STAP細胞「論文不正は内輪の話」というオヤジが若者をダメにする
STAP細胞騒動に関してこんな記事を目にしました。【小保方さんの騒ぎ】オヤジたちが情けない(4月16日)というタイトル。福島民報の「菊池哲朗の世相診断」で、執筆者は元毎日新聞社主筆。理研発生・再生科学総合研究センターの小保方晴子氏に対する状況を「いじめ」とし、オヤジの役割は前向きに励まし協力することだと訴えています。
理研の発表直後に、このヤフー個人で「デート」「ファッション好き」革命的研究者の紹介に見る根深い新聞のおっさん思考という記事を書いたことが、証明されたようなものです…
ただ、先日の小保方氏の記者会見は、毎日新聞の記事「ツイッター分析:小保方氏会見への応援・支持、批判の2倍」によるとネットでも評価されており、この記事のような意見に同意する人もいるかもしれません。
心情的な応援は分かりますが、小保方氏は会見で「論文作成に関し、私の不勉強、未熟さゆえに理研など多くの皆様に多大な迷惑をかけ申し訳ない」と謝罪しており、実験ノートや画像管理の不備があったことも認めています。自ら研究者として未熟だとし、不備があった論文・研究成果は認められない。それはSTAP細胞がある、ないとは別の問題なのです。
論文を記事と置き換えてみたらどうでしょうか。ジャーナリズムの世界でも写真の切り貼りやコピペは信頼を失う重大な行為とされています。有名な「K.Y」事件を思い出してください。当初は朝日新聞のカメラマンが西表島のサンゴに落書きがあることを発見したスクープ報道でしたが、地元の指摘などから捏造だったことが明らかになります。
もしかしたら、サンゴを傷つけるマナーの悪いダイバーはいたのかもしれません。「記事に掲載した写真は不備だったが、200回は傷ついたサンゴを見た」と言ったらどうでしょうか。ジャーナリズムの世界では、笑いものになるでしょう。ジャーナリズムの基本を守らない記事は誰も信用しないのです。社長は引責辞任し、朝日新聞はその後も何かあれば「K.Y」を持ち出されることになります。STAP細胞の騒動はこれと同じ構造なのです。
ジャーナリズムがこだわる事実の確認が、「視野の狭い内輪」であり、ノートも画像管理も不備な未熟な記者によるスクープが批判されたら、「そうか、じゃあサンゴに落書きがあるかもしれないから、みんなでもう1回潜ってみようじゃないか、と前向きに励まし協力してやる」のが許されるのでしょうか、そんなオヤジがいたら新聞記事など誰も信用しなくなるでしょう。
理研の名前でリリースを出し、割烹着で話題を演出し、問題が見つかったら「未熟だ」と切り捨てるのは、若者を都合よく組織のために利用しているのも大きな問題ですが、この記事のように一見若者を応援しているように見えて、課題に踏み込まずの本質を曖昧にするようなオヤジも若者をダメにするのです。
オヤジ(ここではオヤジという言葉を使っていますが経験を積んだ大人とすれば女性も含む)の役割は、若者の可能性を信じて伸ばすのはもちろんですが、未熟な若者の教育を行い、思い切って抜擢し、失敗したらその責任を取る事です。