それは『不謹慎な悪ふざけ』ではなく『アメリカSNSの正義』であるという話、『バービー』と『オッペンハイマー』原爆の父の肩に乗るフェミニズムと表現の自由について
『オッペンハイマー』と『バービー』のコラボが炎上している。炎上している、というのは日本だけの話で、アメリカでは最高に盛り上がってウェイウェイしている。
まずはこのファンアートをみてほしい。
原爆の父であるオッペンハイマーが、ハードボイルド小説の主人公のようにマッチョに片手をポケットに突っ込み、マーゴット・ロビー演じるバービーを軽々と肩に抱え上げている。魅力的で美しい白人女性であるバービーはコケティッシュにミニスカートの足を組み、原爆の炎を背に手を突き上げて歓声を上げている。
英語の字幕がついている。「THE WORLD FOREVER CHANGES 」世界は永遠に変わる。バービンハイマー、というのはバービーとオッペンハイマーを合わせたコラボワードだ。
このファンアートのポイントは、この「THE WORLD FOREVER CHANGES 」にある。これは映画『オッペンハイマー』のキャッチコピーで、世界は永遠に変わってしまう、という原子爆弾についてのフレーズを、『バービー』にも重ねている、つまり原子爆弾の「CHANGE」を、フェミニズムのリベラルな変革に重ねているわけだ。
これを日本のSNSでは、右派的なアメリカ人の不謹慎で露悪的なジョーク悪ふざけであると思ってる人たちがいる。
違う。これは真正面から原爆とフェミニズムの『政治的な正しさ』を称揚したファンアートで、だからこそアメリカのSNSでは名前に虹のマークをつけた意識の高い人々から批判どころか大ウケ支持されて数万バズしているわけである。
別に彼らが原子爆弾の圧倒的な破壊性を知らないわけではない。知った上で「バービーのフェミニズムも、原子爆弾くらいで危険で、世界を変えてしまうもの!」というメッセージに喝采してるわけである。社会を劇的に変える、ちょっと危険で、パワフルなフェミニズム。大好きですよねみなさん。SNSでバズるお決まりのスタイルである。
『バービー』公式は、このファンアートにリプライでコメントをつけている。
「It's going to be a summer to remember 😘💕」
「忘れられない夏になりそうね。」
なるほど。
リメンバー・パールハーバー、という有名な対日感情の文句を匂わせるようにも、いやそんなのただの偶然ですよ、いやだーアハハ、と否定できるようにも考えてある。頭のよく回るスタッフがSNS担当者なのだろう。
数年前、BTSがプライベートで着たキノコ雲Tシャツが論争になった時、SNSであるフェミニストの青年と論争をしたことがある。彼は従軍慰安婦制度は人類にとっての絶対悪だが、そうした絶対悪を行った大日本帝国に投下された原子爆弾は必ずしも絶対悪とは言えない、と主張していた。
日本のSNSでは彼の主張はやや旗色が悪かった。だが、アメリカや韓国の世論では多くの人がそうした考えを持ち、自分が支持されるであろうことを、そのフェミニスト青年はよくマーケティングしていたと思う。
今回の件について、バービーの日本アカウントがコメントを出している。
本社にも対応を求めている、と日本法人が言い切ったメンツ以上、ノーリアクションにはならないと思う。なにかしらの、いえいえそう言うつもりではございませんのよ、と言ったコメントが出るだろう。盛り上がっているアメリカSNSのご機嫌に水を刺さない程度に。
でもそれは、彼らが原子爆弾への認識を改めたからではなく、いっけねーそういえばジャパンでもこれから公開するんだっけ!というビジネススケジュールを思い出しただけの話である。
そしてもちろん、このミームでさんざん盛り上がっていたアメリカのアカウントたちは深刻に反省などしないし、彼らを非難するようなコメントはアメリカのバービー公式も出さないだろう。全米での興行の方が何倍も市場として大きいので。
もちろん、表現の自由はある。こういうファンアートや、表現が法的には許容されるべきだと思う。(そもそも『オッペンハイマー』の公開とヒットを見ればわかる通りこれ系はアメリカではまったき政治的な正義なので、ヘイトスピーチとして規制される心配などゼロなのだが)
というのも、こういうファンアートは、ある意味ではものすごく正直に、「アメリカSNSでバカ受けする、白人女性にとってのフェミニズム」を映し出してくれるからだ。
ファンアートをもう一度見てほしい。これほどいわゆる「ホワイトフェミニズム」の構造を見事に、鮮やかに描き出したクリティカルなアートはない。ハードボイルドに帽子を目深にかぶり、片手で軽々と女性を抱き上げるマッチョな「原爆の父」オッペンハイマー。幼い娘のように片手で「原爆の父」に抱きかかえ上げられながら、その肩の上で手を突き上げ、アメリカの自由を謳歌するバービー。圧倒的なアメリカの軍事力に下支えされながら、その肩の上で資本主義的な自由と権利の拡大を謳歌するフェミニズム。なんて批評的で、構造的なアートなんだろう。『アメリカン・フェミニズム』というタイトルをつけて美術館に飾りたいくらいだ。こういう絵が描かれたことではなく、それをアメリカSNSのリベラルな人たちが絶賛で受け入れたことを含めて、ものすごく批評的だと思う。
『バービンハイマー』というネットミームと、それを象徴するこのアートがアメリカのSNSでバカ受けしているのは、アメリカの映画観客たちの無意識の欲望を掬い上げているからである。バービーとオッペンハイマーはまったく正反対のジャンルとテーマだが、だからこそ「アメリカンパワー」として2つがユナイトする時、アメリカのSNSには熱狂を生む。バービーを支える男らしいオッペンハイマー、そして美しい女性らしさをキープしたままフェミニズムを謳歌するバービー。
今回だけではない。
SNSでバズるフェミニズム言説の中に、こうした「権力への意志」は常にある。家父長制を解体する、というお題目のもとに家父長制と結託し、それを「いや家父長制を利用しつつ解体しているのだ」みたいな理屈で言い逃れるというのは上野千鶴子の発明だと思うけど、SNSでバズるのはみんなこの「バービー=オッペンハイマー」的な構造を持った擬似父娘関係なのだ。その意味でこのファンアートは、歴史に残るくらい優れたものだと思う。やはり表現の自由は大事である。
でもこれは、SNSと映画宣伝のことだ。映画の作り手たちがみんなそうであるわけではない。
『キャプテン・マーベル』という映画があった。日本のSNSではこの映画はフェミニズムを高らかに歌い上げたことになっていて、そうした批評があふれ返っていた。そしてそういうものを嫌いな人はまるで見ない、といういつもの構造に落とし込まれていった。
キャプテン・マーベルはアメリカ空軍のパイロットであり、スーツにもその名残がある。ある意味ではバービー=オッペンハイマーと同じように、米軍と結託したキャラクターだ。
でもあの作品は、フェミニズムは何をしてはいけないか、フェミニズムはどういうものになってはいけないか、という自戒がすごく丁寧に描かれていた作品だったと思う。月額マガジン部分ではそのことについて書きたいと思う。
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