アイドルビジネスの頂点がこれとかふざけるな

峯岸みなみが自らのスキャンダルの責任を取った形で自らの頭を丸めた動画が公開された。

なあ、女の子が自分の頭を丸めてまで責任を取ってるのは何に対してだ?誰に対してだ?ふざけるな。
俺はかわいい女の子がかわいくあるのが好きでドルヲタやってんだ。その中でがんばったり泣いたりあるかもしれねえさ。でもこんなのは望んでない。こんなのを喜べない。むしろこんなのが出てきたことを憎んですらいる。

こんなのがアイドルビジネスの頂点なのか?女の子の青春を切り売りして、自分の責任という体で髪の毛刈って、「これもドラマの一つです」とかのほほんと評論家面か?ふざけるなバカ野郎。

今回ばかりはアイドルビジネス滅べって思ってる。これが受け入れられるのならば、逆にドルヲタ界に俺の居場所はない。

ヤンキー≒ウェイウェイ系≒ピンチケ≒DQN

最近知り合いに生主がいることが判明し、ニコ生含めてニコ動を改めて見ている。個人的な疑問としては「なぜそこまでして晒したがるのか」であるわけだ。でもまあ見てると非常に「これは晒す気持ちもわからんでもない」みたいな気持ちも出てくる。ああいう風に盛り上げてくれれば楽しいわ。うっかり盛り上がっちゃって乳晒す子がいるのもわからんでもない。生主の行動がエスカレートするのも納得だ。

ニコ生は生主対リスナーではなく、生主対見ている人間の集合体である。ラジオとは訳が違う。はがき職人のような存在は生まれえない構造になっている。集団で持ち上げて、集団でちやほやし、集団で落とす。その集団の人間は誰ひとり実際にあった事がなくても、昔からの知り合いのように振る舞う。その場のマナーに沿って。これはいわゆるリアル社会で言う所の「ウェイウェイ系」の生態と酷似してる。
ウェイウェイ系ってなんじゃって言われると確固とした定義はまだ出来上がってないのだが、下記のまとめあたりを見ていただけると大体のイメージがつかめることかと思う。

戦慄!ウェイウェイ族との遭遇
http://togetter.com/li/327961

「場を盛り上げるためにウェーイというのではなく、最初からウェーイで場を乗り切っていく集団維持型コミュニケーションを行う人種」のことを指していると見て間違いないだろう。

ここで過去にあったドワンゴ川上会長の記事を再度紹介したい。

「ネットはリアルにどんどん浸食されている」――ニコ動6周年 川上会長に聞く、リアルに投資する理由 (1/4)
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1212/20/news033.html

「ニコ動はオタクが作ってヤンキーが見ている」というのが非常に興味深い分析。ただ、「ヤンキー」という言葉の定義が非常に難しい。川上会長も「ヤンキー」という言葉を使ってはいるが、この場合もはや「ヤンキー」という言葉はもはや古く不完全なものになってしまっている気がする。
かつてのヤンキーの定義の中にあったいわゆる「族文化」は、言葉の通り「家族文化」に近いものがあって、組織としての維持を目的としたコミュニケーション文化であると思う。そこには親と子に近い厳然とした上下関係が存在し、それをひっくり返すというのは難しい。ヤンキーの乗りには確かに「アゲアゲでイケイケ」的なものがあったのはわかるが、しかしその上下関係性をそもそも否定し「ウェーイ」で乗り切る文化は否定されてきた。
ネットの存在はその上下関係を見えなくした。ヤンキーはもはや過去種なのだ。上下関係を否定し見えなくした上で集団維持型のコミュニケーションを行う人種が主流になってきた。そういう人種を「DQN」と呼ぶ風潮もあるが、この定義も不完全だ。「DQN=バカ」みたいな定義がある以上「オタク=気持ち悪い」と同様の不完全な定義でしかない。

先のニコ動の中で存在している「ヤンキーVSオタク」みたいな定義と同様のことがアイドル現場でも起きている。この場合の「ヤンキー」と呼ばれる定義に相当するのが「ピンチケ」なのだろう。接触と盛り上がりを主体としたコミュニケーション中心型の人種。
DQN≒ヤンキー≒ピンチケ≒ウェイウェイ系。この完全イコールではない流れはアイドルビジネスもネットビジネスも既存コミュニティの在り方も変える大きな存在なのだが、これには実体がなく定義がつけづらい。しかし世の中でも大きな勢力はここにいるのではないのかなあという気がしてならない。