ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

「公園の中に謎の現代アート」みたいなのが(質を問わず)好き

風景の中にアートが潜んでいるみたいなのが好きなのだが、アートにあまり詳しくないのでどこに潜んでいるかよく知らない。知っていたら知っていたで、驚きがなくて興ざめしてしまうかもしれないので、このままでもいいのかなと思っている。

 

以前、太宰府天満宮に行ったとき、浮殿の中に運よく金属の塊があって、一瞬戸惑ったものの、出会えてよかったと思った。

神道にピュアなイメージを抱いている人にとっては好きな風景ではないのかもしれないけれど、神社の建物の中に金属のひとつやふたつあってもいっそうマジカルな気分になってよいのではないかと思う。

 

近所でも、ここまで凝っていなくてもよいので、こういうの感じのものを見たいと思っていたのだが、昨年、近所―といっても徒歩30分程度だが―の原峰公園に愉快なオブジェが置いてあるのを発見して楽しかったことを思い出し、今年も見たいと思って先日行ってきた。詳細はここにあるが、2022年は10/4から11/23までやっている。

 

多摩市内の公園は、里山を少し整備しているものが多く、平地があまりないのが特徴で、あまりにも平地がなさすぎる場合は「緑地」という名前で呼ばれている。原峰公園は、限りなく緑地寄りの公園で、永山駅から歩いていくと公園の入口とは思えないような入口がある。古くからある門ではないが、歴史を感じさせるたたずまいで大変思わせぶりで最高。

 

狭い道を歩いているとシャイニングみたいだなと思うが、モサモサしすぎていると追い詰められている感じはしない。とはいえ日常から非日常へ抜けるトンネルを歩いている気分になる。

 

トンネルを抜けると、いつもは朽ちた空間があって、立入禁止の札やテープがあるはずなのだが、立入禁止にしては表示が多すぎる……と思って近づいたら、これが立入禁止のメッセージはないと理解した。

 

近くにはギリギリのベンチがある。

純粋に悲しいお知らせである……。なんなら、この張り紙に美を見出したっていいんだぜ……と自分に言い聞かせる。

 

多摩市と川崎市の境界あたりでも以前同じような展示をしていて、そのときにも木に布をぶらさげているのを見た。屋外の自然のなかのアートだと定番のようなものかもしれない。

 

昆虫と人間の共生について考えさせてくれる作品……と思ったらマジなやつだった。

最近「スズメバチがいるから立入禁止」みたいなのをよく見かけるようになったのだが、スズメバチが増えているのか、増えてはいないが、怪しい中年男性みたいな存在の絶対数が減って、相対的にスズメバチに意識がフォーカスするようになってきたのかはわからない。

 

そして木を縛ったりするのも見かけたことがあるが、こういうのがないと寂しいと思うので、来年以降も二番煎じでもなんでもいいので木を縛って「いつもの木がこんなになって……」という予定調和的な困惑を与えてほしい。

 

これもアイデアは非常にシンプルだが、存在感があってすてきなので、来年も同じ展示をお願いしたい。

 

そしてこれは遠くから見たら生えているように見える。

……が、近づくと切り株のまわりを囲むように葉が植えられていて感動した。切り株の寂しい感じが一掃されていた。

 

また、祈りを捧げたくなるようなオブジェもあって、通年でここにあったらいいと思った。

 

木にグロテスクな加工がされていてアール・ブリュットみたいやな……と思ったら椎茸の原木だった。生えてきたらより素晴らしい造形になるに違いない。

 

公園の中に、おそらく昔からある神社が囲われて入れなくなっているのだが、鳥居が色鮮でアートと見分けがつかない。

 

これは完全にどこまでがアートなのかわからなかった。三角コーンは接近を禁止するためのものに見える。

しかし、近づくとケーヨーデイツーのシールが思わせぶりに貼ってあって、木のオブジェと対照させるためのオブジェなのかもしれない。

 

ここを斜面ではなく公園にしているのは橋と池であるが、池も容赦なく謎のオブジェに占拠されていて胸のすく思いである。

 

橋は、少なくとも今はそのまま進んでもスズメバチ出現ゾーンで通行禁止になっているので引き返すほかない。

この橋自体、経年劣化でそろそろ再築が望ましいが、いまや行って戻るだけの機能しかもたない橋の補修に多摩市は公費を使ってくれるだろうか……こういうときのために、わたしはふるさと納税を我慢していて、多摩中央公園近辺のリニューアルが順調なことを喜んでもいる。

 

また、ここにはむかし武家屋敷があったらしい。このことをもって心霊スポットとみなされてもいるのだが、人がそんなに多くないのがこのせいだとしたらありがたい。


遊べる展示もあった。

押しこむと泡が出てくるのだが、「押しこむ」と「泡が出る」の因果関係について、頭では理解していても視覚化されるとちょっとした魔法のように思えた。

 

いちばんびっくりしたのはこれで、遠くから見ると宙に浮いているように見えた。

 

これは作品ではなくてバリケード……のはず。

なぜ長方形のところだけ錆びていないのだろうと思って触ってみたら、透明なテープが貼ってあって、保護されていたから酸化を免れたと理解した。

 

どこまでが日常の風景でどこまでがアートなのかがわからなくなってくるが、美しいと思うものは何なのか、アートとアートでないものたちから問いかけられているような気分になった。われわれが鑑賞者なのか生活者なのかもわからない。強いて言うなら生活の中に鑑賞が含まれていて、鑑賞という行為も必ずしも一方的に見つめるだけではなく、相互的なものだと思う。

 

よく見ると安全上問題があるものもあって、「子供が怪我をしたらどうするんだ」などと野暮なことを言いはじめたらたちまち終了してしまうかもしれないが、長く続けてほしいし他でも見たいと思っている。

 

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