ルッキズムは男性には関係ない、なんてない。
大学講師・ライターのトミヤマユキコさんは、著書『少女マンガのブサイク女子考』でルッキズムの問題に取り組んだ。少女マンガの「ブサイクヒロイン」たちは、「美人は得でブサイクは損」といった単純な二項対立を乗り越え、ルッキズムや自己認識、自己肯定感をめぐる新たな思考回路を開いてくれる。トミヤマさんの研究の背景には、学生時代のフェミニズムへの目覚めや、Web連載に新鮮な反応を受けたことがあったという。社会のありようを反映した少女マンガの世界を参考に、「ルッキズム」「ボディポジティブ」について話を伺った。
東京オリンピック・パラリンピック開閉会式のクリエイティブディレクターが、「オリンピッグ」と称して渡辺直美さんに豚を演じさせる演出案を出していたことに、批判が相次いだ。典型的なルッキズムの問題だ。ルッキズムとは、人を容姿の美醜によって評価し、差別や優遇をする考え方を指す。昨今では、容姿を主な評価基準とするミスコンテストが廃止されたり、ユニークフェイス(固有の顔)の当事者によって差別撤廃運動が行われたりしている。大学講師でライターのトミヤマユキコさんは、著書『少女マンガのブサイク女子考』(左右社)でルッキズムの問題について考える間口を広げる。本書では全26作品の少女マンガが取り上げられているが、他にも収まりきらないほど多くの「ブサイクヒロイン」が存在し、それぞれが独自の自己認識を持っているという。フィクションだからこそ、あえて「ブサイク」と表現した意図とは? そして、現実の社会にも生かせる知恵とは?
仲の良い友達だとしても、ちょっとダサい見た目で小さな差別に遭う
幼い頃、トミヤマさんは男の子に間違われることが多く、「自分の性別と人から見た自分の性別にズレがあるのが不思議だな」と感じていた。私立の中高一貫女子校に進学すると、また違和感を抱く出来事があった。
「高校の友達と一緒に放課後、予備校に通っていたのですが、友達はちゃんとルーズソックスにはき替えて、スカートの丈を短くして、駅に着くまでにはいわゆる“女子高生“に変身するんですね。一方、私は校則通りの格好をしていて“ダサい”。
電車で移動している20分間は、私が好きなラジオの話もするし、他の子もジャニーズが好き、宝塚が好きといったオタクトークに花を咲かせているのに、予備校のある横浜駅に着いた途端、みんなが私からすーっと離れていくんです。彼女たちにとって、横浜駅から予備校までの道はランウェイなんですよ。『最高に輝いている自分を見て』という感じ。そこに私がいると、邪魔なんでしょうね。私のことが嫌いなわけではなくても、ちょっとダサい見た目だと軽い差別に遭うと知りました」
それでも「まわりに合わせなきゃとは思えなかった」というトミヤマさんは、早稲田大学に進学し、自由なイメージのあった「ワセジョ」となる。そこで興味を持ったのがフェミニズムだった。
「フェミニズムの勉強に興味を持ち始めて、女性差別や見た目による差別を生み出す構造があることを知りましたし、それを変えるための実践的な運動についても考えるようになりました。きっかけは、遙洋子さんの『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』(筑摩書房)を読んだ体験でした。遙さんはタレント活動をされているんですが、テレビ番組内での議論に負けたくないと思って、上野ゼミの門をたたきます。女性だからということでやいのやいの言ってくる男性たちに口で勝ちたかったんでしょうね。でも、上野ゼミに入り、歴史や政治といった大きな枠組みでジェンダーの問題を考えられるようになると、口げんかでの勝利がある意味どうでもよくなっていく。もっと大きい視野で物事を考えられるようになっていくんです。それが私に勇気をくれました。自分のアップデートにもつながるし、世界を良くすることでもあるし、『いいじゃん、フェミニズム!』と思って。
そこで、大学院時代に上野先生がやっていた「ジェンダー・コロキアム」という潜りOKの勉強会に通って、やおい・BLの研究者として知られている金田淳子さんや、修士論文が『日本の童貞』(文春新書)になった渋谷知美さんなど、ユニークな研究者たちと出会いました。ドリルを解くような勉強と違い、世界の見方を変えたり広げたりできるフェミニズムにますます魅了され、『私もフェミニストとして何か独自性のある研究がしたいな』と考えるようになりました」
※やおい・BL:同性同士の恋愛を扱った同人作品を指す名称。特に男性同士を指す。
少女マンガだからこそ、セーフティでオープンな対話ができる
トミヤマさんは2020年に『少女マンガのブサイク女子考』を著した。見た目にまつわる問題について考えるには少女マンガがちょうどいい、とトミヤマさんは連載しながら気付き始めた。
「彼女たちは、ブサイクという設定になっていて、実際ブサイクに描かれています。そのおかげでみんな共通のイメージを持つことができますし、意見を交わすこともできます。そもそもがフィクションですし、紙にインクで描かれたキャラクターなので、その人に向かって何かを言っても傷つけることにはならない。ルッキズムについて考える上で、最もセーフティでオープンな対話ができるんですね」
「美人は得、ブサイクは損」という考え方は社会に根強く残っている。しかし、二項対立ではない見方を少女マンガは教えてくれる。
「美人の方がいいに決まっているという考え方もありますが、見た目でしか判断してもらえない、実力を示しているはずなのになぜか顔が評価されてしまう、といった悩みも現実にはたくさんあるんです。
今までそれはぜいたくな悩みといわれてきたわけです。『ブサイクなんです』『つらいんです』という表明が許容されている裏で、美人の悩みは抑圧されてきた。でも、構造的に見れば、どちらも見た目をめぐる地獄であり、悩み・苦しみですよね。『それ、どっちも描いたらいいんじゃない?』というのが少女マンガの懐の深さだと私は思っています。最近では、コナリミサト先生の『凪のお暇』などがそうですが、仕事を正当に評価してもらえない美人の悩みもしっかりと描かれています。
一方で、西炯子先生の『なかじまなかじま』に出てくる桜沢かすみは、ブサイク女子として、とても豊かな人生を送っています。本当にブサイクが損で、地獄かというと、そうとは限らないということが、説得力をもって描かれている。“自分の世界を持っている人間は幸せ”であることを少女マンガは教えてくれます。『美人は得、ブサイクは損』といった既成概念に縛られている方に、ぜひ読んでほしいですね」
トミヤマさんは『なかじまなかじま』のかすみから、「気高くあれ」というメッセージを受け取った。「ボディポジティブ(社会から押しつけられる見た目の評価ではなく、多様な自身の体を前向きに捉えること)」という概念を考える上でのキーワードだ。主人公の麗奈がかすみの影響を受けて変身していったことについて、トミヤマさんはこう捉える。「愛されたいから、美しくなったのではない。自由に生きたいから、強くなりたいから、美しくなったのだ」(同書より)。
「ボディポジティブ」は、「セルフラブ」とセットで
『少女マンガのブサイク女子考』が本になる前にWeb連載した際には、男性からの反応も見受けられたのが新鮮だったという。
「男性、特に中年の方が反応してくれたんです。少女マンガの、しかも女性の見た目について書いた本を、男性が読んでくださるのは良い流れだなあと感じました。いただいた感想の中には、男性同士の間で起こるルッキズムの話が出てきたりもしました。身ぎれいにすることを『男らしくない』とからかわれたり、あるいはハゲ差別に遭ったり。熾烈(しれつ)な世界です。
ルッキズムの話を避けたいと思っている方の中には、見た目のことで苦しんでいたり、ジャッジされてきてつらかった気持ちを抱えている方も大勢いるはず。見た目の話をする恐怖心や嫌悪感をほぐしていくには、時間が必要ですよね」
トミヤマさん自身も、日常の中でルッキズムに遭遇し、対応に苦慮することがあるという。「一人一人の小さな勇気でできること」を探してみることを提案する。
「いわば“未来の森喜朗”が今、みなさんの身近にいるわけで、そういう人に何を言えるかを具体的に考えないといけません。『ちょっと今のナシじゃないですか?』と言えるかどうか。もしもそれが難しかったら、せめて愛想笑いはしないとか、『みんな○○さんの見た目いじるの好きだね』と、客観の視点で実況中継して知らせるとか。そういったことをできる人が集団の中に一人でもいると、少しずつその集団は変わっていくんじゃないかなと思います」
ルッキズムの問題は、SNSでもたびたび話題に上る。トミヤマさんは、自身を「のんびりしたフェミニスト」と考えている。
「問題があったときに、瞬間的に反応することで世論が動くこともあるので、それはもちろん非常に大事なことです。
でも、スピード感だけが全てではないと思ってもいて。私はのんびりしたフェミニストなので、みんなが忘れた頃、例えば渡辺直美さんのことを1年後に書いているかもしれません。良い意味で“根に持つ”というのかな。そういうフェミニストもいていいと思っていますし、もうちょっと仲間が増えたらうれしいですね。みんなどんどん先に行ってしまうので(笑)」
最後に、ルッキズムやボディポジティブを考える上で大切な「セルフラブ」について語ってくれた。
「あまりにもずぼらで、親が買ってきた服を着て、いつも寝癖のまま過ごしているような人が『これだってボディポジティブでしょ?』と思ってしまうと、ゆくゆくはセルフネグレクトにつながる危険も感じます。ですから、ボディポジティブと言うときには『セルフラブ』の概念もくっつけないといけない。つまり“ご自愛”ですよね。他人からとやかく言われることを気にしないのは良いことだけど、自分をケアせず無頓着でいるのはちょっとまずい。だからこそ、ボディポジティブとセルフラブはセットで語った方がいいと考えています」
トミヤマさんは著書に「この本を読み終わる頃には、ルッキズムや、自己認識、自己肯定感をめぐる新たな思考回路が開いていたらいいなと思う」と記した。SNSでは少しでもきれいな自撮りを載せ、動画サイトでは見た目のコンプレックスを刺激する広告が流れる時代に、「新たな思考回路」は生きる糧になるだろう。今すぐにアクションを起こさず、「のんびり」になるのもよい。ルッキズムについて考えることは、自分を大切にし、よりよく生きることに直結しているのではないだろうか。
1979年、秋田県生まれ。早稲田大学法学部、同大学大学院文学研究科を経て、東北芸術工科大学芸術学部講師を務める。手塚治虫文化賞選考委員。朝日新聞書評委員。大学では少女マンガ研究を中心としたサブカルチャー関連講義を担当し、ライターとしても幅広く活動。著書に『40歳までにオシャレになりたい!』『夫婦ってなんだ?』『少女マンガのブサイク女子考』などがある。
Twitter
@tomicatomica
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