にののシステム科学講座

発達障害、家族、生活のあれやこれやをテーマにレポートします。

「今日どうだった?」と聞かれ困る人は、それが「コミュニケーション」だと気づいていない!?

遅ればせながら新年明けましておめでとうございます。

今年もぼちぼちブログを更新していきたいと思います。

 

最近ツイッターでふと目についたツイがありました。

https://twitter.com/azako0310/status/683630335414816769

特に「これ私聞かれると嬉しいから」という部分に関心を持ちました。

私もよく夫から「今日どうだった?」と聞かれますが、ツイ中の旦那様と同じ理由で答えることを面倒に感じます。

質問が漠然としていて、どう回答すれば良いか判然としないので。

けれども、あざこさんはそう聞かれると「嬉しい」らしい...。

 

どうしてもその理由を確かめたく、あざこさんへ「嬉しい理由」をお聞きしました。

https://twitter.com/azako0310/status/683971368728182784

 

好意を持っているゆえ、相手の動向・感情を知りたく「今日どうだった?」と聞いているとの回答に「なるほど」と思いました。

けれども、「今日どうだった?」と聞かれることが、自分に好意・関心を持っているゆえの発言だとは、これまで全く考えたこともありません。

寧ろ、マイナスのイメージさえ持っていました。

「今日どうだった?」などど曖昧な質問をするのは

・私から何か別のことを聞き出すために、私の様子を窺っている

・何か話さないと気まずいと思い、とりあえず言葉を発しただけ

なのかと想像していたのです。

wwww 

 

私が相手に好意や関心を向けられているとわからない理由

 (1)言葉を字義通りに受け取る

 過去記事では、長女の特性について書きましたが、親の私も相当です。

「今日どうだった?」と聞かれると、今日起こった出来事について、相手に伝えやすい出来事は何であったか、相手は何を知りたいのかと真剣に考え始めるのですから。

ninono0412.hatenablog.com

 

 (2)他人の気持ちがわかりにくい

 上記あざこさんの回答から私は初めて、夫が私に「今日どうだった?」と聞くことで、私とコミュニケーションを取ろうとしているのだと気づきました…。

私が、他人の気持ちを想像する力に欠けていることは日頃感じるところです。

そして、あざこさんが仰るには

どうでも良い日常の中から「そういえば今日はこうだったな」と言うのを伝えて欲しいだけ

 

「私が聞きたい事」の範囲は相手が思うよりずっと広いのに「どんな事を話したら要求に応えられるのか?」と言う事にこだわりすぎてしまってる気がするの 

「今日どうだった?」と夫が私に聞くのは、単に私とコミュニケーションを取りたいためか?と夫に確認すると、

夫「そうに決まってるじゃん。そうじゃないとそんな漠然とした質問しないでしょ。気づいてなかったの!」

私「……………。」

ninono0412.hatenablog.com

 

(3)会話を「情報伝達」と「情報交換」と考えがち

私の中で「話をする」というのは、「情報伝達」と「情報交換」でしかありません。ですから自分の「知識欲」や「向上心」を満足させてくれるような話題にしか興味はありません。 

:しーた著 「アスペルガー症候群だっていいじゃない」より

 私も会話を「情報伝達」「情報交換」と考えがちです。

夫から何か問いかけがあれば「夫は、どんな情報を知りたいのか?」と発想するのが常です。

さすがに、家庭外(友人等)では相手とコミュニケーションを取るために、会話を楽しむこともあります。

けれども、「素」の自分となりやすい家庭内となると意図的に頭を切り替えなければ、「私とコミュニケーション取りたい」という夫の意を汲むことは難しいこともあります。

アスペルガー症候群だっていいじゃない (ヒューマンケアブックス)

アスペルガー症候群だっていいじゃない (ヒューマンケアブックス)

 

 

夫が私とコミュニケーションを取りたいのであればそうしようと思う

以上のことから、私たち夫婦の関係が随分冷めたものだと思われるかもしれませんが、そういう訳でもありません。

私は相手の気持ちを察することは苦手なのですが、相手の気持ちや意向がわかればそれを尊重したいと常々思っています。

ましてや、相手が私に好意や関心を持っているのであれば、最大限応えたいと思う気持ちもあります。

これまで、夫は「今日どうだった?」と聞いても、面倒くさがる私を見て、随分つれない対応だと思っていたことでしょう。

それについては、申し訳なかったと思います。

ただ、言って貰わないと気づけないこともある。

言葉による対話が必要

あざこさんが仰る通り、それだけのことです。

誰しも対話無しで信頼関係を築くことはなかなか難しいし、夫婦であればなおのこと、お互いの要求は日常の細部にわたり、「察する」ことを求めていては、お互いを尊重することは難しいと思います。

相手の個性を尊重するのであれば、対話で関係を築くことが大切なのではないのでしょうか。

 

おわりに

そんな私も子どもに対しては「今日どうだった?」と聞きます。

私と似た特性を持つ長女は私の漠然とした質問に「わかんない」と答えます。

愛しい長女が今日どのようなことをして、どんなことを感じたか知りたい私は物足りない…。

今後、長女には、折に触れて「大好きだから、何していたか知りたいんだよ〜」

と、私の愛情を伝えていくつもりです。

 

もしや、夫もそんな風に私のことを思っていたりして…ww(いや想像したくない…)

*私の場合、同じ内容のことでも自分が働きかける場合の自分の気持ちと自分が受け手になる場合の相手の気持ちが同じだと想像することは難しいようです。

 

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