ナイナイ岡村の「風俗」発言・矢部の説教は、何が問題なのか 〜性差別を正しく指摘するために〜

 

* ナイナイ岡村の「風俗」発言について

 

個人のブログにもウェブメディアにもまともな記事がほとんどなく、これならわたしが書いた方が全然いいじゃん、と思ったので書いています。岡村の発言についてよりも、矢部の説教についていろいろ書いておきたいことがある。

 

コロナ明けたら、なかなかのかわいい人が短期間ですけれども、美人さんがお嬢やります。これ、何故かと言うと、短時間でお金をやっぱり稼がないと苦しいですから。

(中略)

だから今、我慢しましょう。今は本当に我慢して。はい、コロナ明けた時に、われわれ風俗野郎Aチームみたいなもんは、この3カ月、3カ月を目安に頑張りましょう。

headlines.yahoo.co.jp

 

四月の末からこの発言が炎上していた。「コロナウイルスの自粛明けには経済的に困窮した美人が風俗店に在籍する。それを楽しみに今は自粛しよう(大意)」という内容だ。

問題点としては、品性のなさ、露悪性、非対称な社会構造に対する想像力のなさ、背後に見え隠れする芸人のホモソーシャルなノリ*1などが挙げられるだろう。
ただ、不愉快な発言であることはよくわかるが、直接的な差別でも中傷でもないので、表面的な非難(サイテー!下劣!)以上のクリティカルな批判が難しいように思う。

そもそも性風俗で働いている女性は、別に全員が強制されて/不本意な選択としてその職業を選んでいるわけではない。好きな職業に就く自由がある以上、「特別な経験を求められないから」「若さや美貌を効率的に金銭に変えられるから」などの理由で主体的にその仕事を選ぶ女性も少なくない。その一方で、非常に限られた選択肢のなか、不本意な労働で苦しむ女性もいる。
 

たしかなことは、風俗業界をなくせば済む単純な話ではないということだ。主体的に働いている人からすればなくなって困るのは当然であるし、不遇な人にしても別の問題がある。
仮に、困窮して家賃が払えず、ホームレスになるか風俗で働くかの二択だと思いつめた状態で風俗を選んだ人であれば、風俗をなくせばホームレスになってしまうわけで、教育や福祉が困難な人々をどこまでケアできるかという複雑な問題が絡んでくる。

何にせよ、岡村を批判する文脈で持ち出される「セックスワーカーは不遇な人々であり、風俗を利用する男性は差別的だ」という発言は、一部に当てはまる一方で、きちんと背景を踏まえないと、批判者がセックスワーカーに抱く蔑視を吐露するだけのものになってしまう。個人的な観測範囲だが、わたしのtwitterのタイムラインでは、風俗で働く女性数名が「岡村の発言は褒められたものではないが、岡村への批判の方により強い違和感を覚える」と発言していたことが印象深い。
主体的に風俗で働いている人からすれば、「あなたたちは搾取されている」と外野から突然言われれば戸惑うだろうし、彼女たちにとっては一銭にもならない。岡村を批判したいあまり、風俗で働く人々の尊厳を傷つけては元も子もない。結局この問題は、風俗の現場で働く人々の生活や幸福を抜きにして語るべきイシューではない。

 

いちおう性風俗についてのわたしの見解を述べておくと、

・職業選択の自由がある以上、風俗を含めた売春を全面的に禁止すべきではない。
・セックスワーカーの権利を手厚く保護すべき。
・風俗で働く人々も、風俗に客として通う人々も蔑まれることのない社会が望ましい。

くらいのもの。 

どんなふうに読まれるかわからないので断っておくが、ここまでの文は岡村擁護ではなく、岡村への批判批判である。

 

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* 矢部の説教について

 

岡村の発言を受け、相方の矢部が4/30にラジオ出演し、岡村に説教することとなった。個人的にかなりまともで誠実な内容だと思ったが、身の回りでも、ネットの有象無象でも批判が多かったため少し驚いた。以下は個人的に重要だと感じた箇所の抜粋。

 

一緒にいる時間が少なくなったことで、たまに会うと「おお、こんなこと言ってまうか」って思うときがめっちゃある。
たとえば、(矢部自身が)結婚生活の秘訣を聞かれたときに、「ありがとうと、ごめんなさいです」とコメントした。それに対して、「白旗上げたんか」って言ったときは、「女性を敵として見てるねんな」って思った。女性にコンプレックスあるのも、相手の女性も知ってるけど、そういうのも含めて岡村隆史の根本なんやなと思った。

 

(中略)

 

「マタニティマーク付けてるから席譲ってください」っていうのに対して、岡村隆史は「あれ、いる?見たら分かるやん」って言った、それも無意識に言ってた。あまりに怖いから流したけど。
あれは、3ヶ月、4ヶ月とか見て分からへん妊婦さんが分かるためにするためのもんや。女性と付き合ってたらそういうところも指摘されるし、子供にドキッとしたこと言われたりもする。

これをきっかけに結婚したら?チャンスもらったと思って。
番組でも困ったら風俗ネタに逃げることもあったやん、でもスタッフがカットしてくれるやん、しかもこの時代はもうウケへんやん。それやったら、「今気になってる子おる」ってエピソードの方がおもしろいし、しっくりくる。腑に落ちる。

全く女っ気ないとか誰も思ってないし、50歳で風俗の話ばっかりして、幽霊みたいな話やん。
反省してるのも伝わってるから、今もし一番近い女性がいたりするなら、相手のこと考えてるなら進展させるとか、無理やって思うんやったら解放してあげるとか。

 

(中略)

 

なんも怖くないから。恋愛なんかそこら中で付き合ったり別れたりしてるし、飛び込んでみたらええねん。49歳のおっさんに48歳のおっさんが言うことじゃない。恥ずかしいで。

1yomeblo.com

 

もう一度読んでも、やはりまともで誠実なアドバイスだと思うが、どうだろうか。矢部の発言については様々な角度からの批判があり、そのうちいくつかを取り上げて考えてみたい。

 

 

・既婚者マウント(?)の批判、未婚は半人前とする価値観への批判


大野左紀子氏の引用。これはおそらく、「人は結婚してこそ一人前」という旧来の価値観に対する批判だろう。特に妻帯者の社会的信用の内に「女性を一人所有し、言うことを聞かせてこそ一人前」というミソジニーを見出し、そこを批判しているのだろう(そう考えると理解はできる)。

「男は所有したがり、女は関係したがる」という言*3があり、男性の考え方が所有に寄りがちであること(それこそ「あなたを守ります」という愛の表現がそうだ)はこれまでにも批判を浴びてきた。

ただ、恋愛経験がないから女性のことがわからないのだ、身近に気になる人がまず恋愛してみるべし、という矢部の発言は、所有よりも関係の構築に重きを置いているように聞こえる。結婚も勧めているが、女性を性的客体としてモノにする(所有する)ことで男性の主権は保たれる、という昭和のオジサン的なよくある結婚観とは距離があるように思う。

 

 

 

・「なぜ女がセクシストの矯正をしてやらねばならないのか?」という定番の批判

「女性と関わりを持つことからはじめてみたら?」という矢部のアドバイスに対し、「なぜ女性を利用するのか」という批判が数多く見られた。まあ、なんていうか、歴史上何万回もやってきたやりとりだが、今回の件については正直あまりアクチュアリティがないと感じる。

ハナから女性差別的に出来上がっている社会に物申すとき、今まで女性たちは砂を嚙むような苦しみを味わってきた。最初は女性に参政権すらなかったことを思い出してほしい。偉い男のところへ行って、「女性にも参政権が必要です」と訴え、ほうぼうで「女に政治なんてわからない」「女には判断力がない」「どうせ夫と同じところに入れるんだから意味がない」などと非難されながら活動していたことを考えれば、「女性にだけ参政権がない状態が異常なのに、なぜ私たちが異常な女性差別者の男たちの元へ出向き、理解を求め、説得しなくてはならないのか。なぜ女がいつも男を矯正してやらねばならないのか」という怒りが生じるのは至極まっとうなことだ。

話を戻そう。女性と恋愛経験のない岡村が、女性への理解を深めるため、恋愛を望んでいたとする。それに対し、「なぜ女が矯正してやらねばならないのか」と批判するのは筋が通っているだろうか。
恋愛が女性への理解を深める唯一の手段とはいわないが、有効な手段であることは間違いない*4。

ためしに、「女性との関わりはほとんどないが、ジェンダーやセックスについて深い理解があり、女性とのコミュニケーションがきちんと取れる男性」という存在を想定してみよう。ありえないわけではないにせよ、かなり空想的な人間像であることは間違いない。自称ならもっとヤバい。仮に岡村が今後、「相変わらず女性との関わりはないですが、女性についてはちゃんと理解しました」などと言い出したら、そっちの方がよほど危険なはずだ。
だいたい、恋人として交際するのも、結婚するのも、全て相手の女性の合意ありきなんだから文句もつけようがないと思うのだが……。みんな今回どういう論理で「女に頼るな」と言っているんでしょうね。

 

 

・非モテ男性に「彼女を作れ」「結婚しろ」と言うのは酷ではないか?

矢部の説教は、いうなれば貯金も収入もないのに、「家を買え」と言われたかのように感じるから、非モテの男性にとっては酷なんじゃないか?と友人に指摘され、一理あると感じた。もちろん、人間の価値は異性からの評価で決まるわけではないので、モテないから人間として無価値だなんてことはない。
ただ、当人が彼女がほしい/結婚したいのであれば、女性から見た自分の価値を高める他ない。そのためにはやはり女性と関係を築き、互いをよく知る必要がある。

そもそも関係を築く以前の段階、デートに行く・デートに誘う・話しかけるなど、最低限の社会資本(容姿や年齢、社交性など)がないと嘆く人もいるかもしれない。しかし結局「女性のことをよく知るため、女性と関わりを持とう、そのために努力しよう」以外のことは言えない気がする。
別に酷なことを強いるわけではなく、「コミュニケーションは取りたくないが女にはついてきてほしい*5」なんて姿勢は都合がよすぎますよというだけのこと。

 

 

・女性蔑視は、女性と関わりを持つことで矯正されるのか?

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もうそんなに言いたいことはだいたい言ったので、この辺でちょっと別の角度から論じて〆としたい。

今回の発言をしたのが一般的な40代男性(恋愛経験なし)であれば、「女性とコミュニケーションを取ってこなかったのがよくないのだ、気になる女性を誘ってデートへ行って、話してみよう、まずはそこから」というアドバイスは妥当だと思うが、岡村はまあ一般的な40代男性(恋愛経験なし)とはかけ離れている。人と話すのが苦手でもないだろうし、お金も名声もある。おそらく、女性と食事に行って、面白おかしく話す能力は非常に高いだろう。しかし、だからこそ問題があるのかもしれない。

どういうことか。岡村は芸人としては否定しようがないほど傑出していて、「ここでこうすれば面白い」を並外れた感覚で嗅ぎつけるセンスがある。だからこそ、あらゆる会話やコミュニケーションを「ここでこのボタンを押せばウケる」規則の総体として、すなわち「音ゲー」として認識しがちなのではないか。したがって、利害や打算を二の次に、敬意を持って相互理解に努めるコミュニケーションがうまくできず、社会的なペルソナを脱ぐのが人よりずっと難しいのではないか。
ここまで書いて、「サイコパスの治療を試みようとグループワークや対話に参加させてみても、コミュニケーション療法のメタゲームがうまくなるだけでサイコパス的な気質は変化しなかった」という話*6をふと思い出した……。

まあだから、岡村の抱えている問題は、女性差別的なヤリチン(◯◯人斬りを自慢するタイプ、自傷と同じ感覚で女と寝るタイプ)と似たような分かり合えなさ、つながれなさなのかもしれない。ほんとうのところはもちろんわかりませんが……。

 

 

→twitter: @LeoLeonni

*1:これ、炎上が全く予期できなかったわけではなくて、“敢えて”ゲスい発言をすることで男性だけが笑える状況を作り、結束を強めようとする典型的なホモソノリですよね。

*2:

https://twitter.com/anatatachi_ohno/status/1256063044662132738

*3:社会学者の言葉だったと思うのですが誰だったか思い出せません。とりあえず斎藤環じゃないです。

*4:そもそも女性と関わらず、害を与えることなく生きていけという意見もあるかもしれないが、それはフェミニズムというよりミサンドリーであるし、「何を言ったらセクハラになるかわからないから何も言えない」に対して「何も言うな」と返すタイプの人(わりといる)に通ずるこいつわかってないなー感を感じます。クソリプ避雷針の註

*5:イケメンならそういう状態もあるだろうと書いててふと思いました。クソリプ避雷針で書いておきますが、「ただしイケメンに限る」は基本的にコミュニケーションを頑張ってない人の言葉です。

*6:ケヴィン・ダットン『サイコパス 秘められた能力』