日本を笑えない、ドイツの失敗ストーリー
まるで漫画 欧州の“優等生”ドイツのずさん過ぎる新空港計画
2015/7/31
恐怖の建築現場
日本では、新国立競技場問題が大揺れに揺れているが、実はドイツでも似たような問題が起きている。
ドイツのメディアは、最近こぞって、54億ユーロ相当の巨費をかけたベルリンの新しい空港、「ベルリン・ブランデンブルク国際空港(Flughafen Berlin Brandenburg)」を“恐怖の建築現場”と呼んでいる。
この空港は現在、ほとんど機能していない。だが、ドイツの納税者らはこのベルリン・ブランデンブルク国際空港の維持のため、月に1600万ユーロもの金額を拠出しているのだ。
しかも、この問題はいつ終わるともなく続いている。一連の施工ミスと、途方もなくお粗末な経営決定により、本空港の建設は遅れに遅れているのだ。
不必要な2階建て大型旅客機用滑走路
あの質実剛健で謹厳実直なドイツで起きたこととは、到底思えない。
当初、本空港は2006年に建設を開始し、2012年に開港という予定だった。その予定が狂ったのは、エアバスの2階建て大型旅客機「A380」の離着陸ができるように滑走路を整備し、さらに、ドバイのように“ショッピングモール空港”としての利益を得るため、施設を拡張すると決定したのがきっかけだ。
どの航空会社もベルリン・ブランデンブルク国際空港にA380を飛ばすつもりだ、と発表していなかったのにもかかわらず、だ。
ドイツにはすでにデュッセルドルフ、ミュンヘン、フランクフルトなどの国際空港がある。さらに、ヨーロッパという規模で考えても、ハブ空港は、ロンドンのヒースロー空港、パリのシャルル・ド・ゴール空港などがすでにある。
しかも、ヨーロッパの空港はヨーロッパ内を飛ぶ短距離フライトが最も多い。これらの理由から、ベルリン・ブランデンブルク国際空港にA380が離着陸するニーズはさほどないのだ。
だが、この空港拡張プランにより、土木技師と建築士は、“建設中”の空港の再設計をするよう命じられた。結果、壁や出口、非常用照明設備、換気装置、窓、エレベーター、階段などの改築を余儀なくさせられたのだ。
大型火災に発展する危険性?
さらに、2009年にはさらなる悲劇が起きた。
その年、当時のベルリン・ブランデンブルク国際空港(ベルリンの3港とも運営する会社)の社外取締役たちは、CEOのライナー・シュワーズ(Rainer Schwarz)に土建業者や土木技師、建築士などの仕事を仕切り直すことも視野に入れて、半年間、建設を中止するよう促した。だが、彼らの忠告は完全に無視された。
そして、その直後、建築現場の規模は20万平方メートルから35万平方メートルまで拡大された(ちなみに、羽田空港国際線旅客ターミナルは約23万平方メートル、成田空港第1ターミナルは44万平方メートルだ)。また、工事は、7社の土建業者と数百の下請業者に分配された。
追加工事の続出は案の定、さまざまなトラブルを巻き起こした。最も悲惨だったのは、適切な防火対策を構築できなかったことだ。
もっともドイツには、シーメンスとボッシュという世界に誇る国際的な電機関連会社がある。本空港の防火システムの工学チームも両社だ。
そして、彼らは、3000におよぶ防火扉や6万5000個の火災用スプリンクラー、数千の火災報知機、まるで迷路のような排煙ダクトやケーブルなどを100km弱ものシステムに完備した。
2011年10月、査察団が開業リハーサルや運用準備をするため、本空港に入った。その名はORAT査察団。
彼らは、試験用のダミー飛行機を着陸させ、ボランティアに“乗客”までしてもらった。そして、防火対策に関しても念入りな調査を行うため、荷物引渡用コンベヤーや防犯ゲートから防火システムまで、石をひとつ残らずひっくり返して調査した。
後者は特に優先度が高かった。なぜなら、欧州では1996年に17人も死亡したデュッセルドルフ空港の火災事故が、まだ記憶に新しいからだ。
ORAT査察団は、火災事故のシミュレーションを行った。そして、目を疑った。ベルリン・ブランデンブルク国際空港の防火システムがめちゃくちゃだったからだ。
一部の火災警報器は、まったく作動しなかった。ほかの火災警報器は機能はしたが、違うターミナルで音が鳴ったのだ。その原因とは、急いで敷いた長さ100kmもある、絡まったケーブルにあった。
さらに、ORAT査察団は、加熱ケーブルの近くに高圧電源ケーブルが配線されていたのも発見した。言うまでもなく、両者が接近すること自体で火災を引き起こす可能性がある。
煙を吸収し、外気と入れ換える煙排出ダクトは、その両機能どちらも機能しなかった。ORAT査察団は、実際に火災事故が起こったら、主排煙口が破裂する可能性が高いと測定した。
この調査結果以来、シーメンスとボッシュ、そして空港運営会社の間で、醜い責任転嫁が始まった。
筆者がボッシュの広報に取材したところ、「われわれの担当する部分は、熱風および煙を探知する部分。そして、このシステムは正常に機能している。障害の責任はほかの業者にある」と答えた。
シーメンスの広報は、「最初、当社は自動防火システムと空気循環システムの制御装置を担当していたが、2013年に行った安全性テストにより、システムの一部に“改変”が必要となった」とし、「空気循環システム以外、担当していない」ことを示唆した。
ちなみに、排煙ダクトを設計した人物は、無資格技術者であるとドイツの大手雑誌「Stern」は暴露していた。
こういった数々の問題と迫り来る開港期限に直面する、ベルリン・ブランデンブルク国際空港のシュワーズ社長は、「万事うまく処理する」と発言し、施設の窮状を軽視し続けた。
また、同国際空港がスケジュール通りに開港するように“特別委員会”を設けた。こうして、シュワーズ社長の監督のもとで建設は続いた。
2012年4月、欧州のメディアは、開業迫るベルリン・ブランデンブルグ空港を歓待していた。なぜなら、数十年にもわたる冷戦時代の影響で、へき地として沈滞したベルリンだったが、最近はヨーロッパの若者の間でおしゃれな都市として人気上昇中だからだ。
ベルリン・ブランデンブルグ空港はドイツの統一と成長のシンボルだ。ベルリンのクラウス・ヴォーヴェライト市長は、例年の市長の舞踏会のため、3000通の招待状を発送するが、この年の招待状は、搭乗券のかたちだった。
さらに、ドイツのメルケル首相がレッドカーペットに現れる落成式の計画もあった。このように、ドイツは、ベルリン・ブランデンブルク国際空港の完成を心待ちにし、はしゃいでいたのだ。まったく、現実を知らなかったのだ。
シュワーズ社長率いる特別委員会は、2012年3月に空港の防火システムの問題に対し“革新的な”応急処置を考案した。
空港ターミナルの至る所で、携帯電話を持つ800人の学生などの低賃金労働者を配置する。そして、スタッフの1人が煙のにおいを嗅いだり、炎を見かけたりしたら、空港の消防署に報告し、乗客を非常口へ案内するという“人海戦術”プランだった。
しかし、検査官はこのような“手動”の火災警報システムを認めず、開業許可を与えなかった。
そして、2012年5月、開港予定日のたった4週間前、シュワーズ社長は記者会見で多くのヨーロッパ人では考えられないような行動を起こした。「ベルリン・ブランデンブルク国際空港は、開港期限を守れません」と発表したのだ。
総工事費は、当初の3倍に拡大
あれから、3年──。このとてつもない失敗ストーリーは、いまだ進行中だ。
ドイツは最近、“見境ない浪費”をしているとギリシャに対し威張り散らしている。だが、そういうメルケル首相の足元では、同じような税金の無駄遣いが現実に起きている。
ベルリン・ブランデンブルク国際空港の総工事費は、54億ユーロと当初の見積もりのおよそ3倍にまで拡大した。そして、冒頭で書いた通り、その被害者は納税者たるドイツ国民だ。
結局、シュワーズ社長を含む取締役2名に加えて、工学責任者3名、建築責任者3名、そして数百の作業員が解雇に追い込まれた。それでも、最も楽観的に考えても、搭乗者が本空港に“初チェックイン”できるのは、2017年以降になる見込みだ。
雨が降って、他人がびしょぬれになったことを知ると密かな喜びを感じる……。ドイツにはSchadenfreudeという有名な言葉がある。
あれだけギリシャに厳しいドイツが、自国ではこのような爆弾を抱えているとは……。Schadenfreudeという言葉が、筆者の脳裏に浮かんだ。