墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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蓮華峰寺(れんげぶじ) 新潟県佐渡市小比叡

前回のつづき。

小木港から国道350号を北に車で10分程のところに蓮華峰寺があった。

以下引用はすべて佐渡市の文化財のサイトより。

 

【蓮華峰寺】

大同年間(806年頃)に空海(弘法大師)が開山したとされる古刹で、嵯峨天皇の勅願寺と伝わっています。江戸時代初期に徳川家康、秀忠の二廟を建立して朱印を賜るなど隆盛しますが、承応元年(1652)に戦火に見舞われ、本坊や多くの什宝を焼失しました。現在の建物の多くは慶安年間(1648~1651)の再建で、戦火を逃れた弘法堂、金堂、骨堂の3棟は国の重要文化財に指定されています。

 

駐車場から山門を入ると、山の上から下っていく形になる。

入ってすぐ右手にあった【八角堂】 江戸中期の作。

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その奥の【八祖堂】 屋根が大きい。

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こちらも江戸中期の建物。

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軒下の組物が5段(五手先)になっていた。

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そのそばにあった【御霊屋】(御霊廟の覆屋)

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中には家康や家光を祀る霊廟が安置されていた。極彩色が少し残っていた。

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八祖堂の南側にある、重要文化財の【骨堂】

蓮華峰寺金堂の背後、やや西寄りの小高い位置に建つ小規模な納骨堂です。方一間、一重、屋根宝形造茅葺、南面する素木造で、柱などの軸部は和様を基本としますが、木鼻、斗拱、天井などの各所に古い禅宗様の手法が用いられています。昭和58年(1983)度の解体修理の際、飛貫より「貞和4年(1348)」の参詣墨書が発見されており、新潟県内では最古となる南北朝時代初期の建物であることが明らかとなっています。また、地下の埋納穴が江戸時代初期を大きく遡らないことも確認されており、当初何らかの性格を持っていた建物が、江戸初期に墳墓堂に転用された後、江戸中期に骨堂へ変化したと推測されています。

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端正な佇まい。

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石段を降りて【仁王門】へ。

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金堂東南にある東を正面とする八脚門で、両脇間後方に金剛力士立像(県指定彫刻)を収め、入母屋造桟瓦葺で総円柱、組物二手先の格式の高い細部を持ちます。石製の礎盤12個にはそれぞれ寄進者の名前が刻まれており、崇敬を集めた様子が偲ばれます。

 

鎌倉期の金剛力士像・阿形。

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蓮華峰寺仁王門に安置されています。阿形像は像高208.2㎝の寄木造、吽形像は像高207.0㎝の一本割矧造、いずれもケヤキ材の各内刳で、彩色・彫眼が施されています。阿形像は、頭体幹部を一材から彫り、顎後方の付け根から背面を割矧いて内刳りする古風な造りで、一方の吽形像は。頭体幹部を通じて前後2材を矧ぎ合わせて造り、内刳を施す鎌倉時代通途の技法が用いられています。両像とも沈静でやや形式化した表現が見られることから、制作年代は鎌倉時代の1300年代前半頃と推定されています。

 

吽形。

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こちらの仁王門の壁には、2次元バーコードによるスマホ対応解説が貼られていた。ここから「佐渡市の文化財」サイトにつながった。

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重要文化財の【金堂】

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本尊の聖観音菩薩が祀られた寺の中心的な仏堂で、立地的にも境内の中央に位置します。桁行五間、梁間五間、単層、屋根入母屋造の茅葺形式銅板葺で、南面する素木造りです。正面二間通り外陣、中央二間内陣、両脇一間通り脇陣、後方一間通り後陣よりなり、柱は総円柱で四周に切目縁を廻し、正面中央一間に石階七級を設けます。内部は総拭板を敷き、外陣一間通り及び脇陣後陣は化粧屋根裏、他は竿縁天井で、内陣中央間後壁に須弥壇を設け、厨子を安置します。長禄3年(1459)の墨書が発見されており、絵様・繰形の形式から応永年間(1394~1427)以前の建物と推定されています。

 

今は銅板で葺かれているが、築600年ほどを経ていた。

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重要文化財建築は、上記の他に珍しい栩葺(とちぶき)屋根の弘法堂があるが見そびれてしまった。蓮華峰寺弘法堂 | 佐渡市の文化財

 

【小比叡(こびえ)神社】

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小比叡神社は、蓮華峰寺境内に隣接する旧村社で、同寺が大同2年(807)に創建された際に鎮守となり、「山王大権現」と称しました。覆屋内にある当神社の本殿は、寛永17年(1640)に建立されたもので、三間社流造、屋根こけら葺です。境内入口にある鳥居は、慶長13年(1608)の刻銘を持つ石造明神鳥居で、この型は主に九州方面で見られ、日本海側では当地のものが最北とされています。

 

【小比叡神社拝殿】

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小比叡神社の石鳥居(国重要文化財)をくぐった先にあり、入口の軒下中央に「山王大権現」の額を掲げ、後方には本殿(国重要文化財)の覆屋が見えます。桁行五間、梁間三間の寄棟造茅葺で、建立年代は17世紀前半と推定されています。村の人々が集会所として利用し、毎年2月6日には田遊び神事(市無形民俗文化財)が執り行われています。

 

軒下を撮ったら緑が反映していた。

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【快慶供養塔】

仏師の快慶ではなく江戸期の住職。

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以下説明板より。

快慶供養塔

徳川幕府を戦慄させた承応の小比叡騒動の時の住職。辻藤左ェ門に味方して相川奉行所と戦い、やぶれて斬首される。佐渡の僧兵、ねずみ草紙等に詳しく記している。

 

 横幅が25m近い、大きな【客殿】

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金堂南方にあり、前身客殿が明治30年(1897)の水害で倒壊した後に建てられました。桁行24.6m、梁間16.1mの山内最大の建築で、内部は8室構成で、それと矩(かね)の手に巡る広縁からなります。近代の大規模客殿として評価されています。

 

白いサルスベリが満開だった。

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【唐門】

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金堂前庭と庫裏客殿の一郭を分ける四脚門で、唐破風はありません。親柱を棟木近くまで立ち上げ、側柱とは海老虹梁でつなぐ禅宗様四脚門の様式で、様式上江戸時代中期の建築と見られています。親柱筋の中央上部には成の高い蟇股を入れるなど雄大な意匠を見せています。

 

【密厳堂】

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金堂西方に建つ三間堂で、佐渡四国六番札所です。宝形造桟瓦葺で、前面に一間向拝を付けています。天保15年(1844)の建築と伝えられ、小規模な堂ですが、組物を出組とし、内部の支輪等に彫刻をあしらうなど、密度の高い仕事が見られます。

 

内部も拝見したかった。

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参拝後に、山門を出たところで巨木と地蔵様があることに気づいた。あとで「子授け大ケヤキ」であったことを知った。

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3000坪の広い境内に室町~明治期の建築EXPOランドがあった。

他に参拝者は2,3組でとても静かだったが、アジサイの時期は賑わうようだ。

新潟県:【佐渡】蓮華峰寺(れんげぶじ)のアジサイが咲き始めました(佐渡で出会える花々vol.41)

つづく。