死の淵からマツダを復活させた1本のビデオ
新型デミオの主査は「もう八方美人で誰にでも好かれようと思ってクルマを作るのは止めます」と言った。 【写真】先週の記事「アテンザ改良で分かったマツダの哲学」 アテンザとCX-5のマイナーチェンジで取材した主査は「50%の人に好かれたら、50%の人に嫌われてもいいです」と言った。 二つの取材はほぼ半年間が空いていて、主査という肩書こそ同じだが、全く別の人物の発言だ。にも関わらず奇妙に同じニュアンスが漂い、言わんとすることは同じに思えた。「Zoom-Zoom」のようなスローガンなら共有されていてもおかしくないが、内容は同じでも表現方法はまるで違う。それらの発言からは、どうも何かの理念が共有されているように感じられた。 余談だが、この記事は先週の続編だ。もしマツダに何が起こっているのかがとても気になるようなら、面倒でも是非先週の記事から読んでほしい。できる限り読んでいない人にも分かるように書くが、それには自ずと限界があるからだ。
2人の主査から出た「同じ言葉」
さて、本題に戻ろう。例えば、先週の記事で書いたように、アテンザはマイナーチェンジで外観がほとんど変わっていない。普通なら販売サイドから突き上げられる。「もっと違いが分かるようにしてくれ」。筆者が販売担当でも当然そう言う。そして「そりゃ他の部署にも都合はあるよな」と大人の事情を飲み込んで、デザインを一目で分かるように変えるわけだ。組織と言うのはそういうものだ。多くの部署が、それぞれの都合を綱引きすることで着地点が決まる。 しかし「変えるために変えることはもうしない。それはメーカーの都合でしかないから」と主査ははっきり言った。もちろんそれは理屈として正しい。 何か不具合がある。あるいはより性能を上げるために変える。改良とはそういうことだし、本当にユーザーのために商品を作ろうと思えばそうなるはずだ。必然性もなくただ新型を分かりやすくアピールするために変える必要は確かにない。 そこまでは、モノを作る立場の人なら誰もが考えることだろうが、その正論を組織の中で実現するとなると話は別だ。あなたが何かの組織に属しているなら「こういうの無意味だよな」ということに日々直面するだろう。そういう無駄に気付くことは、そんなに難しいことではない。大人として真面目に仕事をしていればみんな気付く。だが、社内を改革して「無意味なことを止めさせる」ことが果たしてできるだろうか? もしマツダの社員一人ひとりが「何をすべきか」という理念を共有できているのだとすればそれは大変なことだ。従業員10人の零細企業ではない。会社四季報によれば単独で2万人。連結なら4万人の社員がいるのだ。その規模の会社で社員ひとりひとりに理念の共有をさせることが果たして本当にできるのだろうか? 筆者はもうそれが気になって気になって、アテンザのことより、そこをどんどん突っ込んで尋ねた。今回はその話を書きたい。