「わたしをはだかニして、あさまでねかさづニしばつておきましたよ」。幕末の新吉原遊郭である事件が起きた。遊女16人が共謀して自らが働く店に火を付け、直後に「自首」したのだ。最近になって事件に関わった遊女たちがつづった日記や裁判史料の研究が進み、日常的に暴力を受けていたことなど過酷な実態が明らかになってきた。遊女たちが残した日記を読み、新型コロナウイルス禍の遊郭跡地を歩くと、放火という重罪に手を染めてまで彼女たちが訴えようとした不条理が胸に迫ってきた。前編と後編(6日掲載)でお伝えしたい。【牧野宏美/デジタル報道センター】
「自分たちが火を付けた」遊女16人が訴え
東京都台東区。地図で確認すると、浅草寺の北1キロほどのところにかつて「新吉原遊郭」と呼ばれたエリアがある。遊女たちが起こした事件を「現場」に立って考えてみたいと、記者は跡地に向かった。
最寄りの東京メトロ日比谷線三ノ輪駅で降り、まずはすぐそばの浄閑寺(荒川区)へ。ここは「遊女の投げ込み寺」として知られ、劣悪な環境のため亡くなった身寄りのない遊女たちがこの寺で葬られたという。寺の墓地には遊女を慰霊する「新吉原総霊塔」があり、石碑には「生れては苦界、死しては浄閑寺」という川柳が刻まれていた。
東京スカイツリーが見える「土手通り」を歩いていくと、背の高い柳の木がひっそりと立っていた。…
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