にののシステム科学講座

発達障害、家族、生活のあれやこれやをテーマにレポートします。

私にとっての「ママ友」

長女が産まれた時(平成21年春)

私は、約1年間の育休という限定された期間の中でやってみたいことがいろいろありましたが、中でも強い関心を持っていたことは「ママ友」作りです。
あまり深くは考えず「ママ友」がいた方が"リア充"になれると考えてました。
また、「ママ友」がいないと、お友達(「ママ友」の子ども)と交流する機会が少なくなる=子どもの人間関係が狭まり可哀想→「ママ友」は必要だと考えていました。
 

私の母は、私が20歳になる頃までフルタイムで小学校の教師をしており、転勤もあったので「ママ友」は全くいませんでした。

しかし、小学生の頃、ママ同士が知り合いでなければ一定以上友達と親しくなることはできず、疎外感を感じることが度々あり、母に「ママ友」がいないことを忌々しく思っていました。

以上のような経験から、私にとって「ママ友」は子どものために必要な存在でした。

 

そのため、私は機会がある毎に「ママ友」作りに精を出し、晴れて複数の「ママ友」ができました。

ところが思いの外「ママ友」と会うことは苦痛でした。

ママ友同士で話す話題は、概ね育児に関することでしたが、私は特に育児一般について関心がなかったし、ましてや他人の育児などどうでも良かったのです。

そのため、育休が明け、復職し必然的に「ママ友」と会うことがなくなり、ホッとしたものです。

 

次女が産まれた時(平成23年秋)

既に「ママ友」は面倒だと認識していたので、積極的に次女と同年齢の子どもを持つ「ママ友」は作りませんでした。

 

長女が幼稚園に入園する(平成24年夏)

勤務先を退職することが決まり、保育園に通っていた長女は幼稚園に入園しました。

幼稚園では長女と親しいお友達のママと自然と友達になり、機会がある毎に集まるようになりました。
長女の交友関係を尊重するため「ママ友」同士の付き合いは必要と考えていましたが、この時期頃から子供たちに次の傾向が見られるようになりました。
  • 次女の多動

  • 長女のお菓子及びおもちゃへの度を超えた執着

次女は身体能力を超えた動きと俊敏な移動を常としていたので、内でも外でも全く目が離せず、他のママ友同士が楽しそうにお喋りをする中、私は次女の尻を追いかけてばかりで、いつも「何のために私はここにいるんだろう…」と思っていました。

 そして、長女はママ達が持参しテーブルに広げられたお菓子を食べる、食べる、そして食べる。

そのため、このお菓子は皆んなが食べるためにあること、食べてばかりいないでお友達と遊ぶよう長女に注意をしなければなりませんでした。

また、長女の関心の中心はお呼ばれしたお宅のおもちゃにあり、お友達と遊ばず1人おもちゃで遊んでいたり、度々お友達とおもちゃの取り合いをしました。
このため、子どもを連れての集まりは私にとって常に居心地の悪いものとなりました。

結果、ママ友からの誘いは非常に気の乗らないものとなり、ママ友の存在さえ鬱陶しく感じるようになりました。

 

次女、そして長女の診断と私(平成26年11月〜現在)

平成26年11月に次女がADHDと診断されました。その後平成27年2月に長女が軽度ASDと診断され、私にもASD傾向があるとわかりました。

また、平成26年12月から姉妹は同じ保育園に通うようになり、姉妹の環境が大きく変わりました。

 長女は2年半通った幼稚園を退園することとなったのですが、親しくしていたお友達と離れることについて微塵も気にしておらず、姉妹揃って何事もなかったように保育園通いが始まりました。
 
この長女のお友達に対する淡白さは、基本的に他者に対する関心が低く、自分が関わりたい時だけ一方的に関わろうとする特性に由来があるかもしれません。

 

ママ友を積極的に必要としなくなった理由

姉妹それぞれ診断を受け、自身の傾向を知った後、保育園へ入園という環境の変化もあり、自分からは一切ママ友に連絡を取ることはなくなりました。

理由は次の通りです。

  1.  そもそも子供の交友関係を尊重または維持するために「ママ友」と付き合いをしていたところ、次の理由から、子どもをお友達と遊ばせるのに「ママ友」へ連絡する必要がなくなった。
  • 次女は「自分がやりたいことができればハッピー!」な気質を持っているので、次女にとってお友達との関わりは今のところ二の次である。
  • 長女は人との関わりに関心があるけれども、それは長女のしたいことをするのに相手が必要なだけであって、その相手は長女の「遊びの道具」と同義→自他の別が曖昧な傾向が見られる。そのため、できれば親の休日に親が長女の相手となり、家庭内療育をすることが望ましい。

  2.  私が医師にASD傾向を指摘されたことをきっかけに、自身が雑談が苦手であることを自覚し、その特性に逆らわないことにした。

       私は雑談に一切興味を持てないのである 。

  この特性について「アスペルガー症候群だっていいじゃない」の著者しーたさんがこ

  う書いている。

私の中で「話をする」というのは、「情報伝達」と「情報交換」でしかありません。ですから自分の「知識欲」や「向上心」を満足させてくれるような話題にしか興味はありません。

 

アスペルガー症候群だっていいじゃない (ヒューマンケアブックス)

アスペルガー症候群だっていいじゃない (ヒューマンケアブックス)

 

 まとめ

念のため書き添えますが「私にママ友は不要」な訳ではありません。以前は、子どもの交友関係を円滑にする為に
  • 「ママ友」はいるべき
  • 「ママ友」が多いとリア充
この2つの事項に必要以上にこだわり、自分に無理をしていたのだと思います。
当然無理をして「ママ友」を作る必要は私にはありません。 
ところが、こんな私にも、何故か関わろうとしてくれるママ友は少数ながらいます。
全員、話好きで友だちが多く、対人能力に長けた人達です(対人能力に長けているからこそ、私と付き合える?)。
そして、子どもにとって役立つ地域情報、習い事事情等いろいろ惜しみなく教えてくれ、いろんな意味で私や私の家族の生活を豊かにしてくれます。
*結局、私にとってのママ友の存在が「情報交換」といった要素が見受けられるのは否めませんが、それでも私はこの人たちが好きです。 
 
私はマンツーマンであれば、それなりにママ友と楽しく会話できるので、今親しくしているママ友を大切にし、関わり方に工夫しながら自分の特性に逆らわない程度に付き合っていく、これが今の私の「ママ友」に関するスタンスです。