中二日

お気づきの方もいたと思いますが、前回更新の休養のくだりは「アンケートを取る」ことの呼び水であります(文章書く気がしない、というのは完全なウソではないですが)。どうせ誰もマトモに呼びかけてもアンケートなんか答えてくれないので、多少同情を引くことでアンケートを集めようという姑息もいいところな手段を用いました。ま、あんまりこの手段を使うと本気で鬱になったときに誰にも信じてもらえなくなるんですけどね。自業自得です。


でまあ2日置いてどのくらい集まるかなと不安ではありましたが、自分が思う程度にそこそこ集まりました。どのくらい集まったのかは伏せておきますけども、メールを送ってくださったみなさんありがとうございました。感謝しております。


んでまあ、頂いたリクエストに応える形で数日更新していこうと思います。普段の更新では書かないようなテーマや長文になることもありますが、好みによって読んでいただければ幸いであります。普段の更新も出来るだけ併せてやっていこうと思います。


初回のテーマは「ラーメンズ」です。それでは、興味のある方だけ。

ラーメンズとそのファンが抱える問題点

ラーメンズのライブに行くと、とにかくファンが熱狂的なんです。気持ち悪いくらいに。


自分もいちファンとして応援はしているけども、かといって今ラーメンズを応援している人たちというのは過分に熱狂的であり、その人たちとは温度差がかなりある。ラーメンズのファンは熱狂的、いや妄信的と言ってもいい。なぜ数いるお笑いの中でラーメンズだけが異様とも言えるファン層を形成しているのだろうか。


ラーメンズの頭脳である小林賢太郎という人物あるいは彼の創造するネタはある種の中毒性を持っており、その中毒性に感化された人たちがファンとなって主戦場である舞台に足繁く通うようになる。その中毒性というのはおそらく小林賢太郎が持つ「美意識」にあるだろう。披露されるネタは単なるお笑いというわけでなく、そこに演劇の要素やマジックの要素、普通のお笑いの舞台よりも「魅せる」という意味で計算がされ、まさに小林賢太郎の美意識で満たされた舞台は、初めて触れる人には新鮮な驚きでもって迎え入れられる。まるで未知なものに触れたかのように「こんなお笑いがあったんだ」とでも言いたくなる。


思うに、そもそもラーメンズの純粋なる目的は「どうすれば笑いが起こるのか」であり、演劇やマジックの要素を取り入れたのは別に奇を衒ったわけではなく、単に「笑いの道具」に過ぎなかったはずだ。自分にはそれが「笑いへの独特なアプローチ」に見え、興味深く感じた。今でもそのように彼らの笑いを捉えている。重要なのは「ラーメンズは数多く存在するお笑い芸人のうちの一組」であり、決して特殊な存在ではないということだ。


しかしラーメンズのファンはいつしかラーメンズそのものを特別視しはじめた。彼らが(ラーメンズとしては)テレビから姿を消し、その活動の場を舞台に求めるようになる。テレビでは彼らの笑いを表現するには「時間」「空気」という要素で不向きだと判断したからだ。その判断自体に間違いはなかったように思う。ただ、その判断が「テレビには出ない」→「舞台でしか見ることが出来ない」というプレミア感を与え、また彼らの経歴(美大卒)や公演のスタイルなどが「他のお笑いとは一線を画す」というイメージに繋がっていき、本来は単に「他のお笑いとはスタイルが違う」というだけの峻別から、ファンが「他のお笑い芸人とは違う」という格差別にスライドしていったのではないかと思う。


このラーメンズファンが持つ「ラーメンズは他のお笑いとは違う」という意識こそがアンチの人に「ラーメンズのファンは気持ちが悪い」と思わせる源泉なのではないだろうか。


前述のようにラーメンズはテレビに出てこない。ネタを披露しない。「テレビでネタを披露しない」ことがそもそも「他のお笑いとは違う」なのだろうし、「ライブに行かないとネタを見ることが出来ない」というのもファンの「他のお笑いと違う」という意識を加速させているように思える。いわば「ラーメンズ選民思想」だ。テレビに出てないから消費されていないぞ、と。有吉の言葉を借りれば「バカには見つかってないけども、彼らの笑いを知っているし堪能している我々ファンは幸せだぞ」という感じだろうか。


しかし本当にそうか?ラーメンズは(テレビに出ることは出来るけど)テレビに出てこないだけで、ネタが独特なだけで他のお笑いとそんなに違うのだろうか?自分はそうは思わない。あくまでラーメンズのお笑いのアプローチが他の芸人と違うだけで、決して特殊ではない。完全に「お笑い芸人」の範疇にいると思う。


そして、今のラーメンズは他の芸人と一線を画すほど面白い存在ではない。ここははっきりと書いておくべきだろう。にも関わらずラーメンズのファンは彼らを過剰に面白い存在だと認識している。そこがアンチラーメンズにとって理解出来ないところなのだと思う。


もちろんラーメンズのネタは現在のショートネタブームには向いてない。いや、そもそもテレビで披露されるお笑いに向いてない。それを本人たちが分かっていたからこそテレビには出なくなった。それは構わない。けども、だからといって舞台で彼らが最大限の力を発揮しているネタとテレビでバリバリ活躍している人たちのネタでは、ラーメンズのほうが面白いということはない。ライブが偉いということでも勿論ない。


でも一つだけ確かに言えることは、ラーメンズがテレビでは真似出来ないような面白さを舞台で放っているのかといえばそんなことはない、ということ。ラーメンズの舞台はラーメンズでしか見ることは出来ないけども、ラーメンズと同等の面白さを提供する芸人はいくらでもいる。手法はやや風変わりだが、目的は特殊ではないし代替が利く。にも関わらずラーメンズのファンは手法はともかく目的にも特殊さを見出しているきらいがある。自分には「他に面白い芸人を見たことがないのだろうか?」と不思議に映る。その姿はラーメンズの面白さを盲信する「信者」に他ならない。


「盲信」だとか「信者」だとかいう言葉を意図的に使ってみた。というのも、現在のラーメンズとファンの関係は宗教の教祖と信者の関係に近いからだ。ライブという閉じた空間においてネタという施しを与えほぼ無条件で賞賛されるという関係。当人同士では幸せな関係を築いてはいるし、中にいる人たちがそれで幸せであれば文句をつける必要はないのだけども、外から見たら異様な光景。そんな感じだ。


こういう風通しの悪い集団は必ず中から腐っていく。あまり大きな声では言いたくないが、現にこの関係も腐臭を放ってきていると自分は指摘したい。ライブを観に行っても、さほど面白くもないネタで、本来は笑いが起きないような場所で笑いが起こる。あれではラーメンズとしても「これで面白いんだ」と勘違いを起こすし、またファンは面白くなくても笑うことで確実にラーメンズのネタのレベルを落としている。この負のスパイラルが続けば、彼らはどんどん面白くなくなっていく。彼らのネタを手放しで褒める人間がいることが自分には信じられない。


このような状態を脱却するためにも、やはりラーメンズのネタ(及びラーメンズのファン)はもっと不特定多数の目に晒されるべきだと思う。簡単に言えば、テレビでネタをすべきだ。


先日NHKで放送されていた「笑神降臨」がドランクドラゴンの回で最終回を迎えてしまったわけだけども、ラーメンズは是が非でもこの番組に出るべきだった。もちろん番組としては時期が来ればまた放送を再開する可能性は大いにあるわけで、今後ラーメンズが登場する可能性はある。また、今回オファーを受けていたとしても公演と重なっていたため断ったのかもしれない。だとしたら非常に勿体無い。


少なくとも「笑神降臨」であればライブに近いネタ披露が出来た。この放送で普段ラーメンズのネタを見ることがないような人にもネタを見せることで、ファンではない人たちがどのように自分たちのネタを見ているのか知るべきだった。今ライブを観に来ているファンなら絶対に言わないような第三者的な辛辣な意見を、本人たちが、そしてファンが受け容れるべきなのではないだろうか。


あくまで主観だが、自分はこのままラーメンズとファンの蜜月関係が続けば、ラーメンズは間違いなく「面白くないコントをアートぶってする人たち」に堕すると考えている。アンチの人々は既に、しかもだいぶ前からそう思っているはずだ。でも自分はラーメンズのいちファンとしてそのような事態は避けたいし、また避けることが出来ると思っている。そのためにはいい加減ヌルい関係でのみ成り立っているライブを破棄し、今一度世間に対してラーメンズの面白さを問うてみる必要があるのではないか、と思う。