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ハリウッドのセクハラ騒動:ここまで来ると便乗?行き過ぎ「#MeToo」に女性からも批判

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
アジズ・アンサリは、「マスター・オブ・ゼロ」で数々の賞を受賞したコメディアン(写真:Shutterstock/アフロ)

 どこまでがセクハラで、どこまでが“がっかりデート”なのか。コメディアンのアジズ・アンサリ(『マスター・オブ・ゼロ』『ピザボーイ 史上最凶のご注文』)を告発するネットの記事が、フェミニストの間でも論議を呼んでいる。

 Babe.netに出たその記事のタイトルは、「アジズ・アンサリとデートをしました。それは私の人生で最悪の夜となりました」(I went on a date with Aziz Ansari. It turned into the worst night of my life)。記事の中で体験を語るのは、グレース(仮名)という名の、23歳のフォトグラファー。その “最悪の夜”については、長く、詳細にわたって記述されているが、要約するとこういうことである。

 グレースとアジズの出会いは、昨年秋のエミー授賞式アフターパーティ。アジズが自分と同じ80年代のカメラで写真を撮影しているのを見た彼女は、自分から彼にアプローチした。ふたりは電話番号を教え合い、1週間ほどテキストメッセージを送り合って、初デートとなる。

 その日、彼女は、約束どおりマンハッタンにあるアジズの家を訪ねて、白ワインを飲みながらおしゃべりをした。その後、アジズは彼女をオイスターバーに連れて行ってくれる。そこで楽しく食事をしたが、彼女にしてみたらまだゆっくりしたかったのに(ボトルにも、私のグラスにもまだワインが残っていた、とグレースは語っている)、アジズは支払いをすませ、ふたりは彼の家に戻った。

 再び家に入った彼女は、彼のキッチンのセンスの良さを褒めたという。それを好意と勘違いしたのか(というのが彼女の見解)、彼は彼女にキスをし始め、彼女の服を脱がせ、自分も服を脱いだ。彼が「コンドームをとってくるから」と言うので、「ちょっとリラックスしましょうよ」と言ったが、彼はオーラルセックスを始める。彼女にも同じようにしてと言うので、彼女は従った。彼はまた、彼女の手を自分の局部に持って行こうとし、彼女がそこから手を離すと、また手をつかんで戻そうとしている。彼女は、手を離したり、キスをやめたりなど、「手がかりを与えて」乗り気でないことを彼に伝えたのだが、彼は「気づかないか、あるいは無視した」。

 彼がついにセックスをしようと言うと、彼女は「それは次回」と言い、トイレに逃げた。トイレから戻ると、彼女は彼に「強要されているように感じたくないの。そう感じたらあなたのことを嫌ってしまうから。あなたを嫌いになりたくない」と言った。アジズは、「もちろんだ。ふたりともが楽しいと思うのでなきゃ、楽しくないよ」と言い、カウチでのんびりしようと提案したという。その後もアジズは彼女がその気になってくれないものかと試みたが、やがてふたりとも服を着て、テレビをつけ、一緒にコメディ番組を見てその夜は終わった。

 帰りの車で泣いたというグレースは、翌日、アジズから「昨夜は楽しかったよ」とテキストメッセージが来ると、「あなたは楽しかったでしょうけど、私は違ったわ。言葉ではないシグナルを送ったのに、あなたは無視したわよね。別の女の子がまた車の中で泣かないように言っているのよ」と返事をしたという。それを読んだアジズは、「そう聞いて、悲しい。僕は誤解をしていたようだ。本当にごめんなさい」と謝罪した。

アジズの”罪”は、相手の心の内を読めなかったこと

 この記事が出ると知ったアジズは、すぐに声明を発表している。その中で、彼は、その夜の行為は双方合意であったとしながらも、「僕は何の問題もないと思っていたので、翌日そうじゃなかったと彼女から聞かされた時、驚いたし、気にしました。僕は彼女の言葉をしっかり受け止めました」と述べた。最後は、「#MeToo」運動は必要であり、自分はこれからも支え続けると宣言して締めくくっている。

 筆者は「#MeToo」運動の支持者で、一部で見られる、発言する人たちを「売名行為」「今さらずるい」などと非難する動きには、基本的に反対である。しかし、この記事とアジズの声明を読んだ時は、やや違和感を覚えた。

 彼女が17歳とかいうならば、もちろん話は別だ。しかし、このデート(本人たちもそう言っている)があった時、彼女は22歳だった。男性とディナーに出かけ、おごってもらって、食事の後、夜も更けた時間にまたその男性の家にのこのこ着いて行くという行為が、相手に何かを期待させるかもしれないと、その歳にしても予測できなかったのだろうか。そこまではまだやりたくないなら、食事の後に「今日はごちそうさまでした」と帰ることもできたはずである。気が弱い、あるいは恋愛経験が少なくて優柔不断なまま着いて行ってしまったにしても、オーディションと偽って若い女優をホテルの部屋に呼び込み、閉じ込めたハーベイ・ワインスタインと一緒くたにして「#MeToo」だと言うことに、罪悪感を持たなかったのだろうか。

 ソーシャルメディアにも、疑問視するコメントが飛び交っている。「これが性的暴力?そうじゃなくてちょっとした後悔ってやつでしょ。私は普段なら女性の味方だけど、これはねえ。言葉ではないシグナルですって?あほらしい」、「彼がかわいそう。これが許されるなら女性は有名な男をどんどん告発するでしょう」、「このケースにおいて、私はアジズの味方をするわ。彼女は、はっきりやめてと言わなかった。帰ればよかったのよ。女性なら誰だって似たような経験はある。その時、帰るのかそうしないのかは自分で決めること。被害者ヅラをするのはかわいくない」といったコメントは、すべて女性によるものだ。一方で、少数派だが、「多くの人がアジズに同情しているのには驚き。彼は一度も彼女に許可を求めていないのよ。彼女は彼に、やってもいいと言っていない」など、彼女を弁護する意見もある。

 論議は、テレビや新聞でもさかんに交わされている。

 最もはっきりと異議を唱えたのは、「Crime & Justice」の女性ホスト、アシュレイ・バンフィールドだ。彼女は、グレースの告発を、自分を含め、女性たちが待ちに待っていた反セクハラ運動を悪用し、台無しにするものだと強く非難している。

「New York Times」にも、同紙の女性記者による長い意見記事が掲載された。見出しは「アジズ・アンサリは、相手の心を読めなかったという意味で有罪」という、皮肉を込めたもの。フェミニストを自認するこの記者は、グレースが体験したことは「がっかりに終わったデート」にすぎないと指摘している。また、グレースがまるで主導権をもたず、終始受け身だったことにも失望を表した。フェミニストとして、「男の側が常にセックスをリードするのではなく、女性たちが、自分が何を求めているのかを大胆に、勇気をもって、大声で言う文化に変えていくこと」が大事だと思うこの記者は、「素敵じゃなかったセックスを犯罪扱いするのは、女性にとって逆戻りを意味する」と書いている。

女性にも及ぶ「#MeToo」の圧力

 本人にしてみたらロマンチックな夜が、まさか「#MeToo」に結びつけられるとは、アンサリ本人も予測していなかったはずだ。だが、彼は驚くほどの早さで謝罪文を出した。今の状況ではそうするのが一番賢いと判断したからだろう。男たちにとって大きな教訓となったのは、マット・デイモンのケースである。

 昨年末、テレビのインタビューで、セクハラ、性犯罪にはさまざまなレベルがあるのに、レイプもお尻を触ったのも同等に扱うのはおかしいと発言したデイモンは(ハリウッドのセクハラ騒動:マット・デイモンの発言に批判殺到。「男は何も言わないべき」なのか?)、女性たちから激しいバッシングを受けた。今年北米公開予定の「Ocean's 8」から彼のカメオ出演部分を削除しろと要求する署名運動まで起きている。今週、デイモンは、「この運動に関わっている女性たちの多くは僕の友達で、僕も支援し、変化に協力したい。でも、しばらくは口を閉ざして後ろにいることにします」と反省を表明した。今週はまた、リーアム・ニーソンが、「『#MeToo』運動は良いことだが、魔女狩りになっている」と言い、ダスティン・ホフマンを弁護するようなコメントをして、一部から批判されている。

 気まずい思いをしているのは男性だけではない。ウディ・アレンの次回作「A Rainy Day in New York」に出たレベッカ・ホールは、その映画で得たギャラを「Time’s Up」に寄付すると宣言した。この決断は、先月、ディラン・ファローが「Los Angeles Times」に「なぜウディ・アレンだけはまだ『#MeToo』を逃れているのか」と題する意見記事を寄稿したのを受けてのものと思われる(ファローは7歳の時に義理の父アレンから性的暴行を受けたと訴えている)。この意見記事の中で、ファローは、自分の訴えについて知っていながらアレンの映画に出た上、その言い訳をしたケイト・ウィンスレット、ブレイク・ライヴリー、グレタ・ガーウィグなどの女優を強く批判した。そしてもちろん、このグレースという仮名の女性と、彼女の記事を書いた女性ライターも、今、同性から批判を受けているわけだ。

「#MeToo」「Time’s Up」が巨大になっていく中、セクハラや性犯罪の加害者ではないにもかかわらず、非難されたり、傷つけられたりしている人が増えているのは、やや悲しいこと。だが、これも、ポジティブな変化と成長に伴う苦しみであると思いたい。「#MeToo」「Time’s Up」は、男は敵、女は被害者とうたうものでは、決してない。みんなで力を合わせて、健全で平等な職場、社会を作っていこうというものである。将来、次の世代の人たちが、この時代を振り返って、「あの時、あの人たちは大変だったんだね」と感謝してくれる日が来るかもしれない。みんな、それを願い、そのために立ち上がっているのだ。しかし、当面は、この大混乱をどう乗り切るかが問題。男も女も関係なく、今、みんなが敏感になり、慎重に対応しようとしている。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「シュプール」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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