太田衣のエッセイ

男性です。ほろよいに任せた雑談、日記、思っていること。古の記憶の発掘。記事内にプロモーションが含まれることがあります

メタとは何か?インターネットとゲームの異なる意味

こんばんは。年末年始用に『かのか』の1.8リットルを買ってきたので小野万のいか塩辛でちびちびやっておりますよ。

 

 ところで『メタ』って面白い言葉ですよね。特にインターネット界隈で使われる『メタ』と、ビデオゲーム界隈、ボードゲーム界隈でつかわれる『メタ』の意味がまったく違っているところが面白い。言葉の意味の離れ方のイメージ的には「大丈夫」という言葉ににている。あるときには、断りの意味であり、あるときには、無事を意味する。メタデータのメタと、メタゲームのメタは、同じ言葉を語源にもちながら、それくらい違った道に意味を変遷させながら今も常用されていますね。

メタデータ

 俯瞰してみたら、情報科学やインターネット界隈、ビデオゲーム界隈、双方、ギークやナードと呼ばれる層が多い界隈であると思うのだけど、メタという言葉について限っていえば、会話がなりたたなそうなんですよね。

 

 自分が、メタという言葉に最初に触れたのは、おそらく、高校2年生とかのとき。インターネット界隈のほうの『メタ』に近いほう、HTMLのメタタグという言葉だったと思います。Webページに作者や言語など、画面には表示しない、補足的な情報をこっそり書いておくやつ。

 

 メタタグ、ひいては、メタデータというものの概念を知った当時は、パソコンやケータイ電話に、自分でつくったページが表示でてきた!うれしい!という、状態であったから、メタタグというものの必要性に関しては、当時、本当によくわかっていなかった。

 

 少しづつ理解していったのは、当時「HTMLを勉強するならここ」みたいなWebサイトがあった(まだある)んだけど、そこの作者が、そこら辺の見解で情報系の技術者界隈の人と激しい議論かわしていたログを読んだときくらいから。

 

 気まぐれで面倒くさがりな人間、理解や共感を持たない人間が文書を作る限り、『セマンティック・ウェブ』とか机上の空論だよなぁという感覚はあった。

 

 ところがどっこい、情報系の技術者さんたちは、AIというものを発展させ、『プロンプト』という形で、人間の役割をメタデータの作成だけにする、という逆転の発想で、『セマンティック・ウェブ』を実現しようとしている。

 

 メタデータ、あるいはメタという言葉は、HTMLのメタタグ、CSSの構造と表現の分離、セマンティック・ウェブ、メタバースなどなど、インターネットの中で現在にいたるまで、全面にはでているわけではなかったけれど、重要なキーワードとして常に使われ続けているし、使い続けられると思う。

 

メタゲーム

一方で、メタゲーム。

最初に触れたのは、ハースストーンというデジタルカードゲーム(DCG)で、
強い戦術などを調べていたときだと思う。

 

 ちょびっと調べると、自分が小・中学生だった1990年代には、ゲーム界隈でメタゲームということば使われだしていたらしい。つまり、『メタ』ということばは、ゲーム界隈でも、インターネット界隈でも同じくらい歴史がある言葉。しかも、どっちも結構、多用している。


 メタゲームという言葉は、じゃんけんで、「次、グーをだすよ」みたいなブラフをはじめとした、盤外戦術的な意味合い。本文に対する拡張的・補足的な情報のことであるメタデータと、盤外戦というのは、イメージ的にも近く、自分もすっと理解できた。

 

 しかし、メタゲーム方面だと、そこからの言葉の意味合いの変遷が興味深いんです。ゲーム界隈のナード・ギークたちは、盤外戦術から進展して、「人気のある戦術」のことを『トップメタ』と称するようになった。それをさらに省略して、拡張情報、包括概念的な意味ではなく、トップメタのことを『メタ』と呼ぶようにまでなっていて、人気の戦術が変遷することを『メタがまわる』などといったりする。


 さらにおもしろいのが『メタる』という言葉。メタという言葉だけを理解している人が所見で聞いたら「盤外戦術(メタゲーム)を行う」みたいな意味に捉えると思う。ある程度用語を把握しており『トップメタ』や『メタがまわる』という言葉を知っている人であれば「人気のある戦術(トップメタ)をつかう」みたいに捉えると思う。実際は、どっちでもなく「人気の戦術に対策をする」みたいな意味でつかわれているですよね。本当に味わい深くて面白い。

 

 規律や統制が好きそうな、セマンティック・ウェブに共感をしている人たちは、『メタる』という言葉にぶっ倒れそうだし、使う言葉などで無意識に参入障壁を作りがちなカードゲーマー界隈も、なにそれと『メタ』という言葉を、意味をぐにぐにと変遷させながら使い続けていくんだろうとは思う。双方、適当に界隈を越境して輸入した言葉でもなく歴史がある。

 

 にもかかわらず、一方はコスモス(秩序)の旗手としてメタを使い、一方はカオス(混沌)的に言葉の意味を縦横無尽に変遷させながら使っている。どちらも理解を持っているつもりでありつつも、心酔まではしていない自分としては、両方の『メタ』の意味の変遷を、ニヤニヤと半分外野的立ち位置にたちながら、眺めていこうと思っているよ。

 

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