明治時代に、漢文のように英語を訓読していたというのは本当ですか。
本当です。
幕末・明治期にヨーロッパの文化が大量に日本に伝わる中で、ヨーロッパの諸言語で書かれた書物の翻訳が行われました。また、同時に、外国語の教育や学習も盛んに行われるようになりました。特に、明治期以降は(現在に至るまで)、英語の教育や学習が盛んに行われるようになります。
質問の、「英語を訓読していた」というのは、特に、英語教育・学習の場において行われていました。その訓読がどのように行われていたのかということは、明治期の英語教科書の参考書として出版されていた、訳本に見ることができます。
たとえば、上の写真の【図1】永井岩太訳『正則ニューナショナル第二リードル獨案内』(尚書堂、1886年)を見てください。これは、New National 2nd Reader という英語のリーダーの教科書のための訳本です。これを見ると、原文の英語に一語ずつ日本語訳が付けられ、読む順番も数字で示されていることがわかります。具体的にどのように訓読していたのか見ていきましょう。
上の【図2】は【図1】の3文目から4文目の発話文を拡大したものです。原文は、
O yes. May Jane go, too?
という文です。それぞれの単語の上には、カタカナで発音が書かれていますね。また、それぞれの単語の下には、前から順番に、「ヲー(O)然リ(yes)得ルカ(May)ゼーンガ(Jane)行キ(go)亦(too)」と訳がカッコ内の原文に対応してつけられています。さらに、原文の単語の左には小さな番号が付けられています。この番号通りに読むと、3文目は、「ヲー然リ」、4文目は「ゼーンガ亦行キ得ルカ」となり、これが訳文となります。つまり、原文の単語にそれぞれ対応した日本語訳を番号通りに読むと、訳文ができあがるという仕組みになっています。
このように、まるで、漢文訓読のように返り読みをしているように読むことから、このような翻訳の方法を「欧文訓読」と言うこともあります。実はこの欧文訓読は明治期に始まったことではなく、すでに、江戸時代の蘭学、つまり、オランダ語文献の読解から、欧文訓読の歴史は始まっているとされています( 森岡健二『欧文訓読の研究―欧文脈の形成―』 参照)。
もう一つ例をあげましょう。次の【図3】を見てください。
これは、New National 3rd Reader という英語のリーダーの教科書のための訳本で、第4章の冒頭部分です。これも、少し拡大して、以下の【図4】で2文目を詳しく見てみましょう。
【図4】では、1文目の途中からになっていますが、2文目の原文は
The wood-mouse made her house, which was at the foot of a spruce-tree, look as nice as she could and took home some roots and buds for dinner.
という文です。2文目の最初のほうにある、madeの部分を図表で見てください。原文made に対して、訳が2つ付いています。「シメ」という訳には10の番号、「シメキ」という訳には17の番号があります。これは、それぞれの順番でそれぞれの訳を読む、つまり、この文において、madeを再読することを示しています。まさに、漢文訓読と同じような方法で訳文を作っていることがわかります。ここには示していませんが、他にも漢文訓読と同じ方式をとっているように見える例として、数字の順番を飛び越えた指示をする、「上中下点」にあたるような役割をアルファベットで示したものなどもあります。
では、欧文訓読はなぜ行われていたのでしょうか?
上述のように、欧文訓読は英語教育や英語学習の場で行われていた翻訳方法でした。欧文訓読は、原文を崩さずに日本語の訳文を作り上げますが、これは、原文、つまり、英語の構造を理解することが大きな目的であったことを意味します。そのため、欧文訓読でできた日本語の訳文は日本語としては不自然なものも多くあります。
しかし、ここで生まれた日本語としては不自然にも思えるような訳文の表現は、やがて日本語の新たな表現として使用されるようになります。これらは、「翻訳調」、「欧文脈」などと言われるような表現です。たとえば、「最も~の一つ」のような、英語の one of the most … の訳にあたると考えられる表現は、現在でも、翻訳ではない、はじめから日本語として表現された発話や文章などによく見られます。英語の構造を理解することが目的であった欧文訓読による訳文の表現が、日本語の新たな表現になっていったのです。