雑種路線でいこう

ぼちぼち再開しようか

社会をhackする作法

前職の時は方々のベンチャーに顔を出して、技術を金にするhackも手掛けていたんですが、いくつか社会の矛盾とぶち当たる経験をしてから、日本じゃ個々の仕事をクロージングまではできても、あまり大きくはならないよな。社会全体が技術や技術者を大切するようにできてなくて、それは中小ほどそうだから、個別のベンチャービジネスに足を突っ込んで数をこなす前に、もっと大きな社会の矛盾と向き合って、いずれ自分が新しい仕事をやりやすいような社会に変えた方が楽なんじゃないか、そういう方向で社会をhackした方がいいんじゃないか、と考えるようになりました。そのためには日本村と関わりつつも、政府の補助金とか業界での持ちつ持たれつに頼る負い目とかはなく、義理とか柵から距離を置けて、勉強や調査に充分な投資と時間を確保できる立ち位置が必要だったんです。

「技術を作るhacker」というものがあるのなら、「技術を金にするhacker」というものがあってもおかしくないし、その方がバランスが取れるのではないか。私が時々、

社会そのものをhackしろ!

と書くのだけど、hackの対象はそこらじゅうにある。そういったいろんな種類のhackをして行くことで、(いわゆる)hackerが幸せになって行くのではないだろうか?
だから、「文系」だった南方司君にはその辺を期待してたわけ。

だいたいblogで自分の考えを洗いざらい書いていること自体、仕事上は結構なリスクというか、選択肢を減らして敵味方をはっきり分けてしまうこともある訳だけど、僕は僕で自分の考えを整理して前提条件や論理の妥当性を検証しようとする場合に、案件のステークホルダーだけでメモを回すよりはblogで何千人に読んでもらって、その中の数人から事実誤認や追加情報をもらってという手続きは、論点整理の段階では非常に勉強になるんですよね。少なくとも筆名での公開に耐えうるくらい強靱な論理で普段から仕事をしていないと、気がついたら看板と内輪の庇い合いで盲目にさせられて、裸の王様となっていないとも限らない訳です。
これまで可愛がってくれて、僕の転職に賛成してくれていた先輩方からは、渉外部門への異動には強く反対されました。「君には早すぎる。そういう仕事は腹芸を覚えた40過ぎからで十分だ」と。どうしても異動するといい張ったら「じゃあ仕方ない。君の歳ならきっとガキの遣いと思われる。だからこいつは会社の代弁しかしない、とは絶対に思われないようにしなきゃいけない。ちゃんと自分の頭で考えて、自分のコトバだけで語るんだよ」と諭されました。その助言は今も守っているし、守って本当に良かったと思っています。
ここ数年で行政手続法などを通じて政策過程のオープン化が急速に進んだものの、まだまだ閉鎖的な世界で敷居も高いように思います。資料へのアクセスは電子政府や検索エンジンの普及で急激に改善していますが、まだまだ分かりにくいところが多いですし、そういった人材を育てる仕組みがなく、人材の流動性もかなり限られています。願わくばblogとかでも積極的に議論して、論点や利害関係の構図、議論の経過に対するアクセスを改善していきたいところです。
あと本業ではどうしても優先順位をつける過程で狭く短期的な視野に陥りがちで、それは自社の利益を考えて自分のBSCを埋める責任もある企業の渉外担当者も、担当として在任中の2年以内に結果を出したい役所の担当官も、必ずしも票に繋がらない問題に関わらざるを得ない政治家も、立場は同じではないかという印象があります。そして彌縫策の積み上げに終始していると、どんどん法技術的に袋小路に陥ったり、論点が煮詰まって普通の方々が近寄りがたくなり、消費者の利益を無視して利害関係者だけが満足するようなナッシュ均衡に陥りがちな訳です。
だから仕事では問題を局所化して利害関係者を絞り込み、論点を詰めて工程表に落とさないと捗らない訳ですが、blogとか平場で議論する場合は原則論に立ち返り、パレート最適と想定されるナッシュ均衡とのギャップを可視化して、各論からは一歩引いた視座を組み立てることを心掛けています。
社会をhackするときはプログラミングと比べて、仲間とタイミングが極めて重要です。具体的には短期勝負で不安定な均衡を揺さぶりつつ、長い目で安定した不均衡を定点観測して勝機を虎視眈々と狙う必要がある訳です。短期勝負で不安定な均衡を揺さぶる場合は、論点を局所化して自分の提案に賛成する利害関係者を極大化し、安定した不均衡は支えている構造の支点を整理して広く網を張ってタイミングを見極める必要があります。
不安定な均衡とは、例えば最近だと社保庁問題でも浮き彫りになったレガシーシステムのデータが腐りかかっている問題や、NGNに於けるISPの位置づけとか、地デジ番組の複製管理といった問題です。安定した不均衡とは、例えば本blogでも頻繁に取り上げているロスジェネや、産業界全般にみられる重層的な下請け構造、著作権と技術革新との相克といった課題です。安定した不均衡は何かしら支点や根拠を失った途端、不安定な均衡に転じます。不安定な均衡は利害関係者が気付いて新たな支点を築こうとしますから、その前に揺さぶらないと再び安定した不均衡に戻ってしまいます。
タイミングが重要ということは、安定した不均衡の段階でジタバタしても物事は動かないということです。毎年のようにアウトプットを出すためには、常に揺さぶれば動く政策課題、即ち不安定な均衡を在庫しておく必要があります。つまり社会に網を張って手つかずの安定した不均衡を探すことが仕入れであり、発見した安定した不均衡について利害関係者を洗い出したり理不尽が温存される構造を把握することが仕掛かり在庫であり、その不均衡を支えた前提が変わったところで不安定な均衡、即ち製品在庫となる訳です。そしてこの製品在庫は注意深く揺さぶり続けないと簡単に不良在庫となってしまいます。
ですから、暇をみつけては安定した不均衡を相手に無駄と分かってジタバタするのは、そうしなければ遠からず仕入れが止まってしまうからです。事態が動かないと分かっていても、その政策領域に関心を持っている方との関係を築き、網を張るためには仕込んでおく必要があるのです。ここでの言辞は柵や落とし所を無視して原則論に徹することで、警戒されることを避けて敵味方の関係を曖昧にしておく必要があるので、ともすれば評論家と区別がつきません。むしろ評論家くらいに引いた視点から整理して、薄く広い支持を得て網を広げることが重要です。
趣味の政治運動ではないから、きっちり在庫管理していかないと成果を継続的に出せないのです。僕が幅広い問題に首を突っ込んで勉強するのは、そうやって網を広げておかないと、遠回りしている人々が網にかからず、近道を示しようがないからです。
これまでの経験からいって、会社からは案件が不良在庫になりかかった段階にならないと指示が飛んできませんから、指示が飛んでくる前に先回りして仕事に手をつけていないと手遅れです。結局のところ仕込んだ製品在庫の半分も会社からは指示されない訳ですが、ちゃんと会社のためになって利害調整ができていれば刺されませんし、自発的に仕込んだのだから自分の価値観をきっちり反映させた、世のため人のためになる仕上がりとなっています。そうやって社会を変えていく営為を通じて信頼関係を築くことで、次の仕事の生産性も上がるし仕入れの網も広がっていきます。
わたしの取り組みは金儲けの近道ではなく制度改革の近道を探すことですが、それは指示に従って決まった仕事をやるのでは不十分で、仕事を創るために普段から広く網を張り、情報の非対称性をみつける地道な営為です。bewaadさんが「完全競争市場においては、生産者の利潤はゼロ以下となります」という重要な指摘をされていますが、不良在庫となった政策需要に対して働きかけを行ったところで、そこでベストを尽くしてもナッシュ均衡しかない訳です。もちろんナッシュ均衡に至る課程での胃の痛くなるような折衝も渉外の重要な仕事ですが、そこは付加価値をつけにくいレッドオーシャンなのです。
手の内を晒すといろいろ仕事がやりにくくなりますが、code hackと比べてsocial hackの方法論は確立されていないのが現状です。政策手続きの透明化と並行して、そういった方法論が広く共有され、より多くの有用な情報が政策コミュニティで共有され、ナッシュ均衡とパレート最適とのギャップを小さくしていくために、自分のやっていることを言語化してみました。特に日本だと、この分野はcode hackに例えたら『人月の神話―狼人間を撃つ銀の弾はない (Professional computing series (別巻3))』も刊行されていないような状況ではないでしょうか。政治学や法学は専攻していないので、単純に僕の不勉強かも知れませんが。

「完全競争市場においては、生産者の利潤はゼロ以下となります」という命題の対偶をとれば、「生産者の利潤がプラスであるならば、完全競争市場でない市場においてです」ということとなります。すなわち、上記引用の4条件のいずれかが満たされていない市場を見つけることができれば、大儲けができるわけです。「近道」とは、これに他なりません。
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となれば、「近道」としては、同書(に限らず類書)にて紹介されていない新しい手法を見つけるか、それとも同じ手法で他人より早く新たな情報を発掘するのか、いずれかが必要となります。
ま、楽してお金は稼げない、ということですね!