「政治参加は女子の本分に背く」 参院選ににじむ与党の本音

与党に比べ、女性候補擁立に積極的だった野党

 あまり話題にならなかったが、G20大阪サミット2日目の6月29日、「女性の活躍推進」をテーマにした首脳特別イベントが開かれた。安倍晋三首相は「さまざまな発展段階にあるG20の国々が一致して女性の活躍推進の取り組みを進めていくことが、G20全体のさらなる発展の大きな推進力となる」として、各国の積極的な取り組みの必要性を訴えたが、本心だろうか。

 ▽口先だけの「均等」

 おざなりの発言にしか聞こえないのは、7月4日の告示で届け出た参議院議員選挙の立候補者数による。選挙区には定員74人に対し215人、比例代表には定員50人に対し155人が立候補した。党派別の女性比率を示すと次のようになる(カッコ内は女性候補者の実数)。

 自民党14・6%(12人)、公明党8・3%(2人)、立憲民主党45・2%(19人)、国民民主党35・7%(10人)、共産党55・0%(22人)、日本維新の会31・8%(7人)、社民党71・4%(5人)。

 女性の全立候補予定者は104人で、全体に占める割合は過去最高の28・1%になったが、政党差が大きい。与党の自民は15%割れ、公明に至っては1割にも満たない。

有権者に手を振る自民党の高橋はるみ氏=4日、札幌市

 国会や地方議会の選挙で男女の候補者数をできる限り均等にするよう政党に求めた「政治分野の男女共同参画推進法」(候補者男女均等法)が成立したのは2018年5月。今年4月に行われた統一地方選挙では、女性議員がどれだけ増えるかに関心が集まったが、結果は微増に終わった。

 今回の参院選は、候補者均等法の制定以来、初の国政選挙である。各党の取り組みに注目したが、与党がこのていたらくでは「均等」にはほど遠い。法をつくっておきながら、なぜ守らないのか。政治塾を開くなど積極的なサポートをしなければ、女性はなかなか政治に進出できない。口先だけでやる気がないのが見え見え、政治家の言葉があまりにも軽い。

 なぜ政治の男女格差は縮まらないのか。さまざまな理由があるが、最も大きな壁は「政治は男がやるべきもの」という意識が根強いことだろう。男性中心社会で形作られてきた意識が法的に制度化され・固定化されたのは、129年前に公布された「集会及政社法」である。

 女子は政治集会の発起人になってはいけない(第3条)、参加してもいけない(第4条)、政治結社に加入してはいけない(第25条)。ないない尽くしの悪法で、政治に対する女性の目も耳も口も封じたのだ。

 この法律は1900年に治安警察法(治警法)に改められるが、女性を政治から排除する条項は、その5条にそのまま引き継がれた。

 ▽「治警5条」の桎梏

 大正時代に「治警5条改正」を要求して市民運動を展開したのは市川房枝や平塚らいてう。市川は『市川房枝自伝(戦前編)』の第1章に、次のように書いている。

 「私の生まれたのは明治二十六年(一八九三)五月一五日だが、この時期は明治憲法公布四年後で、婦人の政治活動を禁止した集会及政社法公布三年後であった」

 自身の誕生を、女性に対する政治的差別、桎梏(しっこく)の歴史の中に位置づけている。1920年3月、市川と平塚は一緒に「思想家の時局観」という政談演説会を聴きに行った。早めに行って会場にもぐりこみ、最後列で傍聴していたが臨検の警察官に見つかり、つまみ出された。翌日には警察への出頭を命じられ、検事局に書類送検されたという。

 当時、活躍し始めた女性新聞記者たちも演説会の取材ができなかった。女性記者たちも後押しをして請願運動が実り、22年に治警5条が一部改正された。政談集会を主催したり、聴いたりする自由だけは獲得した。しかし、政党に入る権利や参政権を得られたのは敗戦後のことである。

 ちなみに世界で最初に女性参政権を獲得したのはニュージーランドで1893年だった。去年、現職のジャシンダ・アーダン首相が産休をとってニュースになった国である。日本は世界で64番目、アジアで15番目。現在も政治分野におけるジェンダー・ギャップ指数(男女格差)は世界149カ国中125位の後進国である。

 先に書いた集会及政社法公布後に開かれた第一回帝国議会で、民権派議員が男性も女性も同じ人間なのだから男性に認めた自由を女性にも認めるべきだとして、同法の改正案を提出した。

 これに対して政府委員の清浦奎吾は、女性は家庭を守るものであり、政治参加は女子の本分に背くなどと反対。民権派の植木枝盛は「婦人を侮辱したるもの」と発言。衆議院では可決されたが貴族院で審議未了になった。129年後の今も清浦に代表されるような明治時代と変わらぬ古い頭の持ち主が少なくないようだ。

 同法が公布されたのは1890年7月25日、女性が侮辱された日を肝に銘じて21日の投票に行こうと思う。(女性史研究者・江刺昭子)

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