編集者が編集するのは本だけじゃない! ○○もだ!

ウェブも電子書籍もDVDもCDも編集しちゃうよでもいちばん仕事多いのはけっきょく紙

発売日変更にともなって(?)何かが露わになっちゃってイヤン(画像あり)

今朝、こんなツイートしたんですけど

どういうことか、と申しますと

こういうことです

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   (画像上:版元公式、下:某新古書店サイト)

固有名詞を出さずにこの件説明できんもんか、
と考えたのですが挫折しましたすみませんすみません。

ご存知のとおり、新古書店ビジネスというのは

仕入れ値を上回る価格で販売するから商売になる、わけで

いまだに発売されていない書籍を
定価の78%で販売しても可、と判断されている
(らしい)
のは
どういうことでしょう?

・そもそも仕入れられるYO!という判断は
 何を基準になされているのか
・定価の78%で純益が上がるということは
 それ以下の価格で仕入れられるってことです?
・ここでいう「仕入れ」は「1冊だけ」ですか?


ここで話は脇道へそれます。

新刊を制作して販売する、という立場からは
「古書店」だけでなく
「新古書店」を利用しています、と申告するのは
アイデンティティ・クライシスなのを承知で言いますけど

私、新古書店を愛用していまして
上記で引いたオンライン版も
これまでに複数回、利用してきました。

そして、いつも抱いてきた疑問の最大の点は
こんな美本をこんな値段で抱けて手にとれてエエんか?
ということです。

いったん、実在読者が購入して
もう自分の手元に置いておく必要はなくなった、と判断し
新古書店に売却
というプロセスを経た書籍なのか
それとも
制作現場から
新古書店買取センターに直接
きちゃった(てへ
みたいなことなのか

……それって
もう何十年も、本を読んできている
読者のカンが
そう何回も外れることはないと思うんです。

某所で販売されている書籍には
きみキレイだねえ!
と慨嘆せずにいられることのほうが少ない、という実感。
即ち
き、きみ、まさかバージン?
お、俺が最初の?

書籍の再販制が云々されるとき、決して前提にされないのは

既に再販制度なんて
崩壊しているんですよ
という現実だと思ってる派の私です。

・たまたま今回、目に入ったタイトルが
・古書として仕入れられない可能性があるにもかかわらず
・割引価格で販売されそうな状態になっているのは
・たまたまですたまたまです、あるいは
・何かの誤りです

と言われれば
「あー、そうですよねえ」
「すみませんぼくのかんちがいでしたー」
とにこやかに微笑むぐらいの大人力は私にもあるんで

とりあえず
自分に置き換えての〆コメントを考えると
既出ですけど
コンテンツにとっての適正価格とはなんですか
ってことかなあ。