Vol. 12-2 (2023年4月公開)
'; $facebookShareURL = ''; $('.facebook-share').append($facebookShareURL); $('.facebook-like').append($facebookLikeURL); //FB.XFBML.parse(document.getElementById('facebook-share'));公園を散歩していると、3 歳くらいの男の子が、石垣をロッククライミングのようにはい上がろうとしていました。近所の少年たちがひょいひょいと駆け上がるのを見て、まねしたくなったのかもしれません。そばで見守っていた母親が、独り言のように声を掛けます。
「そこ登るの? いかついね」
おお、「いかつい」をそう使うのか!
私の知っている「いかつい」は、「いかつい手」「いかつい男」のように、柔らかみがなくていかにも強そうだ、怖そうだといった感じをいう語です。説明の仕方に差こそあれ、辞書も大体そんなようなことを書いています(記号などは一部省略)。
石垣を登ろうとする様子の形容としては、これらの語釈はうまく当てはまらず、ここでは単純に「すごい」というような意味で言っているように感じました。典型的な用法から外れているのは確かでしょう。
辞書が既存の意味・用法を見落としているのも珍しいことではありませんので、コーパスでも確認してみます。「いかつい」を「すごい」の意で用いている例があるかどうか、「現代日本語書き言葉均衡コーパス」(BCCWJ)や「日本語日常会話コーパス」(CEJC)ほか、国立国語研究所のコーパス検索アプリケーション「中納言」で検索できる範囲で探してみましたが、ちょっと見当たりそうにありません。これはひょっとすると、「いかつい」に新しい意味が発生しているのかもしれません。
私は年来、〝日本語の追っかけ〟をしています。アーティストが新曲を発表するのを今か今かと待ち構えるファンのごとく、時々刻々と生まれる新語や新用法をキャッチするのが楽しくて仕方なくて、雑誌や新聞を隅々まで読むのはもちろん、失礼を承知で人様の会話にまで耳をそばだてているのです。
新語がアーティストの新曲と大きく違うのは、自ら「私は新語です」とアピールしてはくれないということです。新語はいつの間にか世に現れ、最近こんなことばがあるらしいと注目され始めたころには、もう相当程度世間に流通している場合がほとんどです。日本語の運営が今月の新規実装語のリリースを出したりしてくれない以上、ユーザー側で目を光らせるほかありません。
私は、日々の中で見聞きしたことばで少しでもオヤッと思ったものがあれば、必ず用例カードに書き留めることにしています。カードといっても実際に用紙があるわけではなく、クラウド上の表計算ソフトに記録しているだけなのですが、個々の用例のデータのことをかっこつけて「用例カード」と呼んでいます。辞書づくりのために145万もの用例を採集し、一枚一枚カードに記録していた見坊豪紀に憧れてのことです。
表計算ソフトを検索すると、冒頭の例と同じく単に「すごい」というような意味で使われていると思われる「いかつい」のカードが 2枚ありました。記録したことをすっかり忘れているのだから、われながら不思議なものです。見坊豪紀は「迷ったときは、採集する」という方針を打ち出していました。私もこれに倣い、あまり深く考えることなく無節操に用例集めをしているので、個々の用例はあまり覚えていないのです。でもまあ、こうして気になったときにすぐに調べられるようにしておくことが大事です。
例の一つは、お笑い芸人・おいでやす小田さんのテレビ番組での発言でした。撥水スプレーでコーティングされたスーツを身にまとった小田さんは墨汁プールに落とされますが(なんちゅう番組じゃ)、コーティングのおかげでスーツは全く汚れません。スプレーの効果を体感した小田さんは、「これ、いかつ!」と驚きの声を上げます(日本テレビ「うわっ!ダマされた大賞2022」 2022年12月11日放送)。明らかに「すごい」の意味で使っています。
もう一つは、大人気の YouTube チャンネル「QuizKnock」の動画で採集した例です。算数オリンピックの問題に挑戦したメンバーの須貝駿貴さんは、その問題は13の倍数に注目するのがポイントで、170は 13×13(169)と 1に分けて考えるとよいという解説を聞いて驚き、こう言います。「170が 169+1って言った? 今。いかつ! やばすぎるだろそれ! 天才の分け方じゃん!」(QuizKnock「東大vs算数オリンピック!てか本来は小学生が解くんか…」2021年12月15日公開、https://www.youtube.com/watch?v=17EJ6zowfgs)
この「いかつい」の語義の変化は、「えぐい」にも似ています。もともと「あくが強くて、のどがいらいらと刺激されるような感じや味がするようす」(『三省堂 現代新国語辞典 第六版』)の意だった「えぐい」は、近年は「強い個性があってすごい」(同前)という褒めことばとしても使われます。「やばい」もそうですが、マイナスの意味の形容詞は単なる「すごい」という意味に拡張していく性質があるのでしょうか。
そもそも、「いかつい」と同源の「いかい」も、すでに似たような変化をたどっていました。『日本国語大辞典』の「語誌」欄から一部を抜粋します。
中古では「荒々しい・厳しい」などの意で用いられていたが、室町時代頃からは「程度が大きい」意で用いられるようになる。(『日本国語大辞典 第二版』)
「いかつい」に「すごい」の意が生まれるのは必然だったのではないかとさえ思えてきます。発祥はいつごろなのか、地域性はあるのかなど、まだまだ検証してみたいことがあります。当面はこの新「いかつい」の動向を追う必要があるでしょう。
そうこうしている間にも、なじみの薄いことばが次々と目や耳に飛び込んできています。日本語は供給が多くて、まだまだ飽きさせてくれそうにありません。
辞書ファン。「四次元ことばブログ」(https://fngsw.hatenablog.com/)にて辞書やことばについての知見を発信中。著書に『使える!国語辞書 : 日本語教師読本 4』(webjapanese)、『比べて愉しい 国語辞書 ディープな読み方』(河出書房新社)。