中国高官との雑談が「スパイ行為」 暗い密室に 監禁生活の実態は
日中青年交流協会理事長、鈴木英司氏(65)は2016年7月、中国のスパイ取り締まり機関・国家安全部に拘束された。22年10月11日に解放されるまで、中国の拘置所や刑務所などで鈴木氏はどのような目に遭っていたのか。証言に基づき、再現する。
連載「邦人収監」は全3回です。
このほかのラインアップは次の通りです。
【独自】北京空港で目隠し、突然の拘束
第2回 日本の研究者について聴いた取調官
第3回 中国のスパイが明かした活動の実態
16年7月15日、北京。太陽が嫌というほど照りつけ、首もとに汗がじっとりとにじんだ。鈴木氏は日本大使館の近くにあるホテル内の飲食店で知人と昼食をとった後、帰国の途につくためタクシーに乗った。
午後3時ごろ、北京空港のタクシー降り場に着いた。そばに大きな白いバンが停車しているのが目に入り、バンの周囲に体格のいい男が6人ほどいた。タクシーを降り、荷物をトランクから出して歩き始めたその時。
「你是鈴木吗(ニーシーリンムーマ)?」(お前は鈴木か)。男の一人が問いかけてきた。「そうだ」と答えるや否や、男たちが飛びかかってきた。体重96キロの鈴木氏もかなわない。バンの3列シートの中央から最後列へ、さらにその一番奥の座席まで押し込まれた。最も逃げづらい場所だ。
「おまえたちは誰だ!」。そう問うと男の一人が「北京市国家安全局だ」と応じた。身分証を出すよう要求したが、「その必要はない」の一点張り。「なぜ私を拘束するのか」。すると、やせてめがねをかけた男が、北京市国家安全局長の名を記した紙を鈴木氏の目の前に広げた。そこには、鈴木氏をスパイ容疑で拘束することを許可する旨が記されていた。
車内で無理やり、黒いアイマスクを着けられた。「抵抗しても無駄だ」と悟った。携帯電話、腕時計と、自殺防止のためか、ズボンのベルトを奪われた。どこに向かっているのかさえ…
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