言いたいことがなにもない

プライベートな日記です

編集でもライターでもないのに編集アドベントカレンダーにアサインされる

編集でもライターでもないのに編集アドベントカレンダーにアサインされてしまい、名だたる人たちの中で駄文を投稿することになった。いやむしろ身に余る光栄です。今日は16日目です。

 

しばらく前まで編集者とは何をする人なのか分からなかった。しかし今は切実に、編集者に助けてもらいたい。このお題で何を書いたらいいのか相談に乗ってほしい。ネタを相談する中で一つや二つくらいは「あ、それは編集者ではないからこそ持っている視点ですね。面白いですね」というのがあるはずで、それを膨らませてほしい。適切に改行してもらい、誤字脱字、ファクトチェックから適当な画像の選定をお願いしたい。もういっそこの記事もちょうどいいタイミングで公開しておいてもくれないか。で、タイトルはこれでいいのか?

 

ところで僕は、はてなというところで働いていた。そこでは編集はとともに、記事広告の販売から進行、そして一時期はブロガーに声をかけて、オウンドメディアに記事を書いてもらうまでのコミュニケーションを行うこともあった。

 

その経験を通して得た考え方やスキルは、なかなか他では得られない貴重なもので、多くが自分の礎になった。

 

中でも印象的なのは、読者のことを考えるということだった。こんなに前置きが長いのにそんなことかと。編集者の人からしたら、ごく当たり前のことだろう。だがこれが、僕には難しいことだった。

 

営業で獲ってきた記事広告案件の執筆を断られたことがある。その広告主の案件だと、どうやっても読者に嫌われる。目の前のお金も大事だが、何よりも媒体が信頼を失うのは一瞬だと。泣く泣くその案件は頭を下げて断った。代理店時代を経て受注とクライアント満足が全てだと思っていたので、衝撃的な体験だった。

 

それから数年間、ステマ問題や、デマ記事釣り記事の連発や、いくつものメディアが一瞬にして信頼を失うのを見てきた。僕は僕で、あらゆる記事の読者の反応を確認しながら、多くの記事案件のリリースに関わることになった。そうした経験を経て、ステマを断ったことや、読者のことを考えようといった僕の発言が、何本かの記事で取り上げてもらえるまでになった。元々が読者のことなんてわからなかったくらいの出自なので、少しむず痒い気分になった。

 

その他にもディレクションやスケジューリングだったり、多くの編集者、記者、ライターと会話したりと、編集の近くで学ぶことができた。

でもなによりも「読者のことを考える」というのは細胞が入れ替わるくらいの出来事だった。読者視点で考えた広告商品が結果的に独自性のあるものになったりもした。

 

はてなはもう卒業したが、そこで記事に関わってきたことは、本当に貴重な時間だった。届いた初稿が輝いて見えたこと(実際にそれは数万シェアされて数十万PVになった)、中々読みづらかった原稿が、編集の手によってとてもおもしろく読みやすいものに生まれ変わったこと、一つ一つの記事の裏側に一つ一つのドラマがあった。

 

そして文章で人の心を動かすことができると信じて、社内外でたくさんの言葉を書き続けた時期でもあった。僕は編集でもライターでもないけれど、読者のことを考えていた視点が、回りの編集やライターのみなさんにも受け入れてもらった理由だったのかもしれない。

 

せっかくの機会なので、本職ではない者としての気持ちを書きましたが、少しでも趣旨に合っていれば幸いです。

で、結局この記事のタイトルは、読者のことを考える的な方が良かったんじゃないかな。