
命を紡ぐレンズ
ここしばらく二週間ほど前から、高熱だったり、途中食べ物が食べれなくなったりしていて、自宅近くのクリニックで点滴をしたりしていた。
その間、私の頭の中は予定している遺影写真撮影会のことでいっぱいだった。
もう半年以上も前から予定していた、撮影会。
それなのに、体力の低下は気力をも尽き果てさせ始めていた。
予約していた美容院もキャンセル、無駄に顔だけゲッソリしてきて、そんな姿の自分を見ていると、「もう行けないかも。。」とガックリと諦めかけていた。
幸い撮影会数日前に体調が回復し、一緒に戻ってきた気力で、なんとか上京することが出来た。
撮影会には、気力体力共に間に合った。
待っていてくれたのは、いつも私を笑顔にしてくれる大好きな友人、写真家の玻璃さん。
そこにさらに大切な仲間たちもサポートとして集ってくれていて、最高に気持ちの良い快適な場所のサポートまであって、撮影会は始まった。
志を同じくする、終活セミナー講師でもある彼女は、単なる写真家ではない。
人の内なる美しさを引き出す、天性の柔らかさと鋭さ。
彼女がシャッターを切る音が、私の心の鎖がほどけていく音に聞こえる。
彼女の満面の笑みと優しい声掛けは、誰のこころにも優しく響き、時に蜜のように甘く、私を私以上に昇華させていくのを感じた。
何度かに一度、映った自分を確認しに行くと、そこには鏡では見たことのない自分がいた。
「きっとこれがみんなが見ているわたし、なんだろうな」
そんな気持ちに自然となれた。
エンディングノート認定講師として、私がこの遺影写真を撮ってみて伝えられることがあるとするなら、、、
遺影写真は単なる記録写真ではない、ということ。
遺影写真は、
その人が人生を通じての自己表現であり、
大切な人々への最も親密なメッセージ、なのだと思う。
人生の物語を紡ぐ一枚の写真。
彼女のレンズは私の人生の深い喜びや感謝を閉じ込めてくれた、と感じた。
遺影写真も、エンディングノートと同じく、何年かに一度は更新していく。
いつかそれらは私の各時代の喜びや感謝を詰め込んだ一枚一枚となって、
履歴にもなっていってくれるだろう。