なぜセレッソ大阪から日本代表が大量に輩出されるのか?
セレッソ大阪を“日本代表養成工場”と呼べば大袈裟だろうか。 先の東アジア杯ではFW柿谷曜一朗、MF山口螢、MF扇原貴宏の3人がA代表デビュー。大会得点王の柿谷と同MVPの山口は、14日のウルグアイ代表戦(宮城スタジアム)に臨む日本代表にも引き続き選出されている。ザックジャパンの海外組の常連、FW香川真司(マンチェスター・ユナイテッド)とFW清武弘嗣(ニュルンベルク)、FW乾貴士(フランクフルト)の3人もセレッソ出身。在籍時に才能を開花させ、日本代表に選出され、ヨーロッパの舞台へと羽ばたいていった。 昨夏のロンドン五輪でも、清武、山口、扇原に加えて187cmの長身FW杉本健勇が選ばれた。代表選手の大量輩出の流れは決して偶然ではない。ターニングポイントは2007年。当時J2に甘んじていたセレッソが「育成型クラブ」への転換を宣言したことにある。梶野智強化部長が振り返る。 「関西に4つのJクラブがあり、特色を出さなければ絶対に勝てない中で、お金があるクラブではないセレッソとしては選手を育てて代表に送り出し、いつかは(他のクラブへ)売り出す。それを(香川)真司でスタートさせて、乾と清武も続いた。育成組織出身の選手でもいいし、他のチームから獲得した選手でもいい。要はセレッソの中に入れてから代表選手に育てる。そういうプロジェクトを今も継続している。育成を大事にしてきた姿勢が、ようやく成果として出てきたということです。もちろん2007年以前も育成はしていましたけど、はっきりと宣言したことは大きかったと思っています」 香川は高校2年の時にFCみやぎバルセロナユースから入団。横浜F・マリノスで出場機会に恵まれなかった乾は2008年シーズンの途中に、清武は大分トリニータのJ2降格に伴って2010年に加入した。3人に共通しているのは、現在も指揮を執るレヴィー・クルピ監督の存在だ。 2007年5月に就任したブラジル人監督は、最低限の規律や約束事を設ける一方で、何よりも大切なのは選手個々の発想や直感であることを選手たちに要求。「ミスをすることも選手の権利」という独自の選手育成術を貫き、年齢に関係ない実力最優先主義をチーム内に徹底させることで、香川をはじめとする若手選手の潜在能力を次々と引き出した。 1953年2月生まれで、今年60歳になったクルピ監督は、選手との関係をよく「父と子」に例える。「時には尻を叩く必要がある」という方針のもと、練習に遅刻を繰り返した柿谷をJ2の徳島ヴォルティスに期限付き移籍させて改心させ、選手交代に不満を爆発させた乾をベンチ入りメンバーからしばらく外したこともある。こうした厳しさも、若手を成長させる要因となっている。