある。
朝日新聞『ひきこもりの息子、すがった先は悪徳業者だった 母の後悔届かぬ返事』
https://www.asahi.com/articles/ASPCN4DG4PCMULEI014.html


Yahoo!ニュース『問われる引き出し屋の自立支援(1) 脱走者が「捕獲」される町で』
https://news.yahoo.co.jp/byline/katoyoriko/20201024-00204321


引き出し屋を扱った TV 番組の様子は、以下の記事に詳しい。
ひきこもり新聞『関西テレビ『訳あり人の駆け込み寺』公開質問状』
http://www.hikikomori-news.com/?p=3228


5.五段落目 一方的に奪われるひきこもり当事者の権利


 ひきこもり当事者には、奪われてはならない人権があるはずである。しかし、家族と支援業者が契約を結ぶことによって、一方的にひきこもり当事者の諸権利が奪われてしまっている。措置入院、医療保護入院には必要とされる手続きが定められているにもかかわらず、民間の支援業者は説得だけでひきこもり当事者を連れ出している。そのため、ひきこもり当事者の権利を擁護する仕組みがないことが問題となる。

 アメリカにおいては、連邦法と州法において精神障がい者の権利擁護に関する法律が存在し、不適切で不明確な非自発的収容をなくすために、患者の権利擁護者(Patients’RightsAdvocate:PRA)が存在する。「PRA は本人に非自発的入院やその流れに関する情報提供を行う。七二時間後に任意入
院、あるいは退院に至らなかった場合、十四日間の強制入院が継続される。この時点で PRAにも連絡が入り、そこから四日以内にさらに強制入院を続けるかどうかについて、「認定審査聴聞」(certification review hearing)が行われる。この聴聞は病棟内の会議室や専用室の部屋で行われ、裁判所から指名された法律家、もしくは一定の資格を持つ専門家が郡の合議体から選出され、聴聞員となっている。その際、病院側からは当該患者が強制治療を続けなければならない経緯が申し立てられ、PRA は患者の側に立ってそれに反論する」(竹端寛,2013,p.113)。

このように、アメリカにおいては、強制入院時における患者の権利擁護システムが存在する。日本では、「厚労省が設置した「新たな地域精神保健医療体制の構築に向けた検討チーム」が二〇一一年六月に出した報告書『入院制度に関する議論の整理』において「本人の権利擁護のための仕組みとして、入院した人は、自分の気持ちを代弁し、病院などに伝える役割をする代弁者(アドボケーター)を、選ぶことができる仕組みを導入するべきである」と提起され」(前掲書 p.121)ている。支援業者は、措置入院、医療保護入院に該当しないひきこもり当事者を連れ出しているのだから、精神障がい者の場合と比較し、より人権侵害の度合いが大きい。自宅から連れ出されたひきこもり当事者の権利を擁護するアドボケーター及び権利擁護システムは必要である。


6.六段落目 リカバリーについて


  国立精神・神経医療研究センターの HP では、「リカバリー」という言葉自体は非常に多義的で、最近ではリカバリーを「臨床的リカバリー」と「パーソナル・リカバリー」という区分でわけて整理し、特に後者の「パーソナル・リカバリー」については、個人の主観的な人生観なども入っており、単純な症状や機能の回復だけでは達成されない側面が含まれるとしていた。上記 HP 上で紹介されていた図では、希望する人生の到達を目指すプロセスが
パーソナル・リカバリー(personal recovery)であり、このパーソナル・リカバリーは、他者との関わり、将来の希望などの主観的リカバリー(Subjective recovery)と、一人暮らし、就労などの客観的リカバリー(Objective recovery)に分けられていた。『本人のリカバリー100 の支え方 精神保健従事者のためのガイド』では、人としてのリカバリー(Personal
recovery)とは、「個人の態度や価値(本人にとって大切なこと)、感情、目標、技術や役割が変化していく過程のことで、これはとても個人的で、人によって異なる過程」(Mike Slade,2016,p.6)とされる。つまり、「当事者(精神保健サービスユーザー)の価値観を基軸にしながら形成された支援や治療の過程をリカバリー(あるいは主観的リカバリー)と呼び、リカバリーを重視して行われる支援実践はリカバリー・アプローチ」(熊谷晋一郎,2018,p.4)と言う。

 ひきこもり当事者グループひき桜 in 横浜で活動するひきこもり経験者の Toshi さんは、「10 年のひきこもりを経験して、5 年働きましたが、回復なんてしませんでした」(Toshi,2021,p.672)と語り、現在までのプロセスを、「過去を否定して「回復させる」ものではなく「傷を抱えたまま、そのまま歩めば良い」というもの」(前掲書)としてリカバリーに沿って解釈している。ひき桜 in 横浜が作成した当事者主体によるピアサポート学習会「ひきこもりピアサポートゼミナール」実施報告書では、「リカバリーは、紆余曲折しながらも自分らしい生き方に向かって歩んでいくことなので、順調にいかないことも多々あります。その過程も経て「自分にとって幸せで豊かな生活」を実現していければ、それは十分にリカバリーが進んでいると言えます」(p.63)と解説している。

 就労は客観的なリカバリーを達成できるが、主観的リカバリーを達成できるかは不明である。自立支援業者のパターナリスティックな介入自体が、パーソナル・リカバリーを阻害するとも言え、画一的な就労支援ではなく、リカバリーに沿った支援が望まれる。そして、自立支援業者が命を奪った事実や、PTSD を患って苦しみ続ける当事者がいたことを忘れてはならない。


7.七段落目 自立とは、依存先を増やすこと


 ひきこもり支援が就労支援になったのは、家族や社会への依存を絶ち経済的に独立することが自立であると考えられているからに他ならない。しかし、自己責任論を内面化し、独力で対処しようとした結果がひきこもり状態であるなら、必要なことは、誰かに頼ることである。

 東京大学の熊谷晋一郎准教授は、「健常者は何にも頼らずに自立していて、障害者はいろいろなものに頼らないと生きていけない人だと勘違いされている。けれども真実は逆で、健常者はさまざまなものに依存できていて、障害者は限られたものにしか依存できていない(中略)実は膨大なものに依存しているのに、「私は何も依存していない」と感じられる状態こそが、“自立”といわれる状態」(熊谷晋一郎,2012)とし、自立は、依存先を増やすこと、希望は、絶望を分かち合うこと、だとする。

 ひきこもり当事者は、身体障害とはことなり、人間関係を失い社会から孤立しているに過ぎない。しかし、身体障害者が健常者に近づくように訓練を強いられ、施設や病院での生活を求められた歴史は、社会復帰させるための就労訓練が課され、引き出し屋によって施設に連れ出すことが許されているひきこもり当事者の現状と酷似する。したがって、自立生活運動で権利を獲得し、社会モデルのもとバリアフリーが進んだ社会で身体障害者が自立でき
たように、ひきこもり当事者にも依存先と権利が必要である。

 ひきこもることは、頼ることができなかったひきこもり当事者が、取らざるを得なかった手段である。8050 問題、9060 問題の渦中にある家庭は、当事者が働くことはおろか、生きていくことすら難しい。だとすれば、ひきこもった期間は、厳しい現実に直面した当事者とその家族が懸命に生き抜いてきた証である。頼ることが許される社会を現実的な希望にするために、こうしたひきこもり当事者、家族の絶望を皆が分かち合う時が来たと思えてならない。


8.第 1 条 ひきこもる権利


 ひきこもる人は、家族以外の人間関係を失い社会参加していない状態の人を指すが、「生命の危機を感じ、自分を防御する手段として、ひきこもらざるを得なく」(池上正樹,2014,p.12)なった人たちである。そのため、ひきこもる権利を保障することは、決して奪うことができない命と尊厳を守ることに繋がる。また、ひきこもり状態は、家族、教育、労働環境、対人関係といった複合的要因によって生ずる現象なのであるから、ひきこもる権利の行使は、ひきこもらざるを得なかった背景を照らし、社会的排除、社会的孤立という社会の問題を社会の側で解決するよう促す効果がある。


 ただし、人権は絶対無制約ではない。家族の権利と衝突する場合は、ひきこもる権利は調整される。この時、家族や社会は、対話の中で「本人の真剣な叫び・問いかけに“耳を澄ませる”こと」(丸山康彦,2014,p.220)ができるかが問われる。


9.第 2 条 平等権


 ひきこもる人は、メディアを通して危険で存在が許されないかのように表現され、犯罪予備軍と伝えられたこともある。「特定の人間類型に向けられた嫌悪感・蔑視感情」(木村草太 2018,p.93)を差別、「特定の人間類型に向けられた誤った誤認」(前掲書 p.94)を偏見とするなら、ひきこもり報道に見られた表現は、差別と偏見に該当する。年齢によって支援を受ける資格を制限した場合は、年齢による不平等な取り扱いなので、これも平等に反する。また、ひきこもり経験者はリカバリーの過程で定義上のひきこもり当事者から外れてしまうため、定義から外れた後もひきこもったことで困難を抱え続けるひきこもり経験者は、ひきこもり当事者と同様に考えていくことが必要になる。


10.第 3 条 幸福追求権


 幸福追求で、自己決定は欠くことができない。なぜなら、「自己決定権が基本的人権の一つだとされるのは、人が幸福を追求する基本的な権利を有しており(日本国憲法 13 条)、この幸福追求の条件の一つとして、各人が自己の意志と責任において自己の人生を生きていくことが欠かせないからである」(笹倉秀夫,2002,p.145)。


11.第 4 条 ひきこもる人の生存権


 ひきこもる権利における社会権を明記した。社会権とは、「ハンディキャップを負っている人々に法的な支援を施すことによって、生活を支え活動上の実質的な平等を実現しようとする」(前掲書,2002,p.140)ものである。また、「近代民法が自由競争とその結果に対する自己責任を原則にしているのに対し、社会権は、自由競争の制限、真の自由競争のための基盤づくりをし、かつ自由競争の結果に対し社会的連帯の立場からの手当てをする」(前掲書)。

 ひきこもる人と家族はともに高齢化し、経済的にも困窮している。生存に不可欠な支援は必要である。そもそも、ひきこもり状態は、命にかかわる危険な状態でもある。よって、ひきこもり当事者の生活の質を上げること自体が生存権につながると考えていくべきである。例えば、インターネットやスマートフォン、居場所までの交通費、外出するために自由に使える金銭など、ひきこもる人が社会参加できる給付が、家族の負担を減らし、ひきこもり当事者のリカバリーを促すはずである。

 困りごとが解決し、楽しみができ、心配事がなくなった「楽で楽しく安心なひきこもり生活」へと進展していくことを「ひきこもりQOLの向上」と言う。ひきこもる人の生活の質は、生きる喜び、楽しさまで高められるべきである。


12.第 5 条 支援・治療を選ぶ権利


 患者が医師から説明を受けたうえで治療を選択することをインフォームドチョイスというが、ひきこもりの支援においても十分な説明を受けたうえで選択できるようにしなければならない。しかし、支援と治療は、ひきこもり当事者に必ず必要なものとはいえず、支援・治療につながらないことも選択できなければならない。また、選択できるほどの適切な支援が求められるのであり、画一的な就労支援だけでなく、ひきこもったままでも生き抜く支援
などもあっていいはずである。例えば、8050 問題でファイナンシャル支援を考えると、就労したとしても「生涯獲得賃金はそれほどの金額にならず、トータルでの資金状況にはあまり影響しない」(村井英一,2020,p.740)のであり、「徐々にでも社会復帰できて、その延長線上に就労が視野に入れば良いぐらいの心構えの方が本人も家族もあせらずに済む」(前掲書p.741)と指摘されている。


13.第 6 条 暴力を拒否する権利


 本来、説得は暴力とは言えない平和的な交渉として認識される。しかし、ひきこもり支援において説得は、相手を連れ出すための都合のいい手段として用いられ、長時間の説得や自宅への侵入を用いて同意が強要されている。本人が精神的苦痛を感じていることを表明することすら難しいひきこもり当事者に対しては、会うことの暴力は厳密に考えねばならず、謙抑的であるべきである。例えば、事前の連絡のない訪問、直接会うこと、長時間の声かけ
などは、当事者への負担が大きいので制限されうるはずである。「人は、説得ではなく納得しないと動かない」(竹端寛,2013,p.53)のであり、ひきこもり当事者に対して暴力になる説得は、ひきこもり当事者が当然に拒否できる。


14.第 7 条 頼る権利


 ひきこもることは、自分の力だけで対処しようとして陥った孤立である。自己責任論が強い社会では、ひきこもり当事者も家族も助けを求めることは難しい。しかし、自立は、依存先を増やすことである。人を頼ることが、ひきこもり当事者・家族に必要となる。

 アルコール依存症の自助グループでは、12 ステップと言われるプログラムを使って、自分の力で人生をコントロールすることをやめ、人に頼ることで回復する。なぜなら、彼らは、「人を信じられず、人に頼れないからこそ、覚せい剤やアルコールに依存している」(小林桜児,2016,p.56)のであり、「基本的な他者への不信感から適切に周囲に助けを求めることができず、単独行動だけで何とか負の感情に対処しようと」(前掲書 p.75)してきたからである。「さまざまな生きづらさから生じる負の感情に対して、自己治療的なアルコールや薬物の使用、あるいはギャンブルなど、他者との感情の交流が一切ない、単独で完結する行動以外に対処する方法を持っていない」(前掲書 p.74)ことがアディクトの原因とされる。

 ひきこもることは、人に頼れなくなった人が自己治療的にとらざるを得なかった単独で完結する行動と言えるから、依存症の回復のように、人を頼ることが認められるべきである。ひきこもり当事者・家族は、自分たちの力だけで抜け出そうと努力すれば、アルコール依存症や薬物の依存症のように、いつまでも抜け出せないループにはまるかもしれない。だとすれば、内面化された自己責任を手放し、頼ることを始めなければならない。自立と希望は、頼る権利から生まれるはずである。

 ただし、頼る権利は、頼れる社会を求める。なぜなら、「依存先を増やす」というメッセージが当事者に向けたものであると誤解されると、弱さをオープンにして「助けて」と言う義務が個人の側にあるといった新しい自己責任論になって」(熊谷晋一郎,2019,p.235)しまうからである。したがって、頼る権利は、頼れる社会が実現することによって実質化される。個人を矯正・更生させて社会に順応させるのではなく、変わるべきは社会という考えが頼る権利でも必要となる。


15. 結語 加害性に向き合うことができるか


 ひきこもり人権宣言は、「障害の社会モデル」に沿って考えてきた。「障害の社会モデル」は、「障害を個人に起こった悲劇と捉えず社会的差別や抑圧、不平等の問題と考え、「変わるべきは社会」とする点に特徴がある」(竹端寛,2013,p.18)。ひきこもる人は、自分の意志でひきこもっているのではなく、社会や家族の影響を受けてひきこもらされているのだから、ひきこもる背景を考えて、個人だけでなく社会や家族に目を向けなくてはならない。


 ひきこもることを個人の問題とし、社会や家族によってひきこもらされていると理解しないのであれば、社会や家族は、ひきこもっている人々に対する加害性に気が付くことは難しい。これは、ひきこもり当事者の加害性の方が、家庭内暴力や経済的負担などの形で分かりやすいためである。しかし、ひきこもり当事者の加害性に責任を問う者は、同じく自らの加害性にも目を向けることが公平である。TV 番組でひきこもる人を連れ出す引き出し屋が
繰り返し取り上げられ賞賛されたのは、ひきこもる人々に対する蔑視・嫌悪感情が社会の人々に存在しなければ説明できない。家族が、ひきこもる人々に対し説教や叱責で追い詰めたり、ひきこもる人を恥だとして社会に助けを求めなかったのならば、これもひきこもりへの蔑視・嫌悪感情があったと言わざるを得ない。ひきこもる人々をより一層ひきこもらせるのはこの差別意識なのであるから、社会や家族は自覚のない加害性に向き合わないといけ
ない。


 ひきこもる人々は、語る主体ではなく、語られる客体であり、自分の人生の責任を自ら引き受けることができる主体ではなく、社会に対する責任を他から負わされる客体だった。こうした抑圧下においては、ひきこもる人々は、権利を主張することができなかった。したがって、ひきこもり人権宣言は、ひきこもり当事者が自らの人生を引き受け、主体的に生きることができるように権利を定めたのである。ひきこもる人の権利は、奪われてはならない。


参考文献


木村草太(2019)世界人権宣言の今日的意義 世界人権宣言採択 70 周年記念フォーラムの記録. 国際書院
滝澤美佐子(2019) 世界人権宣言の今日的意義 世界人権宣言採択 70 周年記念フォーラムの記録. 国際書院
住吉雅美(2020)あぶない法哲学 常識に盾突く思考のレッスン ,講談社現代新書
伊藤正俊(2020)ひきこもり ―ひきこもり ―就職氷河期からコロナウイルス時代を見据えた全世代型支援 (臨床心理学 第 20 巻第 6 号),金剛出版
坂本いづみ(2021)脱「いい子」のソーシャルワーク――反抑圧的な実践と理論. 現代書館
竹端寛(2013)権利擁護が支援を変える -セルフアドボカシーから虐待防止まで,現代書館
国立精神・神経医療研究センター ※更新され参照時の文章と図は変更されている
https://www.ncnp.go.jp/nimh/chiiki/about/recovery.html
Mike Slade(2016)本人のリカバリー100 の支え方 精神保健従事者のためのガイド,
http://plaza.umin.ac.jp/heart/archives/100ways.shtml
Toshi(2021) ひきこもり ―ひきこもり ―就職氷河期からコロナウイルス時代を見据えた全世代型支援 (臨床心理学 第 20 巻第 6 号),金剛出版
割田大悟 ひきこもり当事者グループ「ひき桜」in 横浜(2019)当事者主体によるピアサポーター学習会「ひきこもりピアサポートゼミナール」実施報告書
熊谷晋一郎(2012)TOKYO 人権 第 56 号(平成 24 年 11 月 27 日発行)
池上正樹(2014)大人のひきこもり, 講談社現代新書
丸山康彦(2014)不登校・ひきこもりが終わるとき, ライフサポート社
木村草太(2018) 臨床心理学 増刊第 10 号-当事者研究と専門知 (臨床心理学増刊 第 10号) ,金剛出版
笹倉秀夫(2002)法哲学講義,東京大学出版会
村井英一(2020)ひきこもり ―ひきこもり ―就職氷河期からコロナウイルス時代を見据えた全世代型支援 (臨床心理学 第 20 巻第 6 号).金剛出版
小林桜児(2016)人を信じられない病---信頼障害としてのアディクション,日本評論社
熊谷晋一郎(2019)「助けて」が言えない SOS を出さない人に支援者は何ができるか, 日本評論社

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