若者ことばの「やばみ」や「うれしみ」の「み」はどこから来ているものですか。
ご質問の「―み」は、「Twitter(ツイッター)」などのインターネット上の交流サービスにおける若者の投稿でしばしば見られる、次の(1)~(4)のような使い方ですね。
(1)今年の花粉はやばみを感じる。
(2)卒業が確定して、今とてもうれしみが深い……。
(3)夜中だけどラーメン食べたみある。
(4)その気持ち分かる分かる! 分かりみしかない。
このような「―み」の使い方になじみのない方もいらっしゃるでしょうし、私の周りの大学生に聞いてみても、「なぜここで「―み」を使うんでしょう? 」と逆に質問されてしまうことがあります。そこで、次のような問いが立てられます。
文法的に見ると、この「―み」は、主に形容詞の後に付いて名詞を作る働きを持つ「接尾辞」(あるいは「接尾語」)と呼ばれるものです。形容詞に「―み」を付けて作られる名詞には、「うまみ」(< うまい)、「つらみ」(< つらい)、「深み」(< 深い)などがあります。これらは「―み」の“従来用法”とでも言うべきもので、辞書にも載っています。
一方、(1)~(4)では、“従来用法”の「―み」が付かないはずの形容詞「やばい」「うれしい」や形容詞型活用の助動詞「たい」、動詞の「分かる」に「―み」が付いています。(1)~(3)の語は本来、「―み」ではなく、同じく名詞を作る接尾辞「―さ」を付けて「やばさ」「うれしさ」「食べたさ」のような形で名詞化する必要がありました。この「―さ」は広くいろいろな語に付く性質を持っていますが、(4)の「分かる」には付きません。
このように、本来のルールでは付かない語に「―み」を付けてしまったのが、ご質問の「―み」の“新用法”であり、そこが、なじみのなさの原因なのです。このような “新用法”の例は、Twitter上で2007年から見られることが報告されています(宇野和「Twitterにおける「新しいミ形」」)。
したがって、【疑問1】に対する直接の答えは、「名詞を作る接尾辞「―み」を、本来よりも広い範囲の語に付けて作られた」となります。しかし、謎はこれで終わりではありません。さらに問題となるのは、次の2点です。
まず、【疑問2】については、名詞化が持つ婉曲性から説明することができます。
欲求や共感といった感情は、そのまま表に出すと生々しさや主張の強さを感じます。「うれしい」のような感情を名詞化し、「うれしみ{がある/が深い/を感じる}」のように分析的に表現することによって、自分から距離を置いた形で、婉曲的に表現する効果が生まれます。大人でも、「この日程は厳しいものがあります」のように、名詞「もの」や「ところ」を使った婉曲表現を使うことがありますが、若者はそれを接尾辞「―み」で行っていると言えます。
次に、【疑問3】は、若者ことばで重視される面白さや新鮮さが動機として考えられます。
従来使われてきた「―さ」ではなく逸脱的な表現「―み」を使うことで、冗談めかした「ネタ」として自分の感情や欲求を見せることができる、ということです。(これには、自分の思いを皆の前で「つぶやく」媒体であるというTwitterの特性が影響しているかもしれません。)
ただ、このときの「逸脱」は、日本語の文法ルールから見ると、実はそれほど大きなものではありません。接尾辞「―さ」による名詞化は、「その状態の程度」(例:勝利のうれしさは計り知れない)か、「その状態である様子」(例:彼はうれしさを隠さなかった)という単純な意味の名詞を作ります。
これに対して「―み」による名詞化は、「甘み」(=甘い味)、「丸み」(=丸い形)、「かゆみ」(=かゆいという感覚)といった特別な意味を表す名詞を作ります。このような「―み」形は、(知覚できる)「感覚」を表すとされます(杉岡洋子「名詞化接辞の機能と意味」)。
つまり、単なる名詞化ではなく、実感を伴った名詞化であるということ。「―さ」ではなく「―み」が勢力を拡大した理由は、このような点に求めることもできそうです。
2018.06.19 (注)著者の申し出により、一部の例を修正しました。