「楽隠居事業」とは − 「成長の幻想」の続き

前回のエントリーは突っ込みどころ満載だったので、いろいろと突っ込んでいただいた。それで、ちょっと補足したいと思う。ご指摘にあったように、とりあえず、「内部留保と配当」の話と「成長戦略」の話を切り離してみる。

企業の「成長という幻想」 - Tech Mom from Silicon Valley

ここで私は「日本全体が楽隠居フェーズになれ」といっているわけではない。新しいものが出てくるのを阻害しないために、退場すべきものが、健全かつ(中にいる人も、お客さんも含め)ハッピーな状態で退場するにはどうしたらいいのか、を論じている。

対象は、企業全体のこともあれば、企業の中の一部門であるかもしれない。楽隠居フェーズの会社というのは、もうすでに話題にもならないので、その存在は一般人の目には触れにくい。

成長の止まった産業がハッピーな楽隠居になるには、完全に壊れる前に企業統合して競争を減らし、理想的にはモノポリーの状態になっていることが必要。これが日本ではなかなか進まないので、衰退産業が「楽隠居」できず、「苦隠居」になってしまう。だから、日本ではあまりいい例が思いつかない。

極端な例を挙げよう。例えば、「電報」。

アメリカでは、19世紀半ばにウェスタン・ユニオン(WU)という会社が本格的に始めて栄えた事業で、さらに同社は、電報のためのインフラを利用して為替送金の事業を始め、そちらに力を入れるようになった。19世紀後半に電話が発明されたとき、同社は特許問題のからみで電話への参入に失敗。その後、テレックスなども手がけたが、それもファックスやeメールに取って代わられた。いわゆる「電報」というのは、ものすごく長いこと、同社の中の「楽隠居」事業として扱われてきた。他に競合する会社があるわけでもなく、新製品開発も宣伝もせず、ただひっそりと存在するのみ、為替送金でインフラは維持し、配達はおそらくアウトソースしていただろう。そして、2006年7月、このアメリカ唯一の電報事業は、誰にも注目されることなく、ひっそりと終了した。*1

さて、私の古巣のNTTにも、電報事業がある。私が勤めていた頃だからもう10年以上前の話だ。eメールはまだ出始めの頃だったが、すでに電報というのは「衰退産業」だった。しかし、日本では「慶弔電報」という風習が出来上がっており、電報事業部には、それなりに若い人が配属され、「売上げを伸ばせ」とやっていた。これなど、競合相手すらいないのに、そういうことになっていた。それで、メロディー電報だのディズニー電報だのを考え出して付加価値をつけようと「成長戦略」を一生懸命やっていた。その頃、一番高額な電報で、「漆塗り電報」というのがあって、一通5000円ぐらいしたかな。でも、これをもらった人は、どうするんだろう?と不思議だった。慶弔だと、たくさん電報がくるので、漆塗り電報がいっぱい来たら、全部とっておくわけにもいかないだろうし、捨てるのはもったいない・・けれどやっぱり捨てられてしまうだろうな、と思う。なんだか、本筋を離れて末端が肥大しているような印象を受けた。そして、営業の人は、売上げを伸ばさなきゃいけないので、ノルマなど課されていたかもしれない。電報の「成長」の宿命を負わされた若い社員は、とてもたまらなかっただろうと思う。今はもうそんなことはないかもしれないが、これは当時の話。

どっちが「あるべき姿」かは人によって見方が違うのかもしれないが、私には前者のほうが「健全」のような気がする。

日本全国「後者」だったら、苦労する若者や、無駄にされる資金や資源がずいぶん多いように思う。

この先10年か20年かわからないが、少し先には、「アナログ固定電話」が電報と同じ立場に立たされる運命にある。加入型サービスというのは鈍重なものなので、光ファイバーへの移行がなかなか進まない地域や顧客層が必ずある。アメリカだったら、ベライゾンなどの大手は、こうした残存アナログ電話事業をどこかの時点で売却するだろう。それを全国の大手電話会社から買い集めて、「ニア・モノポリー」として、新規投資もせず、宣伝もせず、黙って黒電話を使い続ける人たちに対して、黙々と設備保守を続け、あるいは大手から「光ファイバー移行奨励金」か何かをもらったりして、成長せずにしたたかに、長いこと「キャッシュ」を「ミルク」し続ける会社が出るのではないかと思う。

日本では、どこかの時点で、NTTが半強制的に、全加入者を光ファイバーに転換させることになるのだろう。それはそれでいいのだけれど、でももしかしたら、故郷のおばあちゃんは、慣れた黒電話をずっと使い続けられるほうがハッピーかもしれないと思う。一方、「NTTは黒電話を維持しなければいけない」とお役所に言われてしまって、「黒電話事業部」が「漆塗り電話(?)」を売って成長しようとかいう話になったら、それもチョット違う。

で、「楽隠居事業」は必ずしも、古い会社がやるという話ではない。上記のように、「楽隠居事業」を買い集めるという「ベンチャー」事業もアメリカにはちゃんとある。例えば、90年代のテレコム・バブルの頃に急成長した新興キャリア、IDTというのがある。今も、「ドブ板」ディスカウント国際電話としてしたたかに生き残っている。この創業者、ハワード・ジョナスの講演を聴いたことがあってこれがめっちゃ面白く、その中で、当時すでに完全に時代遅れになっていたパソコン通信事業を買収した話がある。わずかに残っている加入者は、黙っていてもやめない、変なクレームもつけてこない、きちんと毎月料金を払うお客さんばかりで、「こういうのを追加投資もせず宣伝費もかけず、黙ってお世話するのは、いい商売」と言っていたのが印象に残っている。

これもまた、「多様」な戦略の中の一つ。ベンチャーというのは、必ずしも派手な新規事業ばかりではなく、いろんなアイディアがありうるのだ。大企業の中で、衰退事業を成長させるという無理難題を押し付けられる若者と、自分で会社を起こしてこういうのを買い集めて「楽隠居ベンチャー」としてきちんと経営する若者と、どっちがハッピーだろうか。中で働く人はどちらがハッピーだろうか。お客さんはどちらがハッピーだろうか。人によって答えは違う。「大企業の中で、楽隠居状態」というのが一番ラク。でも、競争が残っていると楽隠居できないから、「楽隠居ベンチャー」みたいなのが必要になってくるかもしれない。

すでに楽隠居モードの事業をかかえる大企業にとっても、売却するのか、自分の中で楽隠居させるのか、筋肉増強剤を打って頑張るのか、選択肢が増えるのはいいことだろう。

まぁなにしろ、「成長」は必ずしも、たった一つの選択肢ではない、というお話。

*1:現在、カナダに電報を扱う会社が残っていて、アメリカにもサービスを提供しているらしいので、ユーザーからみると、まだ電報は細々と残っている。