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「2001年に閉園したテーマパーク」豪華ホテルで話題を呼んだが、徐々に来場者は減少…志半ばで倒れた“ある男の夢”

全国に数多くあるテーマパーク。今もなお新しいテーマパークが生まれては人々を楽しませ続けている。しかし、そんなテーマパークには、あまり語られることのない側面が存在する。そんな、「テーマパークのB面」をここでは語っていこう。 テーマパークを作るのは簡単なことではない。土地・資本・人員。それらすべての条件をクリアした上でやっと着工だ。逆に言えば、それら3つの要素を持った人物がいれば、作ることができるのもまた、テーマパークである。
鵜原理想郷

鵜原理想郷

千葉県勝浦に存在した「行川アイランド」

〈房総は観光コースとして、見忘れられている。それというのも、道路が悪い、休憩所がない、食べものがまずいと悪いことだらけだからである。そこで、日本冶金(やきん)の森暁(もり さとる)社長は、「自分の道楽だ」といいわけしながら、行川(なめかわ)アイランドを黙々と開発していった。〉(『投資経済』64-12より) 千葉県勝浦にあったテーマパーク、行川アイランド。1964年に開業し、フラミンゴショーや地の利を活かした豪華なホテルで話題を呼んだが、徐々に来場者は減少。リニューアルを行うも、軌道にはのらず、結局2001年に閉園してしまった。関東近郊圏に住んでいる人ならば訪れたことがある人もいるかもしれない。

「日本の未来が明るい時代」とはいえ…

そもそも行川アイランドを運営していたのは、当時、日本冶金の社長であった森暁氏であった。戦後は政治家も勤めた人物で、日本冶金だけでなく、昭和電工や日本精線など複数の企業で社長を務めた実業家だ。そんな森が個人経営ではじめたのが、この行川アイランドだった。 引用部分でも言及されている通り、それはほとんど個人の道楽のようであったともいえるだろう。しかし、時は1960年代。おりしも東京オリンピックをひかえ、首都東京では東海道新幹線や首都高速道路が着工され、日本の未来が明るい時代であった。実業家でもあった森は、そうした時代背景にも後押しされた面もあっただろう。しかし、それでも、製造業の分野で活躍していた森が突如としてレジャー産業に参入することは、どこか現実離れしていたといってもよかった。
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行川アイランドは「森暁氏の理想郷」だった?
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ライター・作家。チェーンストアやテーマパークをテーマにした原稿を数多く執筆。一見平板に見える現代の都市空間について、独自の切り口で語る。「東洋経済オンライン」などで執筆中、文芸誌などにも多く寄稿をおこなう。著書に『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』(集英社)『ブックオフから考える』(青弓社)
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