録音された蝉の声をきくとなぜか足のうらがムズムズする病気
理由は不明だが、録音された蝉の声をきくと足のうらがムズムズする。「ひぐらしのなく頃に」でも若干それがある。なんだろうか。夏の忘れもの感。いつだってなにかを忘れていく。ライターとか携帯電話とか。財布を忘れたことだけはほとんどない。おれはファッションに無頓着なオタなのでズボンの型崩れなど気にしないから、財布をズボンの尻ポケットでなく左ポケットに入れる。ので、席を立ったとき左腰に感じる圧力がないと財布を置き忘れていることが自動的にわかる。つまり機能である。なんの話だ。蝉の声だった。居場所のなさだろうか。違う。いまおれが居るべき場所はいつだって目の前のここにしかない。特に未来を選んだつもりはないが、現在が選ばれたことにして納得してゆくモデルがおれは好きだ。それがラクだからだし、すっきりしているからだ。これもつまり機能である。それに結局のところ人間は現実を疑えない。疑えないものは信じることもまたできないのかもしれないが、信じる必要なくありつづけるものこそが真に揺るぎないということでもあろう。とにかくにも、現在というものはおれを常に安心させる。
またすごいズレた。まあいい。蝉の声だ。その録音。現在でない時と場所に鳴っていたもの。それはなぜだかおれの現在を居心地の悪いものにするのかもしれない。いや居心地は悪くない。というより、現在以外の居心地をおれは知らないので、いいも悪いもない。けどなんだ。なにかが。足がムズムズする。浮ついたような。遠い過去か。ありうる未来か。違った現在か。そういうのともなにか違う気がする。おれではないなにか。おれはほかの誰かになりたいと思ったことがない。なりたいわけじゃないけど、おれがなにか別のものであったかもしれないという空想を、録音された蝉の声は喚起するのかもしれない。
というようなことを考えつつ「はてなアイディアミーティング」の podcast を聞いていた(http://hatena.g.hatena.ne.jp/hatenaidea/20060823/1156314768)。なんか会議してる声のうしろで蝉が鳴いてるんだよね。夏は日本中どこでも夏だなという。