限りなく透明に近いふつう

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私はカンニング竹山のすべらない話が笑えなかった

 

 

あのですね、新年一発目から人様の悪口に聞こえるような話はあんまりしたくないんですけど、土曜にテレビ見てたらちょっとあまりにもひっかかった場面があったので、今日はそのことについて書きます。

それは「人志松本のすべらない話」の中でカンニングの竹山さんがしていた「前田健の葬儀にて」という話。

番組を観ていない方の為に、どういうお話だったかとざっくりと文字起こしします。

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竹山「去年に、僕の親友だった前田健ていう芸人が亡くなっちゃったんですね。彼と僕は同い年でテレビ出だした時期も一緒で、色んな悩みとかも相談して、まぁ親友みたいなもんだったんですね。で、彼はテレビで俺の事が好きだってのもよく話してたんですよ。まぁ、男が好きなマエケンでしたから。

そんなマエケンが去年の5月に突然亡くなっちゃったんですけど、あまりに突然で僕もどうしようか戸惑っていたら、友達の青木さやかから連絡来て『葬儀は何日か後にやるんですけど、とりあえず今晩マエケンさんの実家で身内だけが集まる仮通夜があるので、竹山さん大丈夫だと思いますよ。(特に親しかった竹山さんなので身内だけの集まりに行っても大丈夫でしょう、という意味)』と。

で、夜、仕事終わってから初めてマエケンの実家に行ったんです。そしたらもう、普通のお葬式ですよね。近所の方とか親戚の方がいっぱい来てる。

で、マエケンのご遺体の寝ている頭のところにお父様が座ってらっしゃった。

僕、初めてマエケンのお父様を観たんです。まぁ、お父様がご立派な人で、弔問に来た人に『健はね、頑張りましたよ』『健は人生まっとうしましたよ。』って一言ずつをかけてて、感動したというか、ああ、お前良い親父に育てられたなぁって思ってたんですよ。

(この後、マエケンのご遺体が生前いつもかぶってた帽子を脱いだ状態で思った以上にハゲてたけど笑っちゃいけないから我慢しながら順番を待った、というくだりがあるが省略)

で、やっと自分の番が来たんですよ。ものすごく悲しかったですよ、親友が亡くなっちゃって。で、香典出してご焼香してたらその気丈なお父さんが急に『う“ぅぐうぅー』って泣きだしたんですよ。で、僕の手をこうグワーと掴んで『竹山くん!竹山くん!!』って。

周りの方たちも気丈なお父さんが急に泣き出したから『えっ?』ってなってたら、お父さんが『竹山くん!竹山くんっ!!健はね…竹山くんのことを愛してたんだよお!!!』(ここで会場大笑い)」

松本「話変わってきたね」 

千原Jr「親公認だったん(笑)」

竹山「いや、知らねぇし。周りの人も『ええっ?』って…(会場の笑い続き)

で、すいません!すいません!っつって逃げ出したって話です(笑)」(会場爆笑)

松本「あ、そうだったんやな、ちょっとそういう想いが強かったんやなー。」

竹山「だからマエケンはお父さんに話してたんですかね。」

松本「好きな人がいるって」(会場笑う)

竹山「そう、好きな人がいるって(笑)でも僕お父さんと会ったこともないし、いきなりお父さんにそれお葬式で言われても…(苦笑い)」

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と、文字だと多少印象変わっちゃうかもしれませんが、竹山さんのお話はこういう内容だったんですね。

で、私一人で観てたんで他の人がどう思ったかはこの時点でまったくわからなかったんですけど、この話、純粋に1ミリも笑えなかったんです。

しかも、頭の中で「不謹慎な!」みたいに、即「こういう理由で笑えない」っていう答えも出ない笑えなさなので「けしからん!」的な怒りでもなくて、笑えない自分とテレビの中の大爆笑のチグハグさにただひたすら「なんだ?なんだこれ??」って戸惑う感じになったんですよ。

で、ちょっと考えて思ったことをツイートしたのがこちらなんですが。

まぁ説明しますと、とりあえず私は自分が笑えなかった原因をちょっと考えてみたんですね。

まず推測するに、竹山さんが「このエピソードを『すべらない話』でしよう」と思ったからには、竹山さん的にこのエピソードに「ここが面白いぜ、笑えるぜ」って部分があったからだと思うんですね。

で、それはおそらく「マエケンの俺への好意はネタではなくマジの領域の愛であり、それを葬儀の席でその父親から超本気で明かされた状況」だと思うんです。

それで、その状況を滑稽に感じたポイントは「マエケンも俺もいい年した男同士」ってことと「父親にまでそんな話してたマエケン」の2点なのかなと思うんですよ。

そう考えると、話終わりに松ちゃんが「好きな人がいるって」と言ってさらに笑いが起きたのも、『好きな人』っていう一般的に「男女間の甘酸っぱい恋心」を連想させる響きに、周囲が「当事者おっさん同士なのにね(笑)」ってなった(松ちゃん自身もそう思ってる)からこそ起きる笑いとして理解できたんです。

これは私の解釈なので、もしかしたら竹山さん本人や他の人も「笑いどころそこじゃねぇよ」って思うのかもしれませんが、「お笑いの解釈は見た側の個人でしていい」って通説に甘えさせて貰いまして、私はそう解釈したので、それで話を進めますね。

それで、その解釈をしてみると私が笑えなかった理由に説明がついたというか、自分で納得できたんですよ。

私が笑えなかったのは、私の中で「男同士の恋愛感情を笑う」っていう感覚が無いからなんですよね。

つまりこの「マエケンが竹山さんを本域で愛していた事が、亡くなったからこそ父親によって明かされた」っていう話は、「男同士でしかもおっさん同士で恋とかウケるwww」っていう発想が無い私にとって、「すべらない話(笑える話)」のカテゴリーではなくて、ラベル付けするなら「切ない話」なんです。

「故人が生前に冗談めかしてしか言えなかった気持ちは、実は本域の秘めた愛情で、亡くなったことで初めて第三者からそのことを明かされた」って話ですもん。切ないですよ。

でも竹山さんは笑い話として提供し、会場も笑い話として消化してた。

だから、この話が笑える人っていうのは、もしかしたら「男同士の恋愛が滑稽に見える感覚の人」なのかなと思いました。バラエティでよくある男同士のキスシーンに素直に「あはは、男同士でキスしてんの、ウケるww」って思う人。

それで私とそういう人は感覚の差があるわけだけど、じゃあこの話「もしマエケンさんが男性ではなくて女性だったとしたら、今笑ってる人って、全員そのまま同じテンションで笑うんだろうか?」と疑問に思ったんです。

私の頭の中では、ある中年女性芸人さんでシミュレーションしてみましたが、ご存命の方なのでここで名前は書けませんから、仮に「いつもテレビではブスいじり独身いじりされている中年芸人A子さん」にすり替えてみます。

皆さんも想像して欲しいんですけど「竹山さんの親友だったA子さんが、急死されて、竹山さんがお通夜に行ったらお父様に『A子はね…竹山くんのことを愛してたんだよぉ…!!』と告白されたんですよ。」って話。

笑えますかね?私はとうぜん笑えないし、多分ですけど、マエケンさんでは笑えてた人も半分くらいは笑えなくなる気がするんです。

んで、これがさらにA子さんを「若くて綺麗めな女性芸人」にすり替えてシミュレーションしてみると、もう笑い話どころではなくなるから竹山さんもそれを「笑い話」として公の場に出さない気がするんですよ。

なんか他の方の感想ツイート読んでたら「両者とも芸人だから笑いに変えることで報われる」っていう意見も見て、それも一理あるのかなとは思うんですが、そうだとしたら若い綺麗めな女芸人が亡くなって、まったく同じことが起きて、竹山さんが芸人として笑い話にして披露した場合、見た人はマエケンさんの話と同じテンションで笑って、「芸人だから笑い話にされて報われるね」ってならないとおかしいと思うんですよ。

でも、ならないでしょ多分。

もし若い女性芸人が急死して通夜行って父親に「娘はあなたの事を愛してたんですよ」って泣きながら言われた話をすべらない話で竹山さんがしたら「これを笑い話にするって、竹山サイコパスかよ」みたいな非難轟轟になると思うんですよ。

ようするに、話の受け手側の中で、竹山さんへ向けられる恋心として

「男から=ありえないウケる」

「中年女性から=ウケるけど一応女だしありえる」

「若い女性=ありえる」って感じに、判別しちゃってるんじゃないかと思うんです。

その上で、「マエケン(男)からの愛、しかもおっさん同士で、ウケる」という風にマエケンさんの竹山さんへの愛情を「ありえない異質なことだから笑っちゃうわ」と無意識に判断してるんじゃないかと思ったんです。

でも私は、人の恋心って馬鹿にしたり笑いにしないほうがいいんじゃないかと思います。

だからマエケンさんが竹山さんへ抱いていた愛情も滑稽なことではないし、自分の父親に本心を明かしていたのも、いい親子関係で素晴らしいことだし、笑う意味がわかりません。

しかし世の中には漫画で見かける、ブサイクな女子が男子に告白して「まじ、あのブス、あの顔でよく告ってくるよな、家に鏡無いんじゃねーのww」みたいに男子が友達と笑いあう場面とか、男子が男子に告白したら「きめぇーコイツwwホモだったのかよ!」と茶化したりする事例が実際にも起こってるんですよね。私はそういうことを考えると胸がぐわぁって痛くなる。

恋愛対象じゃないとしても相手を人として尊重した断り方があるのに、「ありえねー」みたいに人格ごと否定した断り方って、本当に人の尊厳が傷つくと思うんで。

で、漫画だと、こういう男子は終盤痛い目に遭うオチがあったりして「そういう事言うのはダメ」って教訓込みだからいいんですけど、私にとって、漫画の中の悪者男子の「まじあのブスの告白ウケるww」「まじ男のくせに告ってきてウケるww」っていうのと、竹山さんの「マエケンの本域の愛情wしかも父親から聞くとかウケるw」っていうのは、同じだったのに、竹山さんの話は「すべらんなぁ」の流れに乗って編集の壁を越えて公共電波の中で「ああ面白かったね」として人々に届いているわけじゃないですか。

だから、その状況に「ええ?これはありなの?なしでしょ?」となったし、ツイートの最後の「男同士だから笑うんだとしたらひどいよ」の酷いっていうのは、そういうことです。

これを読んだ人のうち何割かに、「全部お前の頭の中の想像じゃん」とか「竹山さんの真意は違うはず」とか思われるのは分かってるんですけど、自分の中でこの話がモヤッとしてたし、同じように感じている方も多くいたみたいなので、整理するために書きました。

ちなみに、この竹山さんの話に否定的な方の中には「人の死を笑いにするなんて不謹慎」ていう意見もあるかと思いますが、私がひっかかった部分はどうもそこではないっぽいです。

というのも竹山さんが以前、亡くなった相方のことをネタにしたトークを聞いたときは、今みたいなひっかかりを感じなかったからです。

じゃあ、どこがひっかかってるのかというとやっぱしテレビの中で「マエケンさんは男だからみんなが笑ってもいい扱いしてるところ」ですかね。

でもフォローというわけではないんですが、私は竹山さんがマエケンさんからの愛情や、葬儀でお父さんに号泣告白をされたことに「おもしれぇ」と一人で笑う事自体は酷いと思わないです。

なぜかというと竹山さんは、もっと若い頃に相方を亡くされてて、親しかった人間の死というのは、本当に強く影響があるもので、天命の短さへの怒りとか、喪失感、悲しみ、今後の自身の芸能活動への不安…そういうありとあらゆる負の感情が竹山さんを襲ったと思うんですが、彼はそれをバネにお笑い芸人として生きています。

つまり当時の竹山さんにとって、相方の死の苦しみから逃れられる唯一の方法が「なんとかこれも笑い話に換えてやる!」っていう精神を持つことだったんじゃないかと思うので、今回のマエケンさんの死の辛さも、同じように乗り越えようと試みたのかなと思うんで、そこは理解したいです。

あの年ですでに親友が2人も亡くなるなんて経験は、たぶん多くの人がしていないし、私もしていません。

だからその辛い経験をした竹山さんの「乗り越え方」を外側から「それは無しでしょ」と、否定できないんです。辛かった人が辛さを乗り越える為に生み出した手段を辛くない私が馬鹿にしたりはできない、ってことです。

なので、マエケンさんの葬儀のエピソードを、竹山さんが一人心の中で「マエケン、本気で俺の事好きだったのかよウケるなぁ。」と思うところまでは、竹山さんなりの悼み方としてアリと思うんです。

でも竹山さんはこの話をすべらない話に選んだし、放送局もカットせず流した。

私が問題に思っているのはそこだけです。

なぜかというと、この「マエケンさんが竹山さんを実は本気で愛してた」って話を、テレビで「笑い話」としてやるには面白いポイントが「マエケン(男)から竹山(男)への愛情が面白い」ってことになってる気がするんですよね。

それって、結局今のテレビの中で、ちょっとナヨっとしてる男性をすぐ「あれ?そっち?w」と突っついて「オネェ疑惑!?」とテロップをつけたり、「おかま」は道化としてしか存在を許されていない現状があるからですよね。

私はそういう現状が嫌だと思ってるほうなんで、この話をすべらない話で「男同士の愛笑えるでしょ」って意味合いのまま放送されてるのを観て、相変わらず「テレビはセクシャリティがノーマルではない人のことは笑いものにするぞ」って姿勢だなぁ、と思いました。

色んなところで「LGBTに理解のある社会を」といくら呼びかけても、男同士のキスを罰ゲームとして流すテレビがふつうにやってたら、「同性愛者は笑いものなんだ」という認識は下の世代に受け継がれていってしまう気がする。私はそれが怖いし嫌。

このエピソードで笑ってもいい人って、竹山さん本人とごく親しい周辺の人だけだったんじゃないかって思うんですよ。だからこれを流したテレビも、それをそのまま笑うって感覚も、ちょっと自分とは違う、信じられないと思いました。

走り書きなので、支離滅裂かもしれませんが、そんな感じです。

今年もよろしくお願いします。

ではまた。

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