私達って物事あいまいにしておくの案外苦手じゃない?

半径5mの話でごめんなさい。ここ一、二年ずっともやもやしていたんで愚痴らせて。

日本人ってよく物事をあいまいにしておいて、白黒はっきりさせるのが嫌いと言われるけど、どうも私の感覚とは合わない。私はむしろ日本人は物事をあいまいなままにしておけない、白黒はっきりさせるのが異様に好きという気がしてならない。特に集団のとき、それが顕著なように思う。

私は、私達日本人は、ある事柄について判断しなければならなかったとき、必ず白と黒(良い、悪い)に分けてしまう傾向があるのではないかと思う。現実は結構複雑なので、ある事柄のある側面については良い、別の側面においては悪いと一つの事柄について白とも黒ともつけられないグレーの状態があるはずなのに、どうもかっちりと白黒つける。食品偽装、政治問題、経済問題、労働問題、教育問題。いつも、悪役がいて、そいつを倒せば世界がよくなるみたいな感じを受ける。背水の陣好きもこれと似たような感じを受ける。勝つか死ぬか、あるいは戦わないかだけ。負けるけど死なない、勝つけど勝ちすぎないなどの評価が難しいような状態を好まない。

それで、我々は物事の判断をするときには白黒はっきりつけなくては他の人間から非難されることを知っているので、極力物事の判断をすることが無いように試みる。物事の判断結果あいまい(グレー)にするのではなく、物事を見ない・知らない状況におき、判断自体を無くしてしまう。そして、日本人は文化的にこれが得意だ。部屋を区切るのではなく衝立で隔てる(音が聞こえてきても聞こえないように振舞う)。舞台に黒子を出す(黒子は見えないもの)など。

この判断自体を無くしてしまうことを指して「物事をあいまいなままにしておきたがる」というのだけど、全然、あいまいになっていない。これはその物事を無いものとして扱っているだけ。真のあいまいな状態、すなわち、ある物事が良い面と悪い面が拮抗している状態を好むことはないように思う。

その結果、もっとも汎用性が高く、多くの人に支持される言い訳が「気が付かなかったので」「忘れていたので」あるいは「知らなかったので」。私も思わず使ってしまうが、学生が提出物を出さなかったときの言い訳 No. 1がこれ「提出物があるのを知らなかった」「締切を知らなかった」。知らなければ免責というのが処世術のレベルまで高まっているような気がする。

逆に責任ある人、たとえば政治家、教員、官僚、皇室ご一家などには完全無欠であることを求める。女にだらしないけど財政に関しては超一流とか、みすぼらしい格好しているしスピーチはさっぱりだけど教育行政は抜群とか、マイナス点とプラス点が同居している人間を認めないようにしているように見える。はっきりいって、今の不況から脱出させることができるならば、自堕落で不倫しまくりで隠し子100人いる政治家だってかまわない。不道徳なことの責任はその人の私生活でとればよいものであって、政治の場ではどうでも良い。

司法取引や航空機などの事故調査のやり方、クリントン元大統領に対する取り扱いなどを見る限り、アメリカ人はイメージと異なり案外グレーな存在を許しているように思う。フランスの今か先代の大統領の不倫疑惑のときも大統領辞めなかったし。ふりかえって、日本の宇野元首相は…。

あいまいなことを許容できるというのは大人の振る舞いであるので、あいまいなことを許容できるようになりたい(何でも白黒つけないと嫌だという幼児的振る舞いをしたくない)。物事は必ず良い面と悪い面を持っており、その時々の状況によりどちらの面が影響を与えるのかが変わる。怠惰にならず、そのときそのときで判断できるようになりたい。

まとまらないけど、このへんで。