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    文学の研究ってどんな意味があるの?

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    ノールウェーの林
    話題
    師走のあわただしい時期に浮世離れしたトピックにお付き合いいただき、ありがとうございます。
    私の質問は標記の通りです。
    私はどちらかというと自然科学系の勉強をして、同じ系統の職業についています。学生時代には人並みに文学作品を読み、その楽しさも理解できるつもりですが、「文学研究」となると、その意義がよくわかりません。

    「作家Aから作家Bにあてた書簡が発見された。これは作品aの成立の過程を理解するうえで貴重な資料である」
    などといった新聞記事を見かけることがありますが、こういった文学研究は最終的に何を目指しているんでしょうか?

    個々の文学作品の成立の過程を解明することで、名作に共通する創作上の普遍的な動機を解明するため…なんてことではないですよね。

    このサイトには、文学好きの方や文学部で学ばれた方もたくさんいらっしゃるのではないかと思いますが、文学研究の目的や意義を教えていただけないでしょうか。

    よろしくお願いします。

    トピ内ID:6114275560

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    文学には作家の意図しない側面がある

    しおりをつける
    ピョートル
    国語学者にとつて、日本文学は、日本語の成立と変遷、外国語との接触の過程を辿る最重要の文献です。
    平家、保元、平治、太平記その他夥しい戦記物語はいふまでもなく史料としての価値があります。源氏は平安時代の貴族の、西鶴は元禄時代の大阪商人の風俗や生活様式を伝へてくれます。方丈記や徒然草を始めとする随筆は思想史の資料でありませう。明治大正の文学も、その時代の空気を知らぬ我々にとつては過去をたどるよすがであり、昭和平成の文学も、未来の世代が我々の生活と感情を「分析」する便りとなるでせう。

    まあ私も個々の作家の生ひ立ちにも作品の成立過程にも興味はなく、書簡の発見なぞに心動かされはしませんが、文学にはいろいろな付加価値があり、さういふ研究ならたいへん有意義であると思ひます。

    トピ内ID:9368364555

    ...本文を表示

    自然科学系でも

    しおりをつける
    🙂
    Kai
    趣味としか思えない研究はいっぱいありますよ。研究は必ずしも実学思考のものだけでなく、好奇心からのものもあっていいと思います。それが、もしかすると何かに発展していくかもしれないし、しないかもしれない。そんな感じなんじゃないですか?

    トピ内ID:0285765863

    ...本文を表示

    知的欲求、文化は力

    しおりをつける
    🛳
    知りたがりおばさん
    今の自分がいる位置を知りたいから、過去の歴史や文学を学ぶのだと思います。
    社交の一種でもあります。他人とつきあうときに話題の幅が広がります。
    昔、某国に行ったときには、文学教養のあることが尊敬される人間の必須条件でした。歴史や文学について話せない人間は尊敬されない国もあります。

    また、文学の解釈も時代と共に変わります。
    研究の意義はあると思います。
    ちなみに、私は最近『源氏物語』を厳しく批判している女性の文章を読んで溜飲をさげたところです。

    トピ内ID:2622195385

    ...本文を表示

    疑問・それに対する解決

    しおりをつける
    🐤
    文学少女になってみる
    自然科学との共通点は、「発見する」ということですかね。
    物理の法則のようなある意味「普遍的なもの」ではなくても、何か新しいor今までと違った考え方、解釈、作者の心情、その根底にある何かを発見するということです。
    最初は空想に過ぎないかもしれませんが、研究者はその空想をできるだけ“論理的に”説明しようとします。その方が説得力を持つからです。
    それが多くの人の同意を得られればそれなりの価値が出るし、同意を得られなければただのいち主張にとどまる。
    それは自然科学でも同じことですよね。

    最終的に目指すもの・・・
    それはどこまでも、ある疑問に基づいた「新しい発見」のような気がします。

    有名作品は、成立の過程や作者の心情、表現やその使用理由、作者の成長の背景などなどなど、研究し尽くされているものが多いです。

    でも!それでもまだ自分はこう解釈するのだ!!
    という自信のもとで研究発表をし、同意を得られれば嬉しいんじゃないでしょうか。

    宇宙の法則だって、疑問があるから研究してる。
    文学作品だって、疑問があるから研究してるんです。
    「なぜ作者はこう書いたのか」。

    トピ内ID:6517818050

    ...本文を表示

    文学部卒業です。

    しおりをつける
    八重
    文学研究は、成立した「時代」を知らなければ、
    その作品の価値を正しく判断することが難しいと思います。

    文が、文脈の中で意味を持つのと同じように、
    作品は、時代の文脈の中で初めて意味を持ちます。

    多くの人が何を考え、何をよりどころにし、
    何を課題とし、どのように生きたか。

    その「時代」の中で、作者は「作品」の中で
    どのようなメッセージを発しているのか。

    「蟹工船」がベストセラーになっているようですが、
    プロレタリアートが見直されているのは、
    今がそういう時代だからでしょう。

    対照するものがなければ自分がよく見えません。
    今の「時代」を知るために、様々な時代を知り、
    その中の人々の息づかいを知ることが、
    文学研究の意義だと、私は思っています。

    トピ内ID:2325135097

    ...本文を表示

    私も思ってた!

    しおりをつける
    まみ
    私は、文学(読書)が好きだったので、大学は国文学科に入り、
    近現代文学を「研究」したのですが
    やればやるほど「はてな?」でした!

    だって、作家本人は自分の作品や人生を
    こんなふうに扱われるとは、つゆも思っていなかったはずですよね。
    後世の凡人たちが
    文章をこねくり回したり、
    勝手に日記や手紙を公開したり。
    本当に、失礼だと思います。

    明治時代あたりは、「文学部で行われる研究」が
    もうすこし哲学とか心理学とかの要素も持っていて、
    総合的な教養とか、科学に近い性格を持っていたのではないでしょうか。
    文学研究って、そういうものの名残のような気がします。

    トピ内ID:1462268928

    ...本文を表示

    レスポンス、ありがとうございます。

    しおりをつける
    ノールウェーの林 トピ主
    皆様ご指摘のことはよく理解できます。
    ピョートルさま、
    文学作品を国語学や考古学の資料としてとらえる、ということですね。
    国語学や考古学の意義は私も理解できますので、同感です。
    私がわからないのは、文学作品を読み解いていく(?)文学研究というものなのです。

    Kaiさま、
    実学以外の研究の重要性は理解しているつもりです。数学や物理学など、基礎科学の面白さはよくわかります。が、文学研究はなんだか違うような気がしてなりません。

    知りたがりおばさん、
    現在の立ち位置を知るために文学を学ぶ、
    だとすると、それは文学をテクストとした社会学ではないでしょうか。

    文学少女になってみるさん、
    「普遍的なもの」。そう、私の気にかかっているのもそのことです。
    文学を新しく解釈することは「発見すること」ですが、普遍的なものとはいえないのではないでしょうか。

    ちょっと文字数が足りなくなってしまいました。
    稿を改めて私の考えを述べたいと思います。

    トピ内ID:6114275560

    ...本文を表示
    トピ主のコメント(44件)全て見る

    文学研究に普遍性はあるのか?

    しおりをつける
    ノールウェーの林 トピ主
    文学少女になってみるさんが挙げられた普遍性ということが一番のキーワードですね。

    私の理解している範囲では、文学研究というのは、
    ある文学作品の成立の過程を解明したり、作品間の相互関係を明らかにしたり、作家・作品とその時代背景の関係を論じたりするもの、です。

    数学や社会学などの学問分野は、主題を通じて「普遍的なもの」を発見することを目的としていると思います。
    それに対して文学研究は、いくら突き詰めていってもそのテクストである文学作品の枠内での議論にしかならないのではないでしょうか。

    源氏物語の解釈をいくら新しくしても、その議論は源氏物語を解明するだけで、普遍的な意義を持っていないのではないかと思うのです。
    「紫の上は実はこんな女性だったのだ」ということを明らかにしても、それは源氏物語の中だけで意味を持つことでしかない、というと言いすぎでしょうか。

    文学研究に普遍的な意義はあるんでしょうか。あるいは、
    普遍的な意義を持たない研究って、どういう意味があるんでしょうか。

    引き続きお考えをお聞かせいただければ幸いです。

    トピ内ID:6114275560

    ...本文を表示
    トピ主のコメント(44件)全て見る

    なーんにも役に立ちませーん。

    しおりをつける
    国文卒
    でも、役に立たないことの中にこそ何か大きな意味があるのかもしれないと思っていますよ。

    文学とはかけ離れた仕事をしています。同期は実用性の高い学部卒業の人がほとんどです。
    狭い社会の中のことでじまんにはなりませんが、私がダントツで出世頭です。
    「人間力が高い」と会社のトップに言われたことがあります。
    文学研究は作品を通して他者の思考をトレースし、擬似体験し、分析します。
    その経験が私は仕事に役立っているように思います。

    トピ内ID:1359991220

    ...本文を表示

    私も理科系です。

    しおりをつける
    🐱
    江戸紫敷布
    私も学生の頃、読書は好きでしたが、文学部の方々とはちょっとうまく波長が合わないみたいと思ってました。

    さて、最近、大野晋著「源氏物語」を読みまして、目からうろこ状態です。何より面白かったですし、あれほど有名で、研究され尽くしているであろう「源氏物語」が、まだまだ研究の余地があるのだ、と言うこと、紫式部という一人の人間の心にまで迫る内容は興味深かったです。

    何よりも研究のなされ方、理論の展開が非常に論理的で、説得力があり、何も知らなかった私でも良く理解できました。

    一読をお勧めします。

    トピ内ID:0858931869

    ...本文を表示

    解釈する

    しおりをつける
    kiki
    自然科学の人がよく陥る思い込みだと思います。
    自然科学では、何か(主に因果関係)を「説明する」ことに意味を見いだします。
    一般化(理論化)して検証するといういわゆる「科学的手法」は、要するに、何事かを説明することです。

    文学などでは、説明を目的とする場合もありますが、多くは「解釈する」ことを目的とします。
    つまり、学問としての方向性がまるで違います。
    解釈の場合、一般化とか理論化には大きな意味がないです。
    ただ一人、ある創作者の、ある作品を解釈することに意味があるわけです。

    じゃあ、解釈とは何かということですが。
    よく高校までの国語とか現代文の問題に、この作品のこの部分の作者の意図を説明せよ、みたいな問題がありましたよね。
    ある作品には、その作者のメッセージが込められているという前提で出される問題です。
    大学以上の文学では、さらにその先まで行きます。
    作品には、作者が意図して込めたメッセージだけでなく、作者の生きた時代や、場所や、経験などが、作者の意図せざる形で作品に込められています。
    それを解釈することを目的としているわけです。

    トピ内ID:8138726420

    ...本文を表示

    人間を、己を知る

    しおりをつける
    リラ
    浮世離れ、していますか? 私は途中で自分が進むべき道ではない、と諦めましたが、人生をすべてささげても研究しつくせない広大で深い世界だと思いますよ。
    英米文学を学んでいたので、根底の理解にはキリスト教やギリシャ神話も必要とのことで、本は読んでみました。ある先生のお話で、「文学はプロットでなく○○だ」、という分かりやすい解説に感銘を受け、自分でもそれらしいものを、と小説や詩など書いてみたりもしました。
    社会人になってから、三島由紀夫の『音楽』という作品を読み、作家とはここまでの自我や強い内面を持ち合わせていなければならないのか、と衝撃を受けました。

    芸術に目的はない、と横尾忠則さんがおっしゃっていたけれど、芸術や文学をよりよく理解しようと研究することは、人間がどういうものか知る、己を知ることにつながるのではないでしょうか。

    キリスト教文化圏で暮らしていますが、「ミシマを読んだか?」と聞かれたことがあります。「ええ! すごい作家ですよね。」とほぼ初対面の人とでもある種の共感を持って話すことができる、しかも奥深いところで・・・となかなか『音楽』的で密やかな体験でした。

    トピ内ID:3821318769

    ...本文を表示

    トピ主さんに質問させてください

    しおりをつける
    🛳
    知りたがりおばさん
    自然科学系の勉強をして、同じ系統の職業についていますと書いておられますが、その意義はおわかりになっているのですね。
    文学研究の意義や目的が本当にわからないとは考えられないのですが……。

    文学研究なんて、人間の知識欲を満たすものにすぎませんよ。
    でも、これが社会生活のうえで力を持つことが多々あるのです。
    トピ主さんはありませんでしたか?
    何故と思ったことを知りたいのは人間の本能だと思います。

    トピ内ID:2622195385

    ...本文を表示

    それは文学が心で出来てるから

    しおりをつける
    対象Z
    研究に値する文学とは、サンプルに値する文学という事です。

    人がつくったものをサンプルにして、詳しく分解する事で、
    その組成を理解する。分解されるものは人間の心です。

    そもそも文学は心が作り出した虚構であり、読む人がそれを
    評価したという事は、その嘘は、第三者と共有できる
    嘘であるということです。何故、事実でもない
    その虚構を、多くの他人が共有できるんでしょう?

    しかも実際には、共有していないのかもしれない。
    また、何通りもの解釈が可能で、思ってもみない所で
    別の共有要素が隠されているのかもしれない。

    その時代や社会や心理状態において、作者がその虚構を
    作り出した。その現象そのものと、描かれたものを
    通して見えるもの。それは他の時代や現代や別の作者や
    読む者と、何の齟齬があり何が共通なんでしょう。

    1つのサンプルを追求する事で、その先に見据えるのは
    人間の内的な普遍性です。

    トピ内ID:9038986632

    ...本文を表示

    普遍ではなく個を掘り下げる学問

    しおりをつける
    さくらんぼ
    kikiさんのレスに既にありますが、私も自然科学や、社会科学と文学の目指す方向性は全く違うと思います。

    自然科学も社会科学も、大雑把に言えば、様々な現象に共通する法則を取り出し、普遍的なモデルを発見するのが目的だと思います。
    文学は、限られた記号で構成されたテキスト(場合によっては図像や音楽)の中に、無限の解釈の可能性を見つけ出すことを目的にする学問です。
    そもそも、数学や物理のように、文学解釈には唯一絶対の正しい答えなどありません。

    私は、文学研究者の役割は、読者とテキストと作者との間に、橋を架けることなのだと考えています。
    例えば、シェークスピアの生きた時代、その演劇の背景となった社会、そこに使われた言語と、現代日本の読者のそれとには大きな隔たりがあります。
    その隔たりを多少なりとも埋め、シェークスピアのテキスト、ひいては作者自身を読者の側に、少しでも引きつけ、読者自らが解釈に能動的に参加する手伝いをすること、それが文学研究者の究極の仕事ではないかと思います。
    様々な個々の相違を超えて、遠くの他人に共感する力、それを探すのが文学です。

    トピ内ID:7681693835

    ...本文を表示

    ただし訓詁学といふことも必要

    しおりをつける
    ピョートル
    「私がわからないのは、文学作品を読み解いていく(?)文学研究というものなのです」

    しかし、作品の正確な理解が基礎として必要であります。作者の言はんとしてゐるところを誤解してゐては、その先の研究が成り立ちません。論語でも古事記でも、まづ訓詁学から始まります。

    同時代の小説ばかり読んでゐると易しいのでピンと来ませんが、古語にせよ外国語にせよ、我々が使用してゐる言語とは隔たつた、背景の風俗も生活も常識も政治制度もまるで異なる作品に対しては、「何が書いてあるのか」を読解するところから出発しなければなりません。万葉も源氏も、これだけ研究を重ねながら、まだ解釈の定まつてゐない単語や文章があります。近代の小説ではどうでせう。谷崎ならまあたいていの人が読みこなせるでせう。しかし鴎外となると?今の人はかなりむづかしいと感じてゐるのではありませんか?そして現代の小説だつて1000年後の読者には、ちんぷんかんぷんになつてゐるかも知れません。

    専門家が地道な研究の成果として、本文の脇に注釈・語釈を加へてくれるわけです。一般読者にとつて有難いことではありませんか。

    トピ内ID:9368364555

    ...本文を表示

    普遍化に意味があるとは限らない

    しおりをつける
    ねね
    理系の人が勘違いしやすいことですが、学問は普遍化(一般化、理論化)をしなければならない、というのは思い込みです。
    なぜ普遍化しなければならないのでしょうか?
    文学や、あとは音楽や美術なんかもそうですが、普遍化には意味がない学問があるんですよね。

    たとえば、クラシック音楽は、何百年も前の人の作曲した作品を繰り返し、今でも演奏し続けていますよね。
    音楽を学んでいる人、あるは演奏家は、音楽の普遍的な法則などを明らかにするのではなく、何百年も前に作られた作品を「解釈」し、何度も何度も繰り返し演奏しなおしているわけです。
    それに意義がないのかというと、そうではないから、みんなクラシックコンサートにお金を払っていくわけでしょう?
    演奏するのは同じ曲なのに、バーンスタインが解釈し指揮するクラシックには、他の指揮者にはない何かがあるから価値があるわけです。

    文学だって、たとえば古典文学の研究者は、他の人がそれを読んだのとは違う解釈をしうるから価値があるわけです。
    自然科学では、科学的な発見や理論化に価値があるわけですが、そうではない学問もあるんですよ。

    トピ内ID:0902875700

    ...本文を表示

    なぜ哲学・社会学・経済学は「文系」なのか?

    しおりをつける
    🐷
    ハトリ
    昔、大学から文学部をなくそうという風潮がありました。
    その時に文学部の教授が言った反論はこうです。
    「文学を研究するということは『なぜ生きるのか』ということを追究することだ。それを潰すということは、人が生きる理由を考えなくなることだ」と。
    トピ主さんからそれは社会学ではないかというコメントもありましたが、そもそも文学を含めた文系と呼ばれる分野はおしなべて人間について考える学問です。ただ、その方法が思考(哲学)であったり分析(社会学)であったり表現(文学)であったりするわけです。

    そこに普遍的な意味がなければ、知りたいと思ってはいけませんか?
    そのことについて考えたいと思ってはいけませんか?
    価値がなければ、研究してはいけませんか?
    利益に結びつかない研究は、無意味ですか?
    明確な目的がなければ、研究とはいえませんか?

    トピ主さんの疑問は、この問いに対するトピ主さんの答えと理由が解決してくれると思います。

    トピ内ID:4249467166

    ...本文を表示

    そもそも研究自体がそういうものなのです。

    しおりをつける
    🐱
    yann
    文学に限らず、物理化学等々研究自体が、やってる本人以外
    なぜ、何のためにと思うようなものでよいのじゃないですか。
    おわんクラゲから発光蛋白を見つけ、ノーベル賞を受賞した
    研究でもやってる本人はノーベル賞を取ろうとか、世の中の
    役に立つ研究だとは思っていなかったようです。
    本来、研究とはそういうものだと私は思っています。
    趣味の延長線上にあり趣味に比べて違うところはとことんその研究に
    没頭するところだと思います。

    トピ内ID:9446989740

    ...本文を表示

    普遍性・・・

    しおりをつける
    🐤
    文学少女になってみる
    トピ主様、ご返答ありがとうございます。
    一つの文学作品の枠を出ないのでは?ということですね。
    答えはNOです。
    というか、枠を出そうとするのです。

    紫の上はこんな女性だった―ということがわかったら、多くはそれを現代に投影します。もちろん現代でなくても江戸でも明治でも戦国でも。
    投影しなければ、おっしゃるとおりなかなかその作品の枠を出ず、身近には感じられないでしょう。
    投影していくと、「現代でいうと彼女はどんな立場なのか?」とか「女性は紫の上をどう思うか?」などを考えるようになります。
    そうして、平安時代の宮廷に生きた女性と、平成の世で生きている女性の共通点、相違点がわかります。
    そこから「女性の」普遍性を見出す。あるいは「愛される女性の」普遍性、「恋をする女性の」普遍性を。。
    対象Zさんがおっしゃっている「人間の内的な普遍性」を見出す、まさにその通りだと思います。
    ただ、その普遍性は物理的実験や根拠では証明できません。
    人間の内面を語ることなので、それは唯一の物理的要素である「書物」をどう読み解き、説明してどれだけ多くの人を説得できるか、ということです。

    トピ内ID:6517818050

    ...本文を表示

    ”面白いから”じゃダメでしょうか・・

    しおりをつける
    🙂
    芸術学部卒
    難しいトピに至極単純な回答でごめんなさい。
    単純に「楽しいから」じゃダメですか?

    私は芸術学部卒です。
    全く違った仕事をしているので
    何の役にも立たないと言えばそうかもしれません。
    酷い人は
    「一体何を勉強する場所?」などと
    聞く人もいます。
    でも、その勉強をしていると楽しいし
    やりがいもあります。

    私は元気な頃、数学や英語の勉強をするのが
    大好きな父の背中を見て育ちました。

    病気で入院する70歳半ばまで、何日もかかって
    高校数学の問題を解き、楽しんでいました。
    家族にイヤミな爺さんと笑われながら(笑)
    英字新聞を電車で読むヘンな爺さんでした。

    よく、資格取得に関しても「何のため?」と言われるのを
    耳にしますが、
    「勉強する事が楽しいから」じゃダメなのでしょうか。

    トピ内ID:3689499057

    ...本文を表示

    サンプルする

    しおりをつける
    Yuria
    対象Zさんとほぼ同じ意見です。文学研究は文学という対象を分析、サンプリングすることを通し、普遍的な何かを導き出すことだと考えます。それが意味があることかというのは受け取り側の価値観によるのではないでしょうか。

    私は文学修士を持っていますが、学生時代、芸術関係の人に「自然科学研究とか文学研究とか何の意味があるの?あるものをあるって言っているだけで、何も新しいものを作り出していないよね?詩とか小説を書くっていうなら意味があると思うけど・・・」と言われ、ひとの価値観っていろいろだなと思ったことがあります。

    その後、自分でも研究の意味を見出せなくなり大学を出て、全く関係ない仕事(製造関係、渉外など)をしていますが、不思議なことに勉強したこと(他人の考えや心が反映されている文学作品を徹底的に読み込む経験)が役に立つと感じることがとても多いです。新卒でないにもかかわらず、会社内での評価もお給料もよくて感謝しています。

    トピ内ID:3037379063

    ...本文を表示

    話題提供者より、お礼とコメント1

    しおりをつける
    ノールウェーの林 トピ主
    多数のレスポンスをいただき、ありがとうございます。いずれも示唆に富んだご意見ですが、とりわけ、kikiさん、さくらんぼさんはじめ、いくつかのご意見にあった「自然科学と文学研究の方向性の違い」という言葉は、私の疑問をかなり明確にしてくれました。

    自然科学、社会科学の研究とは個別の事象を一般化できるような普遍的な法則の発見を目的とするもの。方向性としては、広がっていく方向(外向き)に矢印をつけることができそうです。
    文学研究は作品を掘り下げること(=解釈)が目的です。矢印の向きは個々の作品の内側に向いているように思えます。

    とすれば、文学研究の重要性は作品自身が持つ重要性を超えることはないのではないでしょうか。

    ピョートルさん、
    本文の脇に注釈・語釈が加わることによって、より多くの人に作品が読まれるようになるというのは理解できますが、それでは、文学研究の価値は作品の補助にすぎないのではないでしょうか。

    続きます。

    トピ内ID:6114275560

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    話題提供者より、お礼とコメント2

    しおりをつける
    ノールウェーの林 トピ主
    承前

    すぐれた文学作品が多くの人に感動を与えている場合、それに対する解釈の研究は何をもたらすのでしょうか。新しい解釈が与えられ、さらに多くの人に読まれるようになったとしても、その研究が作品自身を対象としている限り、その重要性の広がりは限定的ではないでしょうか。
    さくらんぼさんは、文学作品の中に“無限の解釈の可能性を見つけ出す”とおっしゃっていますが、一つの作品の中に「無限」があるという主張には無理があるような気がします。

    私には、対象Zさんのおっしゃる“人間の内的な普遍性”というものがよくわからないのです。また、なぜそれが“1つのサンプルを追求することで”見つかるのかもよくわからないのです。
    さくらんぼさんのおっしゃる“遠くの他人に共感する力”というのも内的な普遍性と同義かと思うのですが、これについてもよくわかりません。

    このあたりに文学研究の意味を理解する鍵がありそうに思うのですが…。

    続きます。

    トピ内ID:6114275560

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    話題提供者より、お礼とコメント3

    しおりをつける
    ノールウェーの林 トピ主
    八重さん、“時代を知るために”
    まみさん、“哲学や心理学の要素”
    リラさん、“己を知ることにつながる”
    いずれも文学をテクストとして歴史学や心理学を研究するということをご指摘のようですが、そういう研究であれば、私もその重要性は十分にわかるつもりです。文学作品を解釈することを目的とした文学研究にはどのような意味があるとお考えでしょうか。

    国文卒さんのご指摘は、トレーニングとしての文学研究ということでしょうか。トレーニングだけやっても意味がないのと同様、文学研究にもなにかほかの意味があるように思います。

    江戸紫敷布さん、
    大野晋さんは確か著名な国語学者ですね。私も一般向けの本を読んだことがあります。面白そうな著作の紹介、ありがとうございました。

    知りたがりおばさん さん、
    ご質問の内容がよくわかりませんでした。
    人間にとって知識欲が重要な欲求であることには全く同感ですが、研究という行為には単なる個人的な欲望の充足ではない、何らかの普遍的な価値があると考えています。文学研究がもたらす普遍的な価値が何なのか、知りたいと思っています。

    トピ内ID:6114275560

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    猫に小判

    しおりをつける
    🐶
    二立
     例えば、絵画の場合、1枚の作品が数十億円、あるいはもっと
    高額で売買されるものがたくさんあります。絵画の値打ちのわかる
    人にはそれだけの価値がありますが、絵画のわからない人には
    ただの飾りで、額縁代プラスアルファの値打ちしかありません。

     文学もそれと同様で、値打ちのわかる人にはその時代背景や、
    作家の個性のことなど、知りたくもなるし、研究する値打ちの
    あるものですが、興味のない人には価値はありません。

     文学は、印刷されて多くの書物になりますから、1冊あたり
    の値段はそう高くありませんが、絵画のように1つしか本物が
    ない状態になったとき、数十億、数百億の価値があるような
    ものがたくさんあります。

     そのような作品の成立過程を研究することは、作品の価値の
    わからない人にとっては、猫に小判ということです。

    トピ内ID:2848828145

    ...本文を表示

    トピ主さん、難しく考えすぎです

    しおりをつける
    文学部卒の似非理系
    私も半分以上理系頭なので気持ちは分かりますが、難しく考えすぎです。
    自分が納得して喜ぶため。これに尽きるでしょう。
    自分の好奇心のための研究ですから、そもそも普遍的な意義なんて必要ないんです。

    そして、一見なんの役にも立たない自分だけのための研究も立派に人の役に立っています。先行研究は他の「自分が納得して喜びたい人」に研究の材料、つまり納得の種を提供するんですから。人の喜びに貢献するというのは掛け値なしに立派なことだと思います。

    でも、どんな分野の研究でも結局のところ役に立つかどうかなんてどうでもいいんじゃないでしょうか。
    一体なんの役に立つのかと問われて「俺が嬉しい。なんか文句あるか」と胸を張って答えられる。そんな研究者が私は大好きです。
    社会的意義とか応用の可能性とかいったお題目で世間や自分自身を誤魔化す必要のない、ゆるぎない好奇心に動機付けられている。それこそ研究者のあるべき姿だと思います。
    また、そういう人たちを本気でバックアップするかどうかで、その国の文化度が計れると思います。大学は産業界のニーズに応えていないなんて寝ぼけた台詞が新聞に載る日本は文化国家ではなさそうです。

    トピ内ID:4701353711

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    普遍性の定義が違いませんか。

    しおりをつける
    若い輩ですみません。
    専門分野によるんだろうけど「普遍性」を知るって何でしょうね。自然科学が専攻ということはご年配の方で学習がニュートン力学までの時代の方なのでしょうか。
    文学研究については八重さんと知りたがりおばさんさんのレスがそのものずばりだと思いました。(若輩者には参考になりました。ありがとうございました。)
    文学を読むのが主観的な作業だからこそ研究による客観的視点を持つ作業に意味が生じるのでは?この感覚を否定すると社会学等人文系どころか科学を否定することにもなるような?
    ぜひ普遍性の定義を知りたいです。

    トピ内ID:1724604573

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    話題提供者より、お礼とコメント4

    しおりをつける
    ノールウェーの林 トピ主
    引き続きご意見ありがとうございます。
    せっかくいろいろなご意見を頂いているのですが、まだよく理解できていません。

    文学少女になってみるさんから、文学研究の普遍性について解説をいただきました。
    紫の上の人物解釈から”「女性の」普遍性を見出す”ということですが、これは社会学になるのではないでしょうか。
    八重さん、まみさん、リラさんと同様のご意見ですね。

    文学研究というのは、文学をテクストとした社会学、歴史学、国語学、心理学等々であると言ってよいのでしょうか?


    正反対のご意見として、ねねさんは、文学は”普遍化には意味がない学問”であると述べています。
    ハトリさんも同様に、文学研究は普遍化を目指すものではないということをおっしゃっています。
    これは私にとって理解の難しいことです。
    たとえば、作品中のある特定の登場人物の人物像を明らかにすることにどういう意味があるのでしょうか。
    ハトリさんいわく、このような研究が”『なぜ生きるのか』ということを追究すること”につながるということですが、私にはそのつながりがわかりません。

    続きます

    トピ内ID:6114275560

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    話題提供者より、お礼とコメント5

    しおりをつける
    ノールウェーの林 トピ主
    承前

    ねねさんはクラシック音楽を例に引いておられますが、これは文学研究とは違うと思います。
    音楽は楽譜だけでは完成していません。演奏されて始めてひとつの作品となります。
    作曲家と演奏家が組み合わさることで別の作品になるわけですから、百年前に作曲された音楽であっても現代の演奏家の手によって新しい作品となり、鑑賞の対象となります。

    しかし文学は、それ自身が完成された作品です。すべての意味をそれ自身の中に含んでいます。
    もちろん、宝石の原石のように、新たな解釈によって磨かれて大きく輝くこともあるでしょう。
    文学研究の意味が、作品の解釈によって新しい魅力をあたえることにあるのなら、研究の意味は文学作品の補助ということなのでしょうか。

    文学研究は長い歴史を持つ知的な活動です。文学部のある大学も多くあります。
    文学研究は文学作品の鑑賞を補助するだけでなく、大きな意味のある行為だと確信しているのですが、それがどんな意味なのか良くわからないのです。

    続きます

    トピ内ID:6114275560

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    話題提供者より、お礼とコメント6

    しおりをつける
    ノールウェーの林 トピ主
    承前

    私の疑問は、文学研究とガンダムマニアはどのように違うのか、ということです。
    たとえば、第1話に登場するガンダムと第10話のガンダムとを比較してその差を語ることは、マニアの間では重要なことでしょうが、多くの人にとって意義を認めにくいことです。
    では、紫の上の人物像を詳細に解明するという行為は、ガンダムマニアのガンダム研究とどのように違うのでしょうか。

    おそらく、私は何かを見落としているのだと思います。
    何が足りないのか、何を誤解しているのか、ご教示いただければ幸いです。

    トピ内ID:6114275560

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    試しにご自分で紐解いてみては?

    しおりをつける
    説話大好き
    あれも違うコレも違うと外野から理屈ばかりをこねていないで、
    トピ主さんも文学を研究なさってみては?
    高名な作家の作品なら、研究手引き本もたくさんあります。
    実際にご自分で先人の研究内容に目を通してみれば、
    何を目指しているのか、何も目指していないのか、
    意味があるのかないのかくらいの察しはつくことと存じます。

    トピ主さんのお説を拝見していると、
    女性と付き合ったことのない男子大学生が
    「女は金がかかるしおしゃべりだからめんどくさい。
     一人でパソコンをいじってたほうが楽しい」
    と言っているのを見ているような気分になります。

    トピ内ID:9024087091

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    長々とすみません、今日はこれで最後です。

    しおりをつける
    ノールウェーの林 トピ主
    なんだか、この忙しい師走のさなかにこんなに多くの方にお付き合いいただき、申し訳ないような気分になってきました。どうもすみませんです。
    暇と酔狂の卸問屋を経営されているような奇特な方がいらっしゃいましたら、いましばらくお付き合いください。

    Yuriaさんのコメント、興味深いです。
    自然科学や社会科学が作り出すものは知識の体系だと思います。分かりやすく整えられ、既知の事柄はもちろんこれまで知られていなかったような現象や問題にも適応可能な知識や説明です。自然現象や社会現象は「すでにあるもの」ですが、それについての体系的な知識や説明は「まだない、作り出さねばならないもの」ですね。

    その意味では、研究者と芸術家とは手法こそ違え、どちらもクリエーターと言えるのではないでしょうか。

    トピ内ID:6114275560

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    そんなに難しいところに目的も意義もない

    しおりをつける
    わさ
    私は古典文学を学んでいます。
    その目的の一つは、ある作品の「最初の姿」を再現することにあります。
    古典作品はそれが享受されてきた歴史の中で、さまざまに本文を変化させ、さまざまな本が生まれ、その時代に合った解釈をされ、そして現代に存在しています。
    それらを踏まえて、「最初の姿」…つまり、古い形の文章を再現するのです。

    そしてその意義はなにか、というと「次の研究のため」としか言いようのない部分があります。
    「××という古典を活字にして出版したよ!」
    「それって何の意味があるの?」
    「え…次に××を研究したい人が楽になるじゃないか」
    ただそれだけです。人類を導けるような目的を探すことではありません。「普遍的意味」とか「読者を獲得させる」なんてことを考えている人は少ないんじゃないでしょうか。

    そうやって文学研究は行われるのですが、一応、他の研究に影響を及ぼしている部分もあると思いますよ。文学を研究している人たちがそれを意識しているかは別ですが。
    国語学・国語教育学・文学研究史・歴史・文化・民俗学・哲学…まぁこれぐらいには、文学研究は役に立っていると思います。

    トピ内ID:5133382845

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    国文学卒です。その問いは常に私達を悩ましています

    しおりをつける
    😢
    卒論は源氏
    まず、古典文学の研究・解釈は古典を現代に適切な形で保存するという意義があります。

    では、現代文学の解釈の意義は?という当然の疑問を抱かれるでしょう。

    白状しましょう。その問いに明確に答えられません。

    文学研究者の殆ど、いや全員が、自分の研究で社会に還元できるものはあるのか、という深い懊悩を常に抱えています。
    文学研究は物益を生みません。常に主観的であり、必ず偏向を含みます。
    文学の研究・解釈では人命を救うことはできないのです。

    ここでサルトルのかの有名な問いを思い出します。
    「飢えた子供の前で文学は無力か」。
    そもそも「文学は(食料や水と違って)役にたつのか?」という問いが存在する中で、その文学の研究こそ果たして何の役に立つのか。

    では、ここで視点を変えれば解るのかもしれません。
    人はなぜ文学を残すのか。
    人はなぜ人が書いたものを読みたいと求めるのか。
    ここに答えがあるように思えます。
    人は他人=社会との精神の共通化を求めるのではないでしょうか。
    私とって文学研究・解釈は、人類が精神の連携を図るアイテム、と答えておきたいと思います。

    トピ内ID:9950726116

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    私も知りたい

    しおりをつける
    🙂
    旧三流学生
    トピ主さんの疑問は、長年の私の中のモヤモヤでもありました。
    文学部卒です。

    例えば、「三四郎」が熊本から汽車に乗って上京してくるときに、
    一緒に汽車に乗り合わせていた女の肌の色が白くなってくるように
    感じたのは、地方から東京へくる、三四郎の心境の変化を表している・・

    など、知らなくてもよい知識のように感じますし、

    例えば、漱石作品の中に出てくる「赤」は危険の象徴・・だとか

    正直、その説明がなくても十分作品は楽しめるように思えて、
    いったい文学研究って何なんだ!といつも考えていました。

    このトピの成り行きを期待を持って見つめていたいと思います。

    トピ内ID:6475337451

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    例えば・・・

    しおりをつける
    🙂
    カナエ
    例えばヒトラーの書いた『我が闘争』、
    これは戦後に発禁処分になりましたよね。
    なぜでしょうか?
    そこには研究者の方々が、その本に含まれている様々な危険性を分析し指摘したことも大きいのではないでしょうか。

    文学はフィクションです。ですから正確に裏付けられた知識をもとに、その虚構を解体する、ということが必要です。
    フィクションが酸性だとすれば、それをアルカリで中和するのが文学研究といったところでしょうか。

    トピ内ID:8957317313

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    言葉は社会を動かす

    しおりをつける
    昆助
    経済学では、人は自分の利益を最大化するために合理的に行動すると仮定しますが、現実の人間は功利や合理性だけで動く訳ではありません。

    人間の社会を動かすもう一つの原動力は、理念や規範といった抽象観念であり、それを媒介する役割を持つのが言語です。この立場を社会科学では「構築主義」と称します。

    オバマ氏はなぜ当選したのか。演説の名手である彼の紡ぎ出す言葉の力が、米国民の心を捉えたからです。英国の政治家の議論にはシェイクスピアからの引用が登場します。沙翁の言葉の魅力が聴衆を惹きつけるからです。一方どこかの国の首相の場合は、稚拙な言葉遣いが災いして支持率を急落させてしまいました。

    私たちは、説得力ある豊かな言葉で語る人々の声に耳を傾けます。しかし彼らの言葉は彼ら自身が発明した訳ではありません。民族の長い歴史の中で紡ぎ出され、継承されてきた文学の中にその源泉があるのです。優れた文学は、時代を超えて社会を動かす力を秘めています。文学研究者の重要な役割は、かけがえのない言語的遺産を次代に継承してゆく事だと私は思います。彼らの仕事がなければ、あっという間に忘れ去られてしまいますから。

    トピ内ID:5094546502

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    文学作品を読んだことあります?

    しおりをつける
    文学部卒の似非理系
    >ねねさんはクラシック音楽を例に引いておられますが、これは文学研究とは違うと思います。
    >音楽は楽譜だけでは完成していません。演奏されて始めてひとつの作品となります。
    >作曲家と演奏家が組み合わさることで別の作品になるわけですから、百年前に作曲された音楽であっても現代の演奏家の手によって新しい作品となり、鑑賞の対象となります。

    失礼ながら、文学作品に対する理解が根本的に間違ってますよ。
    文学作品は単体では完成しません。読み手との関係性の中で初めて完成するものです。作曲家と演奏家の関係と同じです。
    読まれない文学作品は存在しないのと同じです。また、行間に解釈の余地がある以上、読み手側の背景によって作品の意味は変わりえます(どんなに精緻に描写したところで解釈の余地を消滅させることは不可能です)。だからこそ研究の余地があるのです。
    はじめから分かりきっていることをわざわざ研究するなんて酔狂な人はいませんし、いたとしてもそれを飯の種にすることなんてできません。誰がそんな人の知的能力を認めてお金を出しますか?

    トピ内ID:4701353711

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    2回目です

    しおりをつける
    ねね
    まず、私の最初のレスと特にkikiさんのレスをあわせて読んでください。
    「特定の作品中のある特定の登場人物の人物像を明らかにする」ということをとても表面的にとらえていると思います。
    「解釈する」ということは、そういうことではありません。

    クラシック音楽とは違うとおっしゃってますが、同じですよ。
    音楽が楽譜だけで完成していないように、文学作品だって作家が文字を書くだけでは完成しません。
    読者が「読む」という行為をして初めて完成します。
    「読む」という行為は字面を追いかけるだけではないですよね。
    「解釈する」必要があります。
    音楽と同じように、文学作品を読む人が読むと、別の新しい魅力が生み出される、もしくは新しい別の作品になり得るということです。
    作家が作品に込めたメッセージ以上の何かをひとつの作品から見いだす。
    作家が、生きた時代、場所、立場、思想などを「構造」という言葉を使って表現することもありますが、それらがどう反映されているかを解釈するわけです。

    じゃあ、どうやって解釈したら良いのでしょう。
    音楽家が音大でそれを学ぶように、文学部ではそれを学びます。

    トピ内ID:3914783543

    ...本文を表示

    わからなきゃわからないでいいんじゃないでしょうか?

    しおりをつける
    黒猫のタンゴ
    多分トピ主様は何事もきちんと自分で納得のいく様に理解出来なければ気になって先に進めないタイプの方ではないかと推察されます。そういう方にわからなきゃわからないでいいじゃないかと言うと喧嘩を売っている様に思われるかも知れませんが、世間の大部分はトピ主様よりはるかにアバウトな世界認識に基づいて生きているのです。

    文学研究がアバウトとはいいませんが、少なくとも1足す1は2の様にきちんとした回答も原子力の研究の様に人類の未来の科学の発展に役立つ学問ではないことは確かです。でもそういう学問も一つくらい世の中にあってもいいのではないでしょうか?

    トピ主様が文学研究は何ももたらさない、作品の補助に過ぎない、作品自体の重要性を超えることがないし、なぜ生きることにつながるのか理解出来ないと思われるなら、それはそれで立派な一つの見識です。でもそれ以上理解したいと思われるのであれば、人に聞くより自分の中で文学とは一体何かを考えた方が話が早いのではないでしょうか? と難しいことを書いているうちに私の頭も痛くなってきたので、これにて失礼します。

    トピ内ID:2739720667

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    扱うものは『心』使うツールは『言語』なのが文学

    しおりをつける
    みけ
    社会学、哲学、心理学との明確な違いは、それぞれの扱うものと使うツールの違いからわかっていただけるのではないかと思います。

    どなたかがおっしゃっていた『1つの作品のなかに無限の可能性を見いだす』ことは、ちっとも不可能ではありません。
    たとえば。
    文学作品Aのなかで、登場人物aとbとの関係と行動から読み手が何かを感じるとします。
    この『何か』は感情なので、まずそれを言語化して明確にします。
    そして同時に、人の気持ちを文のなかで動かしていることになる部分、aとbの行動、セリフ、時代背景、作品のなかでおかれる状況、などから、流れの論証をします。
    これも、必要な部品だけを選り抜きで読みやすく整理して言語化し、まとめます。

    この論証に使われる、証拠の部分は、数学で言えば長さや角度、科学なら温度などと同じモノです。
    そして、それらの条件が揃ったから、読み手の心をこの向きに動かした…これは、方程式とその答えです。
    数学で、違う問題だからって同じ方程式が使えないなんて馬鹿な話はないのとおなじで、人の心にも方程式があるのです。
    誤解を招きそうな表現で申し訳ないですが。

    トピ内ID:1150299053

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    扱うものは『心』使うツールは『言語』なのが文学(2)

    しおりをつける
    みけ
    でも、もしその方程式がないなら、『泣ける映画』なんて存在しないでしょう?
    もちろん、『泣ける映画』で泣かない人もいます。でもちょっとは切なくなったり。
    あるいは別の、『泣ける映画然としてないヨーロッパ映画』なら泣くこともあるかも知れません。
    (トピ主さんがハリウッド映画とヨーロッパ映画の違いをご存じなら伝わるのですが!)

    繰り返しますが、大切なのは、『文学をはじめとする表現の世界では、扱うものは心である』そして人に伝えるために、『自分の発見したものを言語にして表す』ことなんです。
    人はいちいち自分の感じたことすべてを、言葉にすることはできないんです。
    でも文学をかじった人間は、他人の行動から証拠を集める能力がだんぜん伸びるんですよ!
    しかも言語化できるので、感情の機微を説明することだってできます。
    そして自分がどう振る舞えば、相手の心にどんな変化をもたらす可能性があるかを考える癖も付けやすい。
    さらに、その可能性は一つではないことも知っています。泣ける映画で泣かない人は確実にいます。
    そうなった時、別の角度から見るための切り替えも速いのです。

    続きます

    トピ内ID:1150299053

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    扱うものは『心』使うツールは『言語』なのが文学(3)

    しおりをつける
    みけ
    結局私たち人間から、心は切り離せないのですから、文学を突き詰めた結果が世の中にこんなふうに反映されているのは当然だし必要だと思います。

    歴史に残る作家、劇作家たちの作品は、文学的方程式を巧みに使い、また新しく編み出して、何億人もの人たちの心を動かしているわけですよね。
    偉大な文学作品に心を動かされれば、考え方の変わる人もいるでしょう。
    今までなぜ作者はこのプロットにしたのか、が分からなかった作品があって、解釈が色々あったとします。
    そんな時、発見された書簡によって、作者の意図がはっきりした。
    となればそれは意義のあることではありませんか?
    たくさんの人に与える影響が変わってしまうのです。

    続きます。

    トピ内ID:1150299053

    ...本文を表示

    扱うものは『心』使うツールは『言語』なのが文学(4)

    しおりをつける
    みけ
    音楽が演奏して初めて意味のあるものなら、文学は読んで、芝居を観て初めて意味のあるものです。
    解釈の違いがあるのです。同じ本を読んで同じように感じるとは限らないから、自分の考える正しい解釈を論文にするんですよ。

    それらの作品の中には、誰にでもわかる方程式(=普遍性)が含まれているということなんです。
    そういう誰にでもわかる法的式をたくさん使って、未知の方程式を見つけるのが文学研究の論文の結論の部分です。おまけだと思ってください。
    そういう細かい方程式は、なるほど!目から鱗!となれば普及しますし、まぁ、確かに…くらいなら、読んだ人に新しい切り口を与えるけど広まりはしません。
    超文系の私が、新しい酵素を発見して実験したらこんな反応が!みたいな論文を見ても『あー、役に立つ人には立つんだろうな、意味わかんないけど』と思うだけなのと同じですね。

    長くなってしまい、すみませんでした。

    トピ内ID:1150299053

    ...本文を表示

    要旨・緒言・方法・結果・考察

    しおりをつける
    ブルゴーニュの森
    研究の目的として、「ノールウェーの林さんはどうして、そのようなことを知りたいのだろう。どうしてこのような疑問を持つに到ったのだろう」
    では、研究の目的・意義にはなりませんか?

    もちろん、ノールウェーの林さんが公人で、興味の対象となるような何かをお持ちの場合ですけど・・・・・。

    個人的にはブルゴーニュの森さんがどのような自然科学の研究をなさっておられるのか、ちょっと興味が湧いてきました。

    トピ内ID:6086954977

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    本当は文学少女ではありませんので

    しおりをつける
    🐤
    文学少女になってみる
    たいしたことは言えませんが、お付き合いさせていただきます。

    ガンダムと紫の上…(笑) 面白い対比。

    「ガンダム」と「源氏物語」は文芸作品としての身分というか地位が違いますよね。
    源氏物語は今から千数百年前に、女性が書いた書物で、今とは比べ物にならないほど娯楽の少ない時代に多くの話題を提供した、文学作品の奔りです。その年月の重みや言葉の重みが圧し掛かっています。
    ガンダムとの一番の違いはここでしょう。(話の内容とかはもちろん別で・笑)
    日本中の大変多くの人に、大変な年月の間影響を与えてきたわけですから、それを読み解くことはそれはまた大変多くの人に影響を与えかねない。それが文学作品の価値のひとつになるのでしょう。

    そういえば、ガンダムの学会が開かれていましたよね。

    文学(物語は特に)だって、はじめは「エンターテインメント」だったんですよね。それが歴史を重ねてどんどん重くなっていったわけで。

    ですから、ガンダムも源氏物語と同じくらいの年月の間、同じくらい多くの人々に影響を与えれば、さらにさらに重く深くなっていくかもしれません。

    トピ内ID:6517818050

    ...本文を表示

    意義とは、研究することそのものです

    しおりをつける
    トキ2号
    研究の本領は、結果が二の次だと思っています。
    お金にならなくても、喜ぶ人がいなくても、疑問を持ってしまったら今のままではいられない。
    そういう精神の人が「何か」を追い求めるだけのプロセスなんだと思うのです。

    本人にもわからないものを、周囲の、さほど興味を持っていない人のほうがわかっている、ということもあるでしょう。
    しかし、「量」の積み重ねが「質」に変わります、と言った作家がいます。たいてい継続が重要になることが多いでしょう。

    ならば、そういうことをしてでも、という人と、あまりしたくないなあ、という人がいる場合、「意義」もそれぞれに異なるはずです。

    過程に身を投じることに価値を見出す人には、研究することじたいに「意義」があるでしょう。
    エネルギーをそそぐ覚悟のない人には、参加することの「意義」はよく理解できないものだろうと思います。

    そもそも、とぴ主さんのいう「意義」って何でしょうか。
    唯一の絶対不可侵の「意義」はないかもしれない、という心のささやきを密かに感じ取っている人が、ついつい研究を重ねていくのかもしれませんよ。

    トピ内ID:4130960334

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    思考実験のつもりで(その1)

    しおりをつける
    無用の介
    トピ主さんが考えておられる「意義」や「実用性」とは意味が違うと思いますが、ちょっと思いついたことを書いてみます。

    人間は無用な物に金を払ったりしますよね?
    観光地で売っている「空気の缶詰」とか。
    実用性は無くても、そこに何らかの価値を見出すわけです。
    文学の場合、それに触れることによって得られる、広い意味での「感動」に価値があるのだと思います。

    人が価値を認めて、それを求める以上、それは商品となり得ます。
    例えばガンダムは、閉じた世界の虚構の産物ではありますが、現実の世界で巨大な市場を形成しています。
    ガンダムで生計を立てている人は沢山いるのです。
    さて、ここで仮にガンダムの限定フィギュアを発売することを考えてみます。
    この場合、第1話のガンダムと第10話のガンダムとでは、商品化した際の売り上げが大幅に異なるということもあり得ます。
    馬鹿馬鹿しいと思うかもしれませんが、趣味の世界のマニアというのはそういうものです。

    とすると、ガンダムを研究して1話と10話を区別できるようになることには、ある種の「有用性」が認められることになります。
    (続きます)

    トピ内ID:9960047325

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    思考実験として(その2)

    しおりをつける
    無用の介
    (続きです)
    文学はどうでしょうか。
    「文学は金にならない」と良く聞きますが、商品として流通している作品も多いことは事実です。
    ならば、ある作品についての理解を深める研究は、「商品価値を高める」ことに他なりません。
    新発見の事実から作品の新たな解釈が見出されれば、それは「全く新しいもう一つの商品価値」が追加されたことになります。

    一時期、「本当は恐ろしい○○童話」という類の本がベストセラーになりました。
    ありふれた童話が、「本当は恐ろしい」という解釈によって新たな商品価値を得たのです。

    もちろん、真面目な文学研究者の多くは、そんなことを考えて文学を研究しているわけではないでしょう。
    ですが、新解釈の紫の上が国民的アイドルになって莫大な利益を生み出すことも、理論的にはありえるわけです。
    商売になるとすれば、それは目的や意義になり得るでしょう。

    …と、以上は思考実験のつもりで、あえて無理矢理ひねり出してみました。

    最後に真面目な話をすると、「文学に触れることによって得られる、広い意味での「感動」に価値がある」というところが鍵なんじゃないでしょうか。

    トピ内ID:9960047325

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    八重さんの回答にあなたの求める答えがあるのでは

    しおりをつける
    へんなの
    とても詳細に回答しているのに、八重さんの回答の表層だけを捕らえた回答なのが不思議です。

    >文学研究の重要性は作品自身が持つ重要性を超えることはないのではないでしょうか。

    そうです。だからこそ作品自身が持つ重要性を正しく判断するために、八重さんが説明したような研究が必要なのでは。

    トピ内ID:4363095819

    ...本文を表示

    研究の意味と普遍性

    しおりをつける
    ノールウェーの林 トピ主
    引き続き多数のご意見をいただき、大変ありがとうございます。

    何人かの方は、好きなことをやっているだけ、わかる人がわかればよい、とう趣旨のコメントをされています。
    興味の赴くままに何かを調べることを否定するつもりはありません。それは個人的な行為であり、その意味は個人にしか理解できないものです。
    しかし、研究は違います。それは社会的な行為であり、何らかの社会的な意味をもつのだと思います。

    前にも述べましたが、自然科学や社会科学の目的は知識を体系化することにあると思います。狭い分野で完結する研究よりは、他の研究者や他の分野に影響を与えるような研究(普遍的性の高い研究)のほうがより大きな意味を持つと考えています。
    数学研究は物理学に影響を及ぼし、化学の進歩は分子生物学を刺激しています。また、環境問題では社会学、経済学、化学、生態学などが相互に関係しています。凶悪犯罪の増加についての考察は社会学のテーマであり、その成果が法律学に波及することもあるのではないでしょうか。

    文学研究はこういった枠組みの中には入ってこないのでしょうか。

    トピ内ID:6114275560

    ...本文を表示
    トピ主のコメント(44件)全て見る

    レスポンスへのお礼とコメント

    しおりをつける
    ノールウェーの林 トピ主
    文学の解釈について私の誤解をといてくださった 文学部卒の似非理系さん、ねねさん、ありがとうございます。理系の仕事をしているせいか、文章を書くときは文意が一義的になるように、わかりやすく、簡潔明瞭にと指導されており、心がけてもいます。
    文学作品は多義的であり、読者との関係は音楽と演奏家とのそれと同じというご指摘は、私にとってはちょっとした驚きでした。
    お二人のご意見からすると、文学研究は演奏家同士の議論、「この音符をどう弾くか」ということになるのでしょうか。もしそうなら、その作品自体に興味がない人にはあまり意味のない話になりますね。文学研究は作品の枠内の議論でしかない、ということでしょうか。

    みけさん、文学研究の方法論のご紹介、ありがとうございます。おっしゃることは理解できたと思います。文学作品を読み解き、隠された方程式を知る。
    では、その後、その研究はどのように展開するのでしょうか。名作と呼ばれる作品に共通する方程式を探し出し、「必ず泣ける映画」を作るための法則を導くこと…になるんでしょうか。

    トピ内ID:6114275560

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    続きます

    しおりをつける
    ノールウェーの林 トピ主
    ブルゴーニュの森さん、文学少女になってみるさん、
    文学研究の意義というのは、対象とする文学作品に依存するのでしょうか?
    源氏物語の研究は意義があるが、ガンダムには“興味の対象となるような何か”がない(もしくは少ない)ので研究する意義がないのでしょうか。
    くらげはどうやって光っているか、という地味な研究が医学や生理学研究に波及した結果、ノーベル賞を受賞しました。文学研究の世界では、マイナーな作品の研究が大きな成果につながるようなことはあるのでしょうか。

    わささん、昆助さんのコメントは書誌学の重要性を指摘されているのですね。
    先賢の言葉を残すことが重要であることは良くわかります。“文学は、時代を超えて社会を動かす”とのこと、蟹工船が最近のベストセラーになったのは記憶に新しいところです。お説にはまったく同感ですが、やはり私の疑問は同じです。ならば、文学研究は文学作品を補助するためのものなのか? です。

    トピ内ID:6114275560

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    卒論は源氏さんへ

    しおりをつける
    ノールウェーの林 トピ主
    卒論は源氏さん、本職の方でしょうか。素人のつぶやきのようなトピックに参加していただき、大変恐縮しています。
    “社会に還元できるものはあるのか、という深い懊悩を常に抱えています”というご発言、びっくりしたと同時に「やっぱりそうなのか」という思いもあります。

    人はなぜ人が書いたものを読みたいと求めるのか。
    私の答えは、異なる人生を体験したいから、ということです。蟹工船に乗ってつらい仕事に従事するのは真っ平ごめんですが、そのような状況で人間は何を感じどう振舞うのか、興味があります。

    “他人=社会との精神の共通化を望む”というのはどういう意味でしょうか。文学作品を通じて異なる人生を体験したい、ということでしょうか。
    「蟹工船」が労働者の共感を呼んだように、「文学作品」が“精神の連携を図るアイテム”となるということは理解できます。
    すでに作品自身がアイテムとしての役割を果たしているのなら、文学研究の果たす役割は何でしょうか。もちろん、解釈によってより有用なアイテムになることはありえるでしょうが、それではやはり作品の補助という役割になってしまうのではないでしょうか。

    トピ内ID:6114275560

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    オタクと研究者の違い。

    しおりをつける
    若い輩ですみません。
    「文学少女になってみる」さんが良い例ですね。トピ主様同様ご自分と観察目的の距離を取れず客観視することが出来ないからこそ、他者と他者の客観性が見えないんですね。彼女様の「本との触れ合い」は私個人としては好ましいのですが、科学に立脚した職業につく私としては否定しなければならない感覚でもあります。
    しかし、この客観性の視点を持たないと更に「影響を与えている自分」の存在を踏まえて考察することはできません。
    それについてのヒントを私自身が若輩者なので明確に出来ないですね。自分の限界を感じます。

    トピ内ID:1724604573

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    意味のあるなしで言うなら

    しおりをつける
    KATA
    世の中に意味はないですが、個人的な欲求やファン心理的には意味があります。
    そんだけです。
    特に世の中全般には役に立ちません。
    好きな芸能人を研究してファンクラブ会報に連載する、くらいの意味ですので
    好きな人にはたまらない企画っていう程度でしょうか。

    有名な逸話で、
    学校の宿題である泣ける物語について、
    「この作者はどういう気持ちでこれを書いたか」という宿題が出た際、
    たまたまその作者の孫娘がいたため、おじいちゃんに直接聞いたら
    「締め切りに追われ、ヒィヒィ言いながら書いた」と言われたので
    そう答えたら×を貰った

    という話があるくらい、作者の気持ちなんて勝手に想像するだけで意味はないし
    当たりっこないわけですから。

    でも好きなんだからいいんじゃないですかね。

    トピ内ID:4120365736

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    普遍性を求めるのは現代的ではない。

    しおりをつける
    若い輩ですみません。
    トピ主様の社会的意義に本当に価値があるかは置いておいて。
    体系化が恣意的行為であるのは理解できますか?体系化の普遍性が60年代に否定されていることは知っていますか?
    レスに思考の変遷があることは読み取れますが、前提にある思考に無知(ごめんなさい、若輩者の分際で失礼なんですが)が多すぎて。揺らぎすぎです。
    このままではその内でてくるであろう結論が無価値になってしまいます。
    今からでも遅くない。現代思想の変遷を学び直したほうが良いですよ。

    トピ内ID:1724604573

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    ホメロス

    しおりをつける
    🐶
    二立
     古典中の古典であるホメロスはなぜ愛され、研究されてきたか。
    それは、イリアスやオデュッセイアが、結局個人と共同体(ポリ
    ス)の間のしがらみ、生き方を描いているからです。

     現代でも人間は個人で生きているわけではありません、何らか
    の共同体に属して生きています。家族や会社、国家であったり、
    地縁、血縁共同体の一員として生きています。そして、その個人
    と共同体はなんらかの折に矛盾を生じて、個人はその際、問題を
    どう解決して生きていくべきか悩むことになります。
     
     イリアスは「アキレウスの怒り」というのが主テーマですが、
    アキレウスがなぜ怒ったのか、そしてその怒りをどうぶつけて
    結局どうなったのかは、今でも多くの人の共感を呼びます。
    だからイリアスは愛読されるわけです。

     ただ、現代社会と、ホメロスの時代では社会構造がだいぶ
    違います。ただ、夫婦関係や、個人と会社や学校、国家など
    との間にいろんな関係が発生するのは、基本的に同様です。
    ホメロス時代の社会を研究すれば、その共感はいっそう深まり
    ます。文学に描かれる人間関係は、現代社会でも何らかの
    共感を呼ぶものです。

    トピ内ID:2848828145

    ...本文を表示

    私は

    しおりをつける
    maminka
    文学とは、人の心を扱うものであり、人間の感情(正も負も含めて)、他人と共感する能力とか普遍的価値、例えば自由の精神、自然や神に対しての畏敬の念、尊厳、愛、慈悲、などといったものをある特定の時代背景・社会的状況において、登場人物を通して知ろうとするものだと思っていました。その研究の目的とは、究極的には、人間の普遍性とは何かを知るということに尽きるではないでしょうか。

    トピ内ID:1576951049

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    言葉の定義を明確にしてください

    しおりをつける
    文学部卒の似非理系
    >しかし、研究は違います。それは社会的な行為であり、何らかの社会的な意味をもつのだと思います。

    大辞林によると研究とは「物事について深く考えたり調べたりして真理を明らかにすること」。
    多分、トピ主さんの言う「研究」はレスしている人たちの言う「研究」と別のものです。だから話がかみ合わないんです。なぜ、トピ主さんが研究をそういうものと定義しているかを明らかにすれば話がかみ合うんじゃないですか?

    私が思うに、研究の意義は見出されるものであって、はじめからそこにあったり、目的とされるものではありえません。なぜなら評価軸次第でどうとでも言えるからです。「社会的」というのも評価軸のひとつに過ぎません。
    私の専門は科学史と科学哲学でした。科学の歴史と意義を問う学問ですが、トピ主さんの見方には賛同できません(「自然科学」も「研究」も)。

    私の出身大学(ノーベル賞受賞者多数)では教授も学生も、みんな個人的興味に動機付けられて「研究」してましたよ。子供みたいに目を輝かせて。外向けにきれいなお題目は用意してましたけどね。それは研究ではないと言われればそれまでですが。

    トピ内ID:4701353711

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    お礼とここまでのまとめ1

    しおりをつける
    ノールウェーの林 トピ主
    引き続きたくさんのご意見をありがとうございます。
    旧三流学生さんも私と同じような疑問をお持ちのようですね。仲間を見つけたようで、ちょっと安心(?)しています。

    せっかくたくさんのご意見をいただいていますので、ここまでのまとめとして私見を述べてみます。
    見落とし、勘違い、追加コメントなどいただけるようでしたら、ぜひよろしくお願いします。

    一番のポイントは、文学作品にはどれだけ多くのものが含まれているか、ということです。
    ひとつの文学作品の中には無限の解釈の可能性が含まれるという立場に立てば、作品の背景や登場人物について語ることは限りない実りをもたらす価値ある研究となります。

    文学少女になってみるさん、八重さん、kikiさん、リラさん、対象Zさん、さくらんぼさん、ねねさん、ハトリさん、Yuriaさん、二立さん、他多くの皆さんのコメントからすると、この立場をとっておられる方はたくさんいらっしゃるようですね。

    続きます

    トピ内ID:6114275560

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    お礼とここまでのまとめ2

    しおりをつける
    ノールウェーの林 トピ主
    承前

    長い年月にわたって多くの人を魅了してきた源氏物語には深い文学的意義があり、その解明は大きな意味のある仕事です。
    ところが、ガンダムは単なるエンターテイメントであり研究の対象となりうる内容に乏しく、そのディテールを語るのはマニアの楽しみでしかない。

    このあたりで疑問がわいてきます。

    源氏物語といえども本当に無限の解釈の可能性を持っているのでしょうか。無限であることはどのようにして判断できるのでしょうか。
    もし文学作品の解釈の可能性が有限であれば、スケールの違いこそあれ、ガンダムマニアの楽しみと同じことになってしまうのではないでしょうか。

    無限の解釈ということが、文学作品と読み手との関係に基づくものであれば、すべての作品について無限の可能性が担保されます。
    ならば、ガンダムのディテールを語ることも有意義な研究となるのでしょうか。

    もう少し続きます

    トピ内ID:6114275560

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    お礼とここまでのまとめ3

    しおりをつける
    ノールウェーの林 トピ主
    承前

    皆様からのご意見を読んで、文学研究に井戸掘りのイメージが重なっています。

    源氏物語という深い井戸からはすきとおった水が滾々と湧き出しています。
    蟹工船という井戸からは少し鉄の味がする水がほとばしるように噴き出しています。
    ガンダム井戸は掘ったはしから崩れてきて、井戸として機能していません。
    井戸掘り職人たちは、無限の深みまで掘りつくそうと、ひたすらツルハシを振るっています。

    文学研究の国には無数の井戸があるのですが、一本一本の井戸は独立していて、井戸同士をつなぐ水路はか細いものです。
    また、この井戸がある国は閉鎖的です。
    社会学国や国語学国からは水を汲みに来る人が結構たくさんいるのですが、文学研究国から他国へ旅する人はわずかです。

    素人のへたくそな比喩でわかりにくくなってしまったかもしれませんが、これまでご教示いただいたレスポンスからの私なりの解釈です。

    トピ内ID:6114275560

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    難しい

    しおりをつける
    ちこ
    文学は一応人文科学なので
    本来ならば作品の枠内に収まってしまう研究であれば
    科学とは言えないですよね。
    といっても文学趣味になってしまうのが難しい所です。

    トピ内ID:5286360141

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    面白いですね

    しおりをつける
    四十雀
     一つの問いに対に様々のご意見が出ること自体、文学研究の方法が多様であることの表れでしょう。印象批評から始まり実証主義(自然科学の影響による)、形式主義、構造分析(ロラン・バルト等の影響)、心理学、哲学、社会学、フェミニズムからのアプローチ、カルチュラル・スタディーズ…など(割愛)、方法自体が多岐に渡るのが文学研究の常です。

     ノールウェーの林様、「人はなぜ人が書いたものを読みたいと求めるのか。私の答えは、異なる人生を体験したいから、ということです。」これは真っ当なご意見だと思います。実際に体験することは真っ平という経験、その上にしてみたいけれど不可能な経験まで、文学では可能です。ただそれを限りなく体験し、味わうためには、八重様の「時代を知る」こと、「様々な時代の」「人々の息づかいを知ること」は必要です。

    さくらんぼ様の「読者とテキストと作者との間に橋を架ける」もこのことをさしていると思います。例えば、ジーンズができた当時と今とではその機能性、社会的な意味、それらを踏まえた穿くときの心持が違います。異なる人生を体験するためにはプロットだけではなく、細部に渡る体験が必要です。

    トピ内ID:4688029907

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    面白いですね 2

    しおりをつける
    四十雀
     ただ、これらのことは研究者でなくとも、個人が興味を覚えれば自分で調べるられるはずです。よって、ノールウェーの林様が求める答えにはなりません。
     次にねね様の音楽と指揮者のお話。この例えを挙げた時点で、文学自体が有用なものではないことを語っています。人は読書をしなくても、音楽を聴かなくても、仕事をすれば食べていけるからです。つまり、音楽も文学も芸術、気取らずに言えば娯楽なのです。だから、その研究に意味などないのです!と言えば納得なさるのでしょうか。

     答えはNOです。ノールウェーの林様はこうおっしゃっています。「文学研究は文学作品の鑑賞を補助するだけでなく、大きな意味のある行為だと確信しているのですが、それがどんな意味なのか良くわからないのです。」
     八重様、さくらんぼ様のご意見は単なる補助、あるいは研究者がいなくとも読者が意欲を持てば自分でできることです。
     では、「大きな意味」とは何でしょうか。ノールウェーの林様は、実はご自身のお答えを持っていて、それを問いたいがためにこんなトピを立てられたのでは?と疑いつつ(また楽しんで)参加しています。(続く)

    トピ内ID:4688029907

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    面白いですね 3

    しおりをつける
    四十雀
     ではノールウェーの林様が求めるものは何でしょうか。

     ガンダムマニアとの違いについての問いかけを考えてみます。文学とガンダムの違いは何でしょうか。文学は言語表現です。ガンダムは言語も含めた映像表現です。ここが決定的に違います。映像表現(映画、アニメ全て)は言語と共に視覚、聴覚表現も伴いますが、文学はどの国でも言語のみが手段です。

     人は五感で世界を把握します。その、自身が感じた印象深い部分を表現し、それを他者に伝え共有しようとすることがコミュニケーションです。それは究極には言葉でしか成し得ません。そして文学は、当時の五感で感じた世界どのように言語化されたかを、私たちに差し出し、私たちがその言語をいかになぞらえることができるか、そんな問題定義を突きつけていると思います。

     

    トピ内ID:4688029907

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    面白いですね 4

    しおりをつける
    四十雀
     言語は、言い換えれば言葉は記号です。人はそれを道具として他者と世界と自身の関係性をはかります。それは国によって、時代によってありとあらゆる法則があります。
     文学研究とはそのいろいろな言葉の法則のありかたを提案することです。
     一つの言葉が一義的ではなく、社会や時代によって様々な意味を持ち、またシンボルとなりうること、そして世界の人々が「言葉」というそんな変幻自在な道具で伝達しているということ、そのためには自国の言語、他国の言語、その時代の言語に意味は同じでも差異があること、文学研究はそんなことを考え、気づくための近道を提供していると思います。
     補助と言えばそうですけれど、こんなに多様に言葉の不確かさと豊かさを教えてくれる分野はほかにないでしょう。理想は読者が皆、こんな意識を持って読書することかもしれませんが…

    トピ内ID:4688029907

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    補助でいいのではないですか?

    しおりをつける
    若輩者
    社会学科出のぺーぺーです。非常に興味深いトピですね~。

    トピ主さんは「それではやはり作品の補助という役割になってしまうのでは」とおっしゃられてますが、それでいいのではないでしょうか?作品があってこその文学研究であり、むしろその関係性が逆転してしまうと、もはや学問としては成立しないのでは?「文学学」になってしまう気がします。

    遡りますが、対象Zさんは「1つのサンプルを追求すれば人間の内的な普遍性が見える」とは言ってないと思います。「その追求を繰り返すことで、ようやく人間の内的な普遍性が見えてくる(かもしれない)」ということでは?

    ちなみに新聞記者をやってる知人に、トピ主さんの「作家Aから作家Bにあてた書簡が・・・」のくだりを話してみたところ、「あんなの記者が自分の記事を大きく掲載させたいがために大げさに書いてるか、見つけた施設か人物がリップサービスしてることがほとんど」と言ってました。知人の話を聞いているうちに、文学研究に鋭い疑問を投げかけるトピ主さんが、なぜメディアの情報を鵜呑みにされてるのかな、と思ってしまいました。

    揚げ足取りばかりですみません。

    トピ内ID:1647760767

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    門外漢ですが。

    しおりをつける
    🐤
    ユキちゃん
    ・私は、文学を読むのは好きです。研究的には読みません。ただ気に入った作品を読んできた。そんな私が文学のイメージを述べます。

    ・自然科学は、現象を正確に説明することを目指していると思います。同時にそれを使い、生活利便性を高めるねらいもあると考えます。
    対して人間が生きる中で、諸々のドラマが生まれます。

    一人の人間がこの世に生を受け成長する中で、人と出会い、価値に晒され、幸せになったり苦しんだり悩んだりします。その軌跡を描いたものの一つが文学であり、そこには徹底した個別性、特殊性があります。
    つまり自然科学が現象から法則性を帰納しようとするのに対し、文学は徹底した個別的状況の中から生まれた産物と考えます。
    どちらがいい悪いというのでなく、どちらも人間の知力が育んだ体系なのです。

    特殊状況から生まれたから、文学作品に特殊価値しかないかというとそうではなく、なぜ作者がそのことを描いたのか、何を述べようとしたのか、どういう人生がこういう作品を生み出したのか等考究することで、人間そのものの複雑さや豊かさを追求する一助になる。そういうモチーフが文学にはあると考えます。

    トピ内ID:1830331151

    ...本文を表示

    シンプルですが

    しおりをつける
    ブルゴーニュの森
    ノルーウェイの林さんは当然、十分(十五分に?)に分かっておられて発言なさっているのでしょうが、スポーツという一つのカテゴリーに分類されるものでさえ、特定のスポーツが持つ特性・特徴に目をつぶりすべてのスポーツを無理やり同じ土俵(座標)に乗せて細部まで比較することには当然無理があるでしょう。ただ、自然科学の研究と文学の研究に、少し広めに作った研究という土俵では比較可能な側面(もちろん意義も)もある、ということでは納得できないのでしょうか。

    >文学作品を読み、その楽しさも理解できるつもりですが、「文学研究」となると、その意義がよくわかりません。

    >興味の赴くままに何かを調べることを否定するつもりはありません。それは個人的な行為であり、・・・・・・。

    など一連の発言を読むと、自然科学の分野で研究をし、あなたのいう“社会的な意味をもつ業績”も残していると自負している私ですが、少し不快なものを感じてしまいます。「罪にしないから本当のことを言いなさい」、と真正面から問われると、「実は、ただ無性に、そのメカニズムを解明したかったから」と答えるしかない私です。

    トピ内ID:6086954977

    ...本文を表示

    お返事します

    しおりをつける
    みけ
    文学研究は文学作品の補助だけの為にあるのではありません。
    ご自身でも、思想史や歴史、哲学などと結び付くことはお分りなのですよね?
    それなのに、何度も『その作品に興味のない人には意味がありませんね』などとおっしゃるのはなぜなのか、まったく分かりません…

    そして、すべての知的好奇心や追究したい気持ちが、必ず他の(有意義な、普遍的な←この定義もかなり曖昧です)なにかにつながらなくてはならないとお考えなら、私から言えることは何もないと思います。
    私は『必ず泣ける映画など存在しない』と言っているのに、トピ主さんは『必ず泣ける映画を作る法則を見つける為ですか?』などとおっしゃいますし。
    文学は『必ず』の存在しない世界ですから、新しい切り口を常に見つけていくことも、文学研究の大切な要素です。時代とともに社会と人は変わり、心も変わります。普遍と不変はある意味では敵かも知れません。もしトピ主さんが『必ず1ひく1は0』的なロボット思考に陥った人なのであれば、残念に感じます。

    これを期に、『1ひく1は0じゃないかもしれない、その可能性を探してみよう』という思考回路にチャレンジされてはいかがでしょうか?

    トピ内ID:1150299053

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    個人の中の多面的視点?

    しおりをつける
    若い輩ですみません。
    せっかく文学への様々なアプローチが深く洞察されたレスが読めて興味深いトピであったんですが。中々素人へ研究者が語ってもらえる場はないですよね。
    研究者がぶつかる壁ですが、個人を凌駕できなければ思考を解き放つことは出来ないんでは。(それすらもただの枠組みの一つでしかないけど)
    1900年代と違って情報を手に入れる事が簡単なのに、勿体無い。情報の多さが判断を迷わされるんですかね。その「遊び」も必要だとは思いますが。
    でも、自分の判断だけで予算削らないでね。研究における産業主義は否定されたと思いたいなあ。

    トピ内ID:1724604573

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    たとえ話をもう少し

    しおりをつける
    ノールウェーの林 トピ主
    皆様のおかげでだんだんわかってきたように思います。
    たとえ話をもう少し続けさせてください。

    比ゆ的な表現で自然科学社会科学分野を表すと、一枚の織物のようなものかと思います。

    数学国、物理学国、心理学国、国語学国などなど、さまざまな国の織物職人は、巨大な知の体系という織物を織っています。多くの人は各分野の裾野を広げたり、厚みを増すための作業に没頭していますが、風変わりな職人が各分野の端っこをつなぎあわせたり、これまで一枚だった薄い布地の部分を切り裂いて他の分野の布地をつぎはぎしたりしています。
    多くの人がさまざまな貢献をしますので、出来上がりつつある織物はきわめて複雑な形で、色や模様もさまざまです。

    長年にわたる活動の結果、中心部分には「古典」とよばれる美しい織物ができています。人によっては、古臭くて嫌いだとか、いったん切り刻んでつなぎ変えればもっときれいになるはず、などという人もいます。
    周辺部は混沌の渦です。ありとあらゆる分野が絡み合ってわけがわかりませんが、時間をかければそこからきっと美しい織物が伸びていくのだと思います。

    続きます

    トピ内ID:6114275560

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    少しわかってきたような気がしてます1

    しおりをつける
    ノールウェーの林 トピ主
    承前

    文学研究の目的を私なりに表現してみます。

    地表面に水路を掘って、井戸をつなぐことも有意義な研究でしょうが、研究のスタイルとしては上記の社会科学系の知の体系作りに分類されます。

    それよりは、垂直方向に井戸を掘り進め、地殻やマントル層を突き抜けて、ついには世界の中心である「無限の水を湛えた広大な精神世界」に到達することが、本来の文学研究の目的だと思います。

    したがって、文学研究の井戸は、深く掘り下げるにつれて隣の井戸と絡み合い、複雑な水路を作ることでしょう。
    自然科学、社会科学の織物に負けない、複雑で見所の多い水路です。そういった水路めぐりは楽しいに違いありません。

    気をつけねばならないこと。
    間違った掘り口から掘り進めてはいけない。外壁が崩れるばかりで深みにたどり着けません。

    良い掘り口にはおいしい水があふれていますが、一見おいしそうに見えても注意が必要です。
    一所懸命に掘って汗をかいたからおいしく感じているだけかもしれません。多くの人にとっておいしい水になるには、客観的な視点を確保した上で掘り進める必要があります。

    続きます

    トピ内ID:6114275560

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    すこしだけ、わかってきたような気がしてます

    しおりをつける
    ノールウェーの林 トピ主
    承前

    文学研究に意義を見出すかどうかは、
    1)優れた文学作品は「広大な精神世界」に到達可能な強固な地盤の上に構築されている。
    2)文学作品の奥底に広がる精神世界は人間に共通の(普遍的な)ものであり、その作品に固有の世界ではない。
    という前提を受け入れるかどうかにかかっているといえるのではないでしょうか。

    私が文学研究に普遍性がないのではないかと感じたのは、上記の二点の前提に疑問を感じたためだと思います。

    文学作品をいくら掘り下げても、いつかは底にたどり着いてしまうのではないか。
    文学作品の奥底にある世界は固有のもので、それを追求しても作品のマニアにしか価値がわからないのではないか、研究間の相互作用(社会性)がないのではないかという思いがあったためです。

    トピ内ID:6114275560

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    レスポンスへのお礼とお返事1

    しおりをつける
    ノールウェーの林 トピ主
    文学部卒の似非理系さん、
    説明をはしょりすぎて混乱させてしまいました。
    研究の意味はそのとおりですし、意義も”見出されるもの”というのはそのとおりと思います。

    研究の動機はもちろん個人的な興味ですが、その成果を公表し、評価され、その意義が見出されていくという一連の流れから「研究は社会的な行為」と申し上げました。

    研究にどれだけの意義があるかは、その評価軸にもよりますが、どれだけ多くの人や分野に影響を与えたかで判断されると思います。
    私のイメージでは、自然科学や社会科学は横向きにつながっていますので、他分野へ波及しやすい=大きな意義を持ちやすい、と考えました。
    一方で、文学研究は内向きで掘り下げる方向に進むと思っていましたので、波及効果は小さく、その意義が限定されたものになるのではないかと思ったのです。

    学生時代は化学を専攻しましたが、恩師からは「銅鉄研究をするな」と厳しく戒められました。
    銅触媒反応を鉄触媒に変えて生成物の変化を調べるような表面的な研究をやってはならない。
    その反応の根本的な性質にせまる研究をやれという戒めです。

    続きます

    トピ内ID:6114275560

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    レスポンスへのお礼とお返事2

    しおりをつける
    ノールウェーの林 トピ主
    承前

    根本的な性質にせまる研究であればいろいろな分野の人に成果を使ってもらえるし、そうなって始めて意義のある研究といえる、ということです。

    深く掘り下げることで意義も深まるという点で、文学研究も自然科学の研究も同一ですね。
    上述のとおり、文学研究の到達点に人間の精神世界が広がっているのであれば、一つの作品研究が作品の枠を超えて人間社会に大きな影響を与え、大きな意義が出てくることになるのでしょう。

    多くの皆様のご教示のおかげで、少しずつ文学と文学研究の意味がわかってきたように思います。
    二立さん、maminkaさんのコメントが、非常にすんなりと腑に落ちるようになりました。
    今ならご指摘の意味がよくわかります。

    優れた文学作品は精神の深みに下りていける可能性のある貴重な入り口である。だからこそ、多くの人が優れた文学作品を探し、保護し、解釈し続けている、のですね。

    ただ、個人的には、ある一つの文学作品を解釈することで本当にそこまで降りていけるのか、まだ疑問の尽きないところですが。

    トピ内ID:6114275560

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    二度目の投稿です。 1

    しおりをつける
    さくらんぼ
    私の見解は一度目の書き込みにある通りで、トピ主様の仰るとおり、文学研究者の役割は、文学作品読解の補助に過ぎないと考えてます。

    そして私はその役割を、限られてはいるが、それなりに意義をもつものと捉えています。なぜなら、文学研究者が、文学作品の新たな読解を促し、読者に解釈の可能性を提示することで、既にあるテキストが新たな命を得て、生き返ることに貢献していると考えるからです。

    ガンダムの研究と源氏物語の研究とは、私にとって基本的に同じ価値を持ちうるものです。もし違いがあり得るとすれば、それは各研究者の態度によるものでしょう。

    研究者のテキストに対する姿勢は、内向きに見えるかもしれません。けれども、それだけでは文学研究は成り立たないと思います。

    私は、文学はテキストを挟んだ、作者と読者の間に生まれる、無数のヴァリエーション(これは、読者の数だけ、解釈の可能性があるからです)を含んだコミュニケーションの場だと捉えていますが、文学の本質をそう考えたとき、テキストと作者の方だけを向いて、読者に注意を払わないという姿勢は、文学の研究ではないと思うのです。

    トピ内ID:7681693835

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    二度目の投稿です。 2

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    さくらんぼ
    ある研究書を読んで、読者がそこに扱われているテキストに、自ら触れてみたいという欲求をそそられる、そして実際に手にとって読み直し、そこに自らの新たな読書体験を打ち立てる、それが私にとっての文学研究の理想です。

    従って、テキストを内向きに掘り下げた後、その読解の可能性を外に向かって開いていく努力がなければ、文学研究にならないと考えます。研究の対象がガンダムであれ、源氏物語であれ、研究によって得られた知識、読解の鍵が、単に狭いグループ内で、仲間同士の識別のためにしか用いられないならば、私はそこに文学研究としての意義を認めません。

    逆に、あるテキストや映像作品の可能性を、他人と共有し、コミュニケーションを深めるために開いていこうとする態度が認められるならば、ガンダム研究にも十分意義はあると考えます。

    また、ガンダムは、文学だけでなく、社会学的、人類学的な研究の対象にも十分なりえますね? その点で、源氏物語と、研究対象として何ら変わりはないと思います。

    トピ内ID:7681693835

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    二度目の投稿です。 3

    しおりをつける
    さくらんぼ
    四十雀さんのコメントを興味深く拝読しましたが、四十雀さんとは異なり、言語表現と映像表現について、私は文学的解釈の対象になり得るという点で、明確には相違を認めない立場です。

    私が現在籍を置く大学では、研究の対象となるテキストを文字表現のみで構成されるものと捉えることをやめ、図像・映像・音声など、コミュニケーションのための記号となりうるもの全てについて考察する学部、という考え方をしています。

    実際、例えば文学と映画、というように二つの分野にまたがって創作する作家も珍しくありませんし、同じ文字といっても、漢字のような表意文字は、アルファベットのような表音文字に比べ、同じ言語表現とはいっても、図像に対する親近性がずっと強いと思います。また、絵本や漫画では、図像と文字との間に密接な関連性があるのが普通です。

    トピ主様の文学観とは相容れないかもしれませんが、文学の井戸は、それほど世界に向かって閉じられているとは、私には思えません。ガンダム井戸だって、優秀な井戸掘り職人にかかれば、立派な井戸として機能するはずです。そして文学の井戸は、当然社会学や国語学、哲学などと深く通じています。

    トピ内ID:7681693835

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    二度目の投稿です。 4

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    さくらんぼ
    ヨーロッパでは、文学が哲学と明確に分化するのは、18世紀後半です。また、社会学が生まれたのは更にその後、19世紀後半、文学研究からの分派のような形でです。現在の文学研究には、様々な手法があり、心理分析や、最新の社会学や女性学、言語学の動向、哲学者によって説明された事象を読解に取り入れる、など普通です。

    最後に、文学研究について、教育という観点から、その意義について述べたいと思います。私は、繰り返しになりますが、文学の意義は、遠くの他人に共感する力だと考えています。

    この共感は、どうして可能になるのか。まず、文学表現の特性によります。日常使われる言葉では、「彼女は悲しかった」という表現は、ほとんど不可能です。「彼女は悲しそうだった」とか「彼女は悲しかったと言った」など、伝聞や推測の表現になります。それは、「私」が「彼女」の内面を直接物語ることは、日常の言語表現では不自然だからです。

    ところが、三人称の小説の中では、これは普通に見られる表現です。つまり、文学的表現の中では、他人の内面を、直接物語ることができます。読者は登場人物の経験を、こうしてわがことのように感じます。

    トピ内ID:7681693835

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    二度目の投稿です。 5

    しおりをつける
    さくらんぼ
    法律や経済の世界では、あるいは社会学や言語学の世界では、人間をすべて同じ個体として認識すると思います。

    ある要因から導かれる行動パターンは、捨象され、図式化され、数値化され、公式化されていきます。

    複雑な要素をできる限り省いて、普遍を目指していく過程で、個人個人の人間としての個性は考慮されません。

    文学は、逆に個にこだわります。

    例えば、交通事故で死んだ幼い女の子が二人いたとしましょう。統計の上では、その死は、2という数字です。法廷では、彼女の生涯賃金が計算され、両親に賠償金が払われるかもしれません。その金額に差はないでしょう。これらの世界では、彼女たちの死は、ほとんど同じものとして扱われます。

    けれども、それぞれの両親にとって、その死から生まれる悲しみは唯一絶対のものであり得るし、二人の女の子は、相互に異なる存在です。

    二人の死んだ女の子を差異化できるのは、それぞれの女の子の物語だけ、これを物語ることができるのが、文学の特性なのだと私は思うのです。

    トピ内ID:7681693835

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    二度目の投稿です。 6 (最後です、長文すみません)

    しおりをつける
    さくらんぼ
    文学は、二組の両親の悲しみを、それぞれに絶対の悲しみとして捉え、それぞれの女の子を、唯一かけがえのない存在として認めることができる、そしてその感情を読者に共有させることができます。

    他の学問分野が、切り捨ててしまったものを、こうして拾い上げることができるのが、文学なのだと思います。

    この文学を通じて得られる共感を、普遍化できるのかどうか、私には確かではありません。

    ただ一ついえるのは、こうした他人に共感する力は、文学教育を通じて想像力を高めることによってしか、得られないのではないかということです。

    インターネットを通じて、全く知らない遠くの赤の他人と、言葉を通じたコミュニケーションを持つことが増えた今こそ、一つ一つ連ねられた言葉の裏、行間に潜む可能性の多様さと、その裏にある一人ひとりの人間の感情を読み取るトレーニングをすることは、ほとんど生t活に不可欠な、実用的な知識といえるのではないでしょうか。

    文学研究は、そうした文学教育の基礎研究としての一面もあると思います。

    トピ内ID:7681693835

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    文学には、詩や戯曲、翻訳も含まれます

    しおりをつける
    🐱
    お玉ちゃん
    小説が、文学の中心のように話が進んでますが、ヨーロッパ的なノベルと、中国の小説、日本の私小説を並べているから、混乱するのでは?

    文学の発祥は、部族の神話や歴史を口承で伝えたもので、言葉の誕生と共にあります。
    文字を発明し、語彙や表現を豊かにしてきた民族の、言語生活のあり方を考察するのが、文学研究です。

    日本語で思考できなければ、どんな論文も書けません。
    論文の記述には、どんな文体が適切か、文学的に考えるのも、ありです。

    中国で、天帝との会話は詩で通じると考えられて、詩が発達したように、日本でも、言霊が信じられていました。
    人の声の持つエネルギーが、詩になり、歌になり、音楽になります。

    文学研究は、人類に普遍的なものなのですが、学部レベルの論文にまとめるには、テーマを絞らなければなりません。
    それで、作家、作品を細かく論じることが多いのでしょう。

    ガンダムも、100年続けていれば、水滸伝のように、一国を代表する作品になるかもしれません。
    日本は焚書を行わないので、かつて、水滸伝のベストテキストは、日本にありました。
    ガンダムコレクターには、北京方面への守りを、期待してます。

    トピ内ID:4207577782

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    さくらんぼさんへ

    しおりをつける
    四十雀
     さくらんぼさんのコメント、私も興味深く拝読しました。私の性急なコメントが誤解を招いてしまったようなので、少し訂正を。
     私個人の考えもさくらんぼさんに近いものだと考えています。

     言葉、と言いましても言葉は絶対的な意味を持つものではなく、その定義するものは、同時代のありとあらゆる事象に影響を受け、決して閉鎖しているものではないと考えています。映画が発明されれば、映像表現に影響を受け、自然科学が台頭すればそれに影響を受け、また、ファッションの影響を受け、常に変容しているものです。

     言葉で表現されたものを読むとき、その一つ一つの言葉が持っている同時代への扉を読者が開き、その読むという行為によって当時へのコミュニケーションがはじめて成立すると思います。

     ジーンズの例を挙げたのはわかりやすいと思ったからなのですが、現代のファッション感覚で読めば、ある時代には反抗の象徴であったジーンズに、主人公がどんな気持ちで足を通すか、そこに共感できない、作品世界を共有できない、よってコミュニケーションは成立しない。

     続きます。

    トピ内ID:4688029907

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    さくらんぼさんへ 2

    しおりをつける
    四十雀
     私がことさら言葉に限定して述べたのは、文学教育についてさくらんぼさんと同じ思いがあるからです。

    「一つ一つ連ねられた言葉の裏、行間に潜む可能性の多様さと、その裏にある一人ひとりの人間の感情を読み取るトレーニングをすること」

     このコメントに深く共感します。
     また、「言葉」や「文学」を考える上で、ガンダムを含めた様々な表現の「記号」の考察も必要だと思います。

     ノールウェーの林さん、よこですみませんがご理解いただけたでしょうか。

    トピ内ID:4688029907

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    お礼とコメント1

    しおりをつける
    ノールウェーの林 トピ主
    引き続き本職の研究者の方からのレスポンスまでいただいているようで、大変ありがたく思っております。また、私のコメントから不快な思いをされている方、至らぬ点をお詫びします。
    すべてのレスポンスは拝読しておりますが、皆様にお返事できておりません。なにとぞお許しください。

    ブルゴーニュの森さん、
    自然科学研究と文学研究、細部が違うのは当然ですが、研究という行為(物事を調べ、成果を発表することで、さらに他の研究を刺激していく)は共通していると考えています。
    すでに述べましたが、自然科学の研究であればこの方式が成立することは良くわかります。
    しかし、ひとつの作品を掘り下げていく文学研究が、他の研究、他の分野にどのような形で影響を与えていくのかが良くわからなかったのです。
    作品の枠内で繰り広げられる「研究」はマニアの楽しみでしかないのではないか、というのが疑問点です。

    トピ内ID:6114275560

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    お礼とコメント2

    しおりをつける
    ノールウェーの林 トピ主
    みけさん、
    読解不足で不愉快な思いをさせてしまいました。
    方程式を見つけ出すという表現と、”『泣ける映画』で泣かない人もいます”というお言葉から誤解していたようです。

    知的好奇心が研究の出発点です。しかし、それが研究として成立するかどうかは「他者から意義を見出してもらえるかどうか」にかかっているのではないでしょうか。

    自然科学の場合、研究対象となる現象自身が普遍的(たとえば、極低温下では電気抵抗がゼロになる)であり他の現象とも関連していますので、その本質を追求する研究(なぜ電気抵抗が下がるのか。温度と電気抵抗の関係は?物質の構造と温度の関係は?)は、たとえ知的好奇心だけから出発しても、他の研究を刺激し、その結果として大きな意義をもつことになると思っています。

    一方、文学作品は個々の独立した作品ですから、その解釈を追及するという行為は作品の枠内で完結してしまい、マニアの楽しみになってしまう恐れがあるのではないかと思っています。

    トピ内ID:6114275560

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    お礼とコメント3

    しおりをつける
    ノールウェーの林 トピ主
    さくらんぼさん、
    非常にわかりやすいご説明、ありがとうございます。文学は個を扱うというお言葉、目からうろこが落ちる思いです。
    本職の研究者でいらっしゃるように思いますが、文学研究は文学作品の補助、というお考えなのですね。
    そう言い切れるほど、文学作品の価値と可能性に信頼を置いておられるのだなと感じました。

    ”読解の可能性を外に向かって開いていく努力”ということは、掘りぬいた井戸の水を読者に振舞うというイメージでしょうか。多くの人にとっておいしい水となる(普遍的な価値を持つ)ように、掘り方を工夫し、出てきた水をろ過する努力をすれば、ガンダム井戸を掘ることも有意義だということですね。
    逆に、泥だらけのにごり水を持ってきて、「このおいしさがわからないようじゃ、素人だね」といっているとマニアの自己満足ですね。

    続きます

    トピ内ID:6114275560

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    お礼とコメント4

    しおりをつける
    ノールウェーの林 トピ主
    承前

    かつて、文学=哲学=学問の根本であったというのは理解しているつもりです。
    文学、哲学から「科学」という方法論をもって社会学や言語学が派生して行った。
    現在の文学研究は社会学や言語学の成果を利用して、研究を深めている。
    では、作品を掘り下げて個の問題と対峙することで得られた文学研究の成果は、他分野にどうやって波及していくのか。

    たとえ主題が個の問題であっても、それによって引き起こされる感情が普遍的なものであれば、(すべての科学の基礎となる)哲学的な問題となり、最終的には全学問分野に波及していく、ということなのでしょうか。
    (さくらんぼさんご自身は普遍化できるかどうかわからないとおっしゃっていますが)

    それとも、”他の学問分野が切り捨て”た問題と向き合うこと自身が最終的な目的であり、他の分野への波及効果はさほど大きな問題ではないのでしょうか。

    もう少し続きます

    トピ内ID:6114275560

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    お礼とコメント5

    しおりをつける
    ノールウェーの林 トピ主
    承前

    文学研究の教育的な意義”遠くの他人に共感する力”を育てるということ、大変感銘を受けました。
    まさしくご指摘のとおり、これは今後ますます重要になる教育課題ですね。
    また、何人もの方が、文学教育を受けて有意義だった、役に立っている、とコメントされていたのも良くわかります。

    四十雀さんも文学研究・教育にかかわっておられる方でしょうか。
    ジーンズの解釈についてのご説明、ありがとうございます。
    文学・文学研究は他分野の影響を受けて変動すること、ご指摘の通りですね。
    では、文学研究と他分野とのかかわりについてはどのようになっているのでしょうか。

    トピ内ID:6114275560

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    樋口一葉

    しおりをつける
    🐶
    二立
     もとの質問が「文学の研究に意味はあるのか」だったので、だいぶ論点
    が拡散しました。「文学に意味はあるのか」と「文学の研究に意味はある
    のか」では違いますからね。
     しかも、トピ主さんの「文学の研究」というのは、「文学作品の研究」
    ではなく、作家の私生活のようなことのようです。だから、文学とは
    なにか、ガンダムは文学かというような方向に流れたようです。

     論点を具体的にするために、「樋口一葉日記を研究する事に意味は
    あるのか」ということで意見を述べます。樋口一葉日記は、作者は
    遺言で焼き捨てるように言ったのに残ったもので、文学作品では
    ありません。一葉の私生活がいろいろ記述されています。

     一葉の文学作品というと、「にごりえ」「たけくらべ」「おおつごも
    り」などで、これらは、明治初期の立場の弱い女性の生き方がテーマで
    す。これらの作品を深く理解するためには、時代背景を知る必要があり
    ます。日記では、一葉の優れた作品が集中した「奇跡の14ヶ月」のこ
    となど理解の一助になりますし、吉原のことを知れば「たけくらべ」
    がさらに深く理解できます。

    トピ内ID:2848828145

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    樋口一葉2

    しおりをつける
    🐶
    二立
     承前
     樋口一葉が文学作品を残していなければ、その日記を研究することに
    文学的な意味はありません。歴史的な資料にはなるかもしれませんが。

     だから、作家の私生活的なことを研究するのは、その作家が文学作品
    を残していて、その私生活が作品成立の背景になっている場合に意味が
    あると言えるのではないでしょうか。

     文学作品の内容の理解の為には想像力が必要です。当時、井戸の水を
    つるべでくみ上げて風呂を沸かすということが、どれだけの重労働
    だったか想像してわかるということは「おおつごもり」の理解にかかせ
    ません。

     「十三夜」の十三夜の意味が理解できる人も減ってきました。
    十三夜は後の月見のことだから、旧暦11月13日、今で言えば
    10月末ごろの晩秋という季節背景が理解できなければ、季語を知ら
    ないで俳句を鑑賞しているようなものです。

     樋口一葉が士族の娘であったこと、当時貧しい暮らしをしながら
    歌塾に通っていたことなど、作品とは直接関係はありませんが、
    それらの背景は作品理解の為には貴重な情報だと思います。

    トピ内ID:2848828145

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    ヨコです

    しおりをつける
    🐧
    ジーン
    文学部卒です。

    トピ主さんは自然科学系だそうですね。

    ご自身の研究されてきたことが、もし「誤り」だったとしたら、それは「意味がないこと」になってしまうんでしょうか。「普遍化」に失敗したわけですよね。学問として意味がなくなっちゃうんでしょうか。

    文学研究をして、議論して、論破されたら、その人の考えてきたことは意味がなくなるんでしょうか。

    こんな禅問答のようなことをお考えになってみれば、文学研究の意味に少し近づくんじゃないかって思います。

    トピ内ID:8702537501

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    トピ主さんへ 1

    しおりをつける
    さくらんぼ
    私はまだ研究者ではありません。この道を志すと決めてから、自分の研究は、他人にとってどういう意味をもてるだろう、と自問自答してきました。

    今は、文学研究と文学教育の意義について、既に書き込みましたような見解にようやく達したところです。

    文学の永遠の主題は、人間、あるいは人間性なのだと思いますが、数学や物理と違って、人間性については、普遍という言葉を使えるのかどうか、私には疑問があって、意識的に避けています。

    無意識や本能、遺伝的要因など、人間の行動や感情を科学的に解明する発見の数々は、それ以前には人間の理性の結果、あるいは全ての人間に共通する普遍の感情として、定義されていたものを、新たな視点で考え直すきっかけを与えてくれます。

    トピ内ID:7681693835

    ...本文を表示

    トピ主さんへ 2

    しおりをつける
    さくらんぼ
    例えば、苦しんでいる人を見て、その苦しみに同情し、その人を助けようとする、その行動を、いかなる人間も生まれつき持ち合わせている本能に促されたものと捉えるか、あるいはその同情するということ自体が、社会の中で育ち、様々な物事を学んできた結果、得られる感情と考えるかで、人間性の理解はかなり違ったものになるのではないでしょうか。

    人を人たらしめているものに、普遍という言葉が当てはまるのかどうか、未熟な私にはまだ判断がつきません。

    また、文学研究を井戸掘りに喩えるなら、研究者は井戸を掘るのかもしれませんが、文学の井戸から出る水をおいしくするには、それ以外の人たちの参加が不可欠なのです。

    文学研究者は実は、その井戸を管理し、水が涸れないように守っていくために、大声で協力を募っているという方が、近い気がします。

    トピ内ID:7681693835

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    社会のために役立つ?

    しおりをつける
    びすこ
    高度な議論を良く理解できないまま書き込む失礼をお許しください。
    大学教育には少なくない税金が投入されていますが、研究や教育が社会の役に立つことを期待してのことでしょう。
    しかし、「文学部」というのは、果たして社会のためにどう役立っているのでしょう。
    理系はもちろん、法学、経済学、社会学、哲学、心理学等々、それぞれ実用性を持って、社会の円滑な運営に寄与しているのでしょう。
    しかし、文学は(前述の他の学を含むことはあっても)それ自体での研究がどう社会に役に立つのでしょう。
    文献の保管、周知という価値だけなら、図書館の仕事ではないかと、好きだからというのなら、趣味に過ぎず、税金を入れて多くの学生に研究させる意義があるのかと。
    私自身、文学は好きですが、厳しい経済情勢の中、わざわざの税金投入にはためらいを覚えます。
    大阪府の知事が「文化」に対する保護政策を見直したように、社会の余裕がなくなれば、切られてしまうおそれがあります。
    だからこそ、納税者である国民に対して、シンプルに「この井戸の水には税金投入の価値がある」と示せる何かを知りたいと思い、このトピを拝見しています。

    トピ内ID:7089839294

    ...本文を表示

    文学の意義

    しおりをつける
    🐶
    二立
    びすこ様

     文学の意味ですが、「温故知新」という言葉をご存知ですか。
    この場合は歴史ですが、歴史の研究は社会のために役にたたないと
    思われますか。歴史学は通常文学部にあります。

     「温故知新」は、時間的に離れた事例を研究して、現代に生かす
    といおうことですが、文学は「他者の心を温(たず)ねて、自分
    の心の糧にする」という一面があります。他者の経験、心の葛藤
    を知ることによって、現在の自分の生きる糧にするということで
    すね。
     
     そういう意味では文学はとても実際的で役に立ちます。文学の
    おかげでどれだけの人が生きていくよりどころを得たでしょうか。
    また。世界の指導者が歴史を知らなければ、すぐ戦争をやりたが
    るのではありませんか。

     植物のなかで、食べられるものだけが有用でしょうか。美しい
    ものは役に立ちませんか?美しいだけで人の心を和ませ、栽培の
    価値があるとしたら、美しい文学や、詩、音楽など、人間が生き
    ていくうえで欠くべからざるものだと思います。

     すぐに役に立つもの以外の有用性を認めないなら、ノーベル賞
    的基礎研究なども理系ですが役に立たないことになってしまい
    ます。

    トピ内ID:2848828145

    ...本文を表示

    よいところに気がつきましたね。

    しおりをつける
    😀
    Taro
    とても良いところに気がついたと思います。

    文学ではありませんが、例をあげると、理科の実験で出てくるボルタの電池実験なんかどうでしょう。

    はっきりいって、あれ、
    「蛙の足をぴくぴくさせてるだけじゃん、これいったい何の役に立つの?」
    と思いませんでした?

    当時も、学術関係者以外には、「何の役に立つの?」程度の認識でしたでしょう。
    でも、今、電気の無い生活は考えられませんよね。

    そういうことです。
    今、すぐに役に立たなくても、もしかしたら200年後には、なくてはならないもの
    になっている可能性だってあるんです。

    トピ内ID:2775020977

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    HN通りのものですが

    しおりをつける
    無学です
    私は専門的な教育も受けたことがなく、読んでいる本も一般向けの普及書レベルで、その理解もおぼつかない者です。そのような者ですが、皆様の熱い議論に触発されて身の程も知らずに投稿してしまいました。
    自然科学には当たらないのかもしれませんが、中世アイスランド文学からアメリカ大陸の東岸での発掘成果によって歴史学、考古学へ与えた影響(もしくは文学研究への影響)は小さなものではなかったのではないでしょうか。(これは文学作品をどのようにとらえるか、研究姿勢の問題もあるのでしょうか)
    その他にも自然科学系の本の中に、文学作品からの引用や解釈などが間々見られるように思います。
    この例だけを見ても、文学研究が他の学問分野に対しても影響を与えうる(与えられうる)ものであると思います。(あいにく他の具体的な事例を挙げることは私にはできないのですが・・・。)
    しかも、このような成果は文学作品単体とその他の学問における研究成果との結びつきにより成し遂げられたのではなく、その文学作品がどの時代に、どのような環境で、何を意図し描いたのか等々の研究があってのことであろうと思うのです。
    続きます。

    トピ内ID:4407306115

    ...本文を表示

    HN通りのものですが2

    しおりをつける
    無学です
    前述のようなことを思うと、私には文学研究が、トピ主様が指摘するように閉鎖的であるとは思えないのです。
    次になぜ文学か、ということについて考えてみます。
    文学だけでなく、他の芸術作品に対する研究も行われているようです。ねね様、トピ主様ほかの方が対比として挙げられている音楽に関しても、モーツァルトやワーグナー研究、個々の作品に対する研究(成立ちやモチーフの意味等々)もなされているようです。(絵画や彫刻、映像、近現代芸術等々にも同様の研究があるものと思います。)
    これらの研究と文学研究が、決定的に異なるものであるとは私には思えません。(私がそう考える理由は後ほど再度触れます。)
    しかし、文学作品は「言語」、「文字」により創作されるため、他の芸術作品に比較して複製による価値の減少がほぼ無いといってよく、さらに保存が容易であることから、研究が比較的やりやすいのではないか(決して文学研究が簡単だと申しているわけではありません。念のため。)と想像できます。
    音楽も楽譜の形では同様とおっしゃるかもしれませんが、演奏者という媒介を必要とすることからも事情は異なるものと思われます。
    続きます。

    トピ内ID:4407306115

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    HN通りのものですが3

    しおりをつける
    無学です
    もちろんこれだけの理由ではありませんでしょうが、「文学」研究がかくも広く行われ、トピ主様の疑問の源の一つとなったのではないでしょうか。
    ところで、私は、文学作品を含む芸術作品に対する研究が決定的に異なるものとは考えていないと申しましたが、ここはトピ主様の井戸や織物のたとえに倣い、わるのりを承知で、たとえ話で申してみたいと思います。
    譬えてみるなら芸術作品とは思考(意識?)の「化石」ではないかと思うのです。もちろん過去の人間の思考や言語は、化石を残すことはあり得ません。しかし、文学でいえば思考が「言語」更には「文字」という骨格を残し、それがインクやコンピュータデータ等へと置換することで、長期間の保存を可能とします。それら芸術作品を研究することは化石の研究に当たるといえるでしょう。
    実際の化石にもさまざまな時代(古生代、中生代、新生代等)さまざまな種類(動物、植物、菌類等)学術的価値の高いもの、美的価値の高いもの、非常に数の多いもの(示準化石)、希少なもの、中には生痕化石などもあり、それぞれの研究に必要となる知識も異なるものと想像できます。
    続きます。

    トピ内ID:4407306115

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    HN通りのものですが4

    しおりをつける
    無学です
    他方、芸術作品においても様々な時代(古典、近現代等)さまざまな種類(文学、音楽、絵画等々)学術的価値の高いもの、美的価値の高いもの、非常に数の多いもの(流行したもの?)希少なもの、作品の成り立ちに係る資料(生痕化石の譬えは無理があるかな)もあることでしょう。
    実際の化石の研究の意義についても、議論はあるところでしょうが、化石を研究することによって過去の地球に生きた生物や生態、ひいては環境やその変化に対する知見が得られているものと思われます。
    もちろんこれは化石研究だけの成果ではなく、地質学や、現代の生物学等々との知識と合わせて初めて得られるものでありましょう。
    芸術作品に対する研究は、作品の細部に至るまでの解析、創作の意図、創作に至るまで、創作中、以後の作者の環境、作品が社会へ与えた影響等々の知見が得られるのではないでしょうか。
    これらに関しても、さくらんぼ様が先にご指摘の通り文学から派生したものではありましょうが、歴史学や、言語学からの知識と合わせて得られるものでありましょう。
    更には、これらの知識の交流は一方通行ではなく双方向であることでしょう。
    続きます。

    トピ内ID:4407306115

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    HN通りのものですが

    しおりをつける
    無学です
    しかし、先の譬えに従えばこれらの研究は人間の思考を研究することとなります。
    はたしてそう言えるでしょうか。
    言い訳に聞こえるかもしれませんが、ここでも譬えに従えば、芸術作品は化石であり「思考」そのものではなく、思考を間接的、限定的に残したものとなります。
    そのため、研究の成果に関しても間接的、限定的な面は出てくるでしょう。
    これは、化石においても、生きておらず、骨だけ(まれに軟らかい部分)であり、別の鉱物へと置換していることから、間接的、限定的な面もあることでしょう。
    実際の化石の研究はこれらのハンデにも関わらず、過去の生物(地球といったら少し大げさでしょうか)に関して相応の成果を上げていると申してよいのではないでしょうか。
    実際の人間の思考を司る機関である脳や、思考(意識?)に関する研究は最近の医療技術の進歩等により、進展を得ているというようなことを私のようなものでも間々耳にします。
    長文申し訳ない、次で最後にします。

    トピ内ID:4407306115

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    HN通りのものですが6 最後です

    しおりをつける
    無学です
    これも、さくらんぼ様のご指摘にありましたが、他人に共感する力が文学(を得た人間)にあるならば、実際にそのような人間を探そうにも、サンプルするには不可能なほど多様で、倫理的にも許されないような経験を許してくれる文学に接している人間を、モニターすることにより得られる知見を素人ながら夢想してしまうのです。(これも文学がもたらしてくれる力でしょうか)
    あまりに飛躍が過ぎるでしょうか、しかし、文学研究から学際的な知見を得るためには、作品がどのようなものであり、技法や背景等に関する深い理解(基礎科学的な?)が必要不可欠なものであろうことは想像に難くありません。
    しかし、研究者が最初から学際的な野心を必ずしも抱いていることもないでしょうし、必要もありません。他の多くの方が指摘しているとおり「興味」でよいと思います。(これは他の自然科学等にも言えることではないでしょうか)
    以上、ドが付く素人が勝手な私見を散漫にもほどがある程に述べさせていただきましたが、見当違いや、勘違いも大いにあるのではと恐縮しております。が、少し気持ちよかったです。

    トピ内ID:4407306115

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    お詫びと訂正

    しおりをつける
    無学です
    前回の、私の投稿の中で、4番目の後半の中にさくらんぼ様のお名前を出して述べさせていただいた箇所は、さくらんぼ様の12/18の4番目の内容を念頭に書かせて頂いたものですが、
    さくらんぼ様は、歴史学や、言語学が文学から派生したなどとは書いておりません。
    これは、私が勝手に誤解してしまったもので掲載後に気が付き顔から火が出る思いでした。これは、さくらんぼ様のご意見ではございません。
    申し訳ございませんでした、お詫びして訂正させていただきます。
    重ねてトピ主様にもこのような投稿で、トピからずれてしまうことをお詫びいたします。
    しかし、ここで書かせて頂いた内容は私が感じていることではあります。
    文学およびその研究が、歴史学、言語学等との結びつきにより少なからぬ実りをもたらしているということは、言えるのではないでしょうか。

    トピ内ID:4407306115

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    他分野との関連について(私見です)

    しおりをつける
    キムチ
    このトピが立った時から、もしかしたら文学研究をやろうと決めた時からかもしれませんが、ずっと文学研究の意義を考えてもやもやとしていました。アジアの津波があった時、私はイギリスで博士論文を執筆中でした。ニュースを見ながら、どうして私はこんな所で詩を読んでいるのだろう、医学や看護、臨床心理学などを専攻していたら、すぐにでも現地でお役に立てたのに、と思ったものです。そのこともあって、博士号を取ることで得られたものは何か、という問いには、私の拙い解釈がここまで認められたという自己満足、と答えています。知的追求というのはそんなものかもしれませんが。

    文学研究とは何ぞやというノルウェーの林さんの問いかけには、たくさんの、また的確なレスがついていますから、私には特に付け加えることもないのですが、ただ、ノルウェーの林さんが他の分野では相互間の関連を認めながら(布を織る比ゆで表されていますね)、文学研究を井戸という閉ざされた世界とお考えになっている点、また「文学作品一つでどれだけわかるのか」とおっしゃられている点が気になります。

    続きます。

    トピ内ID:7463093158

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    他分野との関連について2

    しおりをつける
    キムチ
    ノルウェーの林さんは文学作品についての著書や論文をお読みになったことはおありでしょうか。優れた作品論は、ある作家の作品一つだけについて最初から最後まで論じているものではないと、私は思います。それは、文学作品が単体として弧立した形で存在しないからです。一つの文学作品には、作家のそれまでの生い立ちや受けた教育、交友関係からの影響などが全て込められています。作家がどのような物を読み、どのような影響を受けたかを知ることも重要です。また作家仲間との交流も作品を作り上げる上で無視することはできません。この点については、フランスの印象派の画家たちやイギリスのラファエロ前派の画家たちの例がわかりやすいと思います。

    またその作品が執筆された時の社会状況も無視できません。えてして文学作品は時代に対する作家のレスポンスであるからです。そのために歴史や政治経済なども作品解釈の鍵となりえます。ある作品が、例えばある化学的な画期的発見と同時期に書かれている場合、当時の化学について調べることで、その作品についての新たな解釈の可能性が生まれるかもしれません。

    続きます。

    トピ内ID:7463093158

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    他分野との関連について3

    しおりをつける
    キムチ
    このように、一つの文学作品には、作家個人の世界だけでなく、時代や国を超えた人間の営みが凝縮されていると考えます。

    たいていの作家は複数の作品を残しています。ですから、解釈の対象となっている作品だけではなく、他の作品にも目を向ける必要があります。作家が作品中で表現していたある問題意識が他の作品ではどのように表されているかを比較することで、作者の意図がより明確になることもありますし、作者の経験や社会の変化に応じてその意識が変化したことも読み取れるかもしれません。作者の日記や書簡を読むこともこの点で重要です。作家が、若い頃に書いた作品を年取ってから書き換える、ということもまれにありますが、最初の作品と書き換え後の作品を比較する場合、両者の間にある他の作品を無視しては、作者の意図の変化を正確に読み取ることはできません。

    トピ内ID:7463093158

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    他分野との関連について4(最後です)

    しおりをつける
    キムチ
    文学作品の影響は絵画や音楽の分野にも及んでいます。イギリス文学を例にとると、シェイクスピアの戯曲からチャイコフスキーは『ロミオとジュリエット』の交響曲をかきましたし、『オセロ』はオペラにもなっています。バイロンの作品からは音楽、オペラ、絵画、またバレエが創作されています。最近、それぞれの専門家が集まって研究成果を発表しあって、作家を多方面から理解しようとする試みが増えてきています。ある画家や作曲家の作品を理解しようとする時、文学研究がその手助けをしていると考えることができます。

    一つの文学作品は、このようにたくさんの要素が織り交ぜられ作り上げられています。文学研究はそれらを読み解くことで新しい解釈の可能性を探ることだと考えます。優れた文学研究は、ある作家、ある作品の評価を高め、今後の研究の発展のために貢献します。その研究に刺激を受けた他の研究者が、それを土台にして新たな解釈を試みるからです。ある世界的に有名な研究者がひとりよがりな解釈を発表した時、それに反発する形で次々と論文が発表されたこともあります。文学研究は決して一つの作品だけの井戸を掘る行為ではないのです。

    トピ内ID:7463093158

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    何度もすみません。前回投稿分が反映されていなかったので。1

    しおりをつける
    さくらんぼ
    四十雀さんへ、私のコメントに共感を寄せてくださって、心強いです。

    私も前々回の四十雀さんのコメントを拝読して、私が考えている文学研究の役割にかなり近い考えをもっていらっしゃるのではないかと感じていたので、その後ののコメントも、うなずきながら読ませていただきました。

    映像表現と言語表現について、私の早とちりから誤解してしまい、お詫びいたします。

    以下は補足です。

    文学は社会のために役に立つのか、と疑問をお寄せの方がありますが、私は役に立つと思っています。理由は、12月18日の私の一連の投稿の最後の部分で延べたとおりです。

    実は、私がこの見解に達したのは、ある社会学者の書いた本を読んだことがきっかけです。

    文学教育によって遠くの他人に共感する力が身につく、云々という私の意見は、その本からヒントを得ています。

    そしてこの社会学者自身、文学研究者の研究論文を何本も参照しながら、考察しています。

    トピ内ID:7681693835

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    何度もすみません。2

    しおりをつける
    さくらんぼ
    文学は音楽などと比べて、複製による価値減少が少ないのではないか、というご意見もありますが、これもテキストの性格を、どこからどこまでをもって、テキストとするかによって、違いが出てきます。

    源氏物語の写本など、テキストの同定が難しい例は、特に写本による流布が一般的だった時代、あげるときりがないと思いますが、印刷術が発達した近代以降のテキストにも、問題点はたくさんあります。

    詩などが典型的ですが、初出での表記、綴り方、ページ割の仕方など、全てに作者の意図が含まれていて、それを含めてテキストの個性と捉えるならば、その後の再版、アンソロジーなどで、作者の意図したものが完璧に複製されることは、むしろ稀です。

    また、挿絵などによって読解が誘導されることもあります。小学校の教科書に載っている、草野心平の「春のうた」など、いい例です。

    文学に関しても、音楽に関しても、そういう意味で、解釈の対象は常に変動していて、厳密に言うと、どこからどこまでをテキストの価値として複製するか自体、解釈の一つであるといえると思います。

    トピ内ID:7681693835

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    こんなこともあります

    しおりをつける
    🐶
    ねこたん
    こんにちは。通りすがりの者です。狭い枠にとらわれすぎないでいいのではないのでしょうか?それなりに色々な方面である日突然役に立つ事があるのだと思います。

    これは一例ですが、アメリカで地質学の研究をされている方がいました。地面の断面を見るとかなり恐ろしいほどの大規模な地震があったように思われます。でもアメリカという国は古い国ではないのでそんな昔の文献なんてありません。こんなに大規模な地震があったからには津波があったはずだと彼は思いました。この方どうされたと思いますか?

    当時津波の被害にあったであろうかもしれない国、つまり日本の文学者に文献の依頼をしたんです。すると本当にその頃の時代の日記から、津波の事が書かれた文献が出てきました。その津波に関して詳しく書かれていたみたいです。もちろんこれがその証拠になるわけではないですが、こんな風に海を越えて役に立つ事もあります。ちなみにBBCの番組を見ました。

    トピ内ID:0714719812

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    複雑に考えすぎ?

    しおりをつける
    😢
    タックウィラ
    なんだか言葉を複雑にこねくり回しすぎのような気がします.

    文学はその国のその当時の内外面の様子を表したものだと思っています.
    だから,その文学を研究することは,その当時のその国の様子をうかがい
    知る良い手段だと思います.日本文学もしかりです.

    それがどういう過程でどのように解釈されるのか,それは数多くの
    情報や推察を重ねる必要があると思います.書簡なども大切な情報の
    一つではないでしょうか?

    このような考え方はダメなのでしょうか?

    トピ内ID:8821202161

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    二立様

    しおりをつける
    びすこ
    コメントありがとうございます。

    >歴史ですが、歴史の研究は社会のために役にたたないと
    思われますか。歴史学は通常文学部にあります。

    歴史に学ぶことの重要性というのは一応理解しているつもりです。
    小説で恐縮ですが、「銀河英雄伝説」の「ヤン・ウェンリー」の「不敗の魔術」の
    ネタが「歴史学」にあったことは、フィクションと言えども実感するところです。

    しかし、その意味では「歴史」の井戸から水を取り出す行為は「人間行動学」とでも
    言えるもので、トピ主さんが提示した「文学研究」の範疇には入らないと思いますし、
    文学部から歴史学を切り離すことも可能でしょう。
    新たな文学作品や美術品を生み出すことが、人間社会に潤いをもたらすのもわかります。
    しかし、紫式部の心境を空想することは「知恵」ではなく、知的好奇心を満たす「趣味」の範疇ではないかと。
    決して「趣味だから価値がない」というのではありません。
    ただ、公金を用いるだけの「意義」があるかという疑問です。
    そうした「疑問」を退ける「答え」を知りたいと思い、このトピを拝見しています。

    トピ内ID:7089839294

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    心がより良くあるために

    しおりをつける
    🐤
    ゆめ
    面白いトピなので参加させていただきます。文学部卒です。
    私も文学研究は「心を解析する」「ひとを知る」ための学問だと思っています。
    社会的意義は、強いて言えば「心がより良く在る」方法やその在り方を探すことでしょうか。

    井戸と織物の例えがすごく面白かったです!
    文学研究がややもすれば、ただの井戸掘りになってしまいがちというのは、学生の頃よく思っておりました。そういう教授は実際たくさんいると思いますし、閉じた世界になっている現状も学会によってはあるのではと思います。浅くしか知らないのにごめんなさい。

    私が今まで読んだ文学論のなかでは、皮肉にも文学研究者ではないのですが、養老孟司さんの『身体の文学論』という本が斬新なのに納得でき素晴らしい本でした。これは文学を身体論の面から論じたもので、こういう文学研究が自分にもできたらいいのになんて思ってしまいました。

    でも他の分野との架け橋となるような研究をなさっている方もきっといるのだろうと思います。あまりお金にはならないから、意味がないなんて言われちゃうけれどいち文学ファンとして文学研究は存在し続けてほしいですね。

    トピ内ID:4080405397

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    想像力

    しおりをつける
    🐶
    二立
    >びすこ 様

    >しかし、紫式部の心境を空想することは「知恵」ではなく、知的
    好奇心を満たす「趣味」の範疇ではないかと。

     空想力と想像力の違いを考えられたことがありますか。空想とは
    実際にはありえないことを思い浮かべること、想像とは実際に
    起こりうることを思い浮かべること、だと思います。

     紫式部の心境を空想していただくのは趣味の範疇でしょうが、
    源氏物語を読んで、登場人物の男女の心の機微を想像し理解する
    のは、人間が生きていく上で非常に重要なことです。
     
     人間の人格形成の上で、いろんな知識はもちろん大事ですが
    想像力の乏しい人格は、他人の立場を理解しない、弱者の心の
    痛みのわからない、いびつな人格になる可能性があります。

     人の想像力を育成するのに最適な手段は文学でしょう。
    さらに、音楽や美術と並んで美意識も育てます。「文学」の価値
    というのは疑いのないところですが、このトピは「文学研究」の
    意味でしたが、その「文学」の価値をさらに深く掘り下げるとこ
    ろに意味があるということで落ち着きそうです。

     文学に公金を投入しない国家は、軍事や科学技術偏頗で
    おかしいです。

    トピ内ID:2848828145

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    公式を求める

    しおりをつける
    かる
    ガンダムと源氏物語…これ、重要な比較な気がします。
    源氏物語は研究対象。
    ガンダムは(まだ)研究対象じゃない。

    ここから個人的に邪推いたしますに。
    ガンダムは誕生から30年ほどです。ガンダムという作品が成立した背景を求めることは「今なら」できます。監督はじめおもな関係者、皆存命です。当時の話をすべての関係者に聞くことは可能だと思います。
    なので、「今なら」ガンダムという作品を求める公式がすべてそろっています。
    情報でいうところの一次ソースだらけです。数学でいうと、解答が算出されるまでの経過式まではっきりとある(手に入る)状態。
    しかし、百年経ち、二百年経ち…と時の経過とともに、未来の人たちからすると、公式が欠損していきます。

    それが、現代の源氏物語。
    数学でいうと、フェルマーの最終定理(でしたっけ?余白がなくで証明式省略してたヤツ)状態。
    作者と作品(導出した人と、結果の定理)は明らか。
    なぜ、この最終形態(作品)にいたったかの途中経過の式はすでに欠損しています。
    この途中式を求めるために行うのが文学研究なのでは?

    と思いました。どうでしょう??

    トピ内ID:9226534846

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    アイデンティティー

    しおりをつける
    旧三流学生
    文学やその国の各芸術は、国や民族のアイデンティティーだと理解しています。日本人が日本人である理由です。「お前は何者なのだ?」と聞かれ「さあ、よく分りません。」のままでいいのでしょうか?よく理解しないままでは、自分(自国の文化)を語ることはできません。

    「源氏物語」が翻訳され、文化も歴史も言葉も違う海外で評価されていることはとても驚くべきことだと思います。(テキストとしては、外国語になっている時点で、相当歪められているとは思いますが)ただ、趣味として楽しむのではなく、海外で研究の対象になっているんですよ。

    びすこさまはどうお考えになりますか?
    すぐには「使えない」文学研究にはお金をかける必要はないと思いますか?

    トピ内ID:6475337451

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    真理、真実の追究と現世の利便は別の話

    しおりをつける
    🐧
    氷まくら
    「自然科学は役に立つが文学の研究は?」というスタンスで議論が進んでいますが、その分類ははたして正しいでしょうか?

    「産学協同」という言葉があります。そもそも「産」「学」は同一の目標をもつわけではありません。
    流体力学は自動車やジェット機の製造に役立つでしょう。しかし、流体力学は機械工業のためかといえば必ずしもそうではありません。
    地質学は建築や地震予知のため? 相対性理論は原爆開発のため? 心理学は治療のため?
    違うと思います。

    人は真理を究めたいという欲求を持ちます。それは原初の欲求の1つであり、それを満たすために努力するのが研究、その知識と姿勢を共有するのが学問ともいえます。
    「結果的に」役立つかどうかとピュアな真理の追求を混同してはいけません。

    論より証拠、文学の研究にどんな意味があるかを議論して、何の役に立つでしょう? これはトピ主の「知らずにいられない」欲求から出てきた疑問ではありませんか。
    この問いには、相反するさまざまな事象が寄せられ、おそらく誰もが納得する明確な回答は得られないでしょう。
    それこそ1つの研究テーマではないでしょうか。

    トピ内ID:4220440906

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    僕の場合は

    しおりをつける
    とおりすがり
    ・僕は文庫本の巻末にある「解説」が大好き。読み始める前でも,読み終わった後でも,「へえ」と関心する。得した気分になる。楽しくなる。その本の世界が広がる。(文庫本の解説もある種の「文学研究の成果」だと思う。)

    ・社会は個人の集合体。個人のためになる(個人がハッピイになる)のなら,社会のためになっているといえるのでは?

    ・逆に,役に立たない科学研究はたくさんある。例えば,ノーベル賞を受賞した小柴教授のニュートリノの研究がどう社会の役に立つのか,答えられる人はいる?

    ・医学が進歩して,例えば200歳まで生きられるとしても,文学をはじめとする芸術や娯楽がまったくないのなら,僕は「死んだほうがましだ」と考えるかもしれない。

    ・だからどうしても,僕は「理系の研究=社会のためになる研究」ってところにひっかかりを感じるんだよね。

    トピ内ID:3450878774

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    冬休みの読書感想文

    しおりをつける
    ノールウェーの林 トピ主
    活発な議論が続いているようで、興味深く拝見しています。

    少し休暇がいただけましたので、文学研究入門書?を読んでみました(斜め読みで、読了していませんが)。
    池内紀「となりのカフカ」と林真理子・山本淳子「誰も教えてくれなかった『源氏物語』本当の面白さ」です。
    特に「となりの…」は面白い(名著です!)。 著者の経歴やその背景を知ることで、作品への興味がそそられるという説、実感しました。
    学生時代に読みかじっただけのカフカの作品、読み返してみようと思います。

    12月18日 さくらんぼさん
    >ある研究書を読んで、読者がそこに扱われているテキストに、自ら触れてみたいという欲求をそそられる、そして実際に手にとって読み直し、
    >そこに自らの新たな読書体験を打ち立てる、それが私にとっての文学研究の理想です。

    「となりの…」は、たしかに面白い本ですが、
    でも、
    これだけで良いのでしょうか。

    どうしても私には物足りなさが残ります。
    この渾身の研究にそそがれた情熱と労力は、それだけでは収まらないと思うのです。
    この業績は、どんな影響を他分野に与えるのでしょう。

    トピ内ID:6114275560

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    トピ主のコメント(44件)全て見る

    二立さん、旧三流学生さん

    しおりをつける
    びすこ
    コメントをありがとうございました。
    ただ、書かれている「価値」は分かるような気はしますが、抽象的で実際の社会にどういう形で貢献するのかがどうも頭に浮かびませんでした。
    トピ主さんが提示されたような「作者の心理の想像」と「日本人のアイデンティティ」?外国文学の場合は?人の心を理解するというのは「心理学」では?
    大阪の橋下知事の文化補助見直しの議論が念頭にあったものですから、シンプルにその意義が多くの納税者に説明できないのかと思った次第です。
    たとえば、法学部の学生が法律に、経済学部の学生が経済に秀でるのと同様に、文学部の学生は人間関係に秀でるというのなら、公金を投じる意義は多くの人が理解できると思いました。

    ただ、申し訳ないのですが、わたしのようなシンプルな人間には荷が重いようですし、人様のトピで出しゃばり過ぎとも思いますので、この辺にて撤退します。
    (昔、文学部廃止論があったとどなたか書かれていましたが、昔からの課題なのでしょうね)

    なお二立さん、なぜ「軍事」という言葉を?「文学」=「平和」、「実利」=「戦争」という意味でしょうか?実利は危険ですか?

    トピ内ID:7089839294

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    文武両道

    しおりをつける
    🐶
    二立
    びすこ様

    >なお二立さん、なぜ「軍事」という言葉を?「文学」=「平和」、「実利」=「戦争」という意味でしょうか?

     字数制限があるので、言葉足らずですみませんでした。
    これを書いたときは、文武両道という言葉が頭にありました。昔の武士
    の素養の、文は学問全般のことですが、昔の四書五経の勉強というのは、
    結局哲学や倫理、歴史の内容を含み、今の文学部の学問のようなもので
    す。

    武は武術など、すなわち軍事のことです。
    つまり、文=「学問(文学)」 武=「軍事」ということですね。

     最近、勝海舟が源氏物語を読んでいたらしいというニュースも
    ありました。武士にとって源氏や和歌などの素養は必要ないでしょうか。
    文のない武だけの武士は、いくさには強いかもしれませんが国を治
    める資格はありません。

     実利を求めるという点では秦の始皇帝の焚書坑儒が思い浮か
    びます。法家以外の書物を焼くような国家も長続きしません。

     昔も、寺子屋で実利的な読み書きそろばんを習えばいいというのと
    四書五経で倫理観を育成するのと、いろいろニーズはあったようです。

    トピ内ID:2848828145

    ...本文を表示

    文学研究者はガイド役1

    しおりをつける
    文鳥
    久しぶりの良トピですね。
    すばらしい文学は歴史を超えて生き残り、古典となります。
    文学の社会的意義という観点では、私は、文学者は森林ツアーのガイド役のようなものではないかと思っています。

    三島の林、紫式部の森、読者は文学を手に取ったときに、作者という、うっそうとした森林の中の作品というエリアに出発します。
    そのときに、一人で散策し、探検するのも結構ですが、せっかくなので、文学者というガイドに案内されてみたらいかがでしょうか。もし、大昔の森林であれば、また、これまであまり人が訪れたことのない場所であれば、一人で回りづらいところもあると思います。(続きます。)

    トピ内ID:5990427998

    ...本文を表示

    文学研究者はガイド役2

    しおりをつける
    文鳥
    (続きです。)
    森林を訪れるのはいろいろな目的があるでしょう。癒し、刺激、暇つぶし。しかし、優秀なガイドがいれば、何の変哲の無い茂みで、見たことのない花を、どこにでもありそうな木立で、はっとするような鳥を見つけられるかもしれません。読者は訪れた目的以上に何かを得て、森林を後にし、自分の生活に戻っていきます。
    それは、日常生活にちょっとした変化をもたらすかもしれないし、ひょっとして重要な思想の発見かもしれないし、革命的な思考方法の変革かもしれないし、新たな政治的施策の創造かもしれません。その意味では、あらゆる人にとって、文学者の研究の成果を活用する可能性は開かれているのではないでしょうか。

    昨今は読書をする人、森林を訪れる人は減っているようですが、ガイド役として、文学者の踏ん張りどころなのではないでしょうか。

    トピ内ID:5990427998

    ...本文を表示

    研究の有用性と予算配分の問題

    しおりをつける
    ノールウェーの林 トピ主
    研究の有用性とお金の話題が広がっているようですね。

    研究成果の(直接的な)有用性は、研究の「意義」を考える場合には適切な評価軸ではありませんが、
    「研究予算の配分」を考える場合には重要な評価のポイントです。

    ある有用な研究成果を得たいとき、その分野だけに予算を集中させるのは得策ではないでしょう。
    すべての分野は「知の体系という織物」に織り込まれていますので、ある研究が他分野からの刺激を受けて発展することはよくある話です。
    高性能な太陽電池を作りたいのなら、基礎的な物理や化学の発展が必要になるはずです。
    太陽電池研究者だけに資金を集中させても、大きな成果は得られないでしょう。

    さて、文学研究はどこに位置するのでしょうか。
    文学研究の成果が他分野に大きな影響を与えるものであれば、直接的な有用性は低くとも、研究には大きな重要性があります。
    予算カットは良いアイディアではないでしょう。

    逆に、他分野への影響が小さいのなら、予算を削られるおそれは大いにあります。

    文学研究(文学作品の解釈)と他分野の関係、何か例があるとわかりやすいのですが。

    トピ内ID:6114275560

    ...本文を表示
    トピ主のコメント(44件)全て見る

    意味が必要?

    しおりをつける
    😠
    意義
    文学を研究しても意味がないといいたいのですか?

    トピ内ID:1095380514

    ...本文を表示

    文学を研究しても意味がない…とは言わないが、私には理解不能

    しおりをつける
    😨
    私は理系の人間です
    模試でこんな問題がありました。

    「真夏の満員バスの中、乗客の皆が暑さでうなだれていた。皆が自然と無口となり不機嫌だった。そんな中、窓から一匹の蝶が入ってきた。それを見た乗客はみな自然と微笑を取り戻した」

    (問)うなだれていた乗客は何故蝶を見て笑顔になったのか?

    答えは選択式でした。確かに微笑ましい状況だと思い自分なりにその状況を想像し自分の感情に最も近い感情の答えを選択しました。
    しかし結果は間違い。

    なぜ?
    と言う事は、もし自分がそれと同じ状況にいたら自分も皆と一緒に微笑んだだろうけど、私以外の人達は「私とは違う感情」で笑っていたってこと?

    人がどう思おうが、どう感じようが、そんなの個人の自由だし、そこに「正/誤」の判定が必要?
    本を読んでどう受け止めるかは個々の人生経験次第、十人読めば十人の人の受け止め方があって良いのでは?
    それとも偉い文学者の先生が「こうだ」と言えばそれが正解になる世界?
    そう思い文学に対して今でも理解できず疑問を持ったままです。

    文学は立派な学問だと思います。しかし何故「文学に正解」があるのか未だに理解できません。
    読んだ人それぞれ…でいいのでは?

    トピ内ID:2750888334

    ...本文を表示

    こんなに有用です1

    しおりをつける
    歴史を勉強中
    文学の研究というのは、一見作者や作品それ自体を研究している様でいて、実はその作品の書かれた時代や、作者の所属するコミュニティ(国とか地域とか社会階層とか)の雰囲気・考え方・価値観等を論理的に明確にするものなのです。所謂相互理解の為のツールと思っていただければ良いかと。

    相互理解だったら個々人でよく話し合えば良いんじゃない?とか言われそうですが、例えば外国人との事を考えてみて下さい。お互いに相手の文化を知らなければ話題にすら困るはずですし、そもそも外国語学習のカリキュラムは文学研究・言語学研究の賜物なのです。外国文学の研究は外国人をよりよく知る為の、日本文学の研究は日本人をよりよく知ってもらう為の、そして自分達をより深く知る為のものだと考えれば、その有用性を理解できると思います。

    トピ内ID:7165338932

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    こんなに有用です2

    しおりをつける
    歴史を勉強中
    こう言うと「それは社会学や心理学で代用可能ではないか?」と反論されそうですが、それは違います。
    xx学というのはxxを研究するからxx学なのではなくて、xx学の手法を用いて研究するからxx学なのです。例えば社会学はマスとしての社会の動きを統計等で分析して研究するから社会学なのであり、文学は文学作品を読み込んで研究するから文学なのです。

    だから解明しようとする問題は同じでも良いのです。
    例えば過去や、直接調査できない外国、または実在しない世界から何かを読み取ろうとする場合には、文学研究は有効な手段の一つでしょう。
    もちろん研究者の個人的な趣味嗜好能力から文学研究を手段とする事も有るでしょうが、研究手法によるクロスチェックという点でこれも否定されるべきではないと思います。

    あと前の方で源氏物語とガンダムを比較されてましたけど、どなたかも仰ってた通りガンダムは最近のものなので文学的手法によらずとも研究が可能なのです。

    というより、ガンダムを作った人も影響を受けている人も目の前に居るのですから、わざわざガンダムを読み込んで(観込んで?)あれこれ考えるより、直接インタビューなりした方が早いし確実ですよね

    トピ内ID:7165338932

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    国語の試験問題と文学研究は別かも

    しおりをつける
    🛳
    知りたがりおばさん
    昔、壇ふ○さんが同じようなことを書いておられました。
    彼女の文章を引いて問題をつくっていたのに、彼女は正解がわからなかった?もしくは答えを間違った、そうです。
    文学研究には正解はないのではありませんか?
    でも、文学研究の意義が無いとは思いません。むしろ、優秀な文学研究者が少なすぎるかも。だって、文学のおもしろさや奥深さをもっと教えてくれても良いはずなのに、それが少ない。日本語で書かれた(日本語に翻訳された)優れた文学作品をもっと国民が読むようになれば、日本語の読み書きの間違いは減るはず……。
    漫画は確かにおもしろくて読みやすいし、漫画も文学の一種かもしれませんが、日本語をもっと皆が正確に覚えなければ、意思の疎通が成り立ちません。他人との意思の疎通は人間生活の基本でしょう。

    私は、昔、不倫の太宰治が大嫌いでしたが、あるとき太宰のお墓の前で自害した作家がいたと聞き、また、今でも墓前にお花やお酒などのお供え物が絶えないと聞き、作品を読んでみました。
    文章がうまく、本当に頭の良いひとだなあと感心しました。
    人気がある理由がわかりました。

    トピ内ID:2622195385

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    国語は社会性獲得の一手段。(1)

    しおりをつける
    若い輩ですみません。
    国語教育では「私個人の感想」は求められませんよね。「日本語という文字群で表現されるものの規則」を学び、社会集団の一員として文字群が持つ最大公約数の役割と意味を理解することが必要だから義務教育で訓練する時間と費用を割いてるんだと思います。(大阪の予算削減は財政難から福祉関連の方が必要度が高いという判断だと解釈したのですが。)
    続きます。

    トピ内ID:1724604573

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    国語は社会性獲得の一手段。(2)

    しおりをつける
    若い輩ですみません。
    逆に言うと最大公約数が定義されていなければならないわけで、これが文学研究における応用部分ですよね。社会有益性はこれで十分かと。
    この表現されたものは作者の背景が意識的、無意識的に投影されます。そしてそれを受け取る「私」も自己の背景が投影されます。素粒子の観察の例が判りやすいんじゃないでしょうか。
    これらを分析するなら「ある集団に言葉を与えた時に得られる結果(文学)と考察、それの妥当性、一般化についての研究過程」となり、他分野の研究と何も変わらないように思えますが。「私」は変数の一つでしかないですし。

    トピ内ID:1724604573

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    自然科学研究と文学の融合例(1)

    しおりをつける
    文学部卒の理系修士
    文学部国文科卒で、現在は機械工学科の修士課程に在籍している者です。専門は人工知能です。
    私自身、「文学部の研究と、今の研究のどこがつながっているの?」と、よく尋ねられます(笑)。

    学部の卒論は、村上春樹の「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を引用し、その世界観を構成している言語体系を明らかにするというものでした。一方現在は、人工知能に「ことば」という概念を与え、ことばによって自身の世界観を構築する(端的に言えば、個性を与える)仕組みを研究しています。

    文学研究の1つに「作品の世界観を読み解く」というものがあります。例えば昨今話題の『蟹工船』でしたら、当時の下層クラスの窮乏やその人々の思いであったり、その背景にある時代情勢を研究したり、そこから敷衍して「作者がそんな時代をどう見ており、どのような主張があったのか」をテキストから読み取るというのも含まれるでしょう。こうした研究を通じて、労働市場のあり方を考え直したり、思想の解放につながったりということも、ないわけではありません。意義が見えにくい文学研究ですが、他分野にも影響を与えていると思います。(続)

    トピ内ID:0229428420

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    自然科学研究と文学の融合例(2)

    しおりをつける
    文学部卒の理系修士
    一昔前まで、人工知能の分野では「人間とゲームする(そして勝つ)」知能の開発が盛んでした。実際、1997年にIBMが開発した「ディープブルー」という人工知能が、当時の世界チャンピオンを打ち負かし、話題となりました。

    しかし、それで人工知能の研究が終わったわけではないんですね。なぜなら人間の知能活動は「チェスをする」ことだけではないから。五感を通じて世界を知り、人間を知り、社会を知り、行動する。悩みも悲しみも喜びもある。なぜ、いろいろな情報を処理し、身体機能を制御し、感情を生み出すことができるのか? そもそも、「知能」とは何なのか? 人口知能研究は、「人間の力で、人間並みの知能を人工的に作りたい」という目的もあるのでしょうが、そのさらに奥には、「人間や、その生命の営み(知能を含む)について、もっと深く知りたい」という思いがあるのでしょう。

    「畑違いの研究をやっている」と言われますが、私は「人間の不思議さをもっと知りたい」と思って研究しています。私の中で、「文学研究」と「人口知能」は、アプローチこそ違いますが、「人間を知る」ことで、根底でつながっているのです。(続)

    トピ内ID:0229428420

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    自然科学研究と文学の融合例(3)

    しおりをつける
    文学部卒の理系修士
    各人が持っている世界観や個性が、どういうプロセスを経て生まれるのか、まだ解明されていません。でも、例えばある作家を例に取り、その人の一生を研究することで、どのような思想や個性を持つに至ったか、解明できるかもしれない。作品を読み取り、言語体系を明らかにして、私がやっているような研究分野に活かせば、人工知能に「個性」が生まれるかもしれない(もちろん、別のアプローチもあるでしょう)。人工知能という狭い分野ではありますが、自然科学と文学研究が融合する部分は、確実にあります。

    私自身の狭い経験談なので、異論がある方もいらっしゃるかもしれません。抽象的な表現で申し訳ないのですが、「自然科学」も「文学」も、どちらも「人間を知る」アプローチとして、大きな意味があると考えています。

    トピ内ID:0229428420

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    わかった!と思います。

    しおりをつける
    ノールウェーの林 トピ主
    歴史を勉強中さん、ありがとうございます!
    ご説明に、膝を叩いてうなずきました。

    異なる社会の「雰囲気」を知るための研究。一種の文化人類学ととらえればよいのですね。

    平安時代の歴史的な事実は、遺跡調査や文献に書いてあること自身から知ることができる。
    しかし、平安時代の「雰囲気」は歴史的な事実だけからはなかなか読み取れない。

    平安時代に人々がどうやって恋に落ち、また失恋していったのか。
    源氏物語に書かれた物語を読み、さらに解釈を深め、書かれていない「雰囲気」を行間から読み取り、平安時代とはどんな時代だったのかを明らかにする。

    このような知見は、文学を素材にしてその解釈を深めていく以外に得られないものでしょう。
    歴史学としても重要ですし、社会学にも大いに影響を与える成果が得られるはずです。

    さくらんぼさんがおっしゃった、”遠くの他人に共感する力”というのもこのことですね。
    平安時代の女性に共感することで、平安時代の雰囲気を知る、ということ。

    時代や社会的、文化的背景の違いを越えて共感する能力を磨くことの意義が、改めてよく理解できました。

    トピ内ID:6114275560

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    トピ主のコメント(44件)全て見る

    言語と世界観

    しおりをつける
    ノールウェーの林 トピ主
    文学部卒の理系修士さん、
    面白い研究をしておられますね。
    ”ことばによって自身の世界観を構築する”ということ、ずいぶん昔に読んだSF小説(バベル17、だったかな)を思い出しました。

    お話を逆からとらえると、与えられた言語によって世界観は限定される、と理解してよいのでしょうか。
    もしそうなら、異なる言語で書かれた文学作品の世界観を読み解いていくことで、その言語によって構築される「世界の限界」が見えてくるのかもしれません。

    言語学的なアプローチに加えて、こういった文学研究によるアプローチを重ねていけば、言語の役割や限界というものも見えてくるのかもしれません。

    皆様の指摘される文学研究の重要性が少しはわかるようになりました。
    いや~、文学研究って面白いんですね。

    トピ内ID:6114275560

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    トピ主のコメント(44件)全て見る

    横レスですが

    しおりをつける
    🙂
    旧三流学生
    言葉によって語る技術を持つ・・ということは素晴らしいことですね。皆さんが熱く訴えたい思いを的確に表現されていて、羨ましいです。しびれています。

    文学部卒の理系修士さんの人工知能に「ことば」という概念を与えて人工知能自身の世界観の構築する試みは、とても興味深いです。

    我が家はアメリカで子育て中で、10歳と7歳の息子は英語の宿題をやっているときは、英語で冗談を飛ばしあい、日本語の宿題をやっているときは、日本語で駄洒落を言う傾向が強いです。そんな時は、持っている雰囲気もアメリカの子供から日本人の子供の雰囲気に変わるように感じます。

    頭の中でスイッチが切り替わっているんでしょうかね。

    横レス、大変失礼いたしました。

    トピ内ID:6475337451

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    氷まくらさんに同意します

    しおりをつける
    みけ
    このトピがまだ続いていたとは!以前にもレスしました、みけです。

    以前は、なんとかトピ主さんの話し合いたい(らしい)土俵でわかってもらえるようにとレスしましたが、私の本心は『現実の利便とは別物』これです。
    トピ主さんはどうしても、現実に『役立つ』読んだだけor説明されただけで『わかる』ものにしか意義はないと思ってらっしゃるようだったので、私はさじを投げました。

    氷まくらさんがいてくださって嬉しく思います。
    『真理』はどんな時も、生活の真隣にあるとはかぎりませんものね。

    それと、トピ主さん、だんだん近づいてきてるようですがやっぱり『現実の利便が一番』という感じで、上からものを言ってるようなニュアンスがあるように思いますよ。なんでかしら、少し馬鹿にしている様。そう感じるのが私だけならいいのですけれど。

    トピ内ID:1150299053

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    理系脳と文系脳

    しおりをつける
    🐤
    ぴよ
    普段は文系の人間には数学の深遠な世界が
    理解できないことの方にスポットライトが当たっていますが、
    同じように極端な理系の脳には文学が理解できないのでは
    無いでしょうか?

    数式を読めないから自分には理解できていない、
    と文系脳にははっきり認識できることが 

    文章を読むことには支障がないので、
    理解できていない事が理系脳には
    認識しにくいのかな、と感じました。

    自分の理解力を越えた世界が存在するのだな、
    と遠くから眺めるぐらいにしておくのも
    知恵だと思いますけど。

    トピ内ID:6509032611

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    作家がすき

    しおりをつける
    🐧
    エト
    小説を読むと感心してどんなふうな人が書いたのかすごく気になり、そういう本を読むのが好きです。小説を書こうと思うような人の雰囲気も個性的で気になります。作家自体何を考えてる人なのかとても知りたくなるので。そのような研究の本は好きな作家の場合必ず読みます。とても面白いです。

    トピ内ID:1219067581

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    計算文学

    しおりをつける
    会社員
    文学部卒の理系修士様の仰ったのは、テキストマイニングを利用した文学作品解釈という分野でしょうか?下記参考文献の内容でしょうか?

    花村嘉英: 計算文学入門-Thomas Mannのイロニーはファジー推論と言えるのか?, 新風舎

    認知科学会研究分科会「文学と認知・コンピュータ」で色々行われているみたいですね。ネット検索をかけてみますと「文学作品の線形空間論による解析」の論文が見つかり、読んでみますと解釈の客観性も確保できそうですね。
    かつて言語学、社会学が数学化したように、文学研究もいよいよですね。

    トピ主様、びすこ様
    この応用出口として、スパムメールブロックツールの高度化、カスタマーサポートツール、総務・人事ツール、自動文書作成支援ツールがありそうです。
    これならば、税金投入に皆納得するのではと思いました。

    トピ内ID:5858454800

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    人はパンのみによって生きるにあらず

    しおりをつける
    きう
    でしたっけ?ある意味世界宗教といわれるものの経典は究極の文学だといえるかもしれません。
    現在の人はともかく昔の人より優れていると勘違いしがちですが、知識を簡単に得る事で失っているものもあると思います。
    トピ主さんも自らの疑問に答えが欲しいなら宗教学をかじるのもいいかもしれません。
    こういう問いは他人に答えを求めるより自分の心の中と向き合うしかないと思います。携帯のCMでもやってるでしょ?

    トピ内ID:6015632580

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    実は疑問でした

    しおりをつける
    💔
    セシル
    文学研究、まで高尚ではありませんが、学生時代の、例えば夏目漱石は三四郎を何を訴えたくて書いたのか?という問題(ここで言われている解釈?)が不思議でなりませんでした。
    確かに、小説の主題(普通に呼んでわかる筋です)が言いたかったのかもしれない。
    しかし、もしかすると、単にそういう題に関連した面白い筋がひらめいたかも知れないし、もっと言えば、その時そういう筋で書いたら売れそうだから(昔なら人気が出るでも、注目を浴びるでもいいですが。)だったからかも知れません。

    要は、そんなこと本人に聞いてみなければわからないことです。
    他人があれこれ考えてもしょうがないのでは? とずっと思っていました。
    (皮肉や馬鹿にしているのでなく)
    貴方はどう思いますか?

    トピ内ID:2198277396

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    想像と空想

    しおりをつける
    🐶
    二立
     実際にありうることを想像するのが文学で、ありえないことを
    空想するのは文学でないとすると、源氏とガンダムの違いははっ
    きりすると思います。
     しかし、SFなど実際にはありえないことでも登場人物の心情が
    現実に生きる人間の共感を呼ぶ描写があるなら、その点でSFや
    ガンダムも文学になる余地はあると思います。

     そう考えると、実際の文学を読む場合、読み手の力量によって
    文学の価値は大きく変わります。読み手の人生経験や知識の
    量によって、文学の表現内容が想像できるか、あるいは想像でき
    なくて空想の段階にとどまるか違ってくるからです。

     源氏を読む場合も、当時の風俗や婚姻制度のことについて知識
    がある人とない人では想像の深さが違ってきます。江戸時代の
    描写でも、当時の風俗や隅田川周辺の橋や運河の様子の知識が
    あるなしでは作品の鑑賞の深さが変わってきます。
     
     文学の研究ということで、当時の風俗や地理、作品成立時の
    作者の考え方などを調べることは、読者が空想の段階から想像の
    段階へ引き上げる手助けになります。文学の研究はそういう意味
    で意義があるのではないでしょうか。

    トピ内ID:2848828145

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    トピ主は「わかってない」と思います

    しおりをつける
    とおりすがり
    トピ主さんは「わかった!と思います」と書いていますが,わかってないと思いますよ。
    そもそも,その書き込みの元にある歴史を勉強中さんの書き込み自体が,本質とはまったく逆のことのように感じます。
    「異なる歴史を知るために文学を研究する」のではなく「その作品をより知るために歴史を知る必要がある」のです。
    もちろん,文学作品を歴史研究の材料にすることを否定するわけではありませんが,それが文学研究の主目的のはずがありません。

    トピ主さんは,文鳥さんなどの書き込みをどのように読んでいるのでしょうか?
    そうした書き込みに反応せずに,「研究とお金」の話などに展開していく理由がわかりません。
    理系の研究と文学研究を比較して費用の差を考えた結果の提言とはとても思えません。

    「何の役に立つかわからない」ニュートリノの研究には億単位のお金がかかっています。
    でも,数億かかる文学の研究なんてありえません。
    国会図書館ではインターネット経由で閲覧できる文書を多く公開しています。
    そんな材料を使えば費用はほとんどかかりません。

    「研究費が多いから有意義な研究」なのでしょうか?

    トピ内ID:7193580914

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    研究の意義

    しおりをつける
    😠
    好きです
     研究の意義は、あるのではないでしょうか。もっとも「役に立つかどうか」を「意義」というなら、意義のないことはたくさんありますが。
     何を研究するのかについては、興味や関心、好奇心から始まるのかと思いますけれども、分かったら終わりでしょうね。「文学」が続いていることをみると、まだまだ分からないことがたくさんあるからではないでしょうか。 歴史や哲学、社会学など文学部にはいろいろな分野がありますが、文学は、これらの学問とは区別されていると思います。歴史と歴史小説は違いますし、日記や書簡の類も文学作品であることがあると思います。
     齋藤美奈子「文章読本さんへ」、丸谷才一の「思考のレッスン」や辻井喬「憲法に生かす思想の言葉」など読むと、面白いですね。宮沢賢治全集には、彼の成績まで掲載されてあって、好きなものには、ますます好きになるかもしれません。要するに、何でも分かりたいのではないでしょうか。
     人間とはそういう存在みたいですね。
     

    トピ内ID:0943958226

    ...本文を表示

    総括として1~文学作品と文学研究

    しおりをつける
    ノールウェーの林 トピ主
    文学作品とは、読者を感動させる芸術作品というのが第一義ですが、同時に、その作品が書かれた時代、社会、文化について、さまざまな情報が詰め込まれたカプセルでもあると思います。

    単に作品を読んで楽しむだけでなく、作品の背景情報(著者の人となりやその時代の歴史、社会体制など)を考慮しつつ、主人公のセリフや文章表現の詳細を検討すれば、カプセルは開かれ、その作品の書かれた世界についての情報を得ることができます。
    これは単なる史実や社会制度に関する情報ではありません。その世界が持っている「雰囲気」とでもいうべき情報でしょう。

    平安時代の主要な貴族の生没年は史実として記録に残っていますが、平安時代の貴族たちがどのように生きたかということは、年表ではわかりません。しかし、源氏物語の解釈からは、(たとえフィクションであれ)貴族たちの生々しい愛憎を読み取ることができます。これは文学作品を手掛かりにして初めて得られる貴重な情報です。
    このような情報は、歴史学や社会学などへフィードバックされ、異なった社会を理解するための手がかりとして大いに利用されることでしょう。

    トピ内ID:6114275560

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    総括として2~研究の意義

    しおりをつける
    ノールウェーの林 トピ主
    文学研究や基礎科学の研究など、実益に直接結び付かない研究は多くありますが、実益の有無と研究の意義の大小とは無関係です。研究の意義は、どれだけ多くの人にどれだけ大きな影響を与えたかで決まります。

    数学や自然科学は、さまざまな概念や、エネルギー、物質などを研究対象とします。研究対象が共通している以上、一つの学問分野で得られた研究成果は他の分野に何らかの影響を与えます。方法論さえ間違えなければ、無意味な研究になる恐れは少ないといえます。

    一方、文学研究はフィクションの世界を扱うことが多く、その研究成果が文学作品の枠内にとどまるのであれば、その影響は作品に関心を持つ人にしか及びません。
    ガンダムの初期型と量産型の仕様の違いを議論しても、ガンダムファンにしか関心を持ってもらえません。ガンダムという作品の中にどのようなカプセルが入っているかを見抜き、それを開き、その中身を客観的な表現であらわすことができれば、立派な文学研究となるでしょう。(わたしには、どんなカプセルが入っているのやら見当もつきませんが)

    トピ内ID:6114275560

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    とおりすがりさんの疑問にお答えして

    しおりをつける
    ノールウェーの林 トピ主
    文学研究は、「その作品をより知るため…」に行われるのでしょうか?
    私はそうは思いません。
    その作品を通じて、異なる世界を理解する手掛かりを得ることが、研究の目的なのだと思います。

    文鳥さんのおっしゃる、文学作品のガイド役という役割は、文学研究の「副産物」ではないかと思います。
    作品解釈のプロである文学研究者がガイドしてくれれば、作品の面白さは層倍のものになるでしょう。
    植物学者をガイド役にして森林ツアーをするのと同じことですね。

    トピ内ID:6114275560

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    厚くお礼申し上げます

    しおりをつける
    ノールウェーの林 トピ主
    これまでのディスカッションの履歴を改めて見直してみました。

    12月11日の八重さんのコメント
    『今の「時代」を知るために、様々な時代を知り、その中の人々の息づかいを知ることが、文学研究の意義だと、私は思っています。』

    結局、これなんですね。ふた月かかってようやく理解できました。物分かりの悪い私にお付き合いくださった皆さん、ありがとうございます。

    もちろん、これは私のたどり着いた結論であり、私なりの「文学研究観」です。
    文学部卒の理系修士さんや会社員さんなどのように、文学研究の意義の捉え方はさまざまですね。多くの方から大変興味深いお話をたくさん聞かせていただきました。

    ふた月にわたって150件を超えるレスポンスをいただきました。私の予想をはるかに超えるにぎわいです。このトピックが文学と文学研究に興味を持つ方の知的好奇心を刺激することができたのであれば、望外の幸せです。

    トピ内ID:6114275560

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    道しるべ

    しおりをつける
    🐤
    いちご
    作品の個々を研究する事は先人が「何に迷い何を求め生きて来たか」と言う事を知る事になります。その際、私の場合は、鴎外の留学中の日記を読み、鴎外の時代の教育の専門書を読み考えました。先人の事ですから、色々な学者が色々な説を立てます。推測の域は出ません。でも、推測したいんです。「自分の信じる方向性が正しい」と自信を持ちたいのです。
    個々の作品は互いに色々な作家に影響を与えて今日に至っています。文学に時間の垣根は無く脈々と受け継がれるものがあります。これが普遍性です。柴田翔もよく読みました。古典から現代まで色々な作品を読む事で「ああ同じだな」と安心感を得られます。自分と同じ若い時の未熟さ、迷い、純粋さが浮かび上がってくるから。作品を読み「こう感じたのだろう」と思いを馳せながら、自分を見つめ直し、自分への自信をつけることになります。「迷いや未熟さはあってもいいのだ」という自信です。こうした普遍性が各作品に流れることは、自分にひとつ、芯を植え付けることができます。
    文学作品を読む(研究というほど大げさなものでなくて)ことでの大きな収穫になり、もっと言えば生きて行く道しるべになってくれます。

    トピ内ID:6815788960

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    あえて再度問います

    しおりをつける
    とおりすがり
    トピ主さんに再度問います。

    このトピのそもそもの最初の書き込みにあった以下の疑問は,果たして解けたのでしょうか?

    > 「作家Aから作家Bにあてた書簡が発見された。これは作品aの成立の過程を理解するうえで貴重な資料である」
    > などといった新聞記事を見かけることがありますが、こういった文学研究は最終的に何を目指しているんでしょうか?

    具体的に考えてください。

    太宰治の文学を研究する最終目的は,「太宰治の生きた時代の息づかいを知ること」だと,本当にお考えになりますか?

    どんな研究でも,「~したい」という個人の欲求が根底にあると私は思っています。
    その欲求のなかでも最もプリミティブなものが「(その対象を)知りたい」というものでしょう。
    文学研究の根底には,「その作品(もしくはその作者)を知りたい」という欲求があると考えるのが自然です。

    「ある時代を知りたい」という欲求もあるでしょう。
    ただ,その研究材料に文学作品を使うことはあっても,それを文学研究の主目的だと考えるのには無理があります。
    対象はあくまでその作品自体(もしくは作者)であるはずです。

    トピ内ID:7193580914

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    とおりすがりさんに質問!

    しおりをつける
    まーぶる
    とおりすがりさんは、
    文学研究の「主目的」と「意味」は何であるとお考えですか?
    とおりすがりさんのご意見をお聞かせください。

    トピ内ID:3314132279

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    とおりすがりさんに同感です

    しおりをつける
    本棚
    トピ主さんはこのトピにもういらっしゃらないのかもしれませんが、私もずっと今まで「とおりすがり」さんと同じように思っていました。

    何で(トピ主さんの)結論が「時代」や「人々の息づかい」を知るためなのか、正直「?」です。

    普通に「文学作品そのものと、それを書いた作者について知るために研究する」じゃいけないの?

    最初から思ってたけど、なんで「普遍性」に拘るのかよく分からないし、「時代」にまで広げて考える必要あるのかな?無理矢理「今」とつなげる必要もないし・・・。

    トピ内ID:2676704573

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    とおりすがりさん、本棚さんへお返事

    しおりをつける
    ノールウェーの林 トピ主
    研究のきっかけが個人的な知的欲求であるのは当然です。しかし、何かを調べて発表するという行為が「研究」として成立するためには、その目的と意義を第三者に理解してもらう必要があります。また、価値の高い研究となるためには、多くの人に理解してもらい、広い分野の研究に影響を与えることが必要です。

    太宰治の研究であれば、
    戦中、戦後の時代を知るという目的もあり得るでしょうし、『人間失格』の主人公が演じた「道化」についての心理学的な考察も目的になるでしょう。(文学研究者ではない私の勝手な想像でしかありませんが)
    また、その研究成果は社会学や心理学の研究にも生かせそうですので、価値の高い研究となり得るのではないでしょうか。

    一方、「作品・作家を理解すること」を目的とした研究は、その作品・作家のファンにとっては有意義でも、それ以外の人にはあまり意義があるとは思えません。
    たとえば、太宰治と井伏鱒二との確執が『斜陽』の筋立てにどう影響したかを議論しても、意義を認めるのは一部のファンだけでしょう。

    研究の目的が作品・作家の内側のみへ向かっていてはいけないのだと思います。

    トピ内ID:6114275560

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    お礼

    しおりをつける
    歴史を勉強中
    >トピ主さん
    私の回答がヒントになった様で、嬉しく思います。

    実は当初のトピ主さんの実利重視の様な考え方に苛ついていました。でも功利主義的な見方が支配的な今の日本では、当初のトピ主さんの考え方がむしろ一般的なのでしょうね。でもその所為で現在日本の文学(及び哲学・史学等)の研究が壊滅的な打撃を被っている事も、ついでに知っていただけたらと思います。

    お礼を書くつもりが、詰問する様な内容になってすいません。
    これをきっかけに、トピ主さんにとっての新しい世界が広がっていく事を願っています。

    トピ内ID:7165338932

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    それはそれでよいと思うけど

    しおりをつける
    歴史を勉強中
    >とおりすがりさん
    >本棚さん
    それはそれで良いと思います。
    でもトピ主さんはそれで満足出来なかった。
    ついでに付け加えれば、殆どの文学の研究者もそれで満足出来ない人達です。
    例えば古典。古典は成立から何百年・何千年と経っているものが多くあり、その間に沢山の学者が研究しています。卒業論文、特に修士論文のレベルまで行くと先学の膨大な研究成果の網羅が必須となり、その過程で本棚さんの言う研究動機は、殆どの場合、よく言えば満たされてしまう、悪く言えば行き詰まってしまいます。だから現在も現役の多くの研究者は「文学作品そのものと、それを書いた作者について知るため研究する」段階を通り過ぎてしまっているのです。
    もしとおりすがりさんや本棚さんの言う研究内容に限定してしまったら、逆に文学研究は衰退してしまうと思います。

    トピ内ID:7165338932

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    お金かかります1/2

    しおりをつける
    歴史を勉強中
    >とおりすがりさん
    >数億かかる文学の研究なんてありえません。
    そんな事はありません。
    文学研究は図書館が命です。この図書館に凄まじいお金がかかるのです。

    まずはスペースの面から。
    例えば初版とそれ以降では内容が違う事がありますよね。本当にその作品や著者の事を知りたければ、内容が変化した前と後の版を比べなければなりません。すると同じ作品でも出来るだけ違う版を揃える必要が生まれます。また古典は書写・印刷の状況によって内容が違ったり、字の異同があるのは当たり前なので、xx本というのを可能な限り揃える必要があります。
    それに増え続ける関係文献・論文を受け入れ続けなければなりません。
    つまり図書館は幾ら大きくても大きすぎるという事は無く、重量のかさむ書籍を置いておく為の特別な処置も建築時に必要になります。
    デジタルデータにすれば解決すると思われるかもしれませんが、デジタルデータにする段階でミスが発生して字が変わってしまうのは良くある事ですし、データ化によって本そのものが失われてしまえばそれもまた大きな損失になります。

    トピ内ID:7165338932

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    お金かかります2/2

    しおりをつける
    歴史を勉強中
    次にその他の面。
    そもそも図書館は書籍の閲覧と保存の為にあるのですから、可能なら痛む事前提の閲覧用と、後世に伝える為の保存用を分けておくのが理想です。貴重書の購入には大金が必要ですし、現在出版される専門書も1冊1万円なんてざらにありますから、継続的にかかる書籍購入費だって莫大な金額がいります。それに盗難・事故防止のセキュリティ対策も必要です。

    ちなみに私の知り合いには、個人の蔵書を収める為の書庫を作ったという研究者の方が幾人かおられます。戸建てに地下室を作って書庫にする場合で、ある方は新築で1億円程かかったと仰っていました。個人の書庫のレベルでこれ程のお金が必要で、更に図書購入費も継続的に必要なのですから、大学や公共の図書館に莫大なお金がかかっている事も理解出来ると思います。

    トピ内ID:7165338932

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    理系と文系の違い

    しおりをつける
    本棚
    トピ主さん、歴史を勉強中さん、お返事ありがとうございました。ただ、私自身はまだ納得できてない部分がいくつかあります・・・。

    トピ主さんは
    >価値の高い研究となるためには、多くの人に理解してもらい、広い分野の研究に影響を与えることが必要です。
    と仰っていますが、どうしてそんな風に思うのか、その根拠は何ですか?何故広い分野の研究に影響を与えなければ、価値の高い研究と呼べないのでしょうか?

    歴史を勉強中さんの仰ることは分かります。ただ、私もとおりすがりさんも、多分トピ主さんがあまりにポイントをはずしているような気がしたんだと思います。

    理系と文系の違いは、(興味や研究の)対象が「物質」か「人間」かということだと思います。文系の人のテーマの中心は常に「人間」です。主役は常に「人間」です。特に文学は「人間とは何か」「生きるとは何か」、そういうことを作品を通して掘り下げて考える分野です。

    だから、文学研究においては「作品・作家を理解すること」そのものがズバリ目的でよいのだと思います。一部の人にしか意味がない、と言うけれど、それを言うなら文学に限らないと思います。

    トピ内ID:2676704573

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    目的とか意義は重要じゃない

    しおりをつける
    moon
    >しかし、何かを調べて発表するという行為が「研究」として成立するためには、
    >その目的と意義を第三者に理解してもらう必要があります。
    違和感があります。先行研究を踏まえた上で、新規性のある説を出せれば立派な研究です。目的も意義も後からやってくるものです。予算を獲得するには目的と意義が先にないとだめなのかもしれませんが、それはアカデミズムの世界の話なので、ここでは問題になりません。

    > 研究の目的が作品・作家の内側のみへ向かっていてはいけないのだと思います。
    これも違います。目的は他人が勝手に見付けるものです(それは100年後かもしれません)。当人の意図など、どうでもいいのです。例えば、ある作家の未発表稿、日記、書簡などを整理して、作品の成立過程と変遷を追うという研究があったとします。研究の目的は「そこに未開拓領域があったから」だったかもしれません。しかし、その仕事が正しければ、他の研究者にとって、基礎研究としての役目を果すでしょう。文学と言えども研究にはネットワーク性があるんです。

    トピ内ID:3013365145

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    本棚さんへお返事

    しおりをつける
    ノールウェーの林 トピ主
    「生きるとは何か」を理解することを目的とする研究は、作品の「外側」に向けた立派な研究になると思っています。(専門家でもないのに、おこがましいですが)
    たとえば、『人間失格』の主人公の思想とキリスト教や仏教の思想との比較から「生きる意味」を探るなんていう研究は、作品の枠を超えたりっぱな目的をもった研究だと思いますし、その成果は哲学や宗教学の人にも使ってもらえそうじゃないですか。(素人の想像です。おかしな点があればご指摘ください>ご専門の方)
    そういう視点から太宰治の友人に宗教関係者がいたかどうかを調べたり、そのような友人との手紙のやり取りを調べたりするのは、価値ある研究だと思います。

    作品を通して「人間とは何か」を掘り下げることは、文学研究を哲学や心理学、脳科学(ちょっと怪しいですか)につなげること(文学作品というカプセルを開くこと)だと思っています。

    トピ内ID:6114275560

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    トピ主のコメント(44件)全て見る

    歴史を勉強中さんの指摘に対して

    しおりをつける
    とおりすがり
    > よく言えば満たされてしまう、悪く言えば行き詰まってしまいます。
    古典を例にされていますが,現在も次々と文学作品は世に送り出されています。
    村上春樹の研究をしてはいけないのですか? 新たな研究対象が続々世に出てくるので,行き詰ることはないと思います。

    > 文学研究は図書館が命です。この図書館に凄まじいお金がかかるのです。
    図書館は文学研究だけのものではありません。
    さらに,ここで歴史を勉強中さんが指摘しているような「すべての版の文献を対象とした研究」も文学研究のひとつなのかもしれませんが,私が抱いている文学研究のイメージとは大きく異なるものです。(どちらかというと,まさに歴史研究をイメージさせるものです。)

    私のイメージする文学研究を一言でいうと「わかること」です。
    「日本語を読めるからといって,内容を理解したとは限らない」のです。
    名作といわれる小説を読んで「よくわからんなあ」と思うことがあると思います。この状況は,いくら名曲(=名作)でもヘタな演奏家(=読者)が演奏したら聴衆(=読者)に感動を与えられないのに似ています。

    すみません,続きます。

    トピ内ID:8569767099

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    歴史を勉強中さんの・・・・(続き)

    しおりをつける
    とおりすがり
    続きます。

    本を読むことが音楽の場合と違うのは,演奏家と聴衆の二つの役割を「読者」が一手に引き受けなければならない点です。
    つまり,その文学作品を十分楽しむためには,「名演奏家」になることが大前提になるわけです。

    では,どうすれば名演奏家になれるのか。それはその作品を深く理解すること,つまり「わかる」ことです。
    私は,文学研究の目的はここにあると思うのです。

    こうした研究は,他のヘタな演奏家の演奏レベルに押し上げ,その結果,聴衆に感動を与えることができるかもしれません。
    文学研究によって,多くの読者が(潜在的なものも含む)名作を「名作」として読めるようになるわけです。

    つまり,ここまでいろいろと理屈を書いてきましたが,基本は「面白ければいいじゃん」なのです。

    その基本的なところがトピ主さまとは相容れない部分だと理解しています。だから前回は,あえて挑発的なタイトルをつけさせていただきました。

    トピ内ID:8569767099

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    やっぱり井戸掘り!?

    しおりをつける
    カメ
    このトピ、興味深く拝見させていただいてます。ただ、レスの数も多く多様な意見があるので、頭の中で整理がつかずにいますが。

    「自然界で何が起きているのか」を解き明かす自然科学系の研究、例えば物理学、化学、生物学は、得られた成果すべてが目的の達成に貢献しています。また、各分野は互いに密に連携しているし、それらは応用方面である工学、医学に強く影響を与えています。社会学や心理学も、これらのネットワークに含まれますよね。

    翻って文学はどうなのでしょう。文学は、文学作品を遠して「人」「生きること」を研究する者だとおっしゃる方が少なからずいらっしゃるようです。もしそうなら、文学作品の研究成果が心理学や社会学に反映されていそうですね。ただ不勉強にしてその事例を知りません。

    本棚さんがおっしゃる「文学研究においては「作品・作家を理解すること」そのものがズバリ目的でよい」というのは納得のいきます。どこにも繋がらない井戸を深く掘り下げている、それでいいと思うのですが。文学は文楽でいいのでは!?

    トピ内ID:7509744232

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    トピ主さまの考え方

    しおりをつける
    とおりすがり
    再度,書かせていただきます。

    トピ主さまの考え方の根本はここにあるのだと思います。

    > 価値の高い研究となるためには、多くの人に理解してもらい、広い分野の研究に影響を与えることが必要です。

    このままだと平行線だと思われるので,ちょっと言葉を足させてください。以下のようにお考えだと思っていいですか?

    > (商業)価値の高い研究となるためには、多くの(企業の)人に理解してもらい、広い分野の(商業価値のある)研究に影響を与えることが必要です。

    これならある程度納得できます。トピ主さまの頭の中には,「社会」とか「経済」とかが根本的に刷り込まれているのではないでしょうか。きうさんが書かれているとおり,「人はパンのみによって生きるにあらず」ですよ。

    あと,二立さんが「想像と空想」で書かれているとおり,「現実か否か」は文学の本質とはまったく関係ありません。ジョージ・オーウェルには,「1984年」や「動物農場」など一見SFや童話の手法を使った作品があります。これらだってもちろん(私の思う)文学研究の対象にはなります。もちろんガンダムだって然りです。

    トピ内ID:8569767099

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    研究の意味、面白さ

    しおりをつける
    四十雀
     ノールウェーの林さん、お久しぶりです。
    ジーンズをはくことの時代による意味の違いなどを書きこんだ者です。私の言いたいことはさくらんぼさんと全く同じでしたし、わざわざ同じことを何度もいう必要もないと思い、ただ見ていました。

     ノールウェーの林さんが文学研究の意味がわかったとレスポンスされてからも、またトピックが上がってきたのでお邪魔しました。

     私自身以前、文学研究に携わっていました。今はほかの仕事をしてますが、今も文学、評論、研究の世界が大好きです。
     研究していたときに心に残ったある教授の言葉があります。
    文学作品はその同時代にあらゆるものの影響を受けてできたものであり、作家もまた同じである。だから、研究もまたほかの分野と連携しながらするべきであり、文学という細分化した枠に閉じこもると、研究の中身までやせ細ってしまう、と。

     続きます。

     

    トピ内ID:4688029907

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    研究の意味、面白さ 2

    しおりをつける
    四十雀
     ノールウェーの林さんは作品をカプセルに例えていらっしゃいましたが、ある教授の話もそれと同じことを言っていると思います。
     一つの作品、一人の作家は同時代の、あるいは時間を越えてさまざまな世界とリンクしているのです。いくら、人間を、人の心を研究するといってもそのリンクしているものとの関係性を深く理解しなければ、その作家や作品を理解できたとは言えないでしょう。研究はその理解することを追究するものであり、ノールウェーの林さんはそれを理解されたうえで、文学研究って面白いですね、とおっしゃったんだと思います。

     私はこのトピックと寄せられたレスポンスを面白く読みました。人間が人間を他者として理解し、想像することの意味を改めて考えさせられ、また、
    ノールウェーの林さんのレスポンスも正直にご自身の疑問を投げかけるところが好きです。

    トピ内ID:4688029907

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    文学は他分野で応用されています

    しおりをつける
    🎂
    ノルウェイの家具
    文学研究者です。
    文学が他分野の研究に貢献する例を知らないというレスがありましたが、例はあります。

    まず心理学。フロイトはエディプスコンプレックスなど、文学から様々な概念を考案しました(精神分析が学問分野かどうかはともかく)。自己や記憶に関する心理学でも、文学の専門書が援用されています。

    次に医学。アメリカの医学部では、文学が正式なカリキュラムに取り入れられています。「Rita Charon」で検索してみてください。

    歴史学や社会学では、公的な資料が少ない事柄に関して(家庭内のことなど)、小説に出てくる例を資料として参考にすることがよくあります。

    すべてレスをじっくり拝見していないので、もうどこかでもう書かれていたら失礼いたします。

    トピ主さんは、子供の頃、夢中でお話を聞いたり読んだりした経験はないのでしょうか?文学研究の「意味」を、これほどまでに問わずにいられないということ自体、興味深く思います。

    良かったら、幼少時からの文学遍歴(またはその欠如)について、
    お聞かせください。

    トピ内ID:8654927143

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    参加してもいいですか?

    しおりをつける
    旧三流学生
    >私のイメージする文学研究を一言でいうと「わかること」です。

    うーん、私はちょっと違いますね。

    作家は時代のあらゆるものや、時代を超えたもの(四雀さん恩師のお言葉より)を吸収し、自分というフィルターを通して自分の思いを「主観的」に吐き出し、

    文学研究者は、きわめて「客観的」に作家・作品が時代の中でどういった位置づけを持つのか研究・発表するものだと思っています。

    村上春樹の研究もいいのですが、村上春樹と今生きている人たちの間に常識や考え方にさほどギャップがないので、研究の対象になりにくいのでしょう。よく調べれば、対象にしている人もいるとは思いますが。

    トピ内ID:3090213638

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    研究の定義が狭すぎでは?

    しおりをつける
    理系の文学好き
    私もトピ主さんの研究観には違和感を覚えます。
    「他の分野に広く影響を与えるのが良い研究」と繰り返し書かれていてGFPなどを例に出されてますが、
    それでは「自発的対称性の破れ」とか「クオーク」などは宇宙論や素粒子物理以外の分野にどんな影響を与えたんでしょうか?

    あるいは、何年か前に島津の田中さんと東大の小柴さんが同時受賞した事がありました。
    田中さんの研究は「他の分野に広く影響を与えた」例ですが、一方で小柴さんの研究は、
    当時ご本人がコメントされていたとおり日常社会では「何の役にも立たない」ものです。

    このような研究は、「他の分野に広く影響を与えたから」高く評価されているのではなく、
    「我々が生きているのはどのような世界はどのような世界か」という根源的な疑問を
    物理学の側面から深く深く突き詰め、新たな深みに達したから評価されているのだと思います。

    文学研究でも同じで、作品も個人史も含めた「太宰治の世界」そのものに焦点を当てて深く掘り下げる研究というのは充分成立するでしょう。
    その結果、今まで見過ごされていた新たな深みに到達することができれば、それは評価に値するものだと思います。

    トピ内ID:9922090109

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    研究の定義が狭すぎでは? つづき

    しおりをつける
    理系の文学好き
    文学でわかりにくければ、例えば絵画の研究を想像されるといいと思います。

    例えばフェルメールの「青いターバンの少女」を見て多くの人が感銘を受けると思いますが、同時に「この少女は誰なのか?」「フェルメールはどういういきさつでこの少女の絵を描いたのか?」「青いターバンや真珠の耳飾りには何か意味があるのか?」「描かれている少女はどのような思いなのか?」といった疑問が自然に生まれてくると思います。

    そういう疑問に実証的に応えようとすれば絵画研究になりますし、想像力を働かせれば「真珠の首飾りの少女」のようなフィクションが出来上がるわけです。

    永遠に解けない疑問もありますし、それが解けたところで絵画自体は何が変化するわけでもないのですが、それでも「知りたい」という欲求は確実に存在し、もし新たな資料が発掘されてこの絵画の背後にある思いがけない物語が明らかになれば、その研究は高く評価されるでしょう。

    「フェルメールの絵画から見た17世紀オランダ」といった、より一般性の高い方向の研究ももちろん重要ですが、一般化、抽象化を離れてごく小さな範囲を深く掘るような研究もまた価値のあるものです。

    トピ内ID:5203650869

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    人が創造するものは

    しおりをつける
    孫悟空
    どこまでいっても人の範疇を超える事はないし、できないでしょう。

    つまり内も外もないんです。社会的利益をとれば優劣さえない。

    でもその中で人が自らの可能性を広げていく姿勢というのは
    理屈抜きで素晴らしい事ではないのでしょうか。

    理論も大事ですが「感じる」事を忘れると机上の空論でしか
    ありません。それは両輪でなければいけないと思います。

    否、そうだからこそ研究というものは進むものだと思います。

    トピ内ID:0873441109

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    興味深いです。

    しおりをつける
    フローレン
    今日、初めてこのトピを拝見させていただきました。
    大変、興味深いです。

    私は、大学で日本文学を専攻しておりましたが、サークルで一緒だった理系の男の子に、「本は好きだし、読むのは楽しいけど、研究ってどういう意味があるのかわからない」と実際に言われたことがあり、そのときには随分と考えさせられた事などを思い出しました。

    私が大学で一番学んだのは、物事の見方はひとつではない、ということです。
    私にとって文学研究は、思い込みからの脱却でした。
    そういう意味で、自然科学の研究とは、求めるものがそもそも違うと思います。

    続きます。

    トピ内ID:5432931130

    ...本文を表示

    興味深いです。2

    しおりをつける
    フローレン
    一年生で芥川龍之介の「羅生門」が明るい、しがらみをたって新しい世界へ出発する物語なんだという授業を聴き、目から鱗がポロポロと取れ、なるほど、文学の研究とはこういうことか、とものすごく授業に感動しました。
    そもそも、その解釈は、芥川の「愉快な話が書きたかった」という言葉から出発しています。
    高校の教科書とは真逆の解説なのに、その方が納得できるんです。
    そこから芥川にとっての愉快とはどういうことか、なぜ彼はそう思ったのか・・・どんどん疑問が沸いてきませんか?

    私は大学時代に何度もその興奮を味わいました。


    優れた研究や評論は、実際に作品と同じような輝きを放つ時がありえます。

    トピ主さんには、ぜひとも、小林秀雄や折口信夫など、その研究書そのものに価値があるようなものを読んでいただきたいです。
    正直、トピ主さんが読んだ本は、学術的にはそう価値の高いものではないと思います・・・・。
    どうぞ、トピ主さんにも、「目から鱗がポロポロとれる」気持ちを味わってほしいです。
    そして、そういうものは、個人的な興味で調べて解釈することとは、次元が違ってくるのです。

    トピ内ID:5432931130

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    興味深いです。3

    しおりをつける
    フローレン
    すいません、長くなりましたが、最後です。


    それから、優れた文学作品は、作者を超えます。
    それこそ、作者の意図しない、天から降ってきたような作品というのがあるのです。
    ですから、私は作者の時代背景、家族構成などからのみの研究は、あまりよくないと思ってます。

    トピ内ID:5432931130

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    とおりすがりさんへお返事

    しおりをつける
    ノールウェーの林 トピ主
    なぜ「商業」や「企業」を付け足されてしまうのか、理解できません。価値というのは金銭的なものだけではないでしょうに。

    研究の「価値」は他者から認められることにあります。

    数年前、数学の世界ではポアンカレ予想の証明が大きな話題になりました。(直接的には)一銭にもならない研究ですが、これまで誰も解けなかった問題が新しい概念(私には到底理解不能ですが)の導入で多くの人に理解できるようになったということは、価値あることです。今後の数学や物理学の発展に大きな影響を与えるでしょう。

    メンデルの遺伝の研究が、発表当時にはその価値が理解されず、死後になって再発見され高い評価を受けたことは有名な話です。この研究も、当時は一文にもならない研究でした。もちろん今日では、遺伝学はビジネスと直結する経済効果の高い学問です。

    文学研究の目的が「文学作品をよりよく理解するため」であれば、その価値を理解してもらえるのはその作品、作者に興味を持っている人だけではないでしょうか。
    文学研究=作品解説でよいのですか。他の学問分野への影響がない、孤立した学問になってしまいませんか。

    トピ内ID:6114275560

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    トピ主のコメント(44件)全て見る

    研究は面白ければよい。多くの人にとって面白ければなおよい。

    しおりをつける
    ノールウェーの林 トピ主
    とおりすがりさんのおっしゃる通り、研究は「おもしろければいい」のです。そして、多くの人にとって面白ければ、すぐれた研究となります。
    自分だけが面白いのでは単なる独りよがりであって、すぐれた研究ではないでしょう。

    どんな分野でも、「タコつぼ研究」と揶揄される、狭い分野に閉じこもった研究があります。多くの場合、それらはあまり評価されません。
    多くの人に面白いと思ってもらうためには、異分野の人にも理解してもらえるような努力が必要でしょう。

    自然科学の分野では研究対象が共通していることから、研究成果の他分野への波及効果は(一応は)保障されています。
    一方、文学作品を対象とする文学研究では、タコつぼ化する危険性が高いのではないかと危惧しています。それだけに、他分野と交わろうとする意識的な努力が必要なのではないでしょうか。

    トピ内ID:6114275560

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    トピ主のコメント(44件)全て見る

    研究に意義が要るのではなく、人様のお金を使うから意義が必用

    しおりをつける
    会社員
    自分のお金で何かをしているならば、法律に反したり人に迷惑をかけない限り、意義や利便性と言われても、聞かれた方も困ると思います。
    しかし、人様のお金(人件費+文献代)を1円でも使って何かをするならば、出資者に対する意義、利便性の提示が必要ですね。
    これは社会のルールなので仕方ありません。

    ですので、トピ主様がなぜこんなことを書くかの理由として税金と思ったのですが(初期に社会貢献と仰ってました)、不特定多数の国民に対する利便性との関連性が薄い結論になっております。
    (誘導尋問っぽいですが、税金注入意義ならば、文学部卒の理系修士様のご投稿よりご想像できると思っています。)
    よろしければ、前提条件と補間情報をお教え頂ければ幸いです。
    もし、税金注入の前提条件ならば、それを明記されて、トピ主様の出された結論と利便性・社会貢献の関係を、
    もし、ご興味より税金抜きの意義をお聞きになったのならば、途中の社会貢献と分けて発言されるか、社会貢献と税金抜きの研究との間を埋める補間情報をご説明された方が良いと感じました。

    ※これらの情報が無いため、ご回答者が混乱されたかと思われます。

    トピ内ID:5858454800

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    ノルウェイの家具さんへ

    しおりをつける
    ノールウェーの林 トピ主
    現役の文学研究者のご来臨、光栄です。
    >幼少時からの文学遍歴(またはその欠如)
    さほど特殊な環境で育ったつもりはありません。
    小学生の頃にプレゼントされたトムソーヤーの冒険に心奪われ、小遣いをはたいてハックルベリーフィンの冒険を買ったのが、読書遍歴の初めです。
    その後、眉村卓や筒井康孝のジュブナイル小説に入れあげ、高校の頃には早川や創元のSF文庫をむさぼり読みつつ、教科書に載っていた唐詩をきっかけに中国の詩集や三国志、司馬遼太郎の「項羽と劉邦」で夜更かししました。
    大学の頃は、小説よりも「理科系の作文技術」「タテ社会の人間関係」「甘えの構造」「権利のための闘争」「ロウソクの化学」などを喜んで読んでいました。

    文学研究者としてコメントをいただければ嬉しいのですが、
    ノルウェイの家具さんにとって、文学研究の目的、意義は何でしょうか。
    何のために、どんな文学作品を研究しておられるのでしょうか。

    文学研究者とお話しできる機会はなかなかありませんので、この機会を生かしたく不躾ながら率直にお尋ねいたしました。
    実際の文学研究の一端なりともお示しいただければ幸甚です。

    トピ内ID:6114275560

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    トピ主のコメント(44件)全て見る

    文学の作法1 自然科学との違い

    しおりをつける
    元工学者の文系研究者
    以前は工学の、今は文系の研究者です。
    科学論文に慣れた私が、文学の研究論文に接するようになって、一番大きな差と感じたことは引用文献リストの重要性の違いでした。

    科学論文では引用文献はあくまでも「参考」です。互いの業績の確認行為であったり礼儀でもありますが、論文の正しさを保証するものではありません。その論文の理論や発見が実験で反証されれば、たくさん引用していてもおしまいです。

    ところが文学の論文では、引用文献リストこそがその研究の意義を決定づけます。なぜなら、文学の研究対象はオリジナルの「作品」だけではなく、その作品について書かれた論文全てだからです。研究者は有名な作品にまつわる広大なテキストの地図を研究し、新たな空き地を見つけてテキストを追加しようとします。その新しいテキストが「正しい」かどうかは、すでにあるテキスト群に対し、オリジナリティがあり、かつ重要な関連性を持っていることにかかってきます。それ故に文学者は自分の論文と同様の主張や、反対意見を執拗に収集し、膨大な「引用文献リスト」を作るのです。 つづきます

    トピ内ID:8609356484

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    文学の作法2 研究対象

    しおりをつける
    元工学者の文系研究者
    文学の研究が作品だけではなく、それにまつわる論文も全て研究対象にしていると言う事実は、意外に理解されていません。多くの人は源氏物語の研究というと源氏物語を隅から隅まで解釈することや紫式部の生活を知ることに、ひたすら時間を費やしていると思いこんでいます。

    そういうこともしないわけではないのですが、 実際の文学者は「名作」にまつわる論文の森の探検に多くの時間を費やします。それはとてもわくわくする知的冒険なのです。多くの文学者が引用文献の作法を守って参加する事により、名作にまつわる広大な森が、見通しの良い地図付きの地形をなすようになってきます。このことを文学では体系化と言います。自然科学の、実証や無矛盾を基礎とした体系化とはずいぶんちがいますね。

    このように考えると文学の研究目的が「名作」を読む人のための補助やガイドなどではないことは自明です。ガンダム研究が引き合いにに出されていますが、もし引用などの作法をきちんと守ったガンダム研究論文が多数あるなら、体系化された研究と言えるでしょう。逆に、作品を見るためのチップスや新解釈を披露するだけでは、学問的研究とは言えません。
    つづきます。

    トピ内ID:8609356484

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    文学の作法3 相互作用

    しおりをつける
    元工学者の文系研究者
    ここまで書くと、結局、体系化された文学の研究成果を楽しむのは、文学の研究者だけと言うことになります。このような自己増殖的な、閉鎖的な知識体系が何の役に立つのかという疑問がわくでしょう。特に自然科学的な発想から言うと、普遍化できない知識は応用できないじゃないかと。

    ところがそうでもないのです。文学に限らず、スタイルを変えながら時代を切り開く名作を出し続けるタイプの芸術家には、芸術論に精通した人がたくさんいます。このタイプの作家にとっては、自分の作品の位置を見極め、次のステップに迷わず進むための明快な地図が欠かせません。従って作家である一方で、他人の論文を読み、自分で論文を書いたりもします。

    一般的には、他人の論説などクソ喰らえと言うような人が偉大な芸術家のイメージですが、ある時代には作家と文学者が非常に強い相互作用を持ち、他の分野の芸術家も巻き込んで巨大な運動となって花開くことは、歴史上の様々な芸術運動が証明しています。
    このような相互作用は、文学の最も有用な効果の一つと言えるのではないかと、私は考えています。

    トピ内ID:8609356484

    ...本文を表示

    ノルウェーの家具さんへ

    しおりをつける
    カメ
     「文学が他分野に貢献する例を知らない」と最近書き込んだものです。ノルウェイの家具さんのレスが私の書き込みを受けたものかどうかは知りませんが、答えを提示してくださったこと、ありがたく思います。
     ただ、エディプスコンプレックスの事例はどうなんでしょう。単に名の通った物語の名を拝借しただけなのでは。歴史学の資料として当時の執筆物が役立つというのは分かります。ただ、歴史学そのものがその資料の解析を行うのではないかな、とも思うのですが。社会学にどう影響を及ぼすのかも推測しかねます。しかし、Rita Charonの試みは面白いですね。これはよい参考になりました。

     さて、ノルウェイの家具さんにお願いがあります。ズバリ、文学研究の目的を教えてください。私は自然科学系の研究に従事しているので、その方面についてなら言えます。すなわち「自然界で起こっている事象の解明」です。では、文学研究は何を目指しているのですか? 素人の千の言葉より、火中の研究者の一言が、疑問に答える鍵かと思います。

    トピ内ID:7509744232

    ...本文を表示

    質問に一部お答えします

    しおりをつける
    🎂
    ノルウェイの家具
    幼少時からの読書歴を教えてくださり、ありがとうございました。

    >ノルウェイの家具さんにとって、文学研究の目的、意義は何でしょうか。

    私の場合、仕事です。文学が好きで、文学研究をする仕事(大学教員)が世に存在していた。だから文学研究者になりました。

    >何のために、どんな文学作品を研究しておられるのでしょうか。

    研究者としては、学会・学界に貢献するためです。
    大学教員としては、自分の研究を学生に還元するためです。具体的には授業をするためですね。

    研究対象につきましては、個人が特定される可能性があるので、ご容赦くださいね。

    トピ内ID:8654927143

    ...本文を表示

    「他分野」の定義を教えてください

    しおりをつける
    理系の文学好き
    どうもトピ主さんの言う「他分野に影響を与える」というのがよくわかりません。

    > 数年前、数学の世界ではポアンカレ予想の証明が大きな話題になりました。
    > 今後の数学や物理学の発展に大きな影響を与えるでしょう。

    これでいいんですか?
    これは「他分野」ではなく「同じ分野」では?
    数学の研究が数学に影響を与えるのは当然ですし、物理学も数学を使うわけだから兄弟のようなものですよね。

    これでいいなら、たとえば太宰治の研究を深めれば当然佐藤春夫や井伏鱒二の研究にも影響を及ぼすでしょうし、あるいは使われている言葉を解析して日本語研究にも役に立つことはあるでしょう。立派に「他分野に影響」しているのでは?

    それにポアンカレ予想の証明が評価されているのは「他分野に影響を与えた」からではないでしょう。証明されたばかりで影響を与えるも何もないですよね。それはこれからの話です。そうではなくて「謎が解けたこと」それ自体が評価されているんですよ。

    トピ内ID:5203650869

    ...本文を表示

    なぜそんなに「他者」を気にするの?

    しおりをつける
    理系の文学好き
    > 文学研究の目的が「文学作品をよりよく理解するため」であれば、その価値を理解してもらえるのはその作品、作者に興味を持っている人だけではないでしょうか。

    その通りです。それは基礎数学や素粒子物理、宇宙論などでも同じでは。
    他者からの評価が大きいかどうかは、当然興味を持っている人の人数にもよるでしょう。
    世界最大のベストセラーで、最もよく研究されている「聖書」について画期的な発見をしたり、通念を覆すような説を打ち出したりすれば、反響は大きいですよ。死海文書の発見や「ダ・ヴィンチコード」などは、特にキリスト教研究に深い興味を持たない一般の人にも大きな関心を呼んでいますよね。

    > 自分だけが面白いのでは単なる独りよがりであって、すぐれた研究ではないでしょう。

    それは研究者の考え方ではありません。
    メンデルにせよ、GFPの下村先生にせよ「自分が面白いから」研究したわけです。研究が為された当時は「他者からの評価」はほぼ皆無でした。自分が面白いと思うことを研究して評価は後世にゆだねるというのが理想的な研究者の態度でしょう。現実には研究費を獲得する必要もあるので、理想通りにはいきませんが。

    トピ内ID:5203650869

    ...本文を表示

    ついに求めていた答えを得た!

    しおりをつける
    ノールウェーの林 トピ主
    元工学者の文系研究者さん、ありがとうございます!

    きわめてわかりやすくいご説明です。今までの疑問が氷解したように思います。

    >閉鎖的な知識体系が何の役に立つのかという疑問
    私の疑問は、まさにこれでした。自然科学を勉強してきた者にとっては、文学研究は孤立した学問のように思えたのです。

    文学(というより芸術学というべきでしょうか)はそれ自身で別個の知識体系をもつのですね。そしてその研究成果は「作家」にフィードバックされ、さらにその創作物を体系化して再び作家にフィードバックする。

    いや、驚きました。
    研究成果の波及対象は、作家なのですね。目からうろこが落ちる、という言葉を実感しました。

    これぞまさしく、ポジティブフィードバックというものでしょう。研究成果が直接生産(創造)に関与できるなんて、文学は工学以上に実社会に影響を及ぼす学問だと言えるのではないでしょうか。

    トピックを立ち上げて本当によかったと思います。
    お忙しい中、コメントいただけましたこと、改めて感謝申し上げます。

    トピ内ID:6114275560

    ...本文を表示
    トピ主のコメント(44件)全て見る

    カメさんへのお答え

    しおりをつける
    🎂
    ノルウェイの家具
    トピ主さんの質問に答えた後、カメさんの質問を拝見したため、
    一部重なりますが、質問にお答えしますね。

    まずフロイトについて。
    フロイトは19世紀以降の小説からも、理論を構築しました。
    ホフマンの『砂男』や、イェンゼンの『グラディーヴァ』など。

    社会学への応用については、歴史学と同様、
    風俗研究の資料として使われています。
    それらの本の題に「社会学」とついていたので、そう言及しました。

    私は文学研究者ですので、
    他分野の研究を文学研究に応用する方をやっており、
    文学が他分野でどう応用されているかについては、
    全体を把握している訳ではありません。
    ですので、他にも例はあると予想(&期待)しています。

    文学研究の目的について。
    これはカメさんと同じです。
    私にとって文学研究の目的は、「文学界で起こっている事象の解明」です。
    究極的には、「知的欲求を満たすこと」でしょうか。

    ただこれでは今の時代の文学部は大変厳しいので、
    多数の人が納得できるような答えを用意した方がよいかもしれません。
    カメさんはじめ、他の方のレスを楽しみにしています。

    トピ内ID:8654927143

    ...本文を表示

    こりゃだめだ

    しおりをつける
    芥川
    トピ主さんは禅問答がしたいの?それとも水掛け論を延々と
    続けて満足したいの?

    結局真面目に答えてる人を逆撫でするような質問しかしてない
    と思います。

    一旦適当に納得したように見えて、表現が多少変わっただけの
    同じ質問の繰り返しになってるだけ。

    あなたの疑問に対しきちんと答えになってると思われるレスが沢山ついて
    るのにもかかわらず、それを否定しているかのような態度。

    文学研究に対して色々な疑問があるなら、そのつど具体的に
    提示して落とし所をつけてください。

    色々な考え方が知りたいなら知りたいとはっきりそう言えばいい。

    トピ主さんには皆さんに対する誠意を感じません。
    自己中です。卑怯です。

    トピ内ID:0873441109

    ...本文を表示

    「他者との関係」と無関係な研究目的だっていいのでは?

    しおりをつける
    とおりすがり
    >トピ主さま

    あのような言葉を補ったのは,トピ主さまの意図が「商業」や「経済」,ひいては「社会」を背景にしたものだと思ったからです。

    トピ主さまの書き込みには,「価値のある/ない」,「意義のある/ない」,「良い/悪い」という判断基準が多く出てきます。個々の文学研究をそのどちらかに組み入れようとお考えになっているのでしょう。

    こうした判断基準は,トピ主さまも書いているとおり,他者との関係の上に成り立ちます。つまり自分自身ではない「社会」が下す判断です。そして,資本主義社会においてその端的な(さらに絶対的な)基準が「経済」だと思ったので,「商業」や「企業」という言葉を補ったわけです。

    ただし,これまでに多くのみなさんが書いているとおり,研究の動機はそうした「他者との関係」の中にあるのではなく,より根源的な個人の欲求によるものだと思うわけです。(この辺りの認識は,理系の文学好きさんとたぶん同じだと思います。)

    研究目的も,動機と同様「他者との関係」の中にはないのでは?

    続きます

    トピ内ID:8569767099

    ...本文を表示

    「他者との関係」と無関係・・・(続き)

    しおりをつける
    とおりすがり
    続きです。

    自分の欲求は「わかること」ですが,他にも「世界の成り立ちを知りたい」とか「世の中のためになりたい」とか「金儲けしたい」とか,さまざまな欲求を動機として「研究」されている人がいると思います。さらに,自分としては,一昔前の「ウルトラマン研究序説」のように「この作品で遊んでやれ」というのだって立派な「研究」だと思っています。大学の先生も参加してガンダムをネタにした国際学会というのが発足した(する?)らしいですし。

    そうした「研究」をいっさいがっさいまとめて「価値がない」と決め付けられているようで,反発したくなってしまったのでした。

    >カメさま

    カメさんの書かれているとおり,「やっぱり井戸堀り」なのかもしれません。ただ,「井戸」より「温泉」のほうがイメージは近いと思います。

    一生懸命地面を掘ったら,ほどよい温泉が出てきた。それを,近場にいたみんなで浸かって楽しむ。とっても湯が豊富な温泉なら,遠くからも来てもらえるかもしれない,という感じですね。

    トピ内ID:8569767099

    ...本文を表示

    ノルウェイの家具さんととおりすがりさんへ

    しおりをつける
    カメ
     ノルウェイの家具さん、レスありがとうございます。
     フロイトのことですが、「理論構築」は精神分析についてものだと推察します。彼は意外と経験、現場というものを重んじたと記憶しています。とすると、書物も彼にとっては患者の一人だったのかもしれませんね。
     文学研究の目的は「文学界で起こっている事象の解明」ですか。問題は、門外漢にはこの「文学界」なるものが曖昧模糊としており、かつ何をもって「解明」というのかもイメージできないのが悲しいところです。「知的欲求を満たすこと」は、すべての学問において共通なので分かりますが。
     さて、多数が納得できる答えですか。今の時代を考えると、どこかで実利に結びつけなきゃならないかもなぁ。哲学(あらゆる学問)には厳しい時代だと思います。

     とおりすがりさんの「研究目的も,動機と同様「他者との関係」の中にはない」には同意します。ただ、トピ主さんの言う「「価値」は他者から認められることにある」にも一理あると考えます。価値、すなわち評価は、自己満足の自己完結ではだめでしょう。
     あと、「井戸」より「温泉」というのはいいですね。湧き出るものが温かい。うん。これはいい。

    トピ内ID:7509744232

    ...本文を表示

    改めて総括1 文学研究に対する疑問の背景

    しおりをつける
    ノールウェーの林 トピ主
    多くの皆様のご意見をうかがうことができ、大変感謝しています。私の個人的な疑問から出発したトピックでしたが、ついに求めていた答えを得るに至りました。ここで最終的な総括を述べたいと思います。
    ご質問に個別にお返事することはできませんが、この総括が回答の代わりになればと思います。

    自然科学・社会科学は我々の生きる世界・社会を対象にしており、その研究テーマはお互いに何らかの関連をもっています。またその研究成果は、この世界のすべての人に(その分野に関心を持たない人に対しても)何らかの影響を与えます。
    一人の研究者が見つけた小さな発見が、他の研究者によって増幅され、社会に大きな影響を与えることも少なくありません。このような研究はやりがいのある仕事でしょう。人生をかけて取り組むだけの価値は十分にあります。

    一方、文学作品は読者の心を豊かにしてくれますが、すべての人に必須のものではありません。では、文学作品を対象とする文学研究も、一部読者のためのものなのか。影響を与える範囲が狭いのなら自然科学の研究に比べて価値が低いのか。

    これが私の疑問の出発点でした。

    トピ内ID:6114275560

    ...本文を表示
    トピ主のコメント(44件)全て見る

    改めて総括2 文学研究を社会科学・自然科学とつなぐ

    しおりをつける
    ノールウェーの林 トピ主
    トピックの中で、「文学研究は作品のガイド役」という意見がいくつか寄せられました。

    しかし、私には納得できませんでした。
    作品案内があれば、より多くの読者をひきつけることはできるでしょう。しかし、一つの作品が引きつけることができる読者は限られています。また、文学研究は「内向き」で「孤立している」のではないかという、私の根本的な疑問も残ったままでした。

    次に、「作品の持つ情報を開くのが文学研究だ」というご意見に目が留まりました。
    実はこのご意見、トピック立ち上げ直後に八重さんはじめ多くの方から頂いていたのですが、歴史を勉強中さんのレスポンスでようやくその重要性に気付きました。

    文学作品は、その作品が書かれた世界の様々な情報を含んでいます。単に字面を追うだけでなく、解釈を深めることによって、その世界の雰囲気とでもいうべき情報が得られます。

    なるほど、これならば文学研究は歴史学や社会学などとつながります。私のイメージの中で、孤立していた文学研究世界が自然科学や社会科学と連結しました。

    文学研究も、自然科学や社会科学と同じ枠組みで理解できると思ったのです。

    トピ内ID:6114275560

    ...本文を表示
    トピ主のコメント(44件)全て見る

    改めて総括3 文学研究は作家に影響を与える

    しおりをつける
    ノールウェーの林 トピ主
    この時点で、総括として私なりの文学研究観を披露しましたが、多くの批判をいただきました。
    「文学研究の本質は、文学作品自身を研究することにあるはずだ」と。
    しかし、これではまた振り出しに戻ります。やはり文学研究は文学作品を対象にした孤立した研究なのでしょうか。

    私の考え方を大きく変えてくださったのは、元工学者の文系研究者さんです。
    「文学研究によって、作品・研究論の広大な森の地図が手に入る。その地図を手掛かりにして『作家』が新たな文学作品を生み出していく」というご意見は、私の見落としていたポイント=作品の作り手たる『作家』、を研究の世界に含めるものでした。

    地図を手にした作家が新たな作品を作り出す。それを文学研究者が体系化して作家にフィードバックする。
    “作家と文学者が非常に強い相互作用を持ち、他の分野の芸術家も巻き込んで巨大な運動となって花開く”ことで、社会にも大きな影響を与えます。

    このプロセスこそが、文学研究の最大の意義です!
    文学研究は、生産(創造)の現場に直接関与し、作品自身を通じて社会全体に大きな影響を与えているといえるのではないでしょうか。

    トピ内ID:6114275560

    ...本文を表示
    トピ主のコメント(44件)全て見る

    改めて総括4 文学研究は作家・作品を通じて世界とつながる

    しおりをつける
    ノールウェーの林 トピ主
    このトピックを立てた時とは、文学研究に対するイメージが大きく変わりました。
    当初はかなり否定的な見方をしていました。象牙の塔に閉じこもって、文学作品をこねくり回して何になるのか、と。

    今ではまったく違います。自然科学や社会科学が物質や概念を通じて世界とつながっているように、文学研究は作家と作品を通じて世界と深くつながっています。生産の現場との距離を物差しにすると、工学研究よりもはるかに現場に近い、実際的な研究分野と言えるのではないでしょうか。
    もちろん同時に、文学研究は作品に秘められた多様な情報を様々な分野に提供してくれる重要な基礎研究でもあります。

    皆さんの中には、「今頃になってようやく気付いたか」とあきれている方もいらっしゃるかもしれません。わたしも、このトピックを通じて、文字で(しかもわずか500文字で)ディスカッションすることのむずかしさを痛感しました。

    しかし、得られた成果には大変満足しています。長年の、文学研究に対する個人的な疑問に決着をつけることができました。
    トピックに参加してくださったすべての皆様に、あらためてお礼申し上げます。

    トピ内ID:6114275560

    ...本文を表示
    トピ主のコメント(44件)全て見る

    非常に楽しかった

    しおりをつける
    旧三流学生
    私もトピ主さんの素朴な疑問に巻き込まれて、でもお蔭様で文学研究に対する私の考えも大きく変わりました。卒論担当の先生がお情けで合格点をつけてくださった私の卒業論文が、その作品の文学研究の森の地図の中でどんなポイントにいたのか知りたい欲求に駆られています。

    それにしても、答えを見つけてはまた疑問が湧き出し、また答えをみつけては疑問が湧き出し、そして最後に自分の求めていた答えを見つけて歓喜の声をあげているトピ主さんの様子はまるでベートーベンの第九のようですね。

    このトピで数多くの貴重なお話を伺うことができて、本当に良かったと思っています。

    トピ内ID:6475337451

    ...本文を表示

    私も楽しかったです。

    しおりをつける
    四十雀
     研究をしていたころ、学会に行くと、ちょうどこのトピックのようにいろいろな立場の研究者がいたのを思い出しました。

     また、過去に私自身「そんなことやって、なんの役に立つの?」「ただのお金の無駄遣い」「好きな人だけが集まって楽しむ趣味の世界」などど言われ、あからさまに馬鹿にされたこともありましたが、ノールウェーの林さんの姿勢は率直にご自分の疑問を投げかけ、それ自体が知的な探求心であったと思います。
     そして、どの分野でも研究者に必要なことは、このトピックのように探究心と研究への誇りと同時に、自分がやっていることへの問いかけだろうと感じました。
     ノールウェーの林さん、そして皆様、またどこかでお会いできると嬉しいです。

    トピ内ID:4688029907

    ...本文を表示

    うーん。

    しおりをつける
    😑
    りりむ
    もう納得&〆られたみたいですが。

    …意味?
    「好きだから」「興味があるから」
    で、いいでしょう。わざわざ難しく考えなくても。
    だから、上記の感情が強くなければ理解不能だろうとは思います。

    私は筋金入りの活字中毒者です。今まで数万冊は本を読みました。
    物語、薀蓄、史実、歴史、ハウツー、文章、日本語、作者固有の文章の癖、人物像、書かれた背景……等等。大好きですっ!
    こんな私だから、大学進学時に文学部への進学を迷いました。
    が、「個人でも興味があれば続けられるから」と就職に有利そうな学部に進学しました。後悔はありません。

    文学部が存在するのは、それだけ文学に興味を持つ人が多いことの現われでしょう。知的好奇心に満ちているのが人間だと思いますしね。

    多くの人の興味&好奇心→結果としてその道の専門家が存在し、職がある→よって何か形にできない価値があるのでは?

    と、いうことではないですかね。
    わからないからこそ興味を持って追求するし、それが楽しい。
    プロが存在する大袈裟な趣味というか……これが私個人の「文学」の定義です。華道とかと同じ感覚ですね。

    トピ内ID:5535250267

    ...本文を表示

    違うと思います

    しおりをつける
    会社員
    りりむ様の仰ることが真理と思います。
    >「好きだから」「興味があるから」
    >で、いいでしょう。わざわざ難しく考えなくても。
    (税金かかってなかったら)こうですよ。
    意義を問うのだったら、「大学で税金かけてこれで良いのか!」のドイツ貴族フンボルトへの挑戦状なら判ります。(くどいですが)トピ主様の前提条件も結論も理解できない。作家へのフィードバックなら、税金使わず読者投稿葉書で十分。利害関係の無い人の方が核心を突いている気が致します。

    >プロが存在する大袈裟な趣味というか……これが私個人の「文学」の定義です。華道とかと同じ感覚ですね。

    歴史的にそうですね。受益者負担の趣味産業。ほんの僅かな人が先生業に就けたり、パトロン営業して食べていける。趣味の職があるって素晴らしい。
    フンボルトによって、ここ200年弱ぐらい税金かけて大学で研究するようになったから勘違いする人が後を絶たない。
    最後に、トピ主様、実用研究史と文学研究史を調べられた方が良いと思います。
    ※人様の立てられたトピックスなのと、くどいので、これ以上の投稿を控えますけど。

    トピ内ID:5858454800

    ...本文を表示

    もともと

    しおりをつける
    nurnberg
    学問は哲学だけでした。
    そこから、誰もが客観的に同じ解が得られる方向(自然科学系)と、
    各人の主観により解が異なる方向(人文学系)に分かれました。
    分かれはしましたが、大元が一緒なので、目指すところは一緒です。
    人間とは何か?自我とは?何故宇宙は存在するのか?等々根源的な問題の解です。
    自然科学の方が見た目が難解な数式を駆使するし、また
    実社会の技術に直接貢献しているので、人文系より上のような錯覚に陥りますが、
    そんな事は全くありません。
    現在我々が享受している科学技術は上の問題を科学的に研究している過程で得られたオマケに過ぎません。
    問題が大きすぎて幾つもの分野からのアプローチが可能だと言うだけです。
    なので、トピ主さんの質問に対する答えは、人間/宇宙とは何かを知る事
    となります。
    失礼ですが、あなたは大学に行きましたか?
    行っていれば、普通に感じられる感覚だと思いますよ。

    逆に聞きたいのですが、
    理論物理なんかの最前線では、実験が追いつかずに証明できないものがいっぱいあります。
    これらなんかも文学とかと同じではないでしょうか?

    トピ内ID:0756791866

    ...本文を表示
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