NATROMのブログ

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抗体依存性感染増強について調べてみた

■季節性ワクチン打ったらヤブヘビ?(新型インフルエンザ)(新型インフルエンザ・ウォッチング日記)経由で、「季節性インフルエンザのワクチン接種が新型インフルエンザ(H1N1)のリスクを増やすかもしれない」という話を知った。ソースは、CBCニュースの■Seasonal flu shot may increase H1N1 risk。根拠は、過去に季節性インフルエンザワクチンを受けたことのある人がより多く新型インフルエンザに罹ったという、予備的な疫学調査である。交差免疫があるので、季節性インフルエンザワクチンでも、新型インフルエンザにもほんのちょっぴりとぐらいは防御効果があってもいいのではないかと、うすらぼんやりと私は思っていたので意外であった。


似たような病原体にもある程度有効なのが交差免疫

はしかやおたふく風邪は、基本的には一度かかると二度目は罹らない。一方、インフルエンザは運が悪ければ毎年罹る。はしかやおたふく風邪の原因ウイルスと違って、インフルエンザウイルスは免疫を逃れるような変異を起こすからである。そんなわけで、季節性インフルエンザワクチンは、次シーズンに流行する株を予想して作られる。予想が外れたらまったく意味がないわけではなく、一定の効果はあるとされる*1。異なる株に対する抗体も無いよりマシなのだ。

ただ、これは季節性インフルエンザの話であって、今回の新型インフルエンザ(H1N1)について同じことが言えるかどうかはわからない。ざっと調べてみたところ、「ワクチン接種が進んでいる先進国での症状が軽いことから、「交差免疫」が起こり、症状が軽く済んでいることが推測されます*2」という話もあるものの、これは単なる推測。保存されていた血清検体の抗体を調べた結果では、「最近(2005〜2009年)の季節性インフルエンザワクチンの接種は新型インフルエンザA(H1N1)に対する防御抗体を誘導しないことが示唆された」「この報告の結果は、近年(2005〜2009)のインフルエンザワクチンの接種が、新型インフルエンザA(H1N1)ウイルスの防御に役立たないと思われることを示唆している*3」とある。これは試験管での実験であるので、本当かどうかは疫学調査をしないとわからない。そんで、予備的な疫学調査をしてみたら、防御効果があるどころか、むしろリスクを増やすかもしれない、というのが冒頭で紹介した研究。


そもそも抗体がリスクを増やすなんてことがあるのか

交差免疫は「あったらもうけもの」ぐらいに思っていたので、「季節性インフルエンザワクチンは、新型にはちっとも効かない」という話なら、すんなり理解できる。しかし、効かないどころかリスクを増やすってありうるのか。CBCニュースでは、



Researchers know that, theoretically, when people are exposed to bacteria or a virus, it can stimulate the immune system to create antibodies that facilitate the entry of another strain of the virus or disease. Dengue fever is one example, Low said.
(訳)研究者は、理論的には、人々がバクテリアまたはウイルスにさらされると免疫系が刺激されて抗体を産生するが、その抗体が別の株の病原体の侵入を促進しうることを知っている。デング熱がその一例である。

ごめん、知らんかった。私は研究者じゃないから。知らなかったので医中誌先生に聞いてみた。「デング熱」というキーワードがあったので楽勝。以下は、主に、森田公一、「海外旅行と感染症 デング熱・出血熱」、臨牀と研究 85巻9号 Page1242-1246(2008)による。


デング熱における抗体依存性感染増強

デング熱は熱帯地方に多い、蚊が媒介するデングウイルスによって発症するウイルス性熱性疾患である。デングウイルス感染では、デング熱とデング出血熱という2つの異なる病型を示す。デング熱は比較的軽症で1週間以内に回復し予後はよい。一方、デング出血熱は、血管から血漿が漏出し、腹水・胸水の貯留を来たす。単に重症度が異なるのではなく、発症機序が異なる。また、デングウイルスには1型〜4型の4つの型がある。ある一つの型に感染し回復すれば、その型に対しては、はしかやおたふく風邪と同じように終生免疫が得られる。しかし、他の型のデングウイルスに対して感染防御に役に立たない。したがって、他の型のデングウイルスに暴露された場合は感染が成立し、これを2次感染と呼ぶ。興味深いことに、初感染のほとんどがデング熱の病態を呈するのに対し、デング出血熱は2次感染時に発生する。



2次感染でデング出血熱が多発が多発する原因として、Halstead博士らはデングウイルス2次感染において抗体依存性感染増強現象(antibody-dependent enhancement, ADE)がその主因であると提唱している。図3にしめすように、たとえばデング1型に初感染したヒトが後日デング2型に感染した場合、デング1型に対する抗体はデング2型ウイルスを中和することはないがウイルス粒子に結合することはできる。したがって、感染力を有したままでヒトの抗体分子をウイルス粒子表面に付けた、<デング2型ウイルス-抗体複合体>は抗体部分のFc部分とデングウイルスが増殖することができるヒト単核球系の細胞表面にあるFcレセプターと結合することにより効率よく細胞内に取り込まれウイルスは増殖する。この抗体依存性の感染形態によりデングウイルスは通常の10倍から時には1000倍もの高率で標的細胞に感染しさらにウイルスリセプターを持たないがFcリセプターを有する細胞にも感染することが可能となる。これをADEと呼ぶが、この現象のために2次感染において初感染よりもデング感染者はより重症化する可能性があると提唱している。



森田公一、「海外旅行と感染症 デング熱・出血熱」、臨牀と研究 85巻9号 Page1242-1246より引用)

少数であるが初感染でもデング出血熱が発生することもあり、抗体依存性感染増強現象のみで全て説明できるものでもなさそうであるが、少なくとも、抗体の存在がかえって感染症を悪化させる現象はあるわけだ。


結局、季節性インフルエンザワクチンは打ったほうがいいの?

分かりません。デングウイルスの標的細胞の一つはFcレセプターを持つ樹状細胞であるので抗体依存性感染増強は成立するが、インフルエンザの標的細胞は気道上皮細胞である。気道上皮細胞にFcレセプターが発現しているかどうかは知らないけど、よしんば発現していたとしても樹状細胞ほどじゃないと思う。そもそも、インフルエンザウイルスについても抗体依存性感染増強が起こるのなら、これまでの季節性インフルエンザで観察されていただろう。とは言え、新型インフルエンザは別かもしれないし、Fcレセプターを介さない形での抗体依存性感染増強もあるかもしれない。最終的には、疫学調査頼りである。

もうちょっと待てば、他の疫学調査の結果が出てくるだろうが、現段階ではなんとも言えない。情報が不完全なのに、意思決定をしなければならない場合もあるだろう。とりあえず、現段階では、私自身は季節性インフルエンザワクチンは打つつもり。季節性インフルエンザワクチンが新型インフルエンザのリスクを増やすと考える根拠は、いまのところ、一つの予備的な疫学調査および理論的な可能性だけである一方、季節性インフルエンザのリスクを下げることは確実だからだ*4。まだ打つまでにちょっとは時間的余裕はあるので、情報収集は欠かせないけど。

*1:「インフルエンザウイルスが有する、抗原変異を起こしやすいというこのような性質は,当然ワクチンの有効性に影響を与えます。しかし,異なる型(heterotypic)あるいは異なる亜型(heterosubtypic)の間での交差免疫(cross-reactive immunity)はもちろん期待できないものの,heterovariant(homosubtypic)な状況下での交差免疫の存在は良く知られています。表6に示すように,ワクチン株A/Victoria/3/75(H3N2)と流行株A/Texas/1/77(H3N2)の間で抗原性の合致度が13%であった年でも,80%の発病防止効果を認めています。またワクチン株A/Chile/1/83(H1N1)と流行株A/Taiwan/1/86(H1N1)の抗原性の合致度は僅か9%であるものの,38%の感染防止効果を認めています。」(大阪市立大学大学院医学研究科公衆衛生学、インフルエンザ対策の国際動向:パンデミックとワクチン接種より)URL:http://www.med.osaka-cu.ac.jp/kouei/sub8.htm

*2:URL:http://www.fr.emb-japan.go.jp/jp/ryouji/influenza_porcine_conference.html

*3:URL:http://idsc.nih.go.jp/disease/swine_influenza/2009cdc/MMWR09_May22.html

*4:よく考えたら、仮に季節性ワクチンが新型のリスクを上げるとしても、私は去年も一昨年も打っているので、今年の季節性インフルエンザワクチンを打たなくったって新型に対するリスクは同じような気もする。