大地を歩こう › 2015年06月
スポンサーリンク
この広告は一定期間(1ヶ月以上)更新のないブログに表示されます。
ブログ記事の情報が古い場合がありますのでご注意下さい。
(ブログオーナーが新しい記事を投稿すると非表示になります。)
ブログ記事の情報が古い場合がありますのでご注意下さい。
(ブログオーナーが新しい記事を投稿すると非表示になります。)
2015年06月25日
ザックカバー その後
6月21日
焼岳の疲れで、帰ってビールを飲んだら
そのまま泥のように眠ってしまいました。
一回も起きることなく、寝てたのですが・・・
「・・・・さん。」
「・・・とうさん。」
「おとうさん。」
ゆっさゆっさとお腹を揺する声で目が覚めました。
「おとうさん、雨降ってないよ。ザックカバー探しに行こう?」
なんと・・・
まだ5時なんですが・・・Orz
カミさんに再び朝食のおにぎりを握ってもらって、
車に自転車を乗せて出発です。
早朝なので道もスイスイ。
1時間足らずで再び11号カーブへやってきました。
ここまでの往復のトンネル代、ガス代を考えると、
新しいザックカバーを買ったほうが安いんですが・・・
あのザックカバーじゃなきゃダメだそうで。
でも、
「雨で流されていたり風で飛ばされていたらもう見つからないからね。」
と釘を刺しておきました。
自分で見に行って、無ければ諦めると。
さて、少し小雨が降る中、昨日歩いた道を自転車で行きます。
今日は熊鈴は要りません。
チャリベル鳴らしまくりながら行きます。
最初は調子良く自転車を漕いでいたのですが、
脱ぎたいけど脱げないカッパの暑さにやられて、
やがて自転車を押しはじめました。
昨日ザックカバーをつけた地点からは、道の上、
側溝、崖側の水か流れた後をよーく見ながら歩きます。
無いね~
やがて峠へ。
ここまで11号カーブから2.8km
私の勝手な予想では、この峠までに落としてるんじゃないかと考えていました。
こりゃ、もう見つからないな。
峠を越えて、下りに入り始めます。
息子と手分けして右側、左側を確認しながら下っていきます。
600mほど進んだところで・・・
あったよ~
息子、歓喜の声を上げます。
側溝ギリギリでしたね。
昨日は側溝をジャブジャブ水が流れていたので、もし側溝まで流されていたら見つからなかったでしょう。
良かった良かった。
と言うわけで、任務完了、撤収します。
9時前には自宅に帰って、荷物の片付けしました。
心残りも無くなり、また次の道へ歩き出せます。
いや、ホントに良かった・・・
焼岳の疲れで、帰ってビールを飲んだら
そのまま泥のように眠ってしまいました。
一回も起きることなく、寝てたのですが・・・
「・・・・さん。」
「・・・とうさん。」
「おとうさん。」
ゆっさゆっさとお腹を揺する声で目が覚めました。
「おとうさん、雨降ってないよ。ザックカバー探しに行こう?」
なんと・・・
まだ5時なんですが・・・Orz
カミさんに再び朝食のおにぎりを握ってもらって、
車に自転車を乗せて出発です。
早朝なので道もスイスイ。
1時間足らずで再び11号カーブへやってきました。
ここまでの往復のトンネル代、ガス代を考えると、
新しいザックカバーを買ったほうが安いんですが・・・
あのザックカバーじゃなきゃダメだそうで。
でも、
「雨で流されていたり風で飛ばされていたらもう見つからないからね。」
と釘を刺しておきました。
自分で見に行って、無ければ諦めると。
さて、少し小雨が降る中、昨日歩いた道を自転車で行きます。
今日は熊鈴は要りません。
チャリベル鳴らしまくりながら行きます。
最初は調子良く自転車を漕いでいたのですが、
脱ぎたいけど脱げないカッパの暑さにやられて、
やがて自転車を押しはじめました。
昨日ザックカバーをつけた地点からは、道の上、
側溝、崖側の水か流れた後をよーく見ながら歩きます。
無いね~
やがて峠へ。
ここまで11号カーブから2.8km
私の勝手な予想では、この峠までに落としてるんじゃないかと考えていました。
こりゃ、もう見つからないな。
峠を越えて、下りに入り始めます。
息子と手分けして右側、左側を確認しながら下っていきます。
600mほど進んだところで・・・
・・・!
コレは!
コレは!
あったよ~
息子、歓喜の声を上げます。
側溝ギリギリでしたね。
昨日は側溝をジャブジャブ水が流れていたので、もし側溝まで流されていたら見つからなかったでしょう。
良かった良かった。
と言うわけで、任務完了、撤収します。
9時前には自宅に帰って、荷物の片付けしました。
心残りも無くなり、また次の道へ歩き出せます。
いや、ホントに良かった・・・
タグ :安房峠
2015年06月23日
【焼岳】日本アルプス横断の旅 新穂高~焼岳~平湯 後編
続き
焼岳の山頂は風も無く穏やかでした。
雲は晴れ間とガスが数分おきにやってくる感じです。
景色が広がるたびに、山頂に居合わせた方々から歓声が上がります。
気持ちのよい景色です。
当初、お昼ご飯は少し下ってから食べる予定でした。
どうも息子は火山の山頂に長時間居るのが怖かったようです。
でも、綺麗な景色と穏やかな気候のおかげで
「お父さん、ここでお昼にしよう?」
と、冷静になったようです。
もちろん、ここで頂きましょう。
お湯を沸かすだけのカップラーメンですが、
山頂で食べるだけでも充分美味しいです。
ゆっくり景色を眺めて山頂を充分堪能しました。
50分程の滞在です。
時折、前穂の頭が見えたり・・・
11:30 お腹もいっぱいになりましたし、
さぁ、下山しましょう。
帰りはここのコルから中の湯側に下山します。
今度はカールを歩きます。
立派な噴気孔です。
息子もマジマジと眺めています。
少し怖いようです。
南峰をバックに息子が撮ってくれました。
何故かドヤ顔です。
何気で、焼岳でここのコルに来るのは初めてです。
いつも真っ直ぐ山頂へ向かってたもので・・・
火口湖ですね。
その向こうは火口のように見えますけど、
北側の斜面になります。
冬場は真っ平らなカールでも、夏場は結構ゴツゴツした岩場なんですね。
一つ一つの岩がとても大きいです。
始めて知りました。
残雪もあとわずかです。
しかし雪を見たら遊ばずには居られません。
スタンディングセードが上手な息子です。
2300mの岩。
こんな岩があるのも知りませんでした。
雪渓を少し渡りますが・・・
行く方向が違う・・・
とことん遊ぶ気の息子です。
下堀沢ももう滑れないですね。
また次の冬に来ます。
さて、ベンチの広場です。
ここで再装備。
ヘルメットを外して上着も脱ぎます。
ここからは樹林帯ですから、暑いですしね!
さようなら、焼岳。
また冬に!
密度の濃い樹林帯を行きます。
苔むした雰囲気がとても神秘的で素敵な森です。
ここの森林歩きは好きです。
ただ、この道はぬかるみが激しいですね・・・
前日の雨の影響か、いつもなのか?
雪解けの頃に歩くといつもぬかるんでるので、
そんなイメージしか無いのです。
と言うことで、
14:00 中の湯登山道入口に着きました!
他に下山された方も、車の前でまったり座ったり、荷物の整理したり・・・
しかし私達はここも通過点です。
ここで再び登山靴から運動靴に履き替えます。
ここに降りてきたのに車が無いって、かなり不安な感じがします。
さーて、行きましょう。
平湯までのロード11キロ!
安房峠、旧158号線を歩きます。
11号カーブから先、冬季通行止めです。(6月20日現在)
例年ならとっくに開通している時期なのでですが、
今期は岐阜県側の落石、倒木撤去の作業の為に
冬季閉鎖が続いています。
土木事務所に事前に電話で確認していたのですが、
道路の崩落では無いそうです。
平湯温泉からアカンダナ山を見上げると、
現在斜面の一部が大きく崩落しているのが見えます。
おそらくその落石や倒木が道路を塞いでいるのでは無いかと思います。
と言うことで平湯に向かいましょう。
13号カーブ、ここの真下に焼岳登山名物の車が落ちています。
ここから落ちたんですね。
この後、テクテク歩いて15号カーブまで来た辺りで・・・
雷鳴が轟きました。
息子がビクビクしてます。
これはマズイかな?
稜線を歩いているわけでは無いからまだ安心できるものの、
かなり不安です。
やがて雨も降り始めました。
天気予報より2時間ほど早い雨。
どうするか?
ここから中の湯のバス停まで戻ると7キロほど。
平湯に降りても9キロほど。
もう進むしかない状況です。
カッパを着込んで、ザックにカバーを被せて雷に怯えながら歩きます。
稲光から秒数を数えて・・・
1、2、3、ゴロゴロ・・・
おおよそ1.3キロ。
それ以上近づいたらマズイと思いましたが、それからは間隔も遠のき、やがて県境に近づいた辺りで音はしなくなりました。
良かった~。
しかし雨脚は強く、バケツをひっくり返したような雨です。
運動靴に履き替えたので、私も息子も靴の中までビショビショです。
体温が低下すると体力が持っていかれてしまいます。
峠には確か茶屋があったような~・・・
軒下で少し雨宿りしよう。
と思ったのですが、なんと跡形も在りませんでした。
あれれ?
最近まであったような気がしてたんですが。。。
息子も雨宿りが出来ると思ってたのに、
出来ない事実を知ってテンションダウン。
仕方なく大雨の中をトボトボ二人で歩き続けました。
しかも、流石にここまで結構な距離を歩いて来ているので、
二人とも足に来ています。
息子も足が少し痛いと言い出しました。
岐阜県側に入り、2キロほど歩いたでしょうか。
雨も小降りになり、少し心に余裕が出来たので水でも飲もうと
息子のザックを見て、その時気付きました。
「なんだ~?なんでザックカバーかけなかったの?」
と言ったとたん、息子の顔が見る見る崩れて大泣きし始めました。
どうやらどこかで落としたらしいです。
確実にカバーはかけたそうで。
一番最初の富士山登山からずっと使ってる、
思い出の詰まった大事なザックカバー。
拾いに戻るんだと聞かん坊になってしまいました。
もう体力の限界に近いのに、
さらにどこに落としたか分からないザックカバー。
下手すると最初にカバーをかけた直後に落としているかもしれない。
しかも雨が降っていて状況も悪化。
それを取りに戻るなんて・・・
もう戻って拾いに行く事は出来ないと息子に伝えると、
珍しく癇癪を起こして聞かなくなってしまいした。
参った・・・
言う事を聞かなくなってしまったことに少し頭に来て、
売り言葉に買い言葉。
「わかった、お父さんが取りに行くから、君はココで待ってなさい。
もし熊が来たら、いつも言ってるように対処して、最悪時は戦うんだ。」
とナイフを1本渡しました。
私はザックを置いてヒトココだけ持って、
来た道を走って戻り始めました。
しばらく走ってるとまた雨脚が強くなり始めました。
そして走りながら冷静に考えると、この状況は非常にまずい。
これは遭難の第一歩だ。
大体小学生がナイフ1本で熊と戦えるわけが無い。
危険だ。
冷静になった瞬間にUターしてさらにダッシュで息子の元に走ります。
近づいて分かります。
激しいベルの音、そして大きな歌声。
息子、ベルをひたすら鳴らしながら大声で(半泣き)で歌ってました。
良かった、無事だった。
たかだか10分間ほどとは言え、判断を誤った事を反省しました。
「お父さん、カバーは?」
と聞くので、
息子の両肩を抑えて
「取りに戻る事は危険。ザックカバーは諦めよう。
ザックカバーより君が大事だ。」
と言うと、ようやく息子も縦に首を振りました。
再び小雨になった158号を、また二人でテクテクと歩き始めました。
しかし私も走った事によりかなり体力を消耗しました。
これは良くないな~・・・
平湯まで残り5キロの地点。
脇道に砂利の林道です。
平湯スキー場への連絡通路です。
ここまで158号線はなんの障害も無く歩いて来れました。
冬季閉鎖が続いている理由があるとすれば、この先。
そこまで歩いて、もし通過出来ない状況だったら・・・?
またここまで戻る。
その選択をした時に体力と気力は持つのだろうか?
ここで息子に提案。
「ここから平湯スキー場に抜けよう。
少し登りになるけど、距離は短くなるし、確実に平湯まで歩ける。」
と。
登りの言葉に躊躇しましたが、距離は短いと言う事に惹かれたようです。
ここを通って平湯まで行く事に。
20分ほど登りの林道を歩くと、
「平湯マデ2km」
の看板と共にスキー場に出ました。
あと2キロの文字に、二人ともテンション上がります。
よし、後はスキー場を下ろう。
しかしこのスキー場が曲者でした。
砕石がザレて歩きにくいのと、なんと熊フンが多数・・・
息子はひたすらベルを鳴らしまくって歌い始めました。
ほんっとにビビリー。。。
足が重い中、ザレた下りを進むので、
息子の足が途方も無く遅くなってきました。
まぁ、仕方ないです。
自分で行くと言ったのだから、最後まで歩いてもらいます。
やがてスキー場に入って小一時間ほど。
ようやく人の営みが視界に入ってきました。
なんと言う安心感。
帰ってきた感ハンパ無いです。
スキー場の一番下に道標発見。
ぽつんとたたずむ小さな道標に、
とっても大きな山の名前。
次回はここから乗鞍の山頂を目指します。
17:10 ようやくゴール!
ホントは平湯のバスターミナルまで行くつもりだったんですが、
冷えた体にこの看板は魅力的過ぎました。
今回は平湯の森をゴールと致します。
いやー、ちょっと危ういところもありましたが、良く歩きました。
第1歩目からロングトレイルとなってしまいましたが、
順調に今回の旅を歩き始めました。
よーし、行くぞ!太平洋!
2015年 6月20日
歩行距離 23.16km
累積標高差 登り2272m
下り2078m
焼岳の山頂は風も無く穏やかでした。
雲は晴れ間とガスが数分おきにやってくる感じです。
景色が広がるたびに、山頂に居合わせた方々から歓声が上がります。
気持ちのよい景色です。
当初、お昼ご飯は少し下ってから食べる予定でした。
どうも息子は火山の山頂に長時間居るのが怖かったようです。
でも、綺麗な景色と穏やかな気候のおかげで
「お父さん、ここでお昼にしよう?」
と、冷静になったようです。
もちろん、ここで頂きましょう。
お湯を沸かすだけのカップラーメンですが、
山頂で食べるだけでも充分美味しいです。
ゆっくり景色を眺めて山頂を充分堪能しました。
50分程の滞在です。
時折、前穂の頭が見えたり・・・
11:30 お腹もいっぱいになりましたし、
さぁ、下山しましょう。
帰りはここのコルから中の湯側に下山します。
今度はカールを歩きます。
立派な噴気孔です。
息子もマジマジと眺めています。
少し怖いようです。
南峰をバックに息子が撮ってくれました。
何故かドヤ顔です。
何気で、焼岳でここのコルに来るのは初めてです。
いつも真っ直ぐ山頂へ向かってたもので・・・
火口湖ですね。
その向こうは火口のように見えますけど、
北側の斜面になります。
冬場は真っ平らなカールでも、夏場は結構ゴツゴツした岩場なんですね。
一つ一つの岩がとても大きいです。
始めて知りました。
残雪もあとわずかです。
しかし雪を見たら遊ばずには居られません。
スタンディングセードが上手な息子です。
2300mの岩。
こんな岩があるのも知りませんでした。
雪渓を少し渡りますが・・・
行く方向が違う・・・
とことん遊ぶ気の息子です。
下堀沢ももう滑れないですね。
また次の冬に来ます。
さて、ベンチの広場です。
ここで再装備。
ヘルメットを外して上着も脱ぎます。
ここからは樹林帯ですから、暑いですしね!
さようなら、焼岳。
また冬に!
密度の濃い樹林帯を行きます。
苔むした雰囲気がとても神秘的で素敵な森です。
ここの森林歩きは好きです。
ただ、この道はぬかるみが激しいですね・・・
前日の雨の影響か、いつもなのか?
雪解けの頃に歩くといつもぬかるんでるので、
そんなイメージしか無いのです。
と言うことで、
14:00 中の湯登山道入口に着きました!
他に下山された方も、車の前でまったり座ったり、荷物の整理したり・・・
しかし私達はここも通過点です。
ここで再び登山靴から運動靴に履き替えます。
ここに降りてきたのに車が無いって、かなり不安な感じがします。
さーて、行きましょう。
平湯までのロード11キロ!
安房峠、旧158号線を歩きます。
11号カーブから先、冬季通行止めです。(6月20日現在)
例年ならとっくに開通している時期なのでですが、
今期は岐阜県側の落石、倒木撤去の作業の為に
冬季閉鎖が続いています。
土木事務所に事前に電話で確認していたのですが、
道路の崩落では無いそうです。
平湯温泉からアカンダナ山を見上げると、
現在斜面の一部が大きく崩落しているのが見えます。
おそらくその落石や倒木が道路を塞いでいるのでは無いかと思います。
と言うことで平湯に向かいましょう。
13号カーブ、ここの真下に焼岳登山名物の車が落ちています。
ここから落ちたんですね。
この後、テクテク歩いて15号カーブまで来た辺りで・・・
雷鳴が轟きました。
息子がビクビクしてます。
これはマズイかな?
稜線を歩いているわけでは無いからまだ安心できるものの、
かなり不安です。
やがて雨も降り始めました。
天気予報より2時間ほど早い雨。
どうするか?
ここから中の湯のバス停まで戻ると7キロほど。
平湯に降りても9キロほど。
もう進むしかない状況です。
カッパを着込んで、ザックにカバーを被せて雷に怯えながら歩きます。
稲光から秒数を数えて・・・
1、2、3、ゴロゴロ・・・
おおよそ1.3キロ。
それ以上近づいたらマズイと思いましたが、それからは間隔も遠のき、やがて県境に近づいた辺りで音はしなくなりました。
良かった~。
しかし雨脚は強く、バケツをひっくり返したような雨です。
運動靴に履き替えたので、私も息子も靴の中までビショビショです。
体温が低下すると体力が持っていかれてしまいます。
峠には確か茶屋があったような~・・・
軒下で少し雨宿りしよう。
と思ったのですが、なんと跡形も在りませんでした。
あれれ?
最近まであったような気がしてたんですが。。。
息子も雨宿りが出来ると思ってたのに、
出来ない事実を知ってテンションダウン。
仕方なく大雨の中をトボトボ二人で歩き続けました。
しかも、流石にここまで結構な距離を歩いて来ているので、
二人とも足に来ています。
息子も足が少し痛いと言い出しました。
岐阜県側に入り、2キロほど歩いたでしょうか。
雨も小降りになり、少し心に余裕が出来たので水でも飲もうと
息子のザックを見て、その時気付きました。
「なんだ~?なんでザックカバーかけなかったの?」
と言ったとたん、息子の顔が見る見る崩れて大泣きし始めました。
どうやらどこかで落としたらしいです。
確実にカバーはかけたそうで。
一番最初の富士山登山からずっと使ってる、
思い出の詰まった大事なザックカバー。
拾いに戻るんだと聞かん坊になってしまいました。
もう体力の限界に近いのに、
さらにどこに落としたか分からないザックカバー。
下手すると最初にカバーをかけた直後に落としているかもしれない。
しかも雨が降っていて状況も悪化。
それを取りに戻るなんて・・・
もう戻って拾いに行く事は出来ないと息子に伝えると、
珍しく癇癪を起こして聞かなくなってしまいした。
参った・・・
言う事を聞かなくなってしまったことに少し頭に来て、
売り言葉に買い言葉。
「わかった、お父さんが取りに行くから、君はココで待ってなさい。
もし熊が来たら、いつも言ってるように対処して、最悪時は戦うんだ。」
とナイフを1本渡しました。
私はザックを置いてヒトココだけ持って、
来た道を走って戻り始めました。
しばらく走ってるとまた雨脚が強くなり始めました。
そして走りながら冷静に考えると、この状況は非常にまずい。
これは遭難の第一歩だ。
大体小学生がナイフ1本で熊と戦えるわけが無い。
危険だ。
冷静になった瞬間にUターしてさらにダッシュで息子の元に走ります。
近づいて分かります。
激しいベルの音、そして大きな歌声。
息子、ベルをひたすら鳴らしながら大声で(半泣き)で歌ってました。
良かった、無事だった。
たかだか10分間ほどとは言え、判断を誤った事を反省しました。
「お父さん、カバーは?」
と聞くので、
息子の両肩を抑えて
「取りに戻る事は危険。ザックカバーは諦めよう。
ザックカバーより君が大事だ。」
と言うと、ようやく息子も縦に首を振りました。
再び小雨になった158号を、また二人でテクテクと歩き始めました。
しかし私も走った事によりかなり体力を消耗しました。
これは良くないな~・・・
平湯まで残り5キロの地点。
脇道に砂利の林道です。
平湯スキー場への連絡通路です。
ここまで158号線はなんの障害も無く歩いて来れました。
冬季閉鎖が続いている理由があるとすれば、この先。
そこまで歩いて、もし通過出来ない状況だったら・・・?
またここまで戻る。
その選択をした時に体力と気力は持つのだろうか?
ここで息子に提案。
「ここから平湯スキー場に抜けよう。
少し登りになるけど、距離は短くなるし、確実に平湯まで歩ける。」
と。
登りの言葉に躊躇しましたが、距離は短いと言う事に惹かれたようです。
ここを通って平湯まで行く事に。
20分ほど登りの林道を歩くと、
「平湯マデ2km」
の看板と共にスキー場に出ました。
あと2キロの文字に、二人ともテンション上がります。
よし、後はスキー場を下ろう。
しかしこのスキー場が曲者でした。
砕石がザレて歩きにくいのと、なんと熊フンが多数・・・
息子はひたすらベルを鳴らしまくって歌い始めました。
ほんっとにビビリー。。。
足が重い中、ザレた下りを進むので、
息子の足が途方も無く遅くなってきました。
まぁ、仕方ないです。
自分で行くと言ったのだから、最後まで歩いてもらいます。
やがてスキー場に入って小一時間ほど。
ようやく人の営みが視界に入ってきました。
なんと言う安心感。
帰ってきた感ハンパ無いです。
スキー場の一番下に道標発見。
ぽつんとたたずむ小さな道標に、
とっても大きな山の名前。
次回はここから乗鞍の山頂を目指します。
17:10 ようやくゴール!
ホントは平湯のバスターミナルまで行くつもりだったんですが、
冷えた体にこの看板は魅力的過ぎました。
今回は平湯の森をゴールと致します。
いやー、ちょっと危ういところもありましたが、良く歩きました。
第1歩目からロングトレイルとなってしまいましたが、
順調に今回の旅を歩き始めました。
よーし、行くぞ!太平洋!
2015年 6月20日
歩行距離 23.16km
累積標高差 登り2272m
下り2078m
2015年06月22日
【焼岳】日本アルプス横断の旅 新穂高~焼岳~平湯 前編
いよいよ新しい冒険へ踏み出します。
ホントに出来るのか?何年かかるのか?
先の事はわからないです。
やれるのか?やれないのか?では無く、
私たち親子は「やりたい」のです。
簡単に出来てしまう事は挑戦とは言わないと思ってます。
生暖かく、見守って下さい。
日本アルプス横断の旅への挑戦、始めます。
それではいつもの長文行きましょう。
6月20日
4:30
新穂高へ来ました。
ココを基点に北へ日本海、南へ太平洋を歩いて目指します。
今回は南ルートを進めることにしました。
敬意を持って、新穂高登山指導センター前をスタート地点にします。
ここから北へ南へ歩み始めます。
登山計画書を提出します。
しつこいようですが、計画書は提出用、自分の控、家用の
合計3通用意します。
何かあった時は初動が大事ですので。
さらに今回からの新しい装備品。
「ヒトココ」
どんな形であれ、必ず家に帰ります。
この機械、遊園地に行く際にも子機を子供達に持たせておくと安心です。
普段はランドセルの中に忍ばせたり。
さて、まずは中尾の焼岳登山口を目指します。
早朝から送ってくれたカミさん、ありがとう。
家族の協力が無ければこの旅は進められません。
感謝しております。
まずは県道沿いに下ります。
いつものひがくの湯。
今日はもちろんスルーです。
20分ほど歩き、中尾高原口まで来ました。
標高は1000mを若干切りました。
ここから焼岳山頂までずっと登りになります。
標高差1450mほどですね。
中尾温泉の入口です。
「ああ、偉なるかな、飛騨の山」
いい言葉です。飛騨青年の叫びより。
中尾温泉の中を歩いていくのですが。。。
少し寂しいですが温泉宿も何軒かは廃業されているようです。
でも側溝からは常に湯気がモクモクと上がり、湯量の豊富さが伺えます。
この道は旧鎌倉街道です。
かつては上高地に行くために、信州からは徳本峠、
飛騨からは中尾峠を通るのが主流でした。
足湯があります。
帰り道だったら、迷わず足を入れてますね(^^;
今回はスルーします。
ようやく焼岳中尾口の登山者駐車場まで来ました。
ここに登山届けのポストもあります。
この日この時車は1台だけでした。
林道を歩き続けると、こんなものがありました。
地熱発電所です。
原子力に変わる代替エネルギー、もっと積極的に増えると良いですね。
5:55登山道の入口に来ました。
ここまでロード6キロ、1時間20分で来ました。
標高およそ1200m、いよいよ登山です。
運動靴から登山靴に履き替えます。
そして軽く朝食を取り、6:10にスタートしました。
さて、行きましょう。
いきなり滑る橋で息子、プルプルしてます。
ここでドボンは勘弁なので、手を差し出しました。
30分ほどゆるゆるとした道を歩くと、再び登山道入口の看板。
本来は先ほどの林道を歩き続けてここに来るらしいです。
振り返ると「近道」の看板。
ここが本当の登山道入口のようですね。
ほんの少し歩くと、「白水の滝」の看板。
向こうに大きな滝が見えます。
前夜に雨も降っていたので、水量豊富でとても綺麗です。
立派な滝ですね。大きな写真が無くてゴメンなさい。
その後は、それほど急登ではないものの、
そんなに優しくない登り道をただひたすらに登ります。
急がない程度に登っているので、息子もおしゃべりが止まりません。
気がつけば高度もかなり上がっていました。
時折、こんな倒木もあったり・・・
やがて秀綱神社に出ました。
秀綱神社の秀綱とは、姉小路秀綱、つまり三木氏の末裔です。
金森長近公が飛騨攻めをした際に最後まで抵抗した三木氏。
松倉城が落城した後に信州へ逃げる為にこの中尾峠を越えて行きました。
その際、島々谷の住民に滅ぼされたと記録があります。
その秀綱氏をまつったのがこの秀綱神社と言われています。
少し悲しいお話ですね。
さて、この秀綱神社から先の道は、分岐まで少し不明瞭になります。
残雪、倒木激しくちょっと迷いました。
ピンクリボンがあると良いですね。
やがて分岐に出ました。
これを右へ行けば中尾峠です。焼岳直行ルートです。
左は焼岳小屋、新中尾峠方面です。
今回は中尾側に下山しないので、小屋に寄ってみることにしました。
左へ行きます。
木々の間から焼岳が見えました。
この日始めてお目にかかります。
今まで雲があって見えませんでした。
流石に見えるとテンション上がりますね!
再び分岐へ。
左は西穂山荘への道です。
こちらもいつか歩いてみたいですね~。
分岐から直ぐに焼岳小屋です。
なんともロケーションの素晴らしい小屋です。
8:55 大体コースタイム通りに上がって来れました。
スタートから4時間半が経過してます。
ここで大休止をします。
焼岳バッジを買って、朝食の残りのおにぎりを食べてゆっくりします。
すみません、もう運転する予定も無いので
私も燃料補給させて頂きました。
装備も少し変更です。
樹林帯は暑くて半袖でしたが、
すぐに森林限界を超えるのでもう一度上に羽織ります。
そして帽子はヘルメットに交換です。
ザレた道を行くので落石対策であるのと、
火山に登るのに最近の流れはヘルメット装備が常識になりつつあります。
昔、北穂に行った時にヘルメットをして歩いていたら、
遠巻きに鼻で笑われた事があります。
「ここでヘルメットかよ」
みたいな感じで。
でも今や北アルプスの一般縦走路でもヘルメットが常識です。
安全に関して時代を先取りする事は悪い事では無いと思っています。
焼岳小屋でも「ヘルメット貸出!」と書いてありました。
やがて焼岳もヘルメットが常識になる時が来るでしょう。
さて焼岳小屋。
出発の時に小屋番さんが撮ってくれました、ありがとうございます。
今回の山行は歩く距離が長いので、計画では2日で歩く予定でした。
1日目、ココで泊まって2日目に焼岳を越えるはずだったんです。
でも、息子が「頑張れば1日で行ける?」と聞いてきた時に
「頑張ればね」
と答えてしまいました。
息子が1日で行くと言い張ったのです。
自分で決めた事には責任をもってもらうので、
1日でロング行程を行く事にしました。
9:20 さて、行きましょう。
まずは焼岳展望台まで少し登ります。
いきなり森林限界を超えて、北アルプスらしい感じの山歩きです。
焼岳展望台からみる焼岳。
とても美しいです。
今まで焼岳は中の湯側からばかり登ってましたが、
こちら側から見る山容もとても素敵です。
圧倒される存在感、なんて立派な山でしょう。
とにかく雄大です。
反対側のカールからみる雰囲気とはまた違いますね~。
一度展望台から少し下り、再び上り始めます。
この時標高2150mほど。
あと300mです。
ザレた登山道を登ります。
とにかく落石を起こさないように注意です。
また上からの落石にも注意です。
途中にある噴気孔。
硫黄の匂いが立ち込めます。
息子、思わず鼻をつまんだり。
なんとも立派な溶岩ドーム。
このドームが北峰、そのまま山頂なんですね。
ドームの下は落石が怖いので早めに通過です。
息子も少し疲れた顔になってきました。
やがて、見覚えのあるコルと雪渓にたどり着きました。
反対側には見慣れたカールが。。。
中の湯ルートからの道と合流します。
さあ、後は頂上まで少し。
一番足が届きにくいところです、頑張れ。
10:35焼岳山頂、頂きました。
居合わせた方に撮って頂きました、ありがとうございます。
歩き出して6時間、良く頑張りました。
久しぶりのガッツリ登山に息子も少し疲れた顔を見せていましたが、
やはり登頂すると嬉しいようです。
最初の1座、登りきりました。
続く
ホントに出来るのか?何年かかるのか?
先の事はわからないです。
やれるのか?やれないのか?では無く、
私たち親子は「やりたい」のです。
簡単に出来てしまう事は挑戦とは言わないと思ってます。
生暖かく、見守って下さい。
日本アルプス横断の旅への挑戦、始めます。
それではいつもの長文行きましょう。
6月20日
4:30
新穂高へ来ました。
ココを基点に北へ日本海、南へ太平洋を歩いて目指します。
今回は南ルートを進めることにしました。
敬意を持って、新穂高登山指導センター前をスタート地点にします。
ここから北へ南へ歩み始めます。
登山計画書を提出します。
しつこいようですが、計画書は提出用、自分の控、家用の
合計3通用意します。
何かあった時は初動が大事ですので。
さらに今回からの新しい装備品。
「ヒトココ」
どんな形であれ、必ず家に帰ります。
この機械、遊園地に行く際にも子機を子供達に持たせておくと安心です。
普段はランドセルの中に忍ばせたり。
さて、まずは中尾の焼岳登山口を目指します。
早朝から送ってくれたカミさん、ありがとう。
家族の協力が無ければこの旅は進められません。
感謝しております。
まずは県道沿いに下ります。
いつものひがくの湯。
今日はもちろんスルーです。
20分ほど歩き、中尾高原口まで来ました。
標高は1000mを若干切りました。
ここから焼岳山頂までずっと登りになります。
標高差1450mほどですね。
中尾温泉の入口です。
「ああ、偉なるかな、飛騨の山」
いい言葉です。飛騨青年の叫びより。
中尾温泉の中を歩いていくのですが。。。
少し寂しいですが温泉宿も何軒かは廃業されているようです。
でも側溝からは常に湯気がモクモクと上がり、湯量の豊富さが伺えます。
この道は旧鎌倉街道です。
かつては上高地に行くために、信州からは徳本峠、
飛騨からは中尾峠を通るのが主流でした。
足湯があります。
帰り道だったら、迷わず足を入れてますね(^^;
今回はスルーします。
ようやく焼岳中尾口の登山者駐車場まで来ました。
ここに登山届けのポストもあります。
この日この時車は1台だけでした。
林道を歩き続けると、こんなものがありました。
地熱発電所です。
原子力に変わる代替エネルギー、もっと積極的に増えると良いですね。
5:55登山道の入口に来ました。
ここまでロード6キロ、1時間20分で来ました。
標高およそ1200m、いよいよ登山です。
運動靴から登山靴に履き替えます。
そして軽く朝食を取り、6:10にスタートしました。
さて、行きましょう。
いきなり滑る橋で息子、プルプルしてます。
ここでドボンは勘弁なので、手を差し出しました。
30分ほどゆるゆるとした道を歩くと、再び登山道入口の看板。
本来は先ほどの林道を歩き続けてここに来るらしいです。
振り返ると「近道」の看板。
ここが本当の登山道入口のようですね。
ほんの少し歩くと、「白水の滝」の看板。
向こうに大きな滝が見えます。
前夜に雨も降っていたので、水量豊富でとても綺麗です。
立派な滝ですね。大きな写真が無くてゴメンなさい。
その後は、それほど急登ではないものの、
そんなに優しくない登り道をただひたすらに登ります。
急がない程度に登っているので、息子もおしゃべりが止まりません。
気がつけば高度もかなり上がっていました。
時折、こんな倒木もあったり・・・
やがて秀綱神社に出ました。
秀綱神社の秀綱とは、姉小路秀綱、つまり三木氏の末裔です。
金森長近公が飛騨攻めをした際に最後まで抵抗した三木氏。
松倉城が落城した後に信州へ逃げる為にこの中尾峠を越えて行きました。
その際、島々谷の住民に滅ぼされたと記録があります。
その秀綱氏をまつったのがこの秀綱神社と言われています。
少し悲しいお話ですね。
さて、この秀綱神社から先の道は、分岐まで少し不明瞭になります。
残雪、倒木激しくちょっと迷いました。
ピンクリボンがあると良いですね。
やがて分岐に出ました。
これを右へ行けば中尾峠です。焼岳直行ルートです。
左は焼岳小屋、新中尾峠方面です。
今回は中尾側に下山しないので、小屋に寄ってみることにしました。
左へ行きます。
木々の間から焼岳が見えました。
この日始めてお目にかかります。
今まで雲があって見えませんでした。
流石に見えるとテンション上がりますね!
再び分岐へ。
左は西穂山荘への道です。
こちらもいつか歩いてみたいですね~。
分岐から直ぐに焼岳小屋です。
なんともロケーションの素晴らしい小屋です。
8:55 大体コースタイム通りに上がって来れました。
スタートから4時間半が経過してます。
ここで大休止をします。
焼岳バッジを買って、朝食の残りのおにぎりを食べてゆっくりします。
すみません、もう運転する予定も無いので
私も燃料補給させて頂きました。
装備も少し変更です。
樹林帯は暑くて半袖でしたが、
すぐに森林限界を超えるのでもう一度上に羽織ります。
そして帽子はヘルメットに交換です。
ザレた道を行くので落石対策であるのと、
火山に登るのに最近の流れはヘルメット装備が常識になりつつあります。
昔、北穂に行った時にヘルメットをして歩いていたら、
遠巻きに鼻で笑われた事があります。
「ここでヘルメットかよ」
みたいな感じで。
でも今や北アルプスの一般縦走路でもヘルメットが常識です。
安全に関して時代を先取りする事は悪い事では無いと思っています。
焼岳小屋でも「ヘルメット貸出!」と書いてありました。
やがて焼岳もヘルメットが常識になる時が来るでしょう。
さて焼岳小屋。
出発の時に小屋番さんが撮ってくれました、ありがとうございます。
今回の山行は歩く距離が長いので、計画では2日で歩く予定でした。
1日目、ココで泊まって2日目に焼岳を越えるはずだったんです。
でも、息子が「頑張れば1日で行ける?」と聞いてきた時に
「頑張ればね」
と答えてしまいました。
息子が1日で行くと言い張ったのです。
自分で決めた事には責任をもってもらうので、
1日でロング行程を行く事にしました。
9:20 さて、行きましょう。
まずは焼岳展望台まで少し登ります。
いきなり森林限界を超えて、北アルプスらしい感じの山歩きです。
焼岳展望台からみる焼岳。
とても美しいです。
今まで焼岳は中の湯側からばかり登ってましたが、
こちら側から見る山容もとても素敵です。
圧倒される存在感、なんて立派な山でしょう。
とにかく雄大です。
反対側のカールからみる雰囲気とはまた違いますね~。
一度展望台から少し下り、再び上り始めます。
この時標高2150mほど。
あと300mです。
ザレた登山道を登ります。
とにかく落石を起こさないように注意です。
また上からの落石にも注意です。
途中にある噴気孔。
硫黄の匂いが立ち込めます。
息子、思わず鼻をつまんだり。
なんとも立派な溶岩ドーム。
このドームが北峰、そのまま山頂なんですね。
ドームの下は落石が怖いので早めに通過です。
息子も少し疲れた顔になってきました。
やがて、見覚えのあるコルと雪渓にたどり着きました。
反対側には見慣れたカールが。。。
中の湯ルートからの道と合流します。
さあ、後は頂上まで少し。
一番足が届きにくいところです、頑張れ。
10:35焼岳山頂、頂きました。
居合わせた方に撮って頂きました、ありがとうございます。
歩き出して6時間、良く頑張りました。
久しぶりのガッツリ登山に息子も少し疲れた顔を見せていましたが、
やはり登頂すると嬉しいようです。
最初の1座、登りきりました。
続く
2015年06月01日
日本アルプス横断の旅
さて、昨年末ぐらいから息子と色々話していてました。
「3000m峰の旅が終わった今、次は何に挑戦するのか?」
と。
まぁ、目標を持たずに行きたい山を歩こうか?と言うことで落ち着いていたのですが・・・
今年3月頃、とある理由により次の冒険に挑戦する事になりました。
その理由は今は語りません。
時が来たらお話するかも知れません。
人が長距離を自分の足で移動するという事は、昔はあたりまえでした。
でも今では各交通手段により、長距離の移動はとても速くなり、
遠くへ行けるようになりました。
便利な道具は「歩く」事を面倒と思わせ、
私もそれに乗じて文明の利器を多用して生きてきました。
しかしそれを否定して、「歩こう」と訴える私のDNA。
人が歩く速さで流れる景色を堪能し、肌で季節を感じ、
土地の匂いを香る。
歩くってこんなに素晴らしい事なんだと、
私の1/4も生きていない息子に教えられました。
息子と一緒に、「大地を歩く」事を続けたいと思います。
個人的な事ですが、
人が自分の足で長距離を歩く姿を見てるととても感動します。
飛騨ウルトラマラソンのゴールを見ていると、
そこまで走ってきた選手の皆さんを見ているだけどアツくなります。
昨年、100名山を一筆書きで完歩した田中陽希さん、
グレートトラバースには大いに感動しました。
息子もTVにかじりついて、自分が歩いたアルプスの山を
陽希さんが歩いている姿を見て興奮していました。
先日、200名山への旅もスタートしましたね。
トランス・ジャパン・アルプス・レースと言う山岳レースがあります。
日本海は富山、ミラージュランドをスタートし、
早月尾根から剱を経て北アルプスを上高地まで走り、
その後道路を走って今度は中央アルプス、
木曽駒ケ岳から空木岳、そしてまた道路を走り、
今度は南アルプス、仙丈ケ岳から長大な尾根を歩いて聖岳を越え、
駿河湾の太平洋まで走る、列島横断レース。
速い方はわずか5日ほどで駆け抜けます。
総距離450kmほど、富士山を7回登るに匹敵する累積標高差。
フルマラソン3時間切るような人ですら、
「つらすぎる」とリタイヤしてしまう超人レース。
数年前NHKで放送された時、正直に凄いと思いました。
選手の方が
「このレースは凝縮した人生」
「旅をしている」
と語られていた時、心が震えました。
しかし、もちろん私の歳からそんなものは目指せる訳がありません。
でも、この道を歩きたい。
私達親子は走って駆け抜ける事は出来ませんし、
一筆書きに行く事も出来ません。
ですので、線を繋いでこのコースを歩いてみたいと思います。
色々と計画を練って見たところ、
ビバーグはしない
夜は歩かない
1日の行動時間は最大10時間、
今まで歩いた道のりはカウントしない。
と考えると延べ30日は越えそうです。
しかも、全て同じ道を歩くのは難しそうでし、外せない所もあります。
私たちは岐阜県の飛騨地方に住む人として
新穂高・乗鞍岳は外せないかな?と思いました。
ですので、この旅の基点は新穂高にします。
上高地は通りません。
新穂高から北へ南へ、
歩いた線を繋いで三つのアルプスを歩く日本列島横断の旅。
日本海と太平洋を歩いた線で繋ぎます。
まだまだ歩きたいと言う息子と一緒に始めたいと思います。
さて、夏山シーズンが始まります。
夏の大冒険へ向けて!
今月半ばより始めます。
何年かかるかな~?
「3000m峰の旅が終わった今、次は何に挑戦するのか?」
と。
まぁ、目標を持たずに行きたい山を歩こうか?と言うことで落ち着いていたのですが・・・
今年3月頃、とある理由により次の冒険に挑戦する事になりました。
その理由は今は語りません。
時が来たらお話するかも知れません。
人が長距離を自分の足で移動するという事は、昔はあたりまえでした。
でも今では各交通手段により、長距離の移動はとても速くなり、
遠くへ行けるようになりました。
便利な道具は「歩く」事を面倒と思わせ、
私もそれに乗じて文明の利器を多用して生きてきました。
しかしそれを否定して、「歩こう」と訴える私のDNA。
人が歩く速さで流れる景色を堪能し、肌で季節を感じ、
土地の匂いを香る。
歩くってこんなに素晴らしい事なんだと、
私の1/4も生きていない息子に教えられました。
息子と一緒に、「大地を歩く」事を続けたいと思います。
個人的な事ですが、
人が自分の足で長距離を歩く姿を見てるととても感動します。
飛騨ウルトラマラソンのゴールを見ていると、
そこまで走ってきた選手の皆さんを見ているだけどアツくなります。
昨年、100名山を一筆書きで完歩した田中陽希さん、
グレートトラバースには大いに感動しました。
息子もTVにかじりついて、自分が歩いたアルプスの山を
陽希さんが歩いている姿を見て興奮していました。
先日、200名山への旅もスタートしましたね。
トランス・ジャパン・アルプス・レースと言う山岳レースがあります。
日本海は富山、ミラージュランドをスタートし、
早月尾根から剱を経て北アルプスを上高地まで走り、
その後道路を走って今度は中央アルプス、
木曽駒ケ岳から空木岳、そしてまた道路を走り、
今度は南アルプス、仙丈ケ岳から長大な尾根を歩いて聖岳を越え、
駿河湾の太平洋まで走る、列島横断レース。
速い方はわずか5日ほどで駆け抜けます。
総距離450kmほど、富士山を7回登るに匹敵する累積標高差。
フルマラソン3時間切るような人ですら、
「つらすぎる」とリタイヤしてしまう超人レース。
数年前NHKで放送された時、正直に凄いと思いました。
選手の方が
「このレースは凝縮した人生」
「旅をしている」
と語られていた時、心が震えました。
しかし、もちろん私の歳からそんなものは目指せる訳がありません。
でも、この道を歩きたい。
私達親子は走って駆け抜ける事は出来ませんし、
一筆書きに行く事も出来ません。
ですので、線を繋いでこのコースを歩いてみたいと思います。
色々と計画を練って見たところ、
ビバーグはしない
夜は歩かない
1日の行動時間は最大10時間、
今まで歩いた道のりはカウントしない。
と考えると延べ30日は越えそうです。
しかも、全て同じ道を歩くのは難しそうでし、外せない所もあります。
私たちは岐阜県の飛騨地方に住む人として
新穂高・乗鞍岳は外せないかな?と思いました。
ですので、この旅の基点は新穂高にします。
上高地は通りません。
新穂高から北へ南へ、
歩いた線を繋いで三つのアルプスを歩く日本列島横断の旅。
日本海と太平洋を歩いた線で繋ぎます。
まだまだ歩きたいと言う息子と一緒に始めたいと思います。
さて、夏山シーズンが始まります。
夏の大冒険へ向けて!
今月半ばより始めます。
何年かかるかな~?
タグ :日本横断