民主党政権は失敗のイメージが有権者に根強く残り、立憲民主党もそのことで苦しんでいる。いまだに信頼を回復したとは言えない。
ガバナンスの欠如
最大の問題は党内をまとめられなかったことだ。小沢一郎元代表と仙谷由人元官房長官の確執が根本にあった。二人とも敵を作り、アンチの政策や行動を積み重ねて自身の求心力を増すやり方だった。違うようでいて、二人の政治手法は非常に似ていた。
もう一つは「エリート意識」だ。国民のなかの数%のエリートである自分たちに任せておけば、日本の政治はちゃんとやれるのだ、という考えだ。そう口に出して言った人はいない。しかし、そうした感覚があったことは間違いない。だから自分と考えの違う人とは徹底的に対立する。それが党内でも、官僚に対しても、起きた。
菅直人政権当時の党代表選(2010年9月、菅氏と小沢氏が出馬し、菅氏が勝利した)でも、私は小沢さんと菅さんがけんかする必要などない、という立場だった。もともと、小沢さんの自由党と民主党の合併(民由合併)を主導したのは菅さんだ。
私は菅直人の右腕として、小沢さんと鳩山(由紀夫元首相)さんのところに行き、党分裂を避けるため代表選出馬を断念してくれと説得した。小沢、鳩山両氏もいったんは了承してくれた。しかし仙谷さんたちから「小沢と手を握るのはけしからん」という反発が出て結局は菅さんと小沢さんが代表選で戦うことになり、そのしこりが後の党分裂につながっていく。
これは一つの例であって、民主党政権ではこのようなことが常にあった。
組織をまとめることに経験も関心も薄い
今の立憲に集っている人も同じだが、大きな欠点があった。組織をまとめることについて経験もなければ、関心も薄い。政策志向で、同時に権力志向だ。政権に就いたり、代表になったりすればなんでもできると思っている。
農協でも組合長ならなんでもできるなどということはない。ましてや政党では議員一人一人は独立している。まとめることには巨大なエネルギーと知恵がいるが、党の中心にいた人たちはそうしたことにあまり関心を持たなかった。党内でいろいろ立場が違い、対立していたけれども、まとめることへの関心が薄いという点では、みな共通していた。
霞が関を敵に
典型的だったのが、霞が関を全面的に敵に回したことだ。霞が関が動いてはじめて政策は実施できるのに、行き過ぎた政治主導で積極的に敵に回した。霞が関が動かないから自分たちで電卓をたたくという愚かなことをやっていた。
鳩山政権での行きすぎを菅直人政権ではある程度、もとに戻した。鳩山政権で廃止した事務次官会議を復活させた。菅直人首相が官僚から意見を聞く場も作った。
ところが、菅さんは役人を怒鳴る。秀才で怒鳴られたことなどない官僚たちを容赦なく怒鳴るから、官僚が近づかなくなった。私は菅さんと官僚の間で「通訳」をやっていた。私が内閣から離れると通訳がいなくなった。東京電力福島第1原発の事故の際も、霞が関を全面的に展開させなければならないのに、それができなかった。
顔ぶれが変わらなければ
野党が信頼を回復するのにはまだまだ時間がかかる。10年はかかるのではないか。あの失敗をした時のメインプレーヤーが頑張っている限りは、…
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