平野克己『人口革命 アフリカ化する人類』

 去年の夏に出たときに読もうと思いつつも読み逃していたのですが、これは読み逃したままにしないでおいて正解でした。

 著者が2013年に出した『経済大陸アフリカ』(中公新書)は、アフリカの現実から既存の開発理論に再考を迫るめっぽう面白い本でしたが、今作も人口について基本的な理論を抑えつつ、それに当てはまらないアフリカの動きを分析していくことで、未来の世界が垣間見えるような面白い本です。

 

 目次は以下の通り。

第1章 人口革命と人口転換
第2章 グローバル人口転換
第3章 アフリカの人口動向
第4章 人口と食糧
第5章 人口と経済 

 

 18世紀後半からイギリスで1%を上回る人口増加が持続的につづいたことが人口革命の始まりと言われています。その結果、イギリスの人口は1801年の約1600万人から1920年には約4682万人まで3倍近くになりました。

 これがアメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドへの移民を生むことになります。

 これにつづくように各国で工業化とともに人口が増加する現象が見られるようになります。

 

 イギリスの人口増加は、まず出生率の増加から始まったといいます。婚姻率が上がり、女性の結婚年齢が下がって、出産頻度が上がったのです。

 日本でも医療が発展し死亡率が下がる前の1820年頃から徐々に出生率の上昇が見られます。

 

 イギリスの人口増加の背景にあるのが食糧生産力の向上です、1790年から穀物法が廃止される1845年までの小麦の平均増産年率は1.1%で、人口増加率をほぼ釣り合っています。

 食糧生産力が上がったのは18世紀前半に生まれたノーフォーク農法が普及したからです。この秋蒔き穀物(小麦)→春巻き穀物(大麦)→飼料用根菜類(カブ)→緑肥マメ科作物(クローバー)からなる四圃輪栽式耕作が効率的な農地利用を可能にしました。

 日本でも明治になって区画整理や品種改良などによる農業生産が向上し、これが人口増加を支えました。

 なお、工業化とともにイギリスはアメリカなどから、日本は朝鮮や台湾から食糧を輸入するようになります。この食糧輸入がマルサスの罠を打ち破ることになりました。

 

 イングランドでは1876年を、日本では1920年をピークに粗出生率は下がりますが、粗死亡率の低下によって人口増加は維持されます。

 人口転換が始まるまで、既婚女性は7回前後の出産が期待されていましたが、17世紀の英独では乳児のおよそ2割が失われ、女性の4割は25歳まで生きられずに出産歴を閉じたと推測されています(27p)。

 死亡率の低下によって、女性にとって危険な出産の回数を減らすことが可能になり、強く強運の人だけではなく多くの人が老年期まで生きることが想定されるようになったのです。

 

 乳幼児死亡率の背景にはボーア戦争において志願兵の3割が兵役検査で不合格になり、それに危機感を抱いた政府が母子養護キャンペーンを行ったことなどが背景にあると言われています。

 こうした中で乳幼児死亡率を引き下げるために、より丁寧な養育が推奨され、専業主婦という生き方も広がっていくことになりました。

 

 そして出生率が低下していくわけですが、先進国では人口定常状態で均衡するわけではなく、さらなる出生率の低下が起こっています。

 人口増加のサイクルが終わったあとに、どんな状況が待っているのは未だに見通せない状況なのです。

 

 では、開発途上国の人口はどのように動いたのでしょうか?

 モーリシャスは人口動態統計が19世紀から揃っている珍しい国です。モーリシャスではイギリスや日本と比べて死亡率の低下のスピードが早かったこともあり、人口増加率は1949年の4.6%をピークとして、60年代前半まで3%水準で増加しています(41p図2−1参照)。

 これは死亡率の低下と粗出生率の上昇が同時に起こったことが原因です。

 

 他の発展途上国でもこのパターンが見られます。

 死亡率の低下については公衆衛生の進展、出生率の上昇については、婚姻率の上昇(とくにラテンアメリカの)、授乳期間の短縮(とくにアジア)、性病の減少と出産後性交節制慣習の消滅(とくにサブサハラアフリカ)などの要因が指摘されていますが、これによって「人口爆発」と呼ばれる状況が生まれたのです。

 

 人口のボリュームが大きいのは中国とインドですが、中国は1959〜61年の大躍進政策による粗死亡率の急上昇、その後にそれを補うかのように現れた粗出生率の急上昇、さらに一人っ子政策による出生率の抑え込みとジェットコースターのようなグラフになっています(49p図2−2参照)。

 インドでも1952年から世界に先駆けて人口抑制策が導入されました、結果としては失敗に終わりましたが、その影響もあるのか中国とインドは移民国家を除けば性比の偏った(女性の少ない)社会になっています。

  

 こうした中でいつ人口増加が収束するのかが見通せないのがアフリカです。

 アフリカの人口増加率は1950年代から2%を割り込んだことがなく、国連の推計では2024年に中国を抜き、27年にインドを抜くとされています。2020年から2100年にかけて世界の人口は30億増えて108億人に達すると言われていますが、増分の95%、29億人はアフリカ人という予測になっています(53p)。

 ただし、これは国連人口部の予測であり、今までの予測を見ても、先進国の出生率はいずれ戻ると見て高めの予測を出しているなど、この通りになりかどうかはわかりません。

 

 そもそもアフリカでは人口がきちんと把握されていない国が多く、アフリカでは出生数の56%、死亡数の27%しか把握されておらず、特にナイジェリア、エチオピア、コンゴ民主共和国といった大国できちんと把握されていません(69p表3−1参照)。

 人口センサスでも、例えばナイジェリアでは歴史的に人口センサスをめぐって混乱があり、正確な数字が出せていません。アフリカで最大の人口を抱えるナイジェリアの正確な人口がよくわからないのです。

 そのため、国連のアフリカの人口予測もかなりぶれています(76p図3−4参照)。

 

 近年、アフリカの人口動態に大きな影響を与えたのがHIV/AIDSです。20世紀中の累積で感染者のおよそ70%、死亡者のおよそ84%がアフリカ人だったと言われます(81p)。

 アフリカ各地の死亡率を見ると、1950年代から順調に低下していたものが、南部アフリカでは1990-95を底に反転しました(83p図3-7)。

 

 アフリカでHIVの感染爆発の中心となったのが売春街を抱えた大都市でした。

 アフリカでもっとも人口密度が高い大湖地域では、第一次世界大戦後にタンガニーガの宗主国がドイツからイギリスに代わりコーヒーの輸出が増えたことで富裕になりました。しかし、そこのハヤ人のコミュニティでは所得格差の拡大と婚資の高騰が起こり、若者は婚資を払えなくなり、若い女性は富裕な年長者に嫁がされるとともに厳しい労働を課せられました。

 こうした状況に耐えかねた女性たちが大都市へと逃亡し、彼女たちが性産業に従事したことで、性労働者の大集団を形成することになりました。

 

 さらにここにウガンダとタンザニアの戦争、コーヒー価格の低迷などが加わって、性産業が貧困女性の受け皿になり、HIVの感染爆発を用意したのです。

 HIVの流行についてはアフリカの性道徳などが問題にされることがありますが、その裏には植民地支配を通じた社会構造の変動があったのです。

 

 21世紀になるとHIVに対する治療薬の普及で死亡率は下がっていきます。

 一方、HIVの大流行が出生率に与えた影響については議論の分かれるところですが、アフリカ南部では80年代から低下した出生率が1990-95年を底にして反転しており(95p図3-9参照)、人々は死の恐怖の中で子孫を残そうとしたとも考えられます。

 

 アフリカの人口予測の難しさとして一夫多妻制に代表される複婚の存在があります。一夫多妻制婚女性の割合を見ると、上位20カ国はすべてサブサハラ諸国であり、ブルキナファソの42.2%を筆頭に高い数値となっています(99p表3-3参照)。

 単婚に比べて一夫多妻制のもとでは各妻の出産回数は減る傾向にありますが、社会全体の出生数は多くなります。若年婚が一般化し、その結果として夫婦の年齢差が拡大して寡婦も増えますが、再婚率も高くなり、女性の婚姻率が上がるからです。

 

 アフリカでは初婚年齢が低く、調査時点で20-24歳の有配偶女性の初婚年齢を調べると、ニジェールでは18歳未満が76.3%、15歳未満が28.0%、チャドでは18歳未満が66.9%、15歳未満が29.7%となっています(101p表3-4参照)。

 結果として、サブサハラアフリカでは10代の出産割合は横ばいになっていますし(102p図3-11参照)、サブサハラアフリカ諸国の女性識字率は低迷しています(103p表3-5参照)。

 

 また、一夫多妻制の影響もあり、アフリカでは女性世帯主の割合が高いです。エスワニティ、エリトリア、ナミビア、南アフリカなどでは女性世帯主の割合が40%を超えており(105p表3-6参照、ちなみに世界一高いのがウクライナの49.4%で出稼ぎが多いためと思われる)、これは一夫多妻の女性と子どもが別個の経済単位を構成しているためと思われます。

 

 アフリカで一夫多妻制が存続している背景にはアフリカの農業のスタイルがあるといいます。

 農地の長期休閑を前提とした移動人力耕作では、女性が日常的な農業労働の主体であり、男性は主に開墾作業に従事します。生産拡大はもっぱら追加労働力(妻とその子ども)の数に依存するので、男性にとって多くの妻は生産力拡大のために必要です。各農地は女性が管理するので女性は経済的自立性を享受できますが、大家族になると家事負担も増えるので妻は労働負担を分担できる新しい妻の参入を歓迎します。こうして一夫多妻制が維持されているというのです。

 

 アフリカでは依然として6人以上の子どもを希望する親(夫、妻双方)が多く(111p図3-12参照)、出生率が低下する徴候は見られません。国連の予測もアフリカに関しては過少であると著者は見ています。

 

 人口が増加する中で心配なのは、それを養うだけの食糧があるのかという問題です。

 1980年代まで、人口増加率を上回る穀物増産がえられていました。これは緑の革命などによって単収が改善したからです。90年代〜00年代前半は単収の伸び、耕作面積増加率とも低迷しましたが、近年は飼料需要とバイオエタノールの需要からトウモロコシの栽培が伸びており、単収も改善傾向にあります(121p図4-1参照)。

 

 穀物貿易を見ると、輸出の中心は南北アメリカとオセアニアですが、近年、大きく輸出を伸ばしているのがロシアとウクライナを含むヨーロッパです。実はソ連は世界最大の穀物輸入国だったのですが、これが逆転しました。著者は「この転換はソ連崩壊が世界経済に残した最大の功績かもしれない。この転換がおこらなければ世界の小麦需要はどこかで破綻していただろう」(127pの注8)と述べています。

 

 では、アフリカはどうなのか? 穀物単収をみるとかつては同じようなレベルだった東南アジアと南アジアが緑の革命の影響などによって順調に伸びているのに対して、アフリカの穀物単収は低迷しています(138p図4-9参照)。

 では、どうやって食糧生産が増えたのかというと耕地面積の拡大によってです。多くの大陸で横ばいとなっている穀物耕作面積ですが、アフリカでは21世紀になっても増加を続けています(139p図4-10参照)。

 

 アフリカの主食は、トウモロコシ、米、小麦、ソルガム、雑穀、キャッサバ、ヤムイモとバラエティに富んでいます。トウモロコシやキャッサバは新大陸から伝わったものです。

 

 アフリカの中で、穀物単収を継続的に向上させているのがエチオピアです。他にもザンビアのトウモロコシと小麦、マリのトウモロコシも伸びていますが、エチオピアは穀物全般で高い成績を収めています(149p表4-4参照)。

 1991年に軍事独裁政権が倒れたあとに政権を握ったメレスが、農業関連支出を大幅に増やし、化学肥料の大規模な投入などを行ったことがこの増産を可能にしました。メレスは「レントシーキングとパトロネージから経済活動を解放するには政府が介入しなければならない」(154p)と論じ、農村への積極的な介入で農業生産を向上させました。

 

 ザンビアの単収の向上の背景には、隣国のジンバブエで白人農場の強制収容が行われ、推定400戸の白人農家が移住してきたことがあるそうです。その結果、ザンビアの小麦とトウモロコシの生産量は伸び、ジンバブエのそれは低迷しました(157p図4-17参照)。

 

 アフリカでは稲作も伸びていますが、単収に関しては低迷傾向にあります。

 水稲は単収の向上が期待でき、実際、エジプトの稲作は日本を上回り、世界トップクラスの単収となっています(170p図4-25参照)。ただし、アフリカで水稲耕作をする時にネックになるのが水資源です。エジプトではナイル川の水に頼るしかなく、使える水の量は限られるので、水稲耕作をさらに拡大させていくのは難しいのです。

 

 アフリカの人口と食糧の状況は、世界で最も生産性が低いにもかかわらず世界でもっとも人口増加率が高いという一見すると矛盾したものですが、これを可能にしているのが食糧耕作面積の継続的な拡大です。

 先程の一夫多妻制の話も、まだ開墾できる土地があるからこそ続いているとも言えます。

 著者はGDPや都市化率ではなく、食糧生産性の向上がアフリカの人口転換の始点になるのではないかと考えています。

 

 少子化で子どもの数が減ると、一時的に人口に占める生産年齢人口の比率が高まり、経済成長に有利な状況になります。これが人口ボーナスで、日本の高度成長やバブル前後もこの条件に支えられていました(192p図5-2参照)。高度成長期は生産年齢人口の増加によって経済成長率はほぼ2%と上乗せされていたと考えられています。

 韓国も中国もこの人口ボーナスが働いており、経済成長に大きく貢献しました。

 ただし、少子化はやがて生産年齢人口の低下を招きます。いわゆる人口オーナスです。1992-2015年の日本では、経済成長率がこれによって1%割り引かれたと考えられます。

 

 一方、アフリカでは人口ボーナスがはたらきそうにありません。サブサハラアフリカの生産年齢人口比率は55%以下で停滞しています。

 日本の経済成長はアジア諸国の手本となりましたが、その裏には人口ボーナスによるブーストがあり、将来には人口オーナスによるブレーキが待っています。 

 アフリカで経済成長が起こるとしたら、それは日本やアジアのものとは違った形になるだろうと思われます。

 

 他にもたくさんの読みどころのある本で、ミクロな現場を押さえつつも、スケールの大きなマクロ的な話を進めていく議論は著者ならではのもので、文句なしに面白いですね。

 世界の人口に関する本としても、アフリカに関する本としても、そして開発経済学の本としても楽しめる本です。

 

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